君に会いたい時だってその日、非番だった三宅は昼過ぎに目を覚ました。隣にはシルクのキャミソールが薄暗闇にてかっている。肩紐が外れかけている彼女が深い眠りの底にいるようで、三宅の身じろぎにも微動だにせず、ただただ一定に呼吸をこぼしていた。
明け方に帰ってきたのであろう夜職の彼女を起こすという考えはなく、三宅はのそのそと間続きの茶の間へ向かい、静かに襖を閉めた。
灰が山積みの灰皿から比較的長めの一本を取り出し、火を点ける。薫る煙は、どこか焦げ臭いような湿気ったような味がした。
高級取りの防衛隊員が住むにしてはいささか年季の入った木造アパートは、間取りも前時代的で、太腿あたりの高さから始まる窓が南西を向いている。三宅はまだどこか眠気の重さを抱えたまま立ち上がると、その窓を自分の身幅分だけ開いた。三部屋隣のアル中のジジイが騒いでいたのは何時頃だっただろうか。それで瞬間的に目が覚めた記憶だけがぼんやり残っている。
鉢植えを飾るような心豊かな人間が住むアパートではないのに、さも鉢植えを置いて下さいと言わんばかりのフラワーボックス。そうか、ここはフラワーボックスではなく灰皿置きなのかもしれない。アパート前の砂利駐車場で縄跳びをする小学生たちが健康的で、それに笑いながら煙たい息を空に吐いた。
いつものジャージに着替えるも特にすることはない。しかし、何もせずに非番が終わるのもなんだかつまらなかった。
(パチンコでも行くかな)
そういえば、車で少し行ったところにあるパチンコ屋がリニューアルオープンしているとロッカールームで誰かが言っていたことを思い出す。どうせ彼女は夕方まで起きないだろうし、それがいいと、起き抜けよりも軽い腰を上げた。
壁面に垂れたポスターの日付を見れば、リニューアルオープンから数日が経過していた。しかし客足は多いようで、ホール内はいくつもの頭が等間隔に並んでいる。
低玉はいくぶん空いてはいるものの、あまりそそられる台もなく、仕方なしに空いていた4円の台に煙草を置いてスロットコーナーへ足を向けた。
パチンコの島より照度も天上も低いそこは、突き当たりが不思議なカーブを描く不可思議な作りだった。
元はパチンコ屋じゃなかったんだろうか。三宅の自ホールではないのでよくは知らないが、一つ間違えば道に迷いそうだとスロットの森を踏みしめる。絨毯敷きの床は柔らかく、足音の自覚も少なかった。
カーブの更に奥。そこは窪みのように長方形の空間が広がっていた。
ジャラジャラとコインが擦れる音と、筐体からの派手な音楽の隙間。騒音が塊となって血流のような音が太く入り込んでくる中、針の穴を通すようなか細さで三宅の耳に届いた声を、三宅の脳はしっかりと聞き取っていた。
「だぁかぁらぁ! 二チェを溢すな!!」
「なんなん! 関西人にも分かる言葉で言えや!」
「ビタ止めじゃなくても止まるから! この……ほら、ほら今! これ、これ……これェ! 今通っただろ! チェリーで止めるんだよ」
「ハナからそう言えや! ちょお待て!今僕さくらんぼで止めたで!? なんか一個下で止まったんやけど!」
「……内部抽選だから」
「なっっっんやねん!! 7揃ったら勝てる言うて連れて来たのあなたでしょ!」
「今どき技術介入で勝てる台なんてあるか!!」
非番の日まで聞きたくはない言い争いの声が、脳内で人物像を映像化していく。手を振ってそれを掻き消すと、三宅の呼ぶ声まで幻聴が聞こえてくる。
疲れているのかもしれない。特に崇高な思想もなければ、敵討ちのような魂を焦がす目的もない。受けたら受かった程度で入隊した三宅を自小隊へ勧誘してきたのは、風の噂では除隊間近の問題児だった男だと聞いた。上下関係も煩くなさそうだしこれ幸いと付いてきたら、その男はあれよあれよと昇進して第一部隊の隊長まで登りつめてしまった。そしてなぜか自分はそこの小隊長に昇進してしまった。
誰もが羨むエリートコースに乗せてくれなんて、誰も頼んでない。三宅は内心そう思っていた。
「おい!三宅!!聞こえてんだろ!!」
はっと意識を戻すと、出会った頃より幾分歳を重ねた上司が、鬼の形相で三宅を呼んでいた。
仕方なく、上司…鳴海と、何故か一緒の第三部隊副隊長の元へ侍る。
「三宅おったん!? よっしゃ!ちょお変わってくれへん!? この人ほんまうるさい!」
「あ、おい! 待て!」
「嫌です〜! 僕煙草吸ってくるんで。戻ったらもう出ますよ!」
至極つまらなそうな顔をした第三部隊の副隊長…保科は、唇を尖らせながら席を離れていった。丸い頭が左右に動いているのは、やはりこの店の特殊な造りが道に迷わせているんだなと、三宅はその背を見送った。
「吉宗なんてまた時速重視のものを……せめてもうちょい保科副隊長でも分かるような機種にしたいいのに。エヴァとかなかったです?」
「だって……立花の彼女、こないだ初めてスロット連れてったら喜んでたって……言ってたし」
「あれは立花の彼女が特殊なんですよ。保科副隊長はどう見ても好きそうではないじゃないですか」
「え!? なんでお前が保科の嗜好分かるんだよ!」
「逆になんで立花の助言を受け入れようと思ったんですか。保科副隊長なんて、どう考えたってオシャレなカフェとか好きそうでは?
そういう方が良かったんじゃないですか?」
三宅が立ったまま保科の台を回し始めるも、鳴海は立ち呆けて、ぐぬぬ、と声にならない声を噛み締めている。
「だって……」
「はい。あ、ちょっと待って下さい……演出入るんで」
「立花、彼女と並んで打ってイチャイチャしたって……ボ、ボクだって……!」
「ちょ、ちょい待って、演出きたんで……あれ、この台朝から当たってないっすね……え、これ結構挙動良くないっすか!?」
「ボクだって保科の肩に腕回して目押ししてあげたい! 手ぇ繋ぎながらスロット打ちたい!!」
「待ってうるさい!えっ!爺も姫もついてきた!!ヤバ!!」
鳴海の幼子のような言い訳を右から左に、手元の親指は左から右へ押していけば、大当たり確定の画面に辿り着き、三宅は満面の笑みで7をトトトンと揃えた。しかも金7。最高である。
腰を据えて打とうと、三宅はソファにどっかりと前のめりに座る。いつもの椅子の感じと違うが、大当たりの蜜の味には変えられないと三宅は音楽に聞き入った。ここは大江戸、カーニバルの時間である。カーニバル中なので、後ろで繰り広げられる甘酸っぱいのは無視してあげようと三宅は音楽に全集中していた。
「鳴海さん、そんな風に思ってたん!?」
「えっ……!お前……煙草吸いに……」
「なんや、喫煙所見つからんくて……もぉ〜、そんなら別にパチ屋やなくてもええでしょ」
「だって……前に手ぇ繋ごうとして怒られたし……」
「あれは人前やったからです! ほら、行きましょ」
「あれか、やっぱりオシャレなカフェがよかったのか!? ボクより三宅の方がお前のこと分かってたのか!?」
「ふふ、僕はあなたとふたりっきりなら、どこでもいいんですよ」
外でやってくれ。三宅は耳から血が出そうになるほどの背後の甘い劈きに耐えながら大盤振る舞いを続けていた。赤飯なら、家で炊いてくれ。
そんなこんなで大量のメダルを手中に収めようとした、その時である。
固太りした大柄な男が三人の背後にヌッと現れた。
「あの〜お客様。こちらカップルシートになりますので、お一人でのご遊技はご遠慮いただいております」
店員の無情な声に、三宅の指はとにかく左から右に流れるようにリールを止めていく。
筐体二台を賄う長いソファ。そう、ここはカップルシート席であった。
「その〜……最初にお座りになられる際もお声がけさせていただいたんですが、彼氏さんの方から『ボク達カップルです!』と熱い申告を頂きまして……それならば、と我々もお二人にお座り頂いたんですが。別の方へお譲りになるのはルール上お断りしておりまして……」
え、だってこの台この後も絶対出るのに。まだ昼前。飯も食わずに爆速で回したら万枚出せるはず。万枚だぞ?交換率知らないけど、万枚出せるんだぞこの台……。
「鳴海隊長座って下さい!」
「え、嫌だよ。ボク達もう帰るから」
「は!? じゃあ保科副隊長、今すぐその人と別れて俺と付き合って下さい! ヤリ目でもいいんで!」
「えー!! や、まあ……三宅もかっこええしエッチ上手そうやけど……日本最強になったらええで?」
なんという。なんということだ。確実に設定が入ってるこの台を見捨てろというのかこの馬鹿ップルは……
「ハイ……わかりました」
「では、この大当たり終了したらお帰りということで」
そうして、背後の馬鹿二人はウキウキと島を立ち去り、代わりに仏のような顔をしたスタッフがビタ付きで三宅の大当たり終了を待ち構えていた。
「これ、連チャンしたら……」
「このゲームで終了です」
「ハイ……」
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もがさん、いつもお題ありがとうございます!
もうこのお題しか目に入りませんでした!
かくいう私、スロット苦手で(目押しがクソ程出来ない)……吉宗より押忍番の方がまだ分かる……と、思いつつ書いたので、実機と齟齬あると思います。
詳しい方は目を細めて読んで頂けると幸いです。
三宅の彼女は、四十代未亡人、旦那の借金返す為に風俗嬢してるすごい美人です。この幻覚から逃れられない……