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    mayo

    @mayonaka_rom

    さめしし壁打ち練習用
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    ありがとうございます☔️🦁

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    mayo

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    さめしし。ししさんが血縁のない子どもの世話をする話。れめ君は乱入し、園田もししさんのために頑張ります。

    世界はそれを、(③)「敬一君、聞いたぞ!」
     書斎に飛び込んできた声に、獅子神はげっそりと肩を落とした。ヘリンボーンに貼った床に差しこむ長い影。獅子神を超える上背の男がその体躯に見合う大股で近づいてきた。俺を見ろ、という決まり文句が早くも聞こえた気がする。ノートパソコンをスリープモードに切り替え、パタリと閉じた。
    「呼んだ覚えはねえぞ、叶」
     叶はぶっきらぼうな挨拶を気にした風もなく、デスクの前に立った。無意識に片付けを始めた獅子神を眺め、口角を吊り上げる。机に手をついて体を乗り出し、ぐっと顔を近づけた。
    「俺だけ仲間はずれなんてひどくないか?」
     友達甲斐がないぞ、と続けると、獅子神の口から低いうめき声が漏れた。村雨とは違う意味で観察眼にすぐれた男だ。弱いところを的確に突いてくる。
     みるみるうちに下がっていく眉毛を眺め、叶は心のなかでほくそ笑んだ。悪いな、礼二君。こうでなければ不在を狙って遊びに来た意味がない。

    「仲間はずれ、とかそういうんじゃ……」
     声が弱々しくなる。
     仲間、友達――獅子神の柔らかいところをくすぐるキーワード。ふんだんに散りばめて訴えられると、猛烈な後ろめたさに襲われた。たしかに叶も呼ぶべきだったんじゃないか。今更考えたって仕方ないのに、取り返しのつかないミスをやらかした気分だ。
     予想以上に曇っていく表情をみとめ、叶がすかさず肩に手を回した。自ら追い詰めておきながら、気にしてないから平気だぞ、と言ってのける。
     何事もやり過ぎは禁物だ。外科医の違法手術を観測するのは楽しいが、被験者として手術台に横たわる趣味はない。

    「そういえば礼二君から俺個人宛にメッセージがあったぞ」
     話を切り替えると、獅子神があからさまにほっとしてみせた。実にわかりやすくて面白い。やっぱり遊びに来てよかった。もちろん、家に遊びに来たのではない、獅子神で遊びに来たのだ。
     叶の目論見も知らず、獅子神はのんきに首をかしげた。
    「珍しいな。なにかあったのか?」
    「敬一君のオムライスを食べたことがあるかってさ。オム焼きそばなら食べたと返事しといたけど、礼二君は卵アレルギーでもあるのか?」
    「――いや、知らねえ」
     作る料理がまた一品増えたようだ。つくづく面倒な男だ。
     増長させている自覚を持たない獅子神は「で、そのときに聞いたのか?」と話題を変えることにした。
     リビングの方向を顎で示すと、叶はデスクに尻を乗せたままかぶりを振った。
    「それはユミピコと遊んだときに聞いた。敬一君がワンオペ育児中と聞いたからには観測しないと」
    「ワンオペじゃねえし、育児でもねえよ」
     天堂と何をして遊んだのか。気にならないと言ったら嘘になる。だが決して聞いてはいけないと、理性か野生の勘のどちらか、もしくは両方が警告音を鳴らしていた。得体の知れないストリーマーの藪を突いたら、出てくるのは蛇どころでは済まないと。
     ほら行くぞ、と立ち上がる。片付けを終えた書斎からリビングへと移動した。


    「獅子神さん、お疲れさま、で……す」
     部屋に入る気配に振り返った園田の顔は、一瞬にして引きつった。視線の先は獅子神ではなく、その背後に立つ叶だ。真経津たちと比べても、叶という男は実に底が知れない。雑用係たちが怯えるのも無理はなかった。
     園田と子どもが座るダイニングテーブルにはメモ用紙が散乱していた。ぐるぐると円を描いて遊んでいた子どもが手を止めた。園田のまねをして顔を上げると、獅子神と叶を順番に眺め、きょとんと目を丸くする。

     叶はその反応をおおいに気に入ったらしい。満面の笑みを見せた。体が大きいから素の状態でも着ぐるみのような威圧感がある。いや、奇抜な服装とメイクの時点で素とは言いがたいが。サイケデリックななまはげみたいだな、と獅子神は思った。
     叶がその長身を腰から半分に折り曲げる。
    「やっと会えたな。パパだぞ、あっくん!」
     開口一番なんてことを言い出すんだ。人生をノリで生きるのは自分だけにするべきだ。
     獅子神はあわてて会話に割って入る。
    「オメー、ちょっとはためらえ」
    「……パパ?」
     それでこっちも復唱するな。
    「ちげーって。オイ、信じるなよ」
     おそらく意味を理解してはいないだろう。いや、理解しないでほしいと祈りながら、獅子神はフォローを入れた。闖入者の強烈なインパクトにかたまっていた子どもが聞き慣れた声に顔の向きを変えた。乱暴な口調にもすっかり慣れたものだ。獅子神の顔を指さし、自信ありげに小鼻をふくらませる。
    「……と、ママ」
    「すごいぞ、あっくん」
     叶の賞賛に、子どもが胸を張った。
    「それもちげえよ」
     あとなんでオレに限って、疑問形じゃなく断言してくるんだ。
     獅子神を置き去りに、叶がしたり顔でうなずいた。
    「医師妻で一人息子のママともなるとワンオペも……あれ? その場合、俺はパパじゃなくて間男になるのか。敬一君はどう思う?」
    「……いい加減、殴るぞ」
     押さえた声で恫喝したが、叶はへらへらと笑っている。獅子神が本気でできるわけないと知っているのが余計に腹立たしい。握った拳は行き場もなく宙に浮いていた。

     見上げる眼差しに気づいたのはそのときだ。幼い目からも、はるか頭上で交わされる会話が気になる様子だ。無垢な視線に獅子神ははっとした。
     この男は教育に悪すぎる。
    「オイ、叶。あっちへ行くぞ」
     ソファを指さし目顔で誘導すると、叶がまたろくでもないことを口にする気配を見せた。じろりと睨みつければ、今度はどうにか効いたようだ。叶はテーブルに向かってひらひらと手を振ると、獅子神の後ろにしたがった。
     
     ソファに座ると、園田が緊張を解くのが見えた。お絵描きを再開した子どもに向かって何かことづけてから立ち上がり、キッチンへ向かっていく。冷蔵庫を開けたのは叶専用のエナジードリンクを出すため。獅子神のぶんのミネラルウォーターも引き抜き、つづけて小さなパックジュースを取り出すと、扉を閉めた。
     叶がふむ、としかつめらしい顔をした。
    「敬一君ちの使用人は気がきくな」
    「使用人じゃなくて雑用係」
    「似たようなもんだろ。うちも置こうかな」
    「怖いこと言うんじゃねえ」
     始まる前から終わりが見えている。しかも最悪の結末が。
     叶は獅子神の忠告をさらりと受け流し、エナジードリンクのプルトップを開けた。
    「夜はどうしてるんだ?」
     園田にすっかり懐き、ジュースをもらう姿に疑問を口にした。雑用係たちが居を移したことは、叶も知るところだった。
    「連れていくのも大変だから、オレと寝てる」
    「もう皆でお泊まりも済ませたのか。やっぱり俺も来たかったな」
    「いや、あの日泊まったのは村雨だけだけど」
     お子様メニューにしたのも忘れ、いつもの癖で夕食時にワインを出していた。眠る子どもを残して送れないことに気づいたのは、天堂たちが帰ったあとのこと。翌日も仕事があるなら、タクシーを呼ぶより泊まった方が楽だろうと判断した。
    初日からいきなり子どもと二人で取り残されるのが不安だったから――いう本心は言わずにおいた。

    「敬一君……」
     叶が不意に言葉を失い、目を見開いた。
     その後でにんまりとした笑みが顔じゅうに広がっていく。もともと大きな口がかぱりと開くと、飲みこまれてしまいそうな錯覚を覚えた。思わず後ずさった背中がアームレストに当たる。行き止まり。逃げ場はない。とっさに首をすくめた獅子神へ長い腕が伸びてきて、肩をぎゅっと掴まれた。
    「ついにか! おめでとう」
    「……へ?」
     何がめでたいんだ?
     叶の頭なら年じゅうめでたいが。祝うようなことなど何も起きてない――はず。

    「あ……っ!」
     祝福の意味に気づくのに、たっぷり数秒かかった。勘違いを指摘するより早く顔に血が上る。両手を振って否定したが逆効果でしかなかった。
     叶が一転して笑顔をひっこめる。特徴的な眉をひそめ、気遣わしげな表情で付け加える。わざわざ小さな声で。
    「でも子どものいる前ではちょっと……俺でも引くぞ? 盛り上がっちゃう気持ちはわかるけど次は自重しような」
     肩に置かれた手に念押しされ、余計に顔が熱くなった。
    「なんにもしてねえ!」
    「嘘をついている顔だ。何もしてなくはないな」
    「う……」
     目をそらしても、ニマニマとした笑みがついて回ってくる。

     どうしてオレのまわりの連中はこうも人が悪いんだ。
     人が悪い最筆頭は自分の恋人であることにも気づかずに、獅子神は己が運命を呪った。
    「と、とにかく、その話はもう終わりだ! 大体、今日来た目的もそっちじゃねえだろうが」
    「俺としては面白ければ何でもいいんだけどな」
     しらっと言ってのけた叶を見ながら、獅子神は飲み終えたペットボトルを握る手に力を込めた。手の甲に筋が浮かび上がる。次の瞬間、耳障りな音が部屋に響いた。できあがったのは念入りに踏みつぶした後のようなプラスチックの残骸。凄みを効かせた顔よりも雄弁な見せしめだった。
     破壊音に気づいた子どもが無邪気な拍手を送り、叶は両手を挙げて降参のポーズをとった。筋肉に訴えられては勝ち目がない。自称・非暴力主義のストリーマーは黙って肩をすくめた。

    「で、その後は何かわかったのか」
    「いや、何も」
     天堂からある程度の話は聞いてきたらしい。子どもが来てから早三日、何の手がかりもないまま過ごしていることを伝えると、
    「配信で情報を募るって手もあるぞ」と提案された。
    「真経津にも言われたけど、ガキにもプライバシーっつうもんがあるからな。できれば最終手段にしたい」
     獅子神自身は詳しくないが、叶はそこそこ名の通ったストリーマーだ。身元不明の幼児の情報集めとあれば、野次馬の好奇心も手伝って有益な手がかりを得られる可能性はある。
     だが人の耳目は無邪気な刃を向けることを、獅子神は知っている。もう三日。だがまだ三日。今の時点ではトラブルの元になるアクションは避けたかった。
    「敬一君は慎重だからな」
     臆病者の警戒を叶はさらりと言い換えてみせた。そして座り直す獅子神の後ろに視線を移す。ソファの片隅に挟まったタブレット。園田たちが少し前まで使っていたらしく、再生履歴には子ども向けの動画が表示されていた。
    「これがお気に入りのやつか」
     叶が慣れた手つきで動画を再生した。字幕をオンにした上でミュート設定に切り替え、再生速度を上げる。暇されあれば観たいとせがまれるせいで、獅子神はすっかり内容を覚えてしまっていた。叶は特徴的なコンタクトを入れた瞳を細め、じっと動画を見つめている。

     数分もしないうちに、叶が動画を止めた。
    「――敬一君、見ろ」
     体を寄せ、ちいさなタブレットに目を落とす。画面は青空のワンシーンで、目ぼしいものなど何も映ってないように見えた。獅子神はぱちぱちと瞬きをする。叶の顔を見やっても、もちろん答えは書いていない。
    「空がどうしたんだ?」
    「そこじゃない。動画の下だ」
     言いながら、動画のタイトルの下にネイルを施した指先を向けた。人気コンテンツらしい、万を超える再生回数と、その横に表示されたのは――
    「三日前……え?」
    「そう。この動画の配信は三日前、つまりあの日からだ。初出の放映は――」
     叶が自分のスマートフォンを取り出し、アニメーションのタイトルを検索した。いかにも幼児向けデザインのオフィシャルサイトを開く。
    「今年の春。今回は長編映画公開記念としてシリーズ一挙配信を始めたんだと。開始時刻はあの日の分の放映後、夕方四時半となっているな」
     あの日、真経津たちと夕食を終えたのは午後八時近く。昼過ぎに子どもを保護してからそれまでの間、一度もタブレットを使っていない。
    「ってことは」
    「ああ。おそらく記憶は動画の刷り込みじゃなく、自身の体験だ。多少は動画の影響も考えられるけど、たった一回で覚えられる情報量じゃなさそうだし、全部が空想ってこともないだろう」淀みのない言葉は獅子神の頭を急速に回転させた。目の前が明るくなったような気さえする。
    「叶……。オメーが来てくれて助かった」
     無為に過ごす日々。焦りばかりが募る今は、かすかな手がかりもありがたかった。いや、かすかではなく大きな一歩かもしれない。獅子神は数々の無礼も忘れて感謝を伝えた。
     タブレットを見つめる背をぽんとたたき、叶が目を細めた。
    「子育てはママひとりで背負いこんじゃダメだと言うだろう」
     あれ、俺って間男にしては甲斐性ありすぎるかな。そうひとりごちて自画自賛する。
     言いたいことはいくらでもあるが、今回ばかりは大目に見てやる。獅子神はすこしだけ軽くなった心を自覚しながら、ソファの背もたれへ背を預けた。
     ダイニングでは明るい笑い声が響いていた。


     園田が散歩から戻ると、騒々しい男はすでに帰ったあとだった。玄関先に置かれた派手な靴が消えていることに気づき、ほっと安堵の息を漏らす。苦手意識というものを無くすのは難しい。
    「散歩ありがとうな。助かったわ」
     門扉の開錠通知に気づき、仕事の続きをしていた獅子神が出迎えにきた。靴を脱ぐ子どもを見るなり目を丸くする。
    「うわ、汚ねえな。このまま風呂入るぞ」
     公園で遊び、子どもの手足は砂まみれになっていた。あわてた様子で風呂場に連れて行く。
     やりますよ、と言いかけ、思い直して止めた。自分まで体を濡らしたら獅子神も困るだろう。それに向かった先は園田たちが使っていたシャワールームではなく、家主専用の浴室だった。獅子神が怪我をしたときに頼まれた掃除以外では入ったことのない場所。ぎらりと目を光らせる男の顔が脳裏に浮かび、あわてて頭から追い出した。余計なことはしないに限る。

     洗面所で手洗いを済ませると、園田はその足でリビングへ向かった。獅子神たちが戻ってくる前に部屋を片付けてしまおう。エナジードリンクの空き缶をまとめてキッチンへ運ぶ。
     ソファにはタブレットが置かれたままだ。会話までは聞こえなかったが、獅子神が叶に向けて明るい顔を見せていた。良い進展があればいい。
     園田は奴隷として過ごした頃に思いを馳せた。
     日中の空いた時間――獅子神の言葉を借りれば「オメーらごときに構うヒマはねえんだよ」と放置された時間――はもっぱらテレビを観る日々だった。寛大な王様が奴隷たちの部屋にNetflixを導入してくれたからである。
     アクションの他はいわゆるミステリものが人気だった。現代版にリメイクされた有名探偵ものに、海軍を舞台にした犯罪ドラマ。男ばかりの所帯で濃厚な恋愛ものを観る気がしなかっただけだが、そこで得た知識を生かすのは今しかない。敬愛する雇用主のためだ。

     大量の空き缶をシンクで洗っていると、カウンターに置いたスマートフォンがバイブレーションを告げた。液晶画面に表示されるのは同じく雑用係として働く同僚の名前。手を拭き、メッセージを確認する。
    【手がかりなし。今日は泊まって明日帰る】
     予想はしていた答えだが、がっくりと肩を落とした。
     園田より少し早く獅子神に買われた男は、料理人だったという奴隷の名前と、働いていた街を覚えていた。今日は朝早くから出かけ、半日かけて飲み屋街をしらみつぶしにあたっていた。しかし一年以上も前のことだ。手がかりが見つからないのは当然とも言えた。そもそも男が獅子神の家を解放されたあと、料理人に戻ったのかすら定かではない。考えたくはないが、再びギャンブラーとして賭場に舞い戻った可能性もある。
     園田は重い息を吐いた。もしそうだとしたら獅子神が落ち込むに違いない。どうなろうと知ったことではないが、できることなら足を洗っていてほしい。獅子神のために。
     ここ数日、獅子神はあきらかに疲弊していた。普段の彼は体力も気力も十二分に備えていて、いつだって快活なそぶりを崩さない。だが今回ばかりは訳がちがう。自分の過去の言動が幼い子どもに波及したかもしれない。そう考えて気に病まない方がおかしい。今もなお雇用主として尊大ぶってはみせるが、いたって優しい男なのだ。たまに抜けているところもあるが、強く賢い、理想の上司である。
     唯一気になることがあるとすれば、恋人選びについて――だが、これは外野が口を挟むことではない。あの医者の手にかかれば馬に蹴られる前に死ねそうだ。

     明日は自分も手がかりを探さないと。キッチンを拭きあげながら、奴隷仲間の記憶を引っ張り出そうとしたが何も出てこなかった。悔しさばかりが増える。どうにかして役に立ちたいのに。噛み締めた奥歯がいやな音を立てた。
    「はあ……」
     時計を見れば、そろそろ終業時間が近い。雑用しか言いつけられない身だ。勤務形態などとっくに形骸化しているが、時間を過ぎて残っていれば確実に獅子神にドヤされる。早く帰って自分の時間を大事にしろ、と。
     ダイニングには子どもが放ったおもちゃとがいくつか落ちていた。綺麗好きの獅子神が常に目を光らせているから、普段なら部屋が汚れることはないのに、さすがに手がまわらないのだろう。おもちゃは藤のかごに放りこみ、テーブルから落ちた紙片はまとめていく。
     そのとき。 

    「これは……」
     キッチンで使うメモパッドのほかに、一枚だけ材質のちがう紙が混ざっていた。ざらざらと目が荒い。指に引っかかるそれをより分けてみれば、子どもを保護した日に携えていたメモだった。カウンターに置いてあったものが落ちたらしい。
     癖のある走り書きを見た瞬間、口のなかに苦いものが広がった。アイツが。うっすらとしか顔も覚えていないが、あの男が馬鹿な真似をしたせいで、獅子神さんは――怒りに任せて握りしめ、他の紙片とまとめて捨てようとした。
    「あれ?」
     違和感に手が止まったのはそのときだ。園田は手元に目線を落とし、息を吐いた。神経を研ぎ澄ませる。落ち着け、自分。

     開けたままの扉の向こうから、騒々しい物音とともに甲高い笑いが聞こえてきた。いつになく焦った響きの獅子神の声も。バタバタと走る音がするのは子どもが風呂を出たようだ。顔を合わせれば獅子神は夕食を食べていくかと気を揉むに違いない。好意に甘えてばかりの自分に苛立ちながら、園田は他の紙をゴミ箱に捨てた。問題のメモだけを手に残す。
     早く、もやもやの正体を突き止めなければ。丸めた紙を慎重に広げ、ゆっくりと裏返してみた。期待に指先が震える。
    「……やっぱり、そうだ」
     かすかな確信めいた思いつき。頭に浮かんだそれは光明のように園田の内側を明るく照らそうとしていた。紙片をすばやく折りたたむ。ぬか喜びは禁物だ。家に帰ってからやるべきことをシミュレーションしながら、リビングルームを後にした。

    「獅子神さーん、お疲れさまです!」
    「遅くまで悪いな。気をつけて帰れよ! オイ、まだ髪拭いてねえから、出たらダメだ!」
     後半は子どもに向けたものだ。子どもが苦手らしい雇用主だが、何だかんだとうまくやれているのはさすがである。
     時刻は夕方六時。アパートまでは徒歩でたったの十分。だというのに毎回律儀に心配されて、くすぐったい気持ちを覚えることを獅子神が知ることはないだろう。見えていないとわかりつつも恩人へ向けて頭を下げると、暗くなり始めた玄関へ向かった。
     布越しにポケットのなかの紙片を押さえながら。
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