Recent Search
    You can send more Emoji when you create an account.
    Sign Up, Sign In

    komekami_gt

    @komekami_gt

    後藤こめかみ/E'toile.

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 4

    komekami_gt

    ☆quiet follow

    内緒のサマリーJB2023 で配布した小話です
    期間限定での再録になります

    おいしいごはんが炊けるのはイデア・シュラウドのおかげ ここのところ仕事が忙しく、自宅にはほぼ寝に帰るだけの生活になっていた。正直なところ、それぐらいなら店近くのホテルに部屋をとる方が睡眠にあてられる時間は長くなるのだけれど、そういうわけにもいかなかった。なにせ家にはイデアさんがいる。二人で暮らし始めて片手では足りなくなっているのでなにをいまさら、ではある。僕だってこのタイミングでなければイデアさんがいようといまいと家には帰らなかった。そう、タイミングなのである。
     先日、イデアさんが世界的な工学賞を受賞した。過去をみても名だたる工学者たちが受賞した誉れある賞で、僕は、僕のイデアさんが評価されたことに鼻高々だった。ところが、だ。ところが当のイデアさんにまったくやる気がない。授賞式? 出るはずないでしょ、と一笑に付すのだ。知っていた。ええ、知っていましたとも。あなたがそういうひとだということは。けれど、はいそうですか、と許すほど僕は甘くはないのです。授賞式、出てください。僕の男は顔も最高なのだと世間にわからせなければいけないので。
     嫌がるイデアさんをなだめすかして授賞式に出席させるために、僕は毎日家に帰り、たとえ僅かな時間であってもイデアさんと過ごした。その甲斐あって、イデアさんは無事授賞式に出席し、ほとんどメディアに顔を出さない天才の映像はお茶の間にまで流れたのだ。
     そして今日、ようやく仕事の片が付き、明日の休みまでもぎとって昼過ぎに退勤した。早退ではあるが、オーバーワーク気味の僕なのでそれはむしろ歓迎され、拍手とともに送り出された。なんだこれは。
     まあ、ともかく。今日の半日と明日の有休。それから明後日明々後日の法定休日。計三日半の自由時間を得た僕は、嫌々ながらも授賞式に出席したかわいいハニーのために、三日半、自宅に籠れるだけの食材を買い込むことを決めた。
     買い物先として、二つ先の駅に直結したちょっといいスーパーを選び、近くまで車で移動してパーキングに止めた。駅直結というのは駅利用者にはこれ以上なく便利だが、立地が街中ということもあってか、専用の駐車場がない。これは不便だと思うが、対象としている客層が駅近くの高級マンションの住人たちなのだろうから、店も、客の大半も困ってはいないのだろう。
     買い物の前に少し休憩しようとふと思いついて駅前のコーヒーショップに入る。たしかにこれから三日半の休暇ではあるけれど、つい先ほどまで馬車馬のように働いていたのだ。少しぐらい休んでも罰はあたらないだろう。
     カウンターでコーヒーを受け取り空いていた席に座る。隣席では若い男性がラップトップでなにやら作業をしている。逆サイドは制服姿の女子がふたり、話に花を咲かせていた。高い声は通りがよく、少々賑やかに過ぎる。休憩のつもりではあったけれど、早めに退散した方がいいかもしれない。
     けれど、突然切り替わる二人の会話に、ある単語が飛び出した途端、僕は二人の会話から耳が離せなくなってしまった。
    「なんとかっていうすごい賞? の授賞式あったじゃん。」
    「え、わかんない。」
    「なんか、青い髪のイケメンのやつ。」
    「あー……イデア・シュラウド?」
     イデアさん!
    「そうそう、そんな名前だった! あのひとメチャ顔よくない? ていうか、よく名前覚えてんね?」
     ……いでたちや雰囲気から、この子たちはおそらくシニアハイスクール生だろう。イデアさん、もう30過ぎだぞ? 年齢的にはもう、おじさん、と呼ばれたっておかしくはない。それなのにこんな若い子たちから見てもイケメンだなんて、やっぱり僕は見る目があるな……!
    「んー……あのさ、うちのパパ、メーカー勤めなんだけど、工学かじったことあるらしくって、イデア・シュラウドってめちゃくちゃすごいひとだって言ってたんだよね。」
    「まあ賞とってるんだからそりゃすごいひとでしょ。」
    「そうじゃなくってさ。あたしらがこどもの頃にさ、家電革命ってあったでしょ。」
    「あー。なんかあった! うちも2、3年で家中の家電ぜんぶ変わったあれだよね? こどもだったからよくわかってなかったけど、なにもかもを一気に買い替えるのがすごいってことはわかったし、いま思うとそれぐらい一気によくなったってことだよね。」
    「あれ、イデア・シュラウドのおかげなんだって!」
    「えー? なにそれー?」
    「よくわかんないけど、ママがよく言ってたんだよね。おいしいごはんが炊けるのはイデア・シュラウドのおかげ!、って。まあ、名前はちゃんと覚えてなくて、今回の受賞でパパが家電革命の話をしてくれて、それで、あのときママの言ってたのはこのひとだったのかー、って思っただけなんだけど。」
    「全然わかんなーい。あ、そう言えばさ、明日の数学、小テストあるらしいんですけど。」
     家電革命……。
     そういえばそんなのがあったな。かれこれ十年近く前の話で、すっかり忘れてしまっていた。

     NRC在学中のことだ。僕が2年生で、イデアさんが3年生の春、4年生になると始まるインターンについて、3年生向けの説明と希望調査が行われた。イデアさんは誰よりも早くにインターン先を決めていたらしい。
     当時、イデアさんと僕はお付き合いをしていたのだけれど、僕がイデアさんのインターン先を知るのは、この説明会直後に流れてきた噂でだった。
     オリンポス社。知らぬ者はいないほどの、IT業界の大企業だった。
     それを知った僕は驚いて、どうして、と思った。どうして。
     もちろん、一流の企業であったし、ITという分野において、これ以上の選択肢がないことはわかる。イデアさんはIT方面に明るかったから、進路として不思議でもない。けれど、僕はイデアさんがIT業界を選んだことが信じられなかった。
     だって僕は。イデアさんは工業系に進むと思っていたのだ。
     彼の弟にして最高傑作、オルト・シュラウド。イデアさんが愛情と技術のすべてを注ぎ込んだあのボディ。AIとしても素晴らしいことはわかっている。けれど、情報と工学、その両輪があって初めてオルト・シュラウドは生まれた。ITを選ぶことは、イデアさんの片羽をもぐのと同じことだ。
     たしかに、逆のことも言えるだろう。工業系を選んだ場合、それはそれで片輪が失われる。わかる。けれど、彼のこだわりの詰まった物作りへの情熱を思うと、まだ工業系の方が相応しい。
     どうしてイデアさんがオリンポス社を選んだのか、そう考えるうちにひとつの事実に気が付いた。オリンポス社はジュピター傘下の企業だったのだ。
     ああ、ああ、ああ。彼はまだ、縛られているのか。胸が締め付けられ息が苦しくなった。
     こんなこと、彼に言っては困らせるだけだ。けれど僕は耐えられなくて、すべてをイデアさんにぶつけた。

    「どうしてオリンポス社にしたんですか。」
    「えー? 文化祭のあとにいくつかインターン受け入れのメールもらってて。その中でいちばんレベルが高かったから?」
     それは間違ってはいない。オリンポス社がIT業界最大手であることは誰の目にも明らかだ。
    「……オリンポス社が、ジュピター傘下でなくとも選びましたか?」
    「……選んだよ。」
     うそつき。少し言いよどんだ。あなたはうそがつけないひとなんですから、正直に答えて。それとも無自覚だった? 無意識に選び取ってしまっていた?
    「それでは、その上で、ジュピター傘下の別企業からのオファーがあればどうされましたか?」
    「なにが言いたいんだよ……!」
    「イデアさんの選択が、本当にあなたの意志だけで行われたのか、知りたいんです。」
    「それは……僕の意志だけだ。誰の意見も聞いてない。だいたい拙者の親がそんなことに口を出すと思う?」
     それはまったく思わない。あなたたち兄弟を守るために学園に返したご両親なんですから、あなたにそんな選択を押し付けたりはしないでしょう。けれど、イデアさん、それは失言です。
     僕があなたの両親を疑ったと思っている時点で、あなたはこの選択がどういう意味を持つかわかっている。
    「ご自身で体のいい人質になることを選択された、と。」
    「……あのさ、ただのインターンだよ、人質でもなんでもない。」
    「でも少しは思われたのでしょう? 問題を起こしたシュラウドは、けれど嫡男をジュピターの目の届くところに差し出せる。シュラウドに二心はない。あなたは優しいから……自分が犠牲になればいいと思ってる。誰もそんなこと望んでいないのに。」
     イデアさんは苦虫を噛み潰したみたいな表情をして、けれどやがて、考えすぎだよ、と溜息をついた。
    「心配してくれたんだよね、ありがとう。きみが怯えることなんてなにもないんだ。本当にただのインターン先として選んだだけ。でも、二期目は違う企業を選ぶことにするよ。それなら心配要らないでしょ。」
    「ええ、ぜひそうしてください。そうしてできれば……工業系をお勧めします。」
    「は? なんで?」
    「僕、イデアさんがなにかを作ってるところ、好きなんです。」
    「カァーッ、この人魚ちゃんは! そういうこと言ってまた拙者をめろめろにする!」
    「おや? めろめろになっていただけるんです?」

     そんな会話を経て、イデアさんは実際に二期目に工業系の企業を選んだ。そしてそこでの経験を元に、後に家電革命へとつながるOSを作り出したのだ。
     イデアさんは色んな機械を作ってきていたが、それは特定のものへの拘りから生まれるものであったから、結果として単機能の機械ばかりを作り上げていた。そして完全に趣味で作るものだから、コストだとかサイズだとかが考慮されない。結果、できあがるのはオーバースペックな代物で、使用するのにも制限が必要な有様だったりする。けれど、別にイデアさんは悪くない。たとえばイデアさんに依頼してなにかを作ってもらう場合、予算だとか、使用目的だとか、そういった上限や制限を仕様に盛り込みさえすれば、ちゃんと守ってくれるのだ。それがなされなかった場合と、イデアさんが自身の意志と勢いだけで作り上げた場合に問題が発生していただけで。
     そんなイデアさんは、メーカーでのインターンを経て、突出した単機能の機械は一般向きではない、ということを学習した。そう、専門店でもない限り、ワッフルしか焼けない大型の機械のニーズはないのだ。(逆に、ひとつかふたつしか同時に焼くことのできないワッフルメーカーの需要はあるのだから、世の中は難しい。)
     複数のことができる機械。複数の制御ができる機械。結果、組み込みの汎用OSへとイデアさんの興味は移っていった。組込OS。これこそがイデア・シュラウドが生み出し、いちばん広く世間に広まっている発明品だ。
     当時のイデアさんはどこかに就職しているわけではなく、フリーで設計や開発の仕事をしていた。その合間に、自作の組込OSを使っていくつかのガジェットや機械を作り、それらをインターネットの掲示板で公開していた。最初に興味を持ったのはガジェットの自作をやっている層で、OSの公開を強く望まれた。イデアさんはそのあたり欲のないひとだったから、ほいほいとMITライセンスでソースコードを公開してしまった。本当になにをやっているんだ、一度僕に聞け。
     公開されたソースコードが解析され、汎用性が高く、モジュールの開発が容易で拡張性があることが確認され、このOSは徐々に知名度をあげていく。なにせ異端の天才、イデア・シュラウドが作ったのだ。すごいに決まっている。
     やがて、ただソースコードを公開しているだけだと逆に色々面倒だという状況になっていき、イデアさんは諦めて公式サイトを作成した。gitへのリンクと掲示板、メーリングリストだけというシンプルなものだったか、そこで初めてこのOSの作者がイデア・シュラウドそのひとであることが明かされた。
     ここでまた一気にユーザーが増えた。掲示板には新規のゆるい質問が頻出し、それらは有志が対応を行った。イデアさんは時々、こういうモジュールを作りたいのだけれど、ここがうまくいかない、みたいに投げられている質問に対して、おもしろそうだったから作りますた、とか名前入りで投稿して、掲示板を阿鼻叫喚の渦に巻き込んでいた。
     OSが公開されてから数年、イデア・シュラウドの名と、OS自体の汎用性、それからそれなりの年数に渡って使用されたという実績を得て、ついに企業の手がイデアさん謹製のOSへと伸びた。保守面からライセンス契約を、という声が上がったけれど、イデアさんはそれらをすべて、面倒だから、のひとことで却下してしまい、すったもんだの挙句、それでも各企業はイデアさんのOSを採用した。
     これがかの家電革命である。

     なつかしいな、家電革命……。
     イデアさんとふたりで暮らす自宅にある電化製品の大半はイデア・シュラウド製で、メーカー製のものは殆どない。一般向けのものよりもずっと性能がいいことはわかっている。わかっているけれど、いいな、「おいしいご飯が炊けるのはイデア・シュラウドのおかげ」って。
     僕は駅前の家電量販店のビルに入って、炊飯器を買った。
     一度車に戻って後部シートに突っ込んでから改めてスーパーへ向かい、休暇の間の食材を買う。当然、米も購入した。帰ったら炊こう。

    「ただいま帰りました。」
    「おつおつ、おかえり~アズール氏。拙者さびしくて死にそうでした……ていうかなにそれえ!?」
    「炊飯器ですけど。」
    「なんで!? 買うの!? 必要なら拙者が作るのに!?!?!?」
     メーカー製品に対する嫉妬がひどい。ええ、ええ。たしかにあなたにお願いする方がいいことはわかっています。わかっていますけれど、ねえ?
    「イデアさん、ご存知ですか? おいしいご飯が炊けるのはイデア・シュラウドのおかげなんですよ!」
    「……いや意味わからんし。」
    「そうですか、残念ですね。でもそういうことなので、今日はイデア・シュラウドに感謝してご飯を炊きましょうね。」
    「それ、結果的には拙者に感謝って解釈でおk?」
    「いいですよ。」
    「ご褒美ある?」
     ありますよ、そのための三日半ですから。
     そう伝える代わりにキスをひとつして、僕はイデアさんを置き去りにキッチンへと向かう。手にはもちろん炊飯器。イデア・シュラウドに感謝するために、まずは腹ごしらえが必要ですからね。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    ❤❤❤☺❤❤❤❤💖💖❤❤💜☺☺☺☺💞💞💞
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    komekami_gt

    PAST内緒のサマリーJB2023 で配布した小話です
    期間限定での再録になります
    おいしいごはんが炊けるのはイデア・シュラウドのおかげ ここのところ仕事が忙しく、自宅にはほぼ寝に帰るだけの生活になっていた。正直なところ、それぐらいなら店近くのホテルに部屋をとる方が睡眠にあてられる時間は長くなるのだけれど、そういうわけにもいかなかった。なにせ家にはイデアさんがいる。二人で暮らし始めて片手では足りなくなっているのでなにをいまさら、ではある。僕だってこのタイミングでなければイデアさんがいようといまいと家には帰らなかった。そう、タイミングなのである。
     先日、イデアさんが世界的な工学賞を受賞した。過去をみても名だたる工学者たちが受賞した誉れある賞で、僕は、僕のイデアさんが評価されたことに鼻高々だった。ところが、だ。ところが当のイデアさんにまったくやる気がない。授賞式? 出るはずないでしょ、と一笑に付すのだ。知っていた。ええ、知っていましたとも。あなたがそういうひとだということは。けれど、はいそうですか、と許すほど僕は甘くはないのです。授賞式、出てください。僕の男は顔も最高なのだと世間にわからせなければいけないので。
    5872

    recommended works