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    sooya_main

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    sooya_main

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    12月新刊進捗④ 三月にとってそれは、青天の霹靂と言える出来事であった。
    「ミツが、好き」
    月の明るい夜、その光を背負う男の表情は伺いにくい。けれど、レンズ越しの深緑の瞳が見たことがないほど切実な色を含んでいて、思わず息を飲む。いつまでも流れない時間に気づき、あぁ、これは夢だと思った。忘れたふりをして、いつしか記憶の片隅に押し込められてしまったあの夜の夢。
     目を覚ました視界には見知らぬ天井が広がっていた。端に写るピンク色はおそらくここなちゃんのシーツの色。ナギの計らいで昨夜は早めにベッドに入ったのだが、なかなか寝付けず最後に見た覚えのある時間は午前三時だ。カーテンから零れる光の白さからまだ四時間と眠っていないだろうが、不思議と眠気は感じなかった。きっと、起きる直前に見た夢のせいだ。
    「なんで、忘れてたんだろうなぁ……」
    早朝の静まり返った部屋の中に自身の呟きが落ちる。思えば出会った当初から隠し事の多い人だった。自分のことを伝えるのが苦手と言った方が正しいか。年月が経ってメンバー内でも特別甘え頼られているという自負が生まれて、すっかり忘れてしまっていた。重たい胸の内を吐き出すように息を吐くが、鉛のように下に溜まったそれが軽くなることは無い。
     不意に枕元に置いたスマホが着信音を鳴らした。一度で終わったそれはどうやらラビチャの到着を告げたもの。画面を開くと送信元は今まさに三月を悩ませている彼だった。
    『朝の海、ちょー寒い』
    短い文面と共に東京湾に昇る赤い太陽の写真が添付されている。やけに綺麗なそれに、じわりと涙が滲んだ。
    『朝焼けきれいだな! 風邪引くなよー』
    誤魔化すように元気の良い返信をすれば、了解と敬礼するうさぎのスタンプが返ってくる。鼻の先を赤くして、身を縮こまらせて、それでも撮影になれば真面目な顔をするのであろう大和は、今何を思っているのか。少しでも幸福であればいいと罪滅ぼしのように考えて、その思考にまた嘆息する。とても眠れそうには無いが、せめてあと一時間は睡眠をとったほうがいいだろう。今日顔を合わせる大和にまた心配をかけてしまう。電源ボタンを押し暗くなった画面には、なんとも情けない自身が写っていた。

     全員の都合の関係でその日のレッスンは夕方から夜にかけての三時間が予定されていた。先にテレビ局でバラエティのゲスト収録を務めた三月は三十分ほどの余裕を持って出発する。アプリで呼んだタクシーに乗り込み行き先を告げると、やや硬いシートに身を沈めた。
     仕事だからと気持ちを切り替え収録は普段通りこなせたと思うが、その分スイッチが切れると反動が大きい。身勝手であると分かってはいるが、今大和と顔を合わせるのは正直気が重かった。一晩と少しの時間は気持ちの整理にはとても足りない。そんな三月の胸中を嘲笑うかのように車はスイスイと道を進み、スタジオに着いたのはレッスン開始の四十分前。顔なじみの守衛に声をかけて受付を済ませ、入ったスタジオは案の定無人だ。やたらと広く感じる室内の端に腰を下ろし、鞄から取り出したダンス用のシューズに履き替える。ぴったりと馴染むシューズの紐を締めれば少しだけ気持ちが落ち着いた。
     スマホを操作し新曲のデモをかけると、三月は立ち上がりステップを踏む。頭をすっきりさせたい時は体を動かすのが一番だ。特に今は考え過ぎて大和やメンバーの前で不自然な態度をとることは避けたい。記念すべき十七周年のライブを前に余計な心配をかけたくなかった。内蔵のプレイヤーで流していた音楽はいつしか次の曲へと移り変わる。少し大人っぽいダンスナンバーは八年目のブラックオアホワイトで完成したものだ。年の瀬とは思えない熱いステージの上で、客席のサイリウムと降り注ぐライトが眩しくて。曲に合わせて体を動かすうちに当時の光景が脳裏に蘇る。見劣りしないようにと必死に練習した環と二人のソロパート、サビのペアはナギだった。二番に続く間奏で大きく立ち位置が動く。振り向いて、駆け出す視線の先には――
    「うわっ!」
    三月が踏鞴を踏むと、入口のドアを開けたままの大和が数度目を瞬いた。ダンスに夢中でノックの音が聞こえていなかったらしい。戸惑うように足を止めたままの大和にごめんと軽く謝ると、ようやく室内に足を踏み入れた。
    「あんま根詰めるなよ。つっても、そういうとこがお前さんらしいけどさ」
    優しく三月の肩を叩きながら困ったように笑う大和は、そのまま壁際に置かれたパイプ椅子に腰掛ける。早朝にあったロケのせいかやや眠たそうに欠伸をひとつ。座れば? と隣を指されて、咄嗟に返す文句も浮かばなかった三月は大人しくそれに従った。そんな三月の様子に満足したように、誘った当の本人は足を組み取り出した台本を開く。二人きりの空間にスマホから流れる音楽だけが響いていた。いつの間にか曲が巡り、サクラメッセージが流れている。ゆったりした曲調が心地よくて、少し迷ったが音量を下げるだけに留めた。
    「昨日、どうだった?」
     不意に台本から顔を上げた大和がこちらを向く。大雑把な問いかけだが、ナギの家でということだろう。
    「客間が凄かった。ベッドも全部ここなちゃんでさ」
    「はは、相変わらずだな」
    八乙女楽をそこに泊めたらしいだとか淹れてくれた紅茶が美味かったとか、他愛もない報告を続ける。会話をする内に一方的に感じていた微妙な気まずさは少しずつ薄れていった。大和からすれば昨日と変わらぬ三月なのだ。普通に、いつも通りにと心の中で繰り返す。ポーカーフェイスは得意ではないが、それでも人生の半分近くを芸能界で過ごしてきたのだ。やって出来ないことはない。
     そうしているうちに、ふと言葉が途切れた。椅子一つ分空いた隣から、大和が三月の方を向く。
    「今日は帰ってくるよな? 遅くなるだろうし、飯どっか食いに行くか」
    「あ……」
    咄嗟に返事に窮した三月に、大和が首を傾げる。しばらく考える時間が欲しい。その気持ちが言葉を詰まらせた。何か用事でもあるのかと問われ、焦った脳裏に過ぎったのは頼れる先輩の顔。
    「百さんに誘われてて。飲みに行こうって」
    「百さんが?」
    大和が訝しげな顔をするのも無理はない。普段パワハラだ先輩権限だとふざけて言ってくることはあるが、その実とても細やかな気遣いをする人だ。大きなライブを控えスケジュールを詰めている後輩を軽率に誘うようなことはしない。
    「オレが元気ないの心配してくれてさ、気分転換にどうだって。明日遅いし大丈夫だって」
    心配しすぎと肩を叩けば大和は眉を寄せながらも引き下がった。百の人柄を信頼してのことだろうが、ひとまず安堵の息を吐く。しかし現実はそう甘くない。流れるようにスマホを取り出した大和が何やら画面を操作する。嫌な予感がして何をしているのかと問うと、けろりとした顔で答えた。
    「百さんにラビチャ。遅くなったら迎えいくって」
    「はぁっ!?」
    万事休すだ。当然のことながら百から誘いは来ていない。事実が伝わればなぜ嘘をついたのかと追求されるだろう。どんな答えでも、大和といることを拒んだ事実に変わりは無い。
    (どーしよ…… ていうかあんたそんなに過保護だったっけ?)
    半ば八つ当たりのように大和を睨みつつ頭を抱えていると、ポケットの中のスマホが短く震える。ポップアップはラビチャの通知。
    『大和から連絡来たけど、今日何か約束してたっけ?』
    首を傾げるスタンプ付きで送られたメッセージが、三月には後光が差して見えた。内心で拝み倒しながら簡単に経緯をまとめる。大和の誘いを断る口実に使ってしまったので、口裏を合わせて欲しい。謝罪の言葉を添えて送れば元気良く親指を立てる王様プリンのスタンプが返ってきた。数秒後、隣で大和のスマホが着信を告げる。確認した顔が少し不服そうだったことから、百の寄越した返信の内容が窺えた。おそらく過保護だとか大げさだとか、からかいの文句が入っていたのだろう。それでも納得はした様子の横顔にほっと胸を撫で下ろした。
    『ありがとうございます。すみません、変なこと頼んじゃって』
    大和に気づかれぬようそっとラビチャを送ると、既読はすぐについた。
    『これくらい気にしないで! また喧嘩でもしちゃった?』
    優しい問いかけに、大和との初めての大喧嘩を思い出す。あの時も百にはずいぶんと迷惑をかけてしまったが、同じように気にするなと笑ってくれた。震えながら一生懸命に自身の思いを伝えてくれた大和の顔が脳裏に浮かび、不覚にも涙腺が緩みそうになる。頭を振って追い払い、百への返答を打ち込んだ。
    『喧嘩ってわけじゃないんですけど、ちょっと気まずくて』
    心配はかけるだろうが、巻き込んでしまった以上伝えないのは不誠実だ。大事では無いから気にしないで欲しいと続けようとしたが、向こうからの反応の方が早かった。
    『じゃあ、ほんとに飲みに行く? お店がダメなら百ちゃんハウスに招待しちゃう!』
    アイドリッシュセブンに負けず劣らず多忙なはずの先輩だが、言い出したら聞かないのもいつものこと。僅かな抵抗も虚しく、今いるダンススタジオを聞き出されてしまった。終わる頃に車で迎えに来るという申し出だけはなんとか断りスマホを手放す。怒涛の展開に戸惑いつつも、どこかほっとしている自分もいた。一人きりで抱えるには重くメンバーには話しづらいこの悩みも、百にならば相談出来るかもしれない。
    「……あんま、遅くなるなよ」
    唇を尖らせて、なぜか悔しそうな顔で言うものだから三月は思わず吹き出した。もうすぐ四十を迎える男としてはあまりにも幼くて、相変わらず可愛いなと笑ってしまう。
    「大和さんこそ、ちゃんと寝ろよ。今日はオレ、家に帰るからさ」
    「えっ。あぁ、そうだな……」
    百の家からならば大和の家も三月の家も距離にそう大差はない。大通りが続いているため道が空いていればむしろ三月の方が近いくらいだ。一瞬驚いた顔を見せた大和も、すぐに納得したのか押し黙る。少し気落ちした様子は驚いたというよりも寂しそうな。
    (一緒にいたい、から……?)
    自惚れ過ぎだろうか。そういえば、こんなにじっくりと大和の顔を見るのは久しぶりな気がする。帰る家が別れても変わらぬ距離でいたつもりだが、毎日欠かさず顔を合わせなくなった影響は大きい。今まで何度、こういった大和の表情を見落としていたのだろう。気づいてしまえば惜しくなる。惜しくなった理由は、今はまだ考えない方がいい気がした。

    ***

    「いらっしゃい! ごめんね、散らかってるけど気にしないで」
     少し申し訳なさそうに眉を下げた百の部屋には、作詞作業の名残らしい走り書きのメモがいたるところに散らばっている。百が作詞し、千が曲をつける。この分担によるリヴァーレの作曲も堂に入ったものだ。
    「すみません、忙しい時に……」
    「いやいや、三月たちの方こそライブ前で大変なんじゃない?」
    勧められたソファに座り、冷蔵庫を開けた百から何を飲むかと問われた。遠目から見てもあまり食材の無さそうなそこから出された選択肢はビールに烏龍茶、百御用達のももりんジュース。ワイン、ウイスキー、各種サワーもあると続くのは、自宅でもよく飲み会をしている百らしいことだ。少し迷って三月は烏龍茶を頼む。二リットルのペットボトルとグラスを二つ携えてきた百は、向かい側のソファに腰を下ろすと早速本題を切り出した。
    「それで、三月がそんな顔してる理由は?」
    掬い上げるように見上げられ、思わず息を飲む。話したいと、そう思って誘いを受けたはずだが、いざこうしてみると何から話せば良いのか分からなかった。とくとくと注がれたグラスの片方を受け取り、軽く合わせて一口飲み込む。レッスン後の乾いた喉に冷えた烏龍茶が染みわたり、少しだけ頭がすっきりした。
    「百さんは、身近な人に好きって言われたこと、ありますか」
    どうしても顔は上げられなかった。手元のグラスを見つめたまま、呟くように問いかける。
    「身近ってどのくらい? おかりんとか?」
    百からすれば二十年以上の付き合いがあるマネージャーの岡崎はほぼ家族のに近い存在のはずで、自分と大和の距離感とも近いだろうと頷く。ううん、と小さく呻った百は、記憶を辿るように宙を見つめながら答えた。
    「そこまで近い人からはないかな。高校の頃、友達と思ってた子からとかならあるけど」
    概ね予想通りの回答だ。多くの場合、家族ほど距離が近くても恋人や夫婦のような特別な名前の付く関係でない限りはっきりとした告白はしない。三月だってそうだ。大和のことが、きっと恋愛として好きだった。何も言わなかったのは今の関係を壊したくなかったから。アイドリッシュセブンのメンバーとしての関係が何よりも大事だったから。
     だからあの日、嬉しさよりも驚きの方が勝ってしまった。自分と大和はどこか似ているところがあると思っていた。だから同じような状況になった時、同様に今現在の関係を優先すると思い込んでいたのだ。大和も同じくらいアイドリッシュセブンを大切にしてくれていると思う。それは疑いようがない。ならば、その関係を壊すリスクを分かっていても好きだと伝えてきた理由は。
    「好きって、言われたの?」
    ――大和に。
     省かれた言葉はしかしはっきりと三月伝わった。はい、と答えた声は掠れていて、堰を切ったように言葉が溢れ出す。
    「ずっと前に、言われたんです。オレはアイドルとしての今が大事だからって断って、それで終わったつもりでいて。大和さんも、ずっと普通の顔してたからっ」
    分かっている、言い訳だ。それでも止まらなかった。気づけなかった後悔と自責が喉に込み上げて、それを堪える代わりのように三月は必死で言葉を紡いだ。
    「最近、大和さんがまだオレのこと好きだって気づいて。ずっと、好きだったって気づいて…… オレ、怖くなったんです」
    気づかないままに大和の時間を奪っていたことが。幸せな未来を掴むチャンスを潰してしまったかもしれないことが。そして何より、それを恐れた自分自身が許せなかった。
    「いつもオレは、自分のことばっかりで。大和さんはずっと、オレを助けてくれたのに、オレ、何も返せない」
    どれだけ言葉を吐き出しても湧き上がってくる潮が、とうとう瞳から零れ落ちた。一粒落ちればあとは簡単で、昔と変わらず大きな太陽の瞳から三月はぽたぽたと涙を流す。優しく微笑みながらそれを見つめた百は、自身の後ろにあったボックスティッシュを差し出し言った。
    「大和も昔、同じようなことを言ってたよ。自分は自分のことばっかりだって」
    箱から数枚ティッシュを引き出し力いっぱい鼻をかんだ三月が、え、と顔を上げて瞬く。家出をして、何もかもぐちゃぐちゃになりながら感情を吐露した二十二の大和と今目の前にいる三月が、百には重なって見えた。
    「人を好きでいるのって、幸せなことだよ。その人に会うだけで元気が出るし、その人のために何でもできることが最っ高に幸せなんだ。だから三月、そんな風に自分を責めちゃだめだよ」
    「……経験談、ですか?」
    「もちろん!」
    元気よく百は答える。
    「千が音楽を続けてくれるだけでハッピーなのに、隣で一緒に歌わせてくれるなんて超ウルトラハッピー! 百ちゃんのこれからの人生、一生占いが最下位だって構わないって思ってるよ」
    おどけた様子で、けれど本当に幸せそうに百は笑った。千が聞けば何を言っているんだと怒りだすかもしれない。けれどこれは百にとって、紛れもない真実なのだろう。時間を奪って、チャンスを潰してしまったと思うのは自分のエゴなのだろうか。
    「今すぐには難しいだろうけどさ、ずっと一緒にいた大和の顔を思い出してあげて。オレの見てた二人は、幸せそうだったよ」
    『今日までずっと、ヤマトもミツキも幸せそうでした』
    目尻に皺をよせ穏やかに微笑む百の顔に、昨晩のナギのそれが重なった。言われて頭に浮かぶ大和は、いつも優しい顔をしている。悪人面なんて本人は卑下するけれど、鋭い目元を緩めてこちらを見る彼の表情が三月はとても好きだった。それなりに喧嘩もして同じ数だけ仲直りをして、そうして今日まで過ごしてきたのだ。少なくともそれは、どちらか一方が負担に思っていてはできなかったように思う。
    「今三月はきっと、罪悪感でいっぱいになっちゃってるんだね。三月の人のことを真剣に考えられるところ、オレは好きだよ。でも、その考えるのがひと段落したら自分がどうしたいのか考えてもいいんじゃないかな」
    「オレが……?」
    思ってもみなかった提案に三月は自身の顔を指し首を傾げる。大和を不幸にしたと思い込み、どうすれば償えるのかばかり考えていた。自分のしたいことなど二の次だと思っていたが、百はそうではないと言う。
    「大和の好きな三月のこと、ちゃんと幸せにしてあげなきゃ。言ったでしょ? 好きな人が幸せなら、誰だって幸せになるんだよ」
    「……はい」
    まだ素直に飲み込めるほど三月は自分を許せていない。それでも、百の言っていることがとても大事なことだけは分かった。大和を幸せにするためではなく、二人でこの先も笑っているために。
    「ありがとうございます、百さん」
    座ったまま深く頭を下げれば百は照れくさそうに笑っていた。
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