12月新刊進捗⑤「なんでこの人もいんの」
個室に足を踏み入れて早々不機嫌に呟いた大和の視線の先には、知る限り呼ばれていないはずの千の姿があった。呼ばれていないはず、というか、大和が声をかけたのは楽だけである。
「今日撮影で現場が一緒でな。二階堂と飲むって言ったら、来た」
「んなテキトーな……」
女の子の『来ちゃった』なら可愛いが、四十も超えた男のそれに可愛げなど微塵もない。いくら顔のいい男だと言っても、無いものは無いのだ。そんな大和の胸中を読んだかのように両頬に拳を添えるぶりっ子ポーズをした千は上目遣いで見つめてくる。
「そんなに怒らないで、大和くん」
「マジでやめてください、それ」
だいたい可愛いは相方の特権でしょうと指摘すると、涼しい顔で最近は自分もチャレンジしているんだと千は言う。この先輩には一生敵わないような気がして、大和はそれ以上の抵抗を諦め席についた。
「それで、今日はどうしたんだ?」
ジョッキのビールを傾けながら楽が話題を振ってくる。この人の前で話すの嫌だな…… と胡乱な視線を千に向けるが今度は伝わらなかったようだ。来てしまったものは仕方ない。どうせいろいろバレてそうだし。内心ぶつぶつと文句を並べつつ、ため息とともに口を開く。
「ミツに、避けられてる気がする」
一瞬、個室内の音が消えシンと静まり返る。沈黙を破ったのはいかにも呆れた、というような楽のため息だった。
「お前、和泉兄に何やったんだ」
「なんっにもやってねえよ!?」
まるで大和が三月に無体を働いたかのような勘ぐりの言葉に、力いっぱい否定する。何もしてない。そう、大和にはとんと理由の見当がつかないのだ。少なくともこの一週間は平穏に同居を続けてきたと思う。避けられたと感じたのは今日のレッスン前の一件のみだが、それだけで大和にとっては重大な事件だったのだ。一人で家に帰ってもうじうじと考えてしまうだけだと思い偶然予定の空いていた楽を誘ったのだが。
「ああ、三月くん、大和くんと気まずいって言ってたね」
まさかこんなおまけがついてくるとは思わなかった。
「は? なんであんたがそんなこと聞いてるんですか?」
「違う違う、僕じゃなくてモモが。喧嘩はしてないけど気まずいって言うから話聞いてくるって」
振られた僕可哀そうとまたぶりっ子ポーズをしてみせるが、労ったのは楽だけだった。正直大和はそれどころではない。気まずいって、何。そんな素振り見せてなかったじゃん、と自問自答が止まらない。酒や料理に手を付けず頭を抱える大和を他所に、楽と千は楽しそうに飲み交わしている。現場であったハプニングの話をしているようだが、大和の頭はそれを受け入れる余裕を持たなかった。
気まずいということは何か大和に言いにくい事情があるということか。同居が本当に嫌だったのなら三月の性格上初めから断っていただろうし、家事のやり方も寮にいた頃から変えていないのでそこに不満があるとは考えにくい。この年で、本人に言いにくい困りごとと言えば。
「え、俺臭いとかあります?」
「大和くんってほんと、三月くんが絡むと面白くなるよねぇ」
ぽりぽりとお通しの味噌きゅうりを齧りながら千がしみじみ呟く。隣で頷いている楽も含めて、人が本気で悩んでいるのに面白がるとは何事だ。怒ってやりたいがそんな余裕もない大和は、また一人机とにらみ合う羽目になる。そんな様子をさすがに哀れに思ったのか、腕を伸ばした楽はぽんぽんと二度肩を叩いてやった。
「大丈夫だ二階堂、臭くはねえよ」
「八乙女……」
「その性格、めんどくさいなとは思うけどね」
「千さん……」
百八十度温度感の違う声で二人の名を呼び、大和は大きく息を吐く。めんどくさいというのは遺憾ながら自分でも否定はできなかった。何せ十五年も振られた相手への未練を断ち切れずにいるのだ。
「分からないならいっそ体当たりしてみたら? 早めに片付けないと、また不仲説とか流れるよ。僕たちなんてずっと仲がいいのに流されてるんだから」
一見無責任な千の言葉は実は的を射ているのかもしれない。最年長の二人がよそよそしい空気を出していては他のメンバーも気にするだろう。特に今は、大きなライブを控えている時期なのだから。頭では分かっていてもそうすぐには決断ができない。年を取るごとに体当たりしたその先を考えてしまうからだ。例えば、真正面から聞いた結果が長年引き摺っている恋心に対する嫌悪だったらどうしよう、だとか。
逡巡する大和を見て、千は更に重ねた。
「いいじゃない、思う存分悩めば。不惑にはまだ早いだろう、坊っちゃん?」
にやりと口の端を上げた意地の悪い笑み。昔からこの顔がとても苦手で、けれど彼にはとてもよく似合っていた。
「……もうちょっと考えて、そんでもダメならやってみます。体当たり」
心の中で白旗を振りつつ答えれば、千と楽は満足そうに頷いた。
「そうと決まったら、今日は飲め、二階堂! 奢ってやる!」
「えぇ、なんでお前さんが嬉しそうなの……」
「僕が奢ってあげるよ。一番年上だからね」
俺が、僕がと言い合う二人を尻目に大和はようやく置かれていた箸を手に取る。手始めに摘まんだ軟骨の唐揚げはすっかり冷めてしまっていた。三月と美味い酒が飲みたいなと、そう思った。
夜も深まりそろそろお開きにするかという頃合いで大和のスマホが鳴る。開くとラビチャの着信で、送り主は百。
『ユキと飲むなんて聞いてない! 羨ましいですぞ!』
怒りのパンチを炸裂させる王様プリンのスタンプと共に。この二人はまったく、と酒の回った頭で返信を考えていると更にメッセージが重ねられた。
『大和の大事な三月はしっかり送り届けたからね! 安心して!』
添えられているのは三月の自宅の前で二人並んだ自撮り写真。百に肩を抱き寄せられ少し照れたように笑っている三月の顔にほっと胸を撫で下ろす。大和の大事な、という枕詞には少し引っ掛かったが、指摘すると長くなりそうなので敢えて触れずに礼の言葉だけを送った。画面を閉じて顔を上げればじゃんけんで支払いを決めていらしい先輩らの姿が目に入る。何度かあいこを繰り返し軍配は千に上がったらしい。呼び出した店員にカードを手渡す千と、それを悔しそうに睨む楽。まったくもって緊張感のないやり取りに、知らず入っていた肩の力も抜けてしまった。
頑張ろう、と思う。いろいろなことを。まずは手始めに明日、三月と目を合わせて話すことを目標に決める。隣り合った位置は心地よいが、顔がよく見えないのが欠点だ。向かい合って顔を見ていれば、乗り越えられないことなどない。なんたってもう十七年も同じグループのメンバーとして時を積み重ねて来たのだから。自身に言い聞かせるように頷き、大和は席を立った。
三月と次に会えたのは二日後の全員練習の日となった。今日は深夜のラジオがあるから自宅に帰る。そんなラビチャが届いて、理由も分からぬまま大和は了承するしかなかった。
(やっぱ、避けられてるよな……)
改めて伸し掛かる現実に気が重くなるが、そう悠長なことも言っていられない。ライブまであと二週間と少し、練習も大詰めだ。まずは切り替えて練習、その後どうにか三月と話す時間を作る。
「よし」
拳を握り小さく呟いた大和は、意を決して目の前の扉を開いた。
「あ、大和さんやっと来た! おつかれさまです!」
屈託なく手を振る陸に笑顔を返しつつそっと室内を見回す。やっと、と言う通り他のメンバーは既に揃っているようで、三月は隅の方で靴を履き替えていた。今はあまり近づかない方がいいか、それとも普段通りに振る舞うべきか。そんなことを考えていると普段通りがどうだったかすら曖昧になって、己の情けなさに少し泣きたくなる。
「おはよ、ミツ。体調どうだ?」
結果的にすごく不自然な声掛けになってしまった気がして、大きく脈打つ心臓を抑えつつ自身もレッスンシューズを取り出した。
「おはよう。 別に一日くらい夜に仕事したからって、平気だよ」
心配しすぎと笑う三月の表情もどこかぎこちないような気がする。それでも年下のメンバーがいるこの場で問い詰めることも出来ず、適当な相槌でお茶を濁した。
「じゃ、はじめっか! 今日は通しのリハとー、立ち位置変わったとこの復習とー」
事前にマネージャーが用意していたらしい資料を見ながら環が羅列していく。ここ数年のダンスレッスンの主導はそのほとんどが環だ。慣れた様子で指示を出し、始めのフォーメーションに全員を並ばせる。一曲目は悩みながら全員で決めた、モンスタージェネレーションだ。メンバーはもちろん、デビュー当初から応援してくれているファンに感謝と感動を届けるのにぴったりだろうと最終的には全員の意見が一致した。衣装は当時のものをベースに大人っぽいアレンジを加えて。さすがにこの年で腹出しの衣装は厳しいので助かったというのは内緒である。おそらく歴代でも一位二位を争うほどなんども踊ったデビュー曲も、十七周年という大舞台を前に全員のやる気も満タンだ。お決まりの振り付けや過去のライブで評判の良かった振り付けを組み合わせて、これまでの集大成のような素晴らしいものに仕上がったと思う。
ライブの構成は二部に分かれる。楽曲やMCパートの合計は三時間ほどだが、真ん中に二十分の休憩を挟むのだ。通常はあまり見ない構成であるが、ファンの年齢層も上がり通しで続けるよりも気負わず楽しんでもらえるだろうという新しい試みである。今回の評判によっては今後のアイドリッシュセブンの定番になる予定だった。一部の締めはサクラメッセージ。花びらに似せた紙吹雪の片づけがしやすいという利点もあるそうだ。
「っあー! やっぱ通しでやると結構くるな!」
本番と同じように一部の終わりまで連続で踊り切り、三十分の休憩が告げられると三月が叫んだ。ここに更に装飾の多い衣装や熱いライトが加わるのだ。毎度のこととはいえ、ライブは体力勝負である。
「でも、やっぱり楽しいですね。こうやってみんなそろって歌うの!」
陸の言葉に全員が頷いた。普段どれだけ個人の仕事が多かろうと、アイドリッシュセブンの原点はここだ。全員で揃って、全員で歌って踊る。そうしてステージに立っているときが何よりも充実感がある。スタッフにもらったという塩分タブレットを壮五が配り、各々がストレッチや談笑で過ごす間にあっという間に休憩は終わってしまった。
続いての二部はリスタートポインターで始まり、ロックテイストの新曲、ミスターアフェクションと続く。激しめな曲調で休憩で一度落ち着いた会場の熱を上げる作戦だ。その分体力的には厳しくなるので、当日は休憩の間出来る限り回復に努めるようにと一織プロデューサーからのお達しが挟まる。長めのMCを経て今度はエンカウンターラブソングから続くフレッシュなセットリスト。可愛らしい振り付けも多いこの曲は壮年になった今では少し気恥ずかしいものもあったが、気合で踊り切る。バラードを一曲挟みラストソング、アンコールまで終わると、冷房の効いた室内だというのに皆汗だくになっていた。
「おつかれー! ちょーいい感じだったじゃん!?」
はしゃいで飛び跳ねる環はさすが最年少というべきか。日頃の成果もありまだまだ体力が有り余っているようだ。
「そうですね、なかなか良かったと思います」
汗を拭いながらも涼しい顔の一織。こちらはおそらく体力配分が上手いのだろう。パイプ椅子へ沈んだ陸へ飲み物を運ぶ余裕もある。
「疲れたけど、陸の言う通り楽しかったな! 本番まであとちょっと、もっともっといいものにしていこうぜ!」
飲み干した水のペットボトルを片手に三月も満面の笑みで、思わず様子を窺ってしまっていた大和は密かに安堵の息をついた。年をとっても隠し事の上手くない三月のこと。今の言葉は心からの本心だろう。
「ヤマト、浮かない顔ですね。いかがいたしましたか?」
数秒前まで床に大の字になっていたのに、そんなことは微塵も感じさせぬ麗しい顔がこちらを見つめていた。相変わらず人を良く見ているなと感心しつつ、誤魔化すように笑みを貼り付ける。
「悪い、ちょっと疲れてただけ。俺ももうすっかりおっさんだなー」
「自分で言わないでくださいよ、情けない」
「大和さんはおっさんじゃないですよ!」
口々に激励を駆けてくるメンバーの中で、三月はただ笑っているだけだった。自分でおっさんって言ったら終わりだろ、とかいつもだったら言ってくれたかな。そんな情けない思考が頭を擡げて、慌てて振り払う。まだ少し納得のいっていなさそうなナギだが、一旦は矛先を納めてくれたらしい。それ以上の追及は受けずに反省会へと話題は移っていった。
「ミツ、待って」
おさらいのレッスンも終わり着替えも済ませて、さて帰ろうかと荷物をまとめていたところで大和はようやく声をかけた。振り向いた三月の顔はあからさまに困惑していて、絞り出した勇気が早速潰えそうになる。それでも頑張ると決めたから、後戻りはできなかった。
「今日、家来て欲しい」
緊張のせいか若干片言になってしまい、周りで聞いていたメンバーが首を傾げる。そもそも今三月は大和の家で過ごしているのではないかとざわつく中、意外なところから助け船がやってきた。
「皆さん、ここは二人きりにして差し上げましょう。いいですね、ヤマト?」
「……ああ、助かる」
また逃げられてしまうのではないかと焦ってしまったが、本来は他のメンバーのいなくなるまで待ちたかった。ただならぬ様子の空気に気づかわし気な様子を見せつつも、五人はレッスン場を後にする。後に残された大和は、再び三月に先ほどの言葉を繰り返した。
「今日、は、その……」
言いづらそうに、けれど断りたいという意思がはっきりと伝わってくる。目を泳がせる三月にこれまでならばどうしていただろうか。いや、そもそもこんな顔をさせないように精一杯気を付けていた。伏せがちな瞳はあの夜の表情とよく似ている。
「予定あっても、俺を優先して欲しい。ミツと、話がしたい」
冷製に考えればなんて傲慢なことを言っているのだろう。口に出した端から取り消したくなるが、なんとか堪える。大和の真剣な『お願い』をすげなく断る三月ではない。むしろここで断られたら、この先すべてを諦めた方がいいだろう。アイドリッシュセブンのメンバーとしていることすら許されないかもしれない。気分は正に清水の舞台から飛び降りる、といったところだ。
「…………わかった」
長い沈黙の末、三月は呟くように了承を示した。まずはそのことにほっとして、次いで思案時間の長さに不安になる。四十を目前にしてこんなにも心が惑うことがあるなんて、こんな事態にならなければ知らなかった。
何とか取り付けた同意を元に、呼んだタクシーに揃って乗り込む。行き先を告げ走ること二十分少々。車内には運転手の趣味らしい野球中継のラジオだけが響いていた。
互いに無言のまま部屋に入る。もそもそと靴を脱いで、もそもそと手を洗って鞄を置いて。絵に描いたような膠着状態。いったいここからどうすればいいのだろうか。途方にくれる大和を尻目に、三月が突然ふ、と小さく吹き出した。
「……ごめん、なんか昔みたいだなって思ったら、おかしくて」
眉の下がったすまなさそうな表情だがその雰囲気は柔い。少しだけほっとして、いや、とか何とか曖昧な返事を返した。
「とりあえず、座って話す?」
ちらりと三月が見やったのはダイニングに置かれた三人掛けのソファ。たまにそこで仮眠をとることもあるため上等なものを用意していて座り心地は間違いなくいいのだが、大和はそっとリビングテーブルを指さした。
「顔、見て話したい」
「……そっか。うん、そうだな」
せめて飲み物くらいとキッチンへ向かおうとする三月を押し留め、大和自ら向かう。レッスンでの激しい運動やその後の緊張の連続もあり喉がカラカラに乾いていた。三月にも了承をとり、冷たい麦茶のグラスを二つ携えて戻る。一口二口とそれを飲み、一息を入れたところで本題を切り出した。
「ミツ、あのさ」
「ここ数日のことだけど」
見事に喋り出しが重なってしまった。ミツからどうぞ、いや大和さんからとお決まりのやり取りを経て、収拾がつかないのでじゃんけんで決める。三十九と三十八の男が何をやっているんだろうとよく分からない状況に少しだけ笑いがこみ上げた。先ほど三月が笑ったのもこういう具合だろうか。三回のあいこの末最終的に権利を得た三月が改めて仕切り直し話始める。
「最近、オレの態度が変だから大和さんに気を遣わせたよな。ごめん」
すっと杏色の頭が下げられ肯定も否定も出来ぬまま大和はやめてくれと慌てた。三月に謝って欲しい訳ではない。まったく怒ってなどいないのだ。そう言い重ねれば、まだ納得できない顔ながらも三月は謝罪を納めた。
「理由、なんだけどさ……」
いよいよ確信に切り込む合図にごくりと唾を飲む。たっぷりの沈黙の後、三月はついにその口を開いた。
「大和さんって、ずっとオレのこと好きだったの?」
とうとう恐れていた事態が来てしまった。三月が、告白後もずっと引きずっている己の気持ちに気づいていないことは薄々分かっていた。だからこそ安心して勝手に好きでいられた、というところもある。優しい彼は知ればそれを気にすると分かっていたから、気づかれぬように出来るだけ注意をしていたはずだが何が原因で知られてしまったのだろう。
「そう、だな」
「……それは、あの日オレがちゃんと返事しなかったから……?」
あの日がいつのことなのか、何も聞かないでも伝わる。大和が三月に思いを告げたあの夜のことだ。
「ミツはちゃんと答えてくれたでしょ。これは俺の問題」
こんな日がいつか来るとなんとなく思っていた。だからこそ冷静に答えられた。三月は何も悪くない。未練を捨てられず、ずっと好きでいたのは完全に大和の都合だ。そう伝えれば三月はまた、納得のいっていない表情になった。
「オレ、ずっと気づかなかったから。大和さんはもっと幸せになれたはずなのに、って……」
「ん……? 幸せ?」
何やら雲行きが怪しい。そう思って問い返すと、三月は言いづらそうに答える。他の誰かと普通の恋愛をして、結婚をして、そうした方が大和の幸せだったのではないかと。まとめてみるとそんなところか。三月の言い分は分からなくもない。現にあの日の『いつか』に期待していじましく思いを引き摺っていたのは事実。けれど、ひとつ大きな間違いがあった。
「この十五年、俺はずっと幸せだよ。大好きなミツと、アイドリッシュセブンでいられて何より幸せだった」
生い立ちのせいもあり、元々結婚にはあまり前向きではなかった。三月のことが無かったとしても、おそらく外部の女性と恋愛事になる可能性は低かっただろう。それほどにアイドリッシュセブンが大切で、大切にできることが幸福だった。そう伝えると三月はなぜか少し泣きそうな顔になる。
「オレなんかのために、なんでそんな……」
「あのなぁ、本気で言ってんならさすがに怒るけど」
いつもより低い声を出すと三月は打たれたように顔を上げる。大きなオレンジの瞳を見つめながら、ため息を挟み大和は続ける。
「俺のこと好きになってくれなくても、アイドルとして、和泉三月として一生懸命なお前さんがかっこいいからずっと好きだったの。あの時だってそう言ったでしょうが」
口に出してみるとかなり恥ずかしい。もうすぐ四十になろうというおっさんが何言ってるんだろう。自身の頬に熱が集まるのを感じ目を逸らした大和は、三月の目に僅かな期待のような色が閃いたのを見逃してしまった。
「オレが、大和さんのこと一番好きになれなくても……?」
「そーだよ。……なにこれ、俺今もっかい振られてる?」
だんだん悲しくなり思わず言葉に出すと、三月がくしゃりと表情を歪めるので慌てる。別に三月を責めたのではない、ただの感想だから気にするなと言いつのる大和に、目の前の男は泣き笑いの表情を見せた。
「オレ、あんたが好きだよ」
「す、――え?」
逆転満塁サヨナラホームラン。先ほどタクシーの中で聞いた実況者の声が脳裏に響く。好きって、ミツが、俺のこと好きって言った。ふわふわと思考が舞い上がる反面自分に都合のいい展開過ぎて幻覚を疑いたくなる。これが現実でなければちょっと立ち直れ無さそうだけど。瞬きを繰り返しながら反応のない大和に痺れを切らしたように、三月は机上に置かれていた両手を自らのそれで掴んだ。
「はは、冷たい」
「っ、笑うなよ。しょうがないだろ」
びっくりして、混乱して、けれどとびきり幸せで。知らずの内にあふれ出した涙は手がふさがっていて隠すこともできない。この十五年ずっと幸せだったと言ったその言葉に偽りはないけど、幸せに上限もなかったんだなとばかみたいなことを考える。
「いや、でもなんで……」
ふと我に返って聞くと、三月は大層決まりの悪そうな顔でもごもごと口を開く。
「オレ、あんたにはあんたのこと一番好きって言ってくれる人と一緒になって欲しかったんだ。だからあの時断ったんだけど……でも、オレが好きって言わなくてもこんなにずっと想ってくれてるなら、いいのかなって」
――一緒に、幸せになっても。
「当たり前だろっ!」
握られていた両手を勢いに任せてぎゅっと握り返す。ひと回り小さく温かなそれを、メンバーとしてではなく取ることができて本当に幸せだった。
「ね、大和さん。キスとかしとく?」
ずっとほたほたと涙を流す大和を心配してか、三月がそんなことを言い出した。
「こ、心の準備が……あと昼飯のあと歯磨きしてないし……」
「乙女か! いいじゃん、ほら一回くらい。記念に、な?」
言いながら三月がリビングチェアから腰を浮かせるので、大和もそれに倣う。テーブルの幅を埋めるために必然的に中腰に。あ、この体勢思ったより腰にくる、なんて緊張感のないことを呟きながらさくらんぼ色の唇が近づき、ふにゅりと押し付けられた。少しだけ離れて、それでもまだ鼻の先がぶつかりそうな至近距離で小さく笑い合う。
「ほっとしたら、腹減ってきたな」
「ん、なんか作ろうか。あんま食材ないけど」
買い置きのインスタント麺ならすぐに出来る。野菜炒めと卵でも乗せれば立派な夕食になるだろう。言いながら席を立ちリビングへ向かう途中で、大和はふと座り直した三月を見下ろした。
「……あのさ、一回だけ、ぎゅってしてもいい?」
「うん? 別にいいけど」
きょとんとした顔はとても一つ年下には見えない。とんでもなく可愛い、これが恋人か。噛み締めるようにため息を吐きつつ、許可を得た『ぎゅっ』を実行する。コンパクトな体は決して女の子のように柔くはないけれど、彼の努力の証のような汗の匂いがした。
「ミツ、大好き」
「オレも、大好きだよ。大和さん」
腕に力を込めて囁けばそれに応える声がする。情けなくてもみっともなくても一生懸命になってみてよかったと、そう思わせる声だった。
***
翌日、当然のように揃って向かったレッスン場には他五人のメンバーが待ち構えていた。そういえば昨日ろくな説明もせず帰してしまったのだった。思い出し、目で訴えかけてくる彼らにさてどうしようと大和が頭を悩ませていると、不意に片方の手が取られ高々と上げられる。
「オレと大和さん、付き合うことになりました」
「え、三月さん!?」
聞いてない、この流れは聞いてない。第一男同士でメンバー内でなんてどう思われるか、びくびくしながら皆の方へ顔を向けるとその反応は意外なものだった。
「ようやくですか。まあ、これで微妙な気まずい空気を感じずに済むなら結構ですよ」
兄さんを泣かせたら許しませんけど、と付け加えるのは一織。
「おー、ヤマさんよーやく報われたんだな。おめでとー」
普段通りのフラットな口調の環。
「おめでとうございます、大和さん、三月さん。とてもよくお似合いですよ」
にこりと微笑む壮五は自分のことのように嬉しそうだ。
「そっか、やっと好きって言えたんだね! おめでとう!」
ニコニコと笑う陸を経て、最後にバトンを受け取ったナギは零れような笑顔を浮かべていた。
「Congratulationヤマト、ミツキ。Are you happy?」
優しい五対の瞳に見つめられて、大和と三月は顔を見合わせる。先ほど掴まれた時から繋いだままの手をぎゅっと握り、とびきりの笑顔で声をそろえた。
「イエス!」