夢のまた夢やって、知っとるのに昨日、ボクはこの横を歩く男とセックスをした。
今でこそ「鳴海体調、今日も朝から低血圧でせっかくのご尊顔がエラいことになってますよ? 今日、合同演習ですけど、大丈夫ですか? まあ、ランキング上なん僕なんで、負けても格好は一応つきますけど」なんて笑ってるけど、昨日はボクの下でアンアン喘いでは、その切れ長の目をいやらしく歪ませて笑みを溢していた。
その前は、確かこいつは出てきていない。登り窯を平坦にしたような謎のトンネルの中を、四つん這いで延々走っていて、その外からウォーリーと三宅に追いかけられた。その前は韓国系アイドルのメンバーになった東雲から特別にバックヤードパスを貰って喜んだ。
まあ、とどのつまり、夢の話だ。
くあ、と欠伸をして右手を振れば、階級が下の保科は慇懃な礼でその場を後にする。その背が、角を曲がって消えるまで睨めつけて見送った。
夢に保科が出てくると、大概ボクは保科とセックスをしている。
絡み合う自分と保科の映像を見せつけられているボクは、その空間に漂う無数の意識みたいな存在だ。
登場人物じゃない方。つまり、漂う意識の方のボクは、それを止めさせようとか起きようとかは思わない。ラッキーとも思わないが、起きなきゃいけないほどの罪悪感もない。
なぜなら夢だから。
確かに保科のことを部下以上の目で見てはいるが、それを本人に言う気もないし、墓場まで持っていくと心に決めているので、夢の中でくらい抱いたっていいだろうと結論付けた。
ボクが思うに、夢とはボクの深層心理を表しているわけでも、保科の生霊が夢へ逢いに来るわけでもない。深層心理を表しているなら毎日保科の夢を見たっていいはずだ。前頭葉がどうとか聞くけれど、それだって確証があるわけじゃあない。
謎に満ちているなら謎のままでいい。というのが俺の夢に対する見解だ。
例えばだけれど、映画館で映画を見ていて、自分の思い描いてた展開じゃないからといってスクリーンに怒鳴りつけたり、遥か海の向こうの監督の所へ行って文句をつけて配給を止めさせるように言うだろうか。反語。だからボクもしない。
夢の中のことで自発的に何かするのは、強いて言えば怖い夢の時だ。
恐怖映画はBGMで恐怖を煽るように出来ている。夢に音楽はないが、全身が煽られた恐怖を感じて「あ、これはやばい」と察する。
起きよう……と、強く体を起こすように意識する。誰かがボクを押さえつけて無理矢理にシナリオを見せようとするのを振り払って上体を起こす。
大概、悪い夢から無理矢理起きた後はその続きから再生されることが多い。寝ないようにゲームに手を伸ばし、重くなる瞼と暫し戦ってから眠りに就く。
それが、二十数年続けている夜の過ごし方であった。
「昨日、めちゃくちゃ怖い夢見たんですよ」
「ボクは、お前の顔見ながら昼メシを食う方がよっぽど怖いんだが。こんだけ食堂広いんだから他の席行けや」
「あーあー、鳴海隊長は部下の他愛ない話に耳傾けへんから第一のヒラから……おっと、これ以上は……」
「気になるとこで切るなよ。あとカレー南蛮のネギ、ボクの器に入れてくんじゃねぇよ」
「僕、カレー南蛮のネギだけはアカンのですわ」
「ボクのきつねうどんが濁るんだが!?」
昼を大幅に過ぎた食堂は閑散としていた。
第一部隊の隊員は訓練中だし、この時間は食堂のおばちゃんもワンオペで回していて、メニューも簡単なもののみに制限されている時間帯故か、みな敬遠して来ない。
朝飯を食わないボクは、大体このくらいに腹が減ってくるのでこの時間帯の常連客であったが、提出漏れの書類を出しにわざわざ立川くんだりから華の湾岸エリアへやってきた田舎者のおのぼりさんには食堂もきらびやかに見えたのか、わざわざボクの目の前にカレー南蛮を置いて向かいに腰掛けたのだ。くそ、カレー南蛮にすればよかった。カレーにつられない奴なんていないだろう。
そこから保科は、ボクが興味もないし聞きもしないのに夢の状況を話してくる。
誰もいない訓練室で、しかもそれがなぜか母校の図工室と繋がっていて、必死に逃げてるんだけど髪の長い女が追ってくるんです!……人の夢の話などクソ程つまらない。
「じゃあ起きればいいじゃないか」
ボクがスマホの画面を注視しながら何気なく放った一言は、保科の目を怪訝にさせた。
「なんですのんそれ……どうやって起きるんですか?」
「どうやってって……別に頑張りゃ起きれんだろ」
「なんです……それ……あ、もしかして明晰夢ってやつです?」
合点がいった顔の保科の目は、キラキラ輝いているように見えた。これが惚れた弱みってやつなんだろうか?ゲームも佳境で、自己ベストを叩き出せそうな進捗だったのに、そちらを流し見に切り替え、保科へ意識を向けた。
「むしろなんだそれ」
「夢見てるときに、夢の中を自由に動けるやつですよ」
「いや、動いたことねえし」
「でも夢見てるときに夢見てるって自覚があるんやろ?」
「ある」
「じゃあできるんやないです? 今晩やってみて下さいよ!」
保科の目は相変わらずキラキラしていたが、もしかしたらこれは新しいおもちゃを見つけたキラキラだったのかもしれない。
しかし、かくいうボクも、少しわくわくしていた。
夢の中を自由に動くなんて考えたこともなかった。つまり、なにかしらが作ったシナリオをボクは勝手に崩すことが出来るらしいのだ。
目から鱗だった。
生まれてこの方、保科の言う明晰夢とやらしか見たことがなかったので、夢とはみんなそういうものだと思っていたのだ。
たしかによくよく考えてみれば、マンガやドラマなどで『悪夢から目覚めて、顔を青くさせて息を切らしている』なんて光景があるが、それは夢から必死に逃げてきた末に「ああ、あのまま夢を見てたらもっと怖かった。起きられて良かった」と思っているものだとばかり思っていた。
その日、夢を見るのが楽しみで中々眠れなかった。
遠足前日の小学生か、と自分に突っ込みを入れつつゲームを手放したのは深夜を回った頃だった。
不思議な夢だった。誰かを追っている夢だった。夢の中でボクは専用武器でもなんでもない、警察に採用されている小型の拳銃を持っていて、使い方も分からないそれに困っていた。
(ウケる。なんでそんな人しか殺せねえようなもん持ってんだ)
そう感想を述べると場面は進み、なんとなくだが、ボクは誰かを追っているのではなく、拳銃で誰かを護衛をしているのだと感じた。
廊下の突き当たりの、よく花瓶なんかを乗せる台の上に週刊誌が山積みになっている。保科曰く、明晰夢では新聞とか本とかを捲ると真っ白らしい。
ボクは、廊下を駆けるボクに念じた。
(待て待て、待つんだボクよ。ここは一旦止まってその雑誌捲ってみようじゃないか)
討伐用のスーツを着ている俺を足止めするのは少し力がいった。どういう力かと問われても説明が難しい。足を上げるのに大腿筋を使う、というような分かりやすい力の入れ方ではないからだ。
どうにか止まった戦闘服のボクに、雑誌を捲る様に念じると、保科が言った通り雑誌の中は真っ白だった。
(来週のザンプ、来週のザンプ。海賊王の続きどうなってる?)
そう問えば、刻印が浮かび上がる様に長い腕が出てきて、コマ割が明確になる。ただ明確に台詞までは見えず、戦闘シーンがばばっとボクの視界に並んで雑誌は閉じられた。
場面は変わり、振り返ったボクの視界いっぱいに、にっこり笑った保科が映し出される。月光を背負っているのか、逆光で表情はよく見えないけれど、窓の外はどこか外国の風景だった。
「ね、鳴海隊員、しましょ?」
その顔が見えないのが悔しい。あざとい笑顔なんだろうなあと察しはついた。そこから前戯が省かれて急に真っ最中になる。軽い言葉で誘ってきた保科は、泣いて喚いて抵抗していた。これじゃあレイプだなと思ったのは、映像を見ているボクだった。保科の頭を押さえつけて、バックから思いきり突いている。あられもない保科はそそるが、多少可哀そうにも見えた。そこでふと、これも自分でどうにかできるのか、という疑問が浮かぶ。やってみる価値はあるかもしれない。どうせ夢なのだ。
「ほしな……」
小さく名前を呼んで、枕に押しつけていた保科を解放する。自分を動かすのには、先程の週刊誌を捲る時と同じくらい力がいったが、動いている方のボクの動きはスムーズだった。
「ごめんな、優しくするから」
頭を解放されて振り向いた保科の表情はよく分からなかった。そこからは保科の言葉も消えた。消えた、というより、掻き消された、に近い。
もともとのシナリオにない行動だからだろうか。ボクは優しく抱いたつもりだが、保科の声はなく、保科の様子も、何を考えているかもボクの脳に刻まれない。ただ保科の皮膚ばかりが視界に広がっていた。傷一つない、滑らかな肌だった。
「なんつー夢だ」
そんな言葉で眠りから覚めると、いつも通りのボクの執務室が広がっている。確かに来週の海賊王らしきものが見れたのは楽しかったが、なんだか睡眠を取ったはずなのに妙に疲れているのは無理に動いたせいだろうか。
やっぱり夢は見るものであって、無理に作るものじゃあないな、と溜息をついてもう一度眠りに就く。時計はまだ三時前だった。
◆ ◆ ◆
「鳴海、今日はいつにも増して目の下クマがひどいぞ」
「そう思うならもう仕事持ってくんな」
机に突っ伏し、僅かに腕から覗かせた目で、声の主へ小さく応える。声の主は長谷川だ。あれ、お前今日サバンナで象と戯れてたよな、と言いかけて、ズキンと響いた頭痛に顔を顰める。
「酷そうだな。医務室行くか?」
「いや、いい。この書類だけ片付けたらここで寝る」
「午後の武器演習に響くぞ? なにせ今日は合同だからな」
「ああ」
長谷川の『演習に響くぞ』は、ここ数回サボっているボクへの『今日こそは演習に参加しろよ』という苦言だった。
ボクの体調の悪さは保科にも伝播しているのか、最近よく有明に訪れる保科がふざけたことを言って絡んでくることもなかった。こう言っちゃああれだが、ボクが絶不調の時の方が保科は優しい。部下を引き連れていても、絡んでくる事はなく、最初の内はみんなも下らない争いが減ってそれがいいと、むしろボクの体調の悪さを喜んでいた節があったが、こうも続けば心配になっているのだろう。薄情で都合のいい奴らめ。
「長谷川、おまえさあ、めいせきむって信じる?」
「知識としては知ってるが、オカルトの類では?」
「信じるか信じねえかは任せるけど、ボク、この歳まで明晰夢しか見たことなかったんだよ」
「俺は多感な十代の上司を持った覚えはないが……」
「で、こないだ保科に言われて、初めて自分の見てる夢が明晰夢だって知ったんだけど、それを自覚して以来今度は明晰夢が見れなくなったんだ」
「それは良かった。普通の夢が見られるようになって。まあ取りあえずこんな掃き溜めでは休まるものも休まらん。今すぐ医務室へ行くんだな」
話の途中だが、ボクは長谷川に引っ張られるようにして医務室へ連行された。
常勤医も俺の顔色を見るなり心配そうにベッドを勧めた。倒れ込んだベッドは執務室の万年床と違って、新品特有の布のごわつきと綿の厚さがあった。言葉通りベッドに埋もれそうになったのだ。
簡易の衝立で仕切られたベッドのスペースにはボク以外寝ている人間はいなかった。眠いが眠れない。眠れないけれど脳は休息を求めている。
そんな時だった。
キィとドアの開く音がして、ベッドとベッドを分けるカーテンが開く音がした。頭痛のせいか、睨むようにして見上げたそこには保科がいた。
「保科?」
「一緒に寝ていいです?」
この会話のキャッチボールの成り立たなさは夢だろうか。いや現実のはずだ。朝起床して、長谷川に付きっきりになられながら書類仕事をして…と午前の一連の流れを思い出す。
「医者は?」
「訓練で怪我した隊員出た言うて、端のグラウンド行った」
「じゃあすぐ戻ってくんだろ」
「それまで、一緒に。ね」
そう言って体を擦り寄せて、横に投げていたボクの腕を勝手に腕枕にする保科を突き放す程の力は湧かなかった。それよりも、これが夢なのか夢じゃないのかという方が重要だった。
それによって保科への扱いを変えるという話ではなく、ボクの純粋な疑問だった。
保科から明晰夢という言葉を教わった日の夢以降、ボクはまったくもって明晰夢が見られなくなってしまったのだ。
長谷川は「普通の夢が見られるようになって良かった」と言った。そう、最初の数日は良かった。
ああこれが普通の夢なんだ、と寝起きの頭で夢を反芻させるくらい楽しんでいた。初めて怖い夢で起きた朝、心臓がバクバクしていて逆にそれに感動を覚えたのだった。
そうして夢の中で夢だと気付けなくなってから、段々とボクは恐怖を覚えていった。
夢が夢だと分からないと、現実が現実だと分からないのだ。
夢と現実がごっちゃになる。
さっきだって長谷川はサバンナじゃなかったっけと思ってしまった。口をついて出なくて本当に良かったと思う。
今もこの状況が現実かどうか不安があった。夢でも現実でも保科を引きはがせばいいだけの話なんだが、動きの悪い脳みそはうまく体と連携しない。
「鳴海隊長のにおいやぁ」
鼻峰をすりとボクの首へ寄せる保科の頭を思わず抱え込む。
「なんだよ、保科。するか?」
「……なにを」
「セックス」
そう寝言のように呟いたものは、意図せずして保科の耳へ吹き込むようになっていて、保科はびくりと体を震わせた。
もうどうにでもなれとボクは半ばやけくそだった。夢ならボクの取り越し苦労だし、現実でもボクはふざけてネタにするくらいだろう。
「しちゃうん? ここで?」
「だよな。医務室はやべーわ」
「え? せえへんの? 僕のドキドキ返して下さいよ」
「うるさいな。こないだしただろ」
「……こないだ」
「あれ? 昨日だったかな、いや、その前……」
言葉が途切れ途切れだと自覚すると、眠気がぐっと強くなって襲いかかる。
じゃあ今は現実か、と思ったが、夢の中でだって睡眠は訪れる。夢の中で目覚めて、また目が覚めても夢で…という経験もあるボクは更に疑心暗鬼になっていた。
どれくらい意識を失っていただろう。気がつくと、ボクに半身を乗せるようにして眼前に保科の顔があった。目を細めているけど、笑顔のないその顔が視界いっぱいに広がって、ボクにキスをした。
唇が触れるだけのそれにボクがなにも言わないでいると、ボクがまだ寝ぼけているのかと思ったのか(いや実際にずっと寝ぼけているような脳みそだけれど)保科が今度は下唇を食むように口づけた。
「ほーしーなー」
前髪を上げるくらいの力で保科を制すると、ボクの声のかすれ具合からまだ半分寝ていると保科は思ったのだろう。もう一度口づけをされそうになったので首を横にして接触面をずらした。
「なんで……キス、嫌?」
「今、だめ……ボク、今、現実と夢、ごっちゃだから」
「夢ですよ、夢」
「これ、夢、か?」
ボクのたどたどしい言葉に、保科は薄く笑ってもう一度、夢やで、と呟いた。
ボクの記憶では、夢の中の人物はこれが夢だと告げてこない。でもそれは、今まで俺は夢を夢だと認識していられたからだ。
つまり、普通の夢ではどうなのかは知らなかった。夢の中で夢の中の人物がこれは夢だと告げて来たとしても、俺にはもうそれを見抜く術はない。もう夢を見ていても夢を見ている自覚がないのだから。
怖かった。怖いけれど、相手が保科なのでなんだか安心した。頭がずきずきと全体的に痛む。全方位から押さえつけられているような痛みだ。それを察しているかのように保科が優しくボクの頭を撫でる。ボクの痛いところが分かるのだからこれは夢か、とそのまま瞼の重さに従った。