自分の手足を自分で動かせる感覚がゆっくりと回復していく。黒い霧が晴れるようにして、一度死んだはずのこの身は何事もなかったかのように自由を得た。死ぬ前に受けた傷も、死んでからした怪我も、何もなかったかのように。手のひらや体から黒色が抜けていく。
「はぁ、……?」
支配からただ解放されたわけではない。生き返ったのだ。だって俺は確かに一度死んだはず。必死に戦って重症で、背負われたまま意識を失って、気付いたら真っ暗な体になっていた。それで、意識のあるまま敵側に回って、それで。
こうやって今、あっさりと解放されてしまった。周りでは歓喜の声があがっている。そうだろう、俺も友人たちに対して何度生き返ってほしいと思ったか。今だって思っている。
けれど、本音を言うなら、もう終わらせて欲しかった。あの大きなやつはまた形態を変えるらしい。もう戦いたくなかった。まだ働かされなくちゃいけないのか、いつ終わるのか、そんなことばかり。討伐が終わったら生き返ったこの身もまた朽ちたりしないかなって。
思うけれど、それは許されないんだろう。傷つけてしまった仲間もいるし、償えってことだろうか。黒い霧が晴れるように、同時に頭が冴えていく。自分にできることをしなければいけない。
とにかく、まずはバディの神様の元へ急ぐ。1人では討伐するのにも限界があるし、あのヒトといる方が格段に戦いやすいのだ。立ち上がって、止まっていた時間が動き出して。地面を蹴る。
お互いの居場所はなんとなくわかる。バディ関係の枷のようなものだろう。体が堕神に支配されてすぐにはぐれてしまったけど、少し走っただけでその背中は見つかった。
「永墓さんッ!」
呼び名を叫ぶ。追いついたバディ、永墓彦大神はまるで元に戻った体をじっと見つめていた。やっぱり彼も生き返ったと見ていいだろう。死んだはずの体が正常に動くことに驚いている様子だった。
「愛、」
「なが、つかさ、……褒めて!」
こちらを振り返る。走った勢いに任せて思い切り飛び込んだら少しだけよろけたけれど。すぐに支えてくれた。
暖かい。冷えた体にはいつもの永墓さんの低い温度でもそう感じた。俺の方が骨とかはがっしりしているけど、背中は俺より広い。ぐっと寄りかかると、ふ、と吐息だけで笑われて向き直った。
「きいて、俺、死ねって言われたんですよ」
死んだ後に話せなかったこと。本来誰にも伝わる話じゃないこと。死ぬ前に見た走馬灯の話だ。
この前の大型堕神が現れた時のことは大きなニュースになっていて、父さんもそれを見たらしい。それで、定期連絡として西新宿のドトールで2人。父さんの会社の近くだか、通勤駅だか。喫煙スペースは煙かった。飲んでいたのはカフェラテだったと思うけど、味もしなかった。冷めていくカップをじっと見つめていた気がする。涼しい店内で、冷や汗がダラダラ出ていて。父さんにお前も死ねばよかったのにって言われたんだ。笑いながら。
だから死んだ時ちょっと嬉しかった。ザマァミロって思った。
けど、走馬灯は他にも見ていて。ここにきてからの楽しい思い出もたくさん見た。だから、操られている時だって自暴自棄にならずになるべく人を殺してしまわないようにした。それに、今までだってたくさんたくさん気を遣った。民間人も生徒も助けたし、なるべく明るくいた。クラスにいた時、友達といる時は本当に楽しくて笑っていたけど。討伐中だって暗い雰囲気の時だって誰かに気を使わせないようにした。楽しい理由がドンドン減っていっても。それが誰かのためなんだか自分のためなんだかわからなくなるほど。
「おれ、がんばりましたよね、」
できることはしたと思うんです。たくさん頑張ったんです。
「褒めて。永墓さん」
いつもなら頭を撫でてくれるけど、今日は腕を回すだけで背中には触ってくれなかった。でも、代わりに頭を撫でられた。それから、優しい声で褒められる。堕神を呪うのも忘れそうになるくらい甘い言葉が並べられて、俺はやっと少しだけ救われた気がした。
早く終わらせてしまおう。生まれてずーっと、小さな時から。いや、中学生ぐらいからずっと死にたいと思ってたよ。今もうっすら思ってる。とくに最近なんか変な夢を見るから、その孤独感だけで死んでしまいそうだった。もう嫌だよ。解放して欲しい。でも現状の俺は生き返ってしまった。
ならやっぱり、俺が助けられる人なら助けたいと思う。そうしたら、また、今度はちゃんと死ねて、誰かに褒めてもらえるかもしれない。
「倒しましょ、倒しましょう。あの大きいの、俺頑張るっす」
「……そうだね。僕もね、アレに負けるのは癪だ」
「気持ち悪いっすもんね、あれ。触手なんてもう慣れましたっ、すごいでしょう!」
褒めてくれたらそれだけで馬車馬のように働く。この討伐が終わったら、友達のところへ行けるだろうか。はやく会いたい。怒られるかもしれないけれど、それでもいい。あの賑やかで心地よい関わりを、もう一度味わいたい。報われたい。
不安定な思いを抱えたままじゃ、失敗してしまうだろうか。いいや、いつも、こうだ。
「永墓さん、怒ってるっすか」
「そう見える?」
怒ってないっす、と首を振った。本当にそう見えたのに。一瞬だけ。
「早く行くっす。攻撃が飛んでくる」
視線を外して堕神を見る。本当に醜い形だ。その巨体をくねらせて、いくつも生えてる触手をウネウネさせている。上からはライトが煌々と照らされていた。これはありがたい。
*
最前線は修羅場だった。阿吽絶叫というか。さっきまで死んでた人、死んでるけど生きているみたいに戦う人、まだ生きてる人。怪我をしている人も大勢。正直ここには1秒でも居たくない、そんな雰囲気。
血と肉塊が混ざって、熱気に焼かれた空気が呼吸するだけで肺まで届く。もはや慣れたその空気はひどく生臭くて、精神まで汚染されるようで吐き気がした。
少し遠くでは、触手が体制を崩した生徒に向かって伸びる。気付いたら飛び出していた。間一髪で助けられると、まるで悲鳴みたいな音を立てて堕神の腕は落ちた。
「大丈夫っすか!?」
振り向くと、泣き出しそうな顔をした子が俺を見ていた。この人のバディの姿は見えないけれど、ここにいるってことは誰かとバディを組んでいるはずだ。
「1人ですか、はやく下がって!」
触手をいなしながら叫べば、怪我をしている生徒は避難したようだ。速くて重い攻撃だけど、初めて見るものじゃない。このくらいなら対応できる。俺の友人の方がずっとこわい攻撃をする。
この堕神は捕食行動をしていないようだ。ただこちらを攻撃する一方で、前例のような大きいやつとは違って人間を取り込もうとしてこない。八つ当たりみたいだ、なんて。蠢く様子は遅く、どこかを目指しているような気もしない。
単純に、俺たちを殺そうとしているのだろうか。わからない。そもそも俺は神のことなんてまるで詳しくないし、堕神のことはなおさら。
敵意を、元"神"は、なんで持つんだ?
「……永墓さん」
「んん? 何だろう。褒めて欲しいなら褒めてあげようね」
「、はい。討伐できたら、たくさん褒めてほしいっす」
同じ神としての見解を、なんて一瞬思ったけれど。あれと一緒くたにするのは失礼だろうし。それに今は未来のことはどうでもよかった。倒した後のことは考えられなかった。目の前のことが、今いる仲間が大事だった。