カウントダウンスイッチ「今年も一年お疲れ様でした、リツカ」
「君もね、アルトリア」
この旅を始めてから過ごしてきた例年の如く、今年も長いようで短い時間があっという間に過ぎて、気づけば日付は12月最後の日。
それも部屋に置いてある時計を見れば、あと少しの時間でこの一年の幕を閉じようとしていた。
「今年も色々あったね」
「ええ。それはもう大変な一年でしたとも」
特別に部屋に用意してもらった炬燵で隣の場所に足を入れて囁く彼女の言葉に、そのまま今年を振り返る。
最後の異聞帯である南米異聞帯の攻略から始まって、この旅最後の目的地が南極……カルデアであることを知った。だがそこに向かおうする前に、自分たちが築き上げてしまった澱みに阻まれてしまって……と、そこから今のところ状況は動いていないし、それ以外にもいろんな微小特異点の解決をも求められて。
まさに例年に漏れず激動、波乱の年だった。
「……ふふ」
そんな旅の記憶を振り返ればいつだって穏やかな気持ちになれるのは、それだけ充実した時間を過ごせたからだろう。
どれだけ悲しく寂しい思い出が積み重なっても、楽しい思い出があって、今笑えることができている自分は幸せ者だと、心の底から思う。
「どうかしましたか?」
「ん、」
加えて振り返る記憶にはいつも彼女が隣にいてくれていたことも、幸運に恵まれた旅の中でも自分にとっては最たる幸運……と、そんなことを思っていると、ある一つの心地いい日差しの思い出に、自然と笑みが溢れた。
「今年の夏は、やっぱりちょっとだけ特別だったなぁって」
不思議と例年の如く現れてしまう夏の特異点。それは自分たちにとって毎年現れる長期休暇の時期と言っても差し支えないため、そういった意味では毎年特別なものと言えるが……今年はどうしても、それだけとは言えなかった。
「君たちと水着を着ながら一緒に遊べるなんて、やっぱり特別な夏の思い出になったよ」
「そう言って貰えると、あの娘も……いいえ、私も、とても嬉しいです」
彼女の方を見て笑う自分の言葉に、同じ様に柔らかな表情と共に返ってくる彼女からの返答。その中にもう一人の翡翠を持つ女の子だけでなく、目の前にいる彼女自身の思いが含まれていることが嬉しかった。
「まぁ君とそこまで一緒にいられなかったのが、ちょっとだけ残念だったけどね」
なのに少しだけ意地悪なことを言ってしまうのは、普段凛とした姿ばかり見せていた彼女の、考えていた以上に変わらない裏側を知ってしまったから。
だから隣の彼女の頰をつんと人差し指を当ててからかってしまうと、予想通り忽ち彼女の頰が朱をさしたように赤く染まっていった。
「……もう、意地悪ですね」
自分の言葉の裏側が見えるだけに、冗談と本音が混じった言葉を聞いて少し拗ねてしまったようにぽつりと呟く姿は、尚更愛おしい。
「ごめん、冗談だよ。君と少しでも過ごせたのは嬉しかったし、」
「……」
「君といる時間が特別だってことは、いつだって同じだからさ」
胸をじんわりと温めるその愛しさに、今この瞬間の気持ちをそのまま伝える。そしてそんな本音を聞いて黙りこくってしまった彼女もまた、その言葉が特別であったことには違いないのだろう。
「……ええ。私もあなたといる時が、一番特別な時間だと、そう思います」
少しの間をおいてからそうぽつりと呟いた彼女の繕いのない笑顔は、今度は自分の頰に熱を持たせたのだから。
「リツカ?」
「そ、そういえば、あの娘はどうしてるの?」
「今は私の中にいますよ。夏とクリスマスと、それ以外にもたくさんあなたと過ごせたから、今年最後の時間は譲ってくれるんだそうです」
思わぬカウンターを貰って早鐘を打ってしまった胸を誤魔化すように、ふと気になっていたことを尋ねてみる。
すると彼女は自身の胸に手を当てながら、優しく、けれどどこか申し訳なさそうに笑って応えてくれた。
「……そっか」
あの娘の姿を見れないのは、自分もやはり寂しい。だけどそれ以上に、目の前の彼女が今年の夏と違ってその権利を受け取って……自分との二人だけの時間を大切に思ってくれていることも、とても嬉しかった。だから、今更自分から言うべきことは何もない。ない筈、だが、、
「やはり彼女はあなたが本当に大好きなのですね。彼女が私にそう言ってくれた時の顔は、それはもうかわい」
「どうどう。それを俺の前で言ったら、多分あの娘怒っちゃうよ」
「あら……ふふ、そのようです」
相変わらず今年の夏、というかその前からだが、彼女のあの娘に対する保護者目線というか、そういった思いはまだ抜けきっていないらしい。
そのある意味で微笑ましい様子は、自分が自分にダメ出しすると言う点でカルデアには少しだけありがちな話のように思える。しかし、彼女たちの場合はその例とも少しだけ事情が違うので、愚痴をこぼすあの娘には自分も困ったものだったが……
「ですが……ええ、わかっています。あの、リツカ」
不意に意を決したような表情の彼女がこちらを向く。まだ先ほどの朱で少しだけ頰を染めているように感じるその顔は、かつての面影よりも少しだけ幼く感じた。
「私はまだまだ未熟者です。それこそこの夏のように、またあなたたちに嫌な思いをさせてしまうかもしれません」
誰でもない誰かの幸せを願って、長く辛い苦しみや悲しい別れを味わいながら、それでも自分と交わした約束を忘れずここまで来てくれた彼女の思い。
この夏はそれがほんの少し空回ってしまったことを、彼女はもう理解しているし、自分も理解している。
「それでも……これからもずっと、私をあなたの側に置いてくれますか?」
未だその瞳が不安に揺れてしまうのは、自分がマスターとして皆の前を歩く為に成長し続けることを望む様に、彼女もまた、誰かを守れる剣であることを目指しているからだろう。
……しかし、自分にとってはそんなもの、本当に杞憂でしかない。だって愚直なまでにまっすぐな心から溢れた意志が、――自分を見つめてくれるまっすぐな翡翠の瞳の願いが、何よりも大切に思えたから。
「――こちらこそ、だよ」
故に彼女に幸せであってほしいと思う気持ちに噓偽りはなく、それを伝えるべく――もう何度目になるかもわからない握手の為に、彼女へと手を差し出した。
そんな自分の手に、彼女はいつも細く柔らかい小さな手を重ねてくれる。手袋越しじゃない手の温度はとても鮮明に感じられて、思わず彼女と交わした思いの数だけ強く握った。
「っ、リツカ……」
その力強さにか細い声を漏らす細い身体が愛おしくて堪らなくなって、繋いだ手をぐっと引き寄せると、彼女を自身の胸に迎え入れた。
「どうかずっと側にいて俺を支えてね。アルトリア」
「っ、はい……はいっ……!」
ぎゅっと、まるであの娘のように遠慮のない彼女の腕が背中に回される。その温かい感触を誇らしく感じながら、自分は空いた手を彼女の柔らかな金糸へと伸ばしたのだった。
そうして年が変わるまでの間、ただお互いの体温と存在を確かめ合うような時間が過ぎて。
「アルトリア、カウントダウンしよっか」
カルデアではきっと今でもどこかでお祭りのような騒ぎが起きているだろう。だが、この時この瞬間、二人だけの静かな空間に響く自分たちの声は、きっととても胸を満たすものになるだろうと思って、ふとそんな提案をしてみる。
「いいですね。10秒前ぐらいから始めましょうか」
突然降って湧いた自分の提案に、腕の中の彼女はにこやかに笑って応えてくれた。その笑顔には先ほどまでの不安や緊張といったものはなく、ただただ自分と同じようにこの時間を尊んでいるように感じた。
だから自分も同じように笑って応えてから、彼女が唱え始めたカウントダウンに合わせて、互いに顔を見合わせて笑みを深めていった。
「「5、4――」」
そのカウントが残り半分になると、自然と二人で頰を寄せて、もう一度お互いの体に腕を回し合って。
「「3、2――」」
囁くようなカウントの声に、この時間の幸せを耳と心の両方で感じ合うと、翡翠の瞳と間近で見つめあう。
「「1、――」」
その最後に、翡翠の瞳は何かを期待するように、そっと閉じられて。
ゼロ――
――だから最後のカウントは、部屋に響かなかった。
彼女との繋がりを確かめるように、柔らかな頬に手を添えて瞳を閉じると、そっと唇へ口づける。そしてそのままほんの少しの間、新年最初の温かく柔らかな口づけを何度か繰り返して。
「――あけましておめでとう、アルトリア」
名残惜しむように熱を手放すと、代わりにこつんと額を合わせて新年の挨拶を告げた。
「――うん。あけましておめでとう、リツカ」
「……ん?」
だが閉じた視界で返事を待っていると、返ってきたのは鈴の音を落ち着きで隠した音ではなく、そのまま鈴の音を転がしたかのような音で。
その驚きのままに瞳を開ければ、目の前にいたのは頬の赤みはそのままに、翡翠の瞳を柔らかく細めるあの娘がいた。
「どうかした?」
「いや……え、いつの間に?」
「年が切り替わった瞬間に」
「な、なんで?」
「約束したのは"年が変わるまで"、だったからね」
「あー、なるほど」
どうやらカウントダウンをし終わった瞬間、彼女は自らの霊基を切り替えたらしい。
そのあまりの早着替えならぬ早切り替えに舌を巻くが……ちょっとそれは流石に如何なものなのだろう。いや彼女たちの約束の範疇だろうし、自分が口出しするのは違うかもしれないが……
「いえ、そこはもう少し私のことも考えてください……!」
「あ、AA。あけましておめでとう」
「あ、はい。あけましておめでとうございます、リツカ。……で、ではなくてですね?」
こちらもいつから別たれたのか、気づけば先ほどまで自分と過ごしていた彼女が隣にいた。だがその様子は先ほどまでの彼女とは違って、目の前の彼女よりも更に頰を赤い上に、瞳も潤ませている。
その姿によしよしと頭を撫でてあげるが……もう一人の彼女はもう一人の彼女で、頰を紅くして自分を非難する同じ色の瞳を、拗ねた表情で見つめ返した。
「そんな顔しなくてもいいじゃん。大事なところはちゃんと譲ってあげたんだから」
「っ……!」
……大事なところ、という言葉でさらに頬に朱が刺してしまった様子から見るに、本当にカウントダウン丁度のタイミングで切り替わった訳ではないようだ。
「ね、リツカ。そんなことより食堂行ってお餅とかなんか食べ物貰ってこよ?折角の元旦なんだから多分みんなも許してくれるし、まだ夜は始まったばかりなんだから!」
どうやら彼女の中ではこの展開は織り込み済みだったようだ。赤みの抜けない朗らかな笑みを浮かべながら自分の腕を取ると、呆然とするもう一人の自分を置いて、そのまま部屋を後にしようとする。
「――そうですね。村正さんもまだ起きているでしょうし、何か作ってもらいましょう」
だがそこでフリーズしていたもう一人の彼女も、自分の片方の腕をこれ見よがしに抱え込むと、ぴったりと身を寄せてきてしまって。
その姿を見れば、当然もうちょっと凹んでいるだろうと勘繰っていたもう一人の彼女は、その様子にまた頬を膨らませてしまった。
「あんまり喧嘩しないでね、二人とも」
無言の冷戦が始まりそうにも思えてしまうそんな光景は、それでも自分にとっては幸せすぎるものでしかなくて。
新年の始まりに杖や聖剣が出てこない限り、これもまたいいかなと気を取り直すと、両腕を取る彼女たちと指を絡めながら、食堂へと向かうのだった。
書き納めのぐだAA(キャス)です
来年はもっとこの二人の供給を……あ、いえ、バレンタインがありましたね(期待するだけ無料)