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    mayo

    @mayonaka_rom

    さめしし壁打ち練習用
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    mayo

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    さめしし
    ケイイチ君(26)初恋暴走特急

    お医者様じゃなきゃ、草津の湯でも 借りはつくらない。
     それがオレのモットー。というよりも、生きていくための知恵だ。
    「気にしないでください」なんて言うやつらを、決して信用してはいけない。その場では調子のいいことを言っておいて、絶対にあとから取り立てに来るからだ。
     詫びの品を受け取っちゃいけないって言うだろ? あれと同じだ。オレの場合は逆だけど。詫びだろうが礼だろうが、必ず返す。受け取らせる。
     ――弱みを見せたらダメだ。

     ひょんなことから真経津という男の誘いに乗った。そこで知り合ったのが村雨礼二という男である。わるい遊びを覚えたばかりの大学生たちにお灸を据えたのも、この男。お灸というには手ひどすぎる気もするが。
     賭場を出たあとは遅い食事をして。誘われるまま真経津のマンションを訪れた。結局夜が明けるまでダラダラと過ごし、解散しようとなったのは朝の九時。そろそろ帰る。従業員たちに連絡しようとしたとき、メッセージが届いているのに気づいた。アプリを開き、スクロールをする。
    「……嘘だろ、オイ」
     人の家だということも忘れて短い叫び声を漏らしていた。

     園田が怪我をした。送られてきた写真を見た獅子神は顔色を失った。包丁をしまう際に滑らせて、手を切ったらしい。愛用の包丁は定期的に研ぎに出しているため切れ味抜群だ。だから慣れた家庭用のを使えといつも言っているのに、バカが。
     悪態をつく。電話をかけるべきか考えていると、後ろから覗きこむ男の影がさした。
    「――切り傷か」
    「――村雨」
     肩越しにつぶやいた男に目を走らせた。昨夜出会ったときよりも、さらに目の下のクマが濃い。寝ていないのだから当然だ。けれども眼光はするどく、流血の夥しい添付写真を平然と見つめていた。
    「出血量からして太い血管は傷ついていないようだ。水道水でいいから流水でよく洗い、傷口にガーゼを当てて強く圧迫させろ。心臓よりも高い位置にして止血をするように」
    「えーっと……」
     言われたことを反芻しながら、メッセージを送信した。これでよし、と。それにしても、
    「お前、やけに詳しいな」
    「当然だろう。私は医者だ」
    「医者だって? ……ああ、それでか」
     昨夜、懐から突然メスを取り出す姿。狂人かよとドン引きしたのが、まさか本職だったとは。 
     納得しつつも唖然とした獅子神に、
    「あなたの家までは何分かかる?」と問いかけてきた。
    「車を飛ばして二十分ぐらいだ」
     車の鍵や財布をまとめる。家主の真経津はソファでうたた寝をしていた。わざわざ起こして伝える必要もないだろう。マンションはオートロックだから、出ていったあとの戸締りも不要だ。ソファに掛けておいたジャケットを手に、急ぎ足で廊下へ向かう。
    「私も行こう」
     そう言いながら、村雨がついてきた。ジャケットを羽織り、当然のような顔で隣に並ぶ。
    「なんでオメーまで?」
    「止血は十分まで。止まらなければ病院で診察を受けた方がいいだろう。ただし今日は土曜日で、当然どこの病院も混んでいる。出かけて順番を待つよりも、私が行った方が早い」
     きびきびとした挙動だった。村雨はサイドゴアのショートブーツだから、靴を履くのも早い。長身を屈めて靴紐を結ぶ獅子神を横目に、手早く身支度を整えた。玄関ドアの取っ手に手をかける。どうやら村雨にとって、一緒に行くことは確定事項のようだ。返事を聞く気もないらしい。身を翻す動きに合わせて、グラスチェーンがさらりと揺れた。
    「行くぞ、獅子神」
     はじめて名前を呼ばれたな。
     不意に場違いなことを考えた。こんなときにどうして。頭を振って余計なものを追い出す。ガチャリ、と音がして我に返ったときには、村雨は共用廊下へと消えていた。エレベーターホールへ向かう背中をあわてて追いかけた。

     全力でアクセルを踏み込み帰宅してみれば、当の園田が玄関に迎えに出た。平気そうな、そして少し申し訳なさそうな顔。ほっとしたのも束の間、手に当てたタオルが血に染まっているのを見て、獅子神は危うく卒倒しかけた。
    「大した怪我じゃなかったのに……すみません」
    「オレとこいつ、どっちに謝ってるんだよ」
     園田が首をすくめた。村雨はといえば運転速度が堪えたのか、首の付け根あたりを揉んでいた。徹夜で遊んだあとだ。さすがに疲れているのだろう。連れてきたことをうっすらと後悔した。
     獅子神とは別の理由で、従業員たちは突如現れた村雨の存在に戸惑っていた。医者だとは伝えられたが、なぜ雇用主の朝帰りに同乗したのかが謎だ。そもそも見た目が怪しすぎる。
     両者の板挟みになり、獅子神はううん、と気まずげな声を出した。車の鍵をポケットにしまくと、目元のほくろを指でこする。
    「先生。せっかく来てもらったのに悪いな。なんか大丈夫そうだったわ」
    「――もう血は止まっているようだな」
     わずかに鼻をひくつかせながら村雨が言った。そういえば、この医者は鼻がきくらしい。賭場でも何かの匂いを嗅ぎつけ、とんでもないことを口にしていたような。
    「念の為、診察をしよう」
     その場で解散にはならなかった。申し出た村雨をともなって家の中へと入る。ダイニングテーブルの上には、応急処置に使った救急箱が置かれたままだった。
    「ここでいいだろう」
    椅子を二脚引き出し、向かい合わせに並べる。一方に園田を座らせると、村雨が反対側へと腰を下ろした。止血に使ったタオルを取り、その下のガーゼも剥がしていく。遠目にも血の色は暗い赤に変わっていた。
    「園田。痛えのか? 大丈夫か?」
     園田のうしろに立ち、獅子神が声をかける。かたまった血が傷口を刺激したようで、顔をしかめていた。
    「オイ、もうちょっとやさしくできないのかよ」
    「大丈夫です、獅子神さん」
    「だってオメー、こんなに血が出てたら」
    「うるさいから黙るように。その大きな図体で動かれると目障りだ。もう一人と一緒に向こうで待っていろ」
     にべもなく追い払われる。口から出かけた抗議は、ぎろりと睨まれて引っ込んだ。
     お医者様ってのは冷たいもんだな。
     獅子神は心のなかで憤慨した。
     記憶にある限り、先生と名のつく人間は大体嫌味なやつらだった。けれども村雨は怪我をした従業員のために、家まで来てくれた。運転中も船を漕ぐほど疲れていたはずなのに診察を引き受ける姿を見て、感謝を通り越して感動すらしていたのに。
     獅子神は裏切られたような気持ちで、村雨の横顔を負けじと睨みつけた。
    「獅子神さん、行きましょう」
     肩をいからせた獅子神を宥めるように、もう一人の従業員が声をかけてきた。
     促され、ソファに座る。それでも気になるものは仕方ない。獅子神はダイニングテーブルの方向を盗み見た。ソファの前に立った従業員が、申し訳なさそうに頭を下げた。
    「――すんません。俺が連絡したのが悪かったんすよ。キッチンへ来たら、アイツがすげえ血を流していて。慌ててメールしちゃったから」
    「いや、オメーは何も悪くねえ。連絡してくれてよかった。つうか、オレが外泊しちまったばっかりに」
     傷口をあらわにされた園田が、いて、と小さく呻いていた。
     がんばれ、夜は焼肉に連れて行ってやるからな。心のなかで声援を送りながら、低い声でやり取りをしていると、村雨がこちらへ顔を向けた。
    「……なんだよ」
     眼鏡の奥の瞳が細められている。悪い知らせかと思ったが、そうでもないらしい。村雨の口元は心なしか笑っているように見えた。
    「いや、別に」
     言葉を発した瞬間、はっきりと口角が上がった。
     笑われている。バカにする気か。
     反射的に頭に血が上るのを感じた。握った拳に力をこめる。
    「馬鹿にしたわけではない。仲のいいことだな」
    「そんなんじゃねえよ」
     獅子神の威嚇を村雨はあっさりといなした。図星を突かれた気恥ずかしさに目を逸らす。
     しばらくそちらを見ずに我慢していると、やがて園田の「ありがとうございます」という声が聞こえてきた。治療が終わったらしい。
    「そもそもの傷自体も浅い。軽傷だな」
     村雨の診断を裏付けるように、園田が包帯を巻いた手を振ってみせた。救急箱にあるもので対応できたという。
    「でも包帯まで巻いてるじゃねえか」
    「よく動かす部分だから、ガーゼが剥がれないように止めただけだ。現時点では病院に行く必要もなかろう」
     ただし傷が膿んだり、熱が出た場合には必ず受診するように。そう言って村雨が椅子から立ち上がろうとした。そのとき、体が一瞬ふらついた。片手を出してテーブルにつく。
     大丈夫か、と出しかけた声を止めた。
     テーブルを支えにした村雨は、何事もなかったような表情を浮かべていたからだ。
     心配なんて不要。余計な世話だ。そう言われそうで口ごもる。代わりに、せかせかとソファから立ち上がった。
    「先生。恩に着る」
    「帰りがけに来たまでだ。気にすることはない」
     村雨は椅子の背にかけたジャケットを手に取った。キッチンカウンターに置いたデジタル時計に目を向ける。たしか今日は仕事が休みだと言っていたはずだ。なにか用事でもあるのだろうか。つられて時計を眺めた獅子神もポケットから財布を取り出しながら、ダイニングに近づいた。
    「えーと、それで、いくら払えばいい?」
    「――何の話だ?」
    「礼だよ、礼。病院だって休みの日に行くと高いんだろ。診てもらったからには金を払わねえと」
     獅子神をじとりとした目が見据えた。
    「私は金のために来たわけではない」
    「たしかに金には困ってなさそうだもんな。でも、それとこれとは別だ」
    「そうではない。謝礼の類は辞退する」
     村雨は痩せていて、背だって獅子神よりも低い。けれども妙な威圧感があった。
     医者の迫力というやつか。でもそれしきのことで怯むわけにはいかない。ギャンブラーとしては格上からも知れないが、ここは賭場じゃねえんだから。獅子神は息を吐き、丹田に力を入れる。
    「そう固いことは言わずにさ」
    「断る」
     面倒になってきて、財布から数枚の札を引っ張り出した。これ見よがしに振ってみせる。
     だが、村雨の片手はテーブル、片手は体の横にぴたりと添えたままだ。どうしたものかと考え、ジャケットのポケットに狙いを定めた。
    「うおっ」
     上蓋のないスリットへ札をねじ込もうとしたとき、伸ばした手首を掴まれた。ひたりと冷たい感触は村雨の指先だ。元々の体質か、徹夜明けで体が冷えているのか。どちらかはわからないけれども、どうだっていい。
    「受け取れよ、先生」
    「結構だ」
     ジャケットの袖口から伸びる手首も華奢と言っていいぐらいに細い。それなのに獅子神の手を掴んだ力は強かった。おまけに人体の急所を押さえられているらしい。手指を動かそうとするたびに嫌な痛みが腱を走った。
    「――あなたは、」
     低い声が降ってきた。手元に落としていた視線を上げると、すぐ近くに村雨の顔があった。
    「私が金目当てで来たとでも?」
     口調は落ち着いていたが、鼻に寄せた皺が不快感を示していた。
     何を怒ることがあるのだろうか。意味がわからない。掴まれたのとは反対の手をゆるく丸め、スーツの胸をとん、とたたく。
    「わざわざ来させたんだ。金ぐらい受け取れよ。オレは借りはつくらねえ主義なんだ」
    「貸したつもりはない」
    「アンタがそう言ってもオレは――」
    「――獅子神」
     村雨がオレを見据えた。丸眼鏡の金色の縁がちかりと光る。
     名前を呼ばれるのは二度目だった。
     しずかな声なのに、なぜだかそれ以上動けない。視界の端に、はらはらと見守る従業員たちの姿が見えた。これでは喧嘩をしているみたいだ。
     昨夜から今朝まで、二度目の真経津もそうだが、村雨とは初めて会ったとは思えないぐらいに気が合った……と思う。自信はない。だが、もしも向こうが獅子神を気に入っていなければ、家までは来なかったはずだ。大の男が手を怪我しただけ。命に関わる重症でもない。病院へ連れて行けばいい。医者だからと面倒をみる必要はない。
    「繰り返しになるが、私は医者だ。傷病者を放っておくわけにはいかない」
    「それはわかったけど、オレの気が済まないんだって」
     なにか礼をさせてくれよ、と言い募る。
    「――あなたは見たところ健康体だな」
     突然、頭のてっぺんからつま先までをじろじろと眺められた。近距離だけに、奇怪な言動に思わず面食らった。
    「お、おう」
     見られたくない古傷はいくつかあるが、生まれてこのかた大きな病気などしたことがない。 
     獅子神の返事に、村雨がうなずいた。だが、そのあとで一瞬だけ目を伏せてぼそり、と何かを呟いた。気のせいでなければ「つまらない」と言ったような。
     つまらない?
     オレが?
     さあっと血の気が引くのがわかった。スリッパを履いたつま先が冷たくなる。
    「むらさ……」
    「あなたの考えも理解した。だが、私にはあなたに貸しをつくるメリットがない」
     はっきりと言い切られた。
     たしかにその通りだ。村雨は獅子神よりも強いギャンブラーで、それ以前に医師として社会的に認められている。会話もスマートだし、ハンバーガーを食べる所作も洗練されていた。エキセントリックさは否めないものの、社会の大事な部分を担う人間だ。自分のようにつまらない、投資家風情とはちがう。
    「……そう、だよな……」
     唇を噛み締める。
     ひどくみじめな気分だった。
     たった一度遊んだぐらいで。いや、村雨からすれば、真経津のおまけでしかなかったのだ。うつむけた顔に視線を感じた。レンズの向こうに見える瞳が獅子神を覗きこんでいた。赤みがかった茶色が縁取られた漆黒の瞳孔。宿る光は理性のそれだ。己のぼやけた、中途半端な薄水色とは違う。炎に炙られた金属みたいで、きれいだと思った。
     目の横をなにかがすっと横切る。肩に置かれたのはテーブルを離れた村雨の手。軽く乗せられただけなのに、ずしりと重く感じた。
    「なにか勘違いしているようなら言っておくが」と丁寧に前置きをされる。
     手首を掴む拘束はいつの間にか解かれていた。指先が手の甲から腕に時折タップする。宥めるような動きだった。
    「今日ここへ来たことは私の自由意志だ。あなたには世話になった。役に立ちたいと思ったから来た。私はそれを貸しにしようと思うほど、不義理な人間ではない。――わかったか?」
     子どもに言い聞かせるような口調だった。普段から物分かりの悪い患者を相手にして、慣れているのかもしれない。
     獅子神は村雨の言葉を慎重に吟味した。
     怒らせてないか、苛立たせてないか。つまらないと思われていないか。
     そのどれにも当てはまらないことを確認してから、ようやく返事をする。
    「……わかった」
     村雨は沈黙をどう捉えたのかはわからない。軽く息を吐き出すと、一歩後ろに引いた。獅子神の横をすり抜けて、廊下へつづく扉の方へと向かう。
    「では、失礼する」
    「え、あ、ああ……。そうだ、家まで送らせてくれ」
    「この時間ならタクシーもすぐに捕まるだろう」
     家を出て数分も歩けば街道に出る。客待ちのタクシーが常に走っていることは、もちろん獅子神も知っていた。
    「でも、礼の代わりというか」
    「もういいと言ったろう」
    村雨が振り返る。先刻と同じように、また目を細めていた。やっぱり笑っているみたいだ。でも、もう馬鹿にされているとは思わない。
     それよりも、むしろ――。
     獅子神は玄関までついていくと、靴を履く村雨を見守った。追いかけてきた従業員たちが揃って頭を下げる。村雨が軽くうなずく。そうして次の言葉をひねり出せずにいるうちに、扉を開けて出て行ってしまった。
    「またいつか」と、不確定な挨拶を置き土産にして。

    「……あの、どうしたんすか?」
     従業員の声が遠くに聞こえる。耳の奥がぐわんぐわんと鳴っている。村雨が消えた扉。目の前の風景に、唇の端で笑ってみせた男の顔が重なっていた。
     獅子神さん、大丈夫っすか?
     繰り返される問いかけに、こくこくと頭を縦に振る。
     全然大丈夫じゃないけど、大丈夫。
     心臓がバクバクと激しく脈打っている。苦しい。でも苦しくない。足元がふわふわとして宙に浮いてるんじゃないかと心配になった。

     獅子神、という声が鼓膜に反響した。こくん、と唾を飲みこむ。喉がやたらと乾いていた。目の奥がきらきらと眩しい。ちらつく光は村雨のグラスチェーンの反射だ。

     もしかして、これが――。
     頭を殴られたような衝撃に、呆然と立ち尽くした。
    「……どうしよう」
    「何がですか?」
     ――好きになっちまったみたいだ。
     従業員たちに聞かせるわけにもいかず、心のなかで唱えた。声には出さなくても、胸がぶわりと熱くなったのを感じた。ついでに何だか顔まで火照ってきた。

     獅子神敬一、二十六歳。
     生まれてはじめての恋だった。


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