王様のケーキのお味はいかが? ガレット・デ・ロワ。日本語で王様のケーキ。中に入れたフェーヴと呼ばれる小さな陶器。切り分けた中にフェーヴが入っていた人は王様もしくは王女様として、今年一年の祝福を約束されるらしい。叶から配信用のケーキ作りをリクエストされたのは、一月六日当日のことだった。
「まったく。もう少し早く言えよ」
小言が漏れる。本人の到着と前後して製菓用品の専門店から送られてきた材料。箱の中には解凍済みのパイシートから、焼く前のケーキに仕込むフェーヴまで入っていた。
「パイシートは出来合いだし中身もアーモンドクリームだけだから、そんなに美味くねえかもだぞ」
第一、今日は――。
「礼二君のためにとっておきのケーキを作ったのは知っている。配信さえできれば構わない」
そう、村雨の誕生日。冷蔵庫のなかは、すでに用意したご馳走でいっぱいだった。
叶によれば今日は公現祭というキリスト教のお祭りでもあるらしい。ケーキも東方の三博士が生誕を祝ったことにちなむとか。
「キリストってのは二十五日に生まれたんだろ? それまで何やってたんだ?」
「さあな。ユミピコに訊いてみるか」
「長くなりそうだから止めようよ」
真経津がにこやかに毒を吐いた。
レシピ通りにバターを練り、砂糖と卵を混ぜる。アーモンドプードルを加えて滑らかになったら、ラム酒を垂らしてフィリングは出来上がり。カウンターの向かい側に並び見物していた叶と真経津から、歓声が上がった。
ただしここで問題がひとつ。
「誰がコレを入れるんだ?」
陶器でできたピンクのハートをつまんでみせる。
製菓店でオーダーした叶いわく、「スタッフに言って、クルーザー型を選んだはずだけど」企画の副賞として何をプレゼントする気だったかわかった気もするが、船の代わりとして製菓店の女性の恋心を詰められてしまったようだ。
「何、勝手なことをしてんだよ……」意に沿わない行為を嫌う配信者の顔が見る見るうちに曇っていく。
「叶さんのハートを射止めるってことでいいんじゃない?」
ナイスアシスト、真経津。
新年早々、不穏な配信をするわけにはいかない。叶は気にしなくても、オレの寝覚めが悪くなりそうだ。
「じゃあ、このままで」と表情を一転させた叶が、元から大きな目をさらに見開いた。
「けど敬一君の言う通りだな。誰が入れる?」
オレたちは全員がギャンブラー。誰が仕込んだところで、その一人はケーキの中のたった一つの当たりの位置を覚えてしまうに違いない。
「えーと、その家で一番幼い子どもがフェーヴを仕込んで切り分ける……ってことは僕の役目かな」
真経津がスマホを片手に読み上げた。
もっと駄目だろう。コイツならきっと誰が入れても確実に当ててくる。……いや、オレ以外が全員できるかもしれない。
「できるに決まっている。運試しにもならない」
思考を読んだように、ソファの方角から声がした。
「起きてたのか、礼二君」
夜勤明けの男は「パーティーが始まるまで寝る」とソファに横になっていた。一応は本日の主賓である。だが叶も当たりを引く瞬間のショート動画が撮れればいいと言っていたから、そのまま放置していたのだ。
「村雨さん、何か策はある?」
真経津が後ろを振り返って問いかけた。顔を上げてソファに目をやると、アイマスクの隙間から村雨が迷惑そうな顔を覗かせていた。
「策も何も。誰が入れたところで見破るのは簡単だ。当たりの意味がないだろう」
「だよなあ。市販のやつを買ってくればよかった」
叶がげんなりと肩をすくめた。ノリで生きている男だ。そこまで深くは考えずに企画したのだろうが、買い物の手間を考えるとすこし気の毒にも思った。
「どうしたもんかな……」
なにか方策はないかと首をひねっていると、村雨がむくりと起き上がった。
「――あなたの家にはもう二人いたはずだが」
「そうだ、園田たち!」
「おお、来てもらおう」
「別の部屋で入れてもらえばいいんじゃないかな」
盛り上がるオレたちをよそに、村雨はまだ眠気のとれない顔でソファから立ち上がった。顔を洗ってくるとそっけなく言い残し、扉の向こうへ消えてしまった。
◇
そうして一時間後。焼き上がったケーキを四人の男が囲んだ。
動画のセットを終えた叶が菓子の由来と今日の趣旨をざっくりと説明している。ケーキは四人分だから、かなり小ぶりのものを焼いた。粗熱を取ってから再び別室に運ばれ、すでに四等分に切り分けられていた。あとはどれを選ぶかだけだ。
「そうだ、ケイイチ君。これ!」
叶はすっかり配信モードだ。カメラに向かってにっこりとアピールした後で、あるものを差し出してきた。
「ざけんなよ……」
本来は金色のボール紙でできた王冠を上に飾るらしい。王様のお菓子といわれる所以だ。
だが今日は「王冠は特別に現地調達だ!」と某所から取り出してきた、オレの黒歴史が飾られようとしていた。くそっ。
『現地調達?』
『ケイイチ君の家には王冠があるの?』
やけに盛り上がるチャット欄を忌々しい気持ちで眺めながら、全員の前に取り皿を出した。ケーキサーバーを中央に置き、腰に手を当てる。
「で、誰から選ぶんだ?」
別室でフェーヴを入れる時も切り分ける時も、常に上から覆いをかけて見えなくしておいた。さらに念には念を入れ、ケーキを渡して以降、オレも含め全員が従業員たちとは接触していない。読み合いは不可能なはずだ。
「誕生日だし、レイジ君からかな」
えー、僕じゃないの? 真経津がブーブーと文句をたれた。これも叶の想定内。いわゆる撮れ高が上がるらしい。さっそくチャット欄に『シン君、かわいい♡』『一番に選ばせてあげて!』というメッセージが乱舞した。
「――では、一番手前のこれを」
村雨は普段と変わらぬ無愛想な口調だ。自分の誕生日の前に動画配信をされるのが気に入らないのか、単に選ぶのが面倒なのか。
叶が「副賞は倉庫落ち一体にするか」と怖いことを言っていたが、それならやる気になったのかもしれない。恐ろしいことを考えて、あわてて頭の中で打ち消した。
「次は僕!」
言うが早いか真経津が隣のひとつに、自分のフォークを突き立てた。
「オイ、取るための道具があるだろ。っていうか勝手に順番決めんなよ」
「まあまあ、俺はこれにしようっと」
異議を唱えたオレを宥めるふりをして、叶が片手を伸ばした。あろうことか手づかみで村雨の向かい側にあったひとつを奪い取る。皿に残されたのはひと切れのケーキ。
「残りがあなたのものだ」
「なんなんだよ、チクショー」
思わず悪態をつくと、叶が途端にほくそ笑んだ。聞くところによれば、慌てふためくオレのリアクションも好評だとか。まったく勘弁してほしい。
「じゃあ、実食だ」
ショート動画ということもあり、叶の進行は早かった。ひと声かけると、自ら大きな口を開けてぱくり。半分ほどを齧ってみせた。
「フェーヴは硬いから、噛んだり飲み込んだりしないようにな! 人数が多ければコインとかボタンとか色んなモノを入れて運試しをするんだけど――」
どうやら叶のひと口目はハズレだったらしい。あっという間に半分ほどを平らげると、他のメンバーが食べ進めるあいだの場つなぎに、運試しの詳細を説明し始めた。
「さて、オレのハートを射止めたのは誰だ?」
「僕じゃないよー」
三分の一を残した真経津が、ケーキの残骸を崩しながら言った。隣の村雨はというと、つまらなそうな顔のわりに腹は減っていたらしい。黙々と食べ進めていた。
「レイジ君は?」
尋ねられても、ハムスターよろしく頬を膨らませたまま首を横に振った。途端に『かわいい♡たくさん食べて♡♡』とスパチャが飛んでくる。アラサー男たちに価値があり、あるからこそ叶が配信しているのだ。本当によくわからない世界である。
「ケイイチ君は……」
言いながら、叶が視線をちらりと寄越した。
「その顔はフェーヴを引き当てていないようだな」
ニタリと細められた目。ふざけた柄のカラーコンタクトがオレを見つめる。ちょうど口に含んだばかりのオレは、馬鹿みたいにこくこくと頷くことしかできなかった。
「え? じゃあ当たりなし?」
真経津が全員の顔を見渡した。
「飲んじまったんじゃねえか?」
紅茶をひと口飲み、ようやく一息ついたオレが言うと、四人の目が互いに互いを見渡した。それぞれの皿に残ったケーキはほんの少し。フェーヴは影も形も見当たらない。
「叶さん、怪しいよね〜」
先陣を切ってパクついたのは企画の主である叶。説明の合間も片手に持ったケーキを食べ進めていた。合間のお供はお約束のエナジードリンク。雑な食べ方からして、飲み込んでしまっていてもおかしくはない。
「いや、仕込み係が盗んだのかも?」
「オレんとこの従業員を疑うなよ」
止めてはみたが、真経津が「だったら面白そう」と囃し立てた。
「よし、次回は消えたフェーヴを探せ! だ。また観てくれ」
何だかんだで綺麗に締めた叶が満面の笑みを浮かべた。正月明けの暇な時期だ。登録者も増え、スパチャもなかなかの金額らしい。営業用のスマイルを引っ込めると、
「おつかれ。ここからは礼二君の誕生日だ。こっちはプレゼント開封まで長尺で撮るからな!」と、懲りない顔で宣言した。
まだ続くのかよ。げっそりとしたオレに物言いたげな視線が向けられる。主はもちろん村雨だ。大丈夫。夜までには帰らせる。オレの決意が伝わったのか、村雨は鷹揚に頷いてみせた。
◇
パーティーは結局夜の十一時過ぎまで続いた。
村雨好みのパーティーフードは真経津たちの受けも上々だった。忙しく過ごしたであろう天堂に差し入れる分を除き、料理はあらかた全員の胃に収まって消えた。日持ちのする食べ物は、馬鹿げた企画に協力した礼として従業員に渡してやろう。これまた別に取り分けていると、村雨がのっそりとキッチンへやって来た。
「何か飲むか? ソファで待ってろよ」
なんと言っても今日はこの男の誕生日。ようやく二人きりになれたのだ。一日中甘やかしてやるぐらいの甲斐性なら、オレにだってある。
すると村雨が首を振った。
「これをやろう」
手を出すように促され、おとなしく差し出した手のひらに置かれたのは――。
「これって、あの」
ピンク色のちっぽけなハート。
頼りないほどの小さなそれを反射的に握りしめ、陶器の硬さに我に返った。
「オメーが当ててたのか……」
無心で咀嚼する様には、とてもそんな素振りは見えなかった。いつ口から出したのかすらわからない。さすがはギャンブラー。
だが今年一年の幸福を約束するというお守りだ。
「誕生日なんだし、オメーが持ってればいいんじゃねえか?」
戸惑い気味に尋ねれば、何を言うかと否定された。
「私はすでに幸福を約束されているから必要ない」と自信に満ちた台詞が返ってくる。
つづけて一年どころではない、一生だ、と。
唖然とするオレに、村雨が目を細めてみせた。
「だがもしもタダで貰うのが悪いと思うなら、あなたのケーキに入っていたものと交換してやってもいいぞ」
「……バレてたのかよ」
洗い物の手を止めて、エプロンのポケットに手を差し入れる。奥の方まで指をつっこむ。取り出したのはきらきらと光る細身のリングだ。
「ついでだから教えてやるが、バレていないと思っているのは、あなただけだ」
呆れたように告げられて、ギョッと目を剥いた。
「嘘だろ」
芝居はそれなりに上手くできた気がする。ケーキを口に運び、ひと口目で感じた違和感。叶がカメラに目線を送る隙に、歯に当たるかたい感触を取り分けて舌の裏へ。真経津が自分の分ををつつく合間に紅茶をひと口、カップの底に沈めたリングは洗い物の際に回収した。
それなのに村雨だけではない。まさか全員にバレていたなんて。
そういや、オレを見た叶が「フェーヴは当ててない」と言った。つまり他のものを当てたと知っている。むしろリングを残しておいたという意味だったのか。やっぱりアイツらには敵わない。
悄然と肩を落としたオレの手に村雨の手が触れる。指先で輪を回すように弄ぶと、金属がきらりきらりと存在を主張した。
「おかしいとは思わなかったのか?」
もちろん思った。
舌で確かめた円環状の金属。フィリングを仕込む際に見たハート型のフェーヴとは似ても似つかぬ形状だ。叶の解説によれば――リングを当てた者は場の中で一番早く結婚する。製菓店から送られてきた荷物には見当たらなかったそれが、何故ケーキに入っていたのか。見当もつかなかった。
だから皆がパーティーに夢中になっているあいだに取り出したそれを。
「あなたは嵌めようとしてみた。だがサイズが合わない」
言われるほどに顔が熱くなる。
村雨だけじゃない、叶や真経津にまで見られていたかと思うと、穴を掘って入りたい気分だった。ヤケクソになって視線を手に落とし、視界に入ったリングを見て、はっと気づいた。
オレの指にはすこし細いそれ。オレよりもすこし細い指を持つ男。
「まさか……」
「どうだかな」
はぐらかした答えは正解と伝えているのも同然だ。オレたちが従業員を呼びに行く前、席を外した男はたった一人。
「ケーキを食べることはどうして分かった?」
「誕生日と同じ日付だ。もしかしたらとは思っていた」
「……ってことは、取る順番も仕込みか?」
「仕込むほどのこともない。あなた以外であれば当たりを引くの簡単だ。私が最初に選んだから引き当てただけのこと。ただし正確に言えば、叶の企みについては阻止させてもらった」
「へ?」
「あなたがピンクのハートを引き当てたら……どれだけ盛り上がるかも考えなかったのか?」
「え? 何? なんの話だ?」
あれは店の店員から叶への好意の証のはず。そもそもオレ関連で盛り上がるネタなどあっただろうか。
どれだけ考えても一向に思い浮かばず首をひねると、村雨は大きな、大きなため息を吐いた。
「まあ、わからないのならそれでいい。とにかくあなたがハートを引き当てることだけは阻止した。ついでに私が当てたことも視聴者には気取られたくなかった」
村雨の返答にも謎は深まるばかりだ。そう言えば叶がレイケイとか何とか、謎の用語を使っていたことと関係しているのかもしれない。
「で、この指輪って――」
おそるおそる尋ねると、
「気になるのなら試してみてもいいんだぞ」
村雨がツンと顎を上げてみせた。優雅に差し出されたのはもちろん左手。見ただけでわかる。この男の薬指にぴったりのサイズ。深みのあるゴールドは血色の乏しい肌に悔しいぐらい似合った。
どこの世界に、誕生日に自分宛の指輪を用意する男がいるんだよ。
心のなかで独りごちれば、
「あなたの髪色を選んだつもりだ。それに私のぶんだけではない。もう一つはここにあるから、いつでも嵌めてやろう」
しれっとした顔で告げられ、上着のポケットを叩かれて。オレはまた赤面する羽目になった。
「あなたには幸福を。私には約束のリングを。誕生日に相応しいな」
上機嫌の男が笑う。照明にかざした細く長い指。ぴったりとおさまった指輪が眼鏡のフレームに反射した。
満足しきった瞳がレンズ越しにオレを見つめた。
「追って給料三ヶ月分の返礼も送るつもりだ。楽しみにしているように」
そんなもん、いらねえよ。
こっちを寄越せ。
向かい合う男に腕を伸ばす。ちっぽけなピンクのハートと共に手に入れた幸福を、二人分の指輪ごと抱きしめてやった。
――一生分ってやつを。