こびりついた本当/嘘の時間「わたし、もう死んでもいいんです」
柔らかな寝台の上、銀糸の混ざった金色の絹がシーツ一面に広がっている。その上には透き通るような白い肌と、人形のように整った顔の頬がほんの少しの朱を纏わせていて、鈴を転がしたかのような声音が自身の耳朶を震わせた。
「……日付、変わってたんだ」
縫い留めた身体は細くしなやかで、後ほんの少し力を強めれば、簡単にぽきりと折れてしまいそう。だから壊れ物を扱うよりも尚慎重に、部屋の光を反射する潤んだ蒼玉の瞳を覗き込む。
するとその瞳の輝きはまるで宝石のようで、眦から溢れる水滴をゆっくりと拭って口に含んだ。
「別に、そんなの関係ないですよ」
途端に口に広がったのは、甘くも、苦くもない、どこか物寂しく名残惜しいもので。
彼女の問いかけに対する返答に、なにが、とは聞かなかったし、誰が、とも聞くことはできなかった。
その代わりに、もっとその味を自身に教えて、刷り込んで、もう一生忘れないようにしてほしくて。
もう一度、その美しい笑顔に、手を伸ばした。
「無理です」
彼女は記憶にある通り美しい顔で、愛おしむように撫でる手に擦り寄りながら、屈託のない笑顔で彼女は『否』を告げる。
それに対して思わず『どうして』と言葉を投げかけたくなるが、それをするのは酷く簡単なことで、その返答をするのは難しいことをやはり自分は知っていたから、結局何も聞けなくて。
「本当に、あなたはどこまでも優しいですね」
ぽたぽたと彼女の頬に落ちる水滴が、彼女の瞳から溢れる涙と合わさって、シーツに馴染んでいく。
それが嫌で嫌で仕方なくて、彼女の溢れる涙を掬うと、絶対に忘れたくない温かさが、自身の頬から落ちる寸前の水滴を拭ってくれた。
「君は、ひどいヒトだ」
別に、自分の傷は、いい。彼女を傷つけることもまた、いい。それが、自分たちの選んだ道だ。
だけど、その傷があったことさえ忘れさせてしまうような言い方は、卑怯だ。
「でも、そんなわたしが、好きなんでしょう?」
寝台の上で互いに一矢纏わぬという心底から心を分かち合える状況であっても、彼女は今尚自分が思い描く魔女の笑みで心に傷を残そうとする。
それがやがて消えてしまうとわかっている癖に、――消えてしまうことを祈っている癖に、心からの慈愛と祝福を込めて、笑いかけてくる。
「過去は自分を作るもの。未来はその自分が選ぶもの。だけど人は、過去を忘れられるから、生きていける」
……だから、なんだ。だから自分は、これを持っていってはいけないのか。
この優しくも穏やかで、心が端から千切れてしまうほど残酷な時間を、俺は――
「だってもう、子守唄はいらないでしょう?」
何度聞いたかも分からない、心底愉快げにくすくすと笑う魔女の嘲笑。それが耳にこびりついて、焼きついて、名残惜しくて堪らなくて。
巻かれたテープがそうやってまた一つ音を立てて崩れていく中、――夢の微睡で見た最後の温もりは、慣れ親しんだ少女の涙だった。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽
「………」
寝ていた間知らず流れていた涙を拭い、がんがんと煩わしく訴える心の臓と頭の芯を、慣れた経験で無理やり落ち着ける。
それが終わったところで一人用の寝台から降りると、真っ先にカーテンを開けて、登り切っていない朝日を眺めた。
「今日も、眩しいな」
それをこれまた慣れた様子で見つめた後、ぐんと背伸びをして、もう一度ベッドに沈み込む。
二度寝をすればもう一度彼女に逢えるのではないか、なんて都合のいい考えを今日も繰り返すためだ。
「……ほんと、どっちが子供なんだか分からないな」
しかし、瞼を閉じれば虫食いにされていく彼女の笑顔と言葉が張り付いていて、いつまで経っても寝付ける気なんてしなくて。
だから、まだ起きるにはほんの少し早い時間だけど――
「今日も社会人、頑張るかぁ……」
一人暮らしのマンションの一室に、騒音にならない程度で自身の声を木霊させたのだった。