恋夏の煩い 燦々と照りつける太陽の日差しを浴びながら一本の大樹の木陰の下に逃げ込んで、目先に広がる陽炎を眺めた。すると光の強さに慣れず霞む視界と同様に、背中に聳えるそれもどうやら熱中症を患っているようで、熱された空気は木陰の下でも変わらず肌を焼いた。
「……」
熱風が吹き抜けると、ため息を溢すように木々が鳴く。見上げた枝葉の隙間からは、薄い雲が青空を覆っているのが見えた。
少し手を伸ばせば、その奥の鮮やかな青色に手が届きそうなのに、不思議とそんな気にもなれない。だから、らしくもない薄着の裾を引っ張った。
「これでは、暑いのか寒いのか。……一体、どちらなんでしょうね」
肌を隠すように裾を伸ばすと、漣がどこからか聞こえてくる。意識を向ければ、風は多くの人々の笑い声も届けてくれていた。
言葉も匂いも、思い出を忘れない為には必要なものだ。だがこうして呟きながらも、今欲しいものはそんなものじゃなくて、ただ時間が欲しかった。
「時間、ですか」
背中を預ける慣れた感触と見上げた雲に、どこか安心を覚えている姿は、自分でも酷く滑稽だと思う。
だって、あれだけの時間があったのだ。それなのに、喧騒から一人離れてこうして縮こまっているのだから、情けないことこの上ない。
――それに、わかっているのだ。どうせ彼は、わたしの欲しいものをちゃんと与えてくれることを。
「でも。それだけじゃ、嫌なんです」
彼の笑顔も、彼の言葉も、彼の優しい瞳も、ただ風が運んできてくれるだけでは物足りない。満足、できない。
「……雨音が恋しくなってきましたね」
どうして夏の記憶はこんなにも、想い出を鮮烈にしたがるのだろう。わたしはただ、時計の針の音と、たった二つの息遣いだけで満たされていたというのに。
初めて過ごす夏という季節は、いつの間にかわたしの記す小さな絵本に、沢山の余白を生んでいた。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽
「気持ちはわからなくもないけど、雨にはしないで欲しいな」
走ってきたのだろう。額に汗を浮かべて浅い呼吸を繰り返しながら、少年は揶揄い混じりに言う。
「……わたしの気持ちなんて、あなたにわかるんですか?」
「どうだろう。けど、」
目すら合わせることなく、わたしの姿を見つけた少年に向かって問いかける。上辺だけの言葉を責めるその一方で、やはりうっすらと寒くなる自身の身体を掻き抱いた。
「俺は、君を探しにきたんだ」
そんなわたしの言葉も様子も、彼はまるで目に入らないとばかりにまっすぐ素直な言葉を伝えてくれる。
だから今度は少しだけ、汗を拭った。
「行こうよ、トネリコ」
「……見つかってしまったのなら、仕方がありません、よね」
頭上から降る言葉に漸く顔を上げると、雲の上の青空は、気づけばもう目の前にあった。
空から差し出された彼の手を恐る恐る取ると、彼の手に導かれながらも、自身の力で立ち上がる。
「見つけられて、本当によかった」
そして、共に日の下へ繰り出そうとした時、彼は言った。
「君が一番、誰よりも綺麗だ」
寒さは、もう感じなかった。
代わりに感じたのは、互いの風の音に隠しきれない拍動と、鮮やかなまでに澄み渡った、夏の彩りで。
「ありがとう、ございます」
照りつける陽射しに、褪せない模様が刻まれた。