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    kamiya0014

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    kamiya0014

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    舞台はフランスのコルス島、ポルト=ヴェッキオ。
    この島で暮らす、元日本人の洋平の話。


    ⚠注意
    戦争/タトゥー/カトリック

    ・実在する国・地名・人物・団体が登場しますが、名称をお借りしただけであり、当然フィクションです。
    ・洋平の家庭環境は私の幻覚であり捏造です。
    ・名前のあるモブが本当によく喋ります。
    ・携帯/スマホの登場。
    ・作中、人種差別と思われる表現がありますが、私にその思考は一切あり

    アマテラスに恋をしたアマテラスに恋をした 三ヶ月ぶりに訪れたブラッスリーは、やはり閑古鳥が鳴いていた。

     値段も安いし料理も美味いし店も小綺麗だが、如何せん立地が悪い。大通りから路地に入ってしばらく歩いた上に、四回ほど曲がってようやく店に辿り着く。曲がる所にこれといった目印もなく、口頭で教えるのは不可能に近いので、この店を知りたければ連れて行ってもらうしかない。観光客向けのガイドブックにすら載っていないし、地元民の知る人ぞ知る隠れ家的な存在だ。
     そういった店は、総じて客が少ない。
     他の客と鉢合わせたのは二回ほどだが店主はカウンターに座って新聞を広げていたのを見たのは今回を含めると七回目。こちとら毎回潰れていやしないか、ひやひやしながら最後の角を曲がるのに、呑気なものだ。
     今回もぎりぎり存在していたブラッスリーで、シェーブルチーズの盛り合わせとバケット、サラミと生ハムの盛り合わせにボッタルガからすみのパスタを二つ。そしてコルス島産の赤ワインのボトルをたのむと、オーダーを取りに来たオーナーは「いつも一緒だな」と歯を見せて笑う。呆気にとられる水戸を置いてけぼりにして「すぐにお持ちします」と恭しく頭を下げてテーブルを離れていった。薄い後頭部を眺めながら、はぁ、とため息をひとつ吐いた。
    「覚えられてんのな」
    「こんなに暇なら覚えるさ」
    「そりゃそうか」
     入口は路地の奥まった所にあるのに、どういうわけかオープンテラス席はビーチを一望できる。観光シーズンから少し外れているからか、眼前に広がるパンロンバッチアビーチに人はまばらだが、見飽きたはずのコバルトブルーより白群に近い海はこの上なく純美で、潮の香りがする濁ったあの海と同じものとは思えない。
     あの海しか知らなかった頃は美しいと思っていたけど、"ホンモノ"の美しい海を知ってしまった今、潮臭さに顔を顰めるしか出来ないだろう。そんな機会がくることはないに等しいが。
     さらっとした風が頬を撫で、思わず水戸は目を細める。潮風が心地いいなんて、あの頃は一度も思ったことがなかった。
     連れ合いは必ずテラスを選ぶ。美しい海を眺めながら、なんて、ロマンチストな理由ではなく、テラスなら煙草が吸えるという色気のないものだ。室内は禁煙だが一歩でも外に出るなら喫煙可。それはテラス席にも適応されるという、なんとも不思議なフランスの法律のせいだ。
     おのれも喫煙者だが、食事をするのなら、虫もいない快適な温度で保たれた室内の方がよっぽどいい。真夏であれば「ふざけんな中で食うぞ」と一蹴できるのだが、夏も終わり、かといって冬が始まったわけでもなく、加えて今日の天気は良好ときた。秋物のジャケットと薄手のVネックのニットでは少しばかり暑いくらいだったが、ジャケットを脱ぐと、残念ながらそれも解決される。日本とは違う湿度を含まないサラッとした風が心地良いと感じるまでに。
     ミトと呼ばれて顔を向けると、煙草が差し出されていた。呆れた顔をして首を横に振る。
     何度目だコイツ。テメーの吸ってんのは甘ったるくて嫌だと何度言えば覚えんだ。
     出された煙草を一瞥して、早速サーブされた赤ワインをグラスに注ぐ。島で作られた黒ブドウを使ったワインで、スパイシーな割に飲みやすいと店員に勧められたものだ。
     何年経ってもワインは得意にならないが、ブラッスリーを名乗っているくせに、この店にはビールすら置いていない。ワインかブランデーから果実酒かの三択だ。少し迷ってワインにした。せめて飲みやすけれいいんだけどな、と唸っていると、煙草を差し出したことに憤慨していると勘違いしたのか、連れ合いの男──マルコ・ディミトロフは「怒るなよ、冗談だ」と流暢なフランス語で笑った。


     
     アマテラスに恋をした



     人は、人の声から忘れていくという。

     いつどこでそれを知ったのかは覚えていない。ネットの戯言か、なんじゃない誰かとの世間話か、他人の話がふいに耳に飛び込んできたか。いずれにせよ琴線に触れるような話題ではなかったのに、どうやら記憶の中の細い枝葉に引っかかっていたらしい。

     高い空に君臨するような太陽に目を細めて、額から流れ落ちる汗をシャツで雑に拭う。命を燃やすような蝉の鳴き声を背景に、昇降口の枠に体を預けた。金属製の枠は一瞬ひんやりしたものの、おのれの熱がうつってしまい、生ぬるい無機物へと成り果てた。あついな、と口の中で呟いて、べったりと汗ばんだ腕を組み、橙色のボールを手にした男の背中を目で追いかける。
     ボールと肘と膝が一直線になり、指からボールが離れる。六百グラムちょっとのオレンジ色のボールは高く弧を描き、ボール自らがそこに入るのを望んだかのように、ゴールネットを揺らした。ゴールを見上げる頭のつむじは微動だにしない。こっちから見えないはしばみ色の瞳はゴールを見据えているのだろう。まるで恋焦がれるように。
     おのれ以外を見つめる視線に何度嫉妬したかわからない。そしてこれからも敵いそうもない強大なライバルに一生嫉妬し続けるのだろうが、彼がうっとりするような目でゴールをみつめるのも好きなのだ。ちぐはぐな感情に、なんだかなぁ、なんて思っていたら、しゃんと伸びた背中が振り返る。
    『──!』
     おのれの名を呼んで、大粒の汗を流しながら、足早にこちらへ向かってくる。それが主人に走り寄る犬のように見えて、水戸の口角はゆるりと上がった。走りよってきた彼は満面の笑みを浮かべたまま、水戸の隣に腰を下ろした。ここは自分の特等席だと疑いもしない動作だった。
     持っていたタオルと汗をかいた青い缶を渡すと『……──』花が綻ぶように、微笑む。
    『────』
    『うん、見てたよ。ちゃんと』
    『──?』
    『ほんとだって。いつも通り、きれーだった。あ、フォームの話ね』
    『──! ……──』
    『嘘だよ、ごめん。ははっ、怒った顔もかわいいね、みつ──』
     ぶつ、と映像が切れるように世界は唐突に暗転する。
     ラーメンを啜る横顔、高校の屋上での寝顔。試合中に拳をあげて笑う顔。夕暮れの中で隣を歩く横顔。
     古い映画フィルムみたく、カシャ、カシャ、カシャ、と音を立てて場面が切り替わっていく。ずっと見つめていた彼の、色んな表情がうつしだされていき、そして、もう一度大きくカシャと鳴り、また、暗転する。
     今度は真っ白な部屋だった。天井も壁も、家具さえも白い、まぶしい部屋。その部屋の真ん中にあったフレームさえ真っ白な大きなベッドの中、シトラスの香りを纏わせて、シーツの波間を泳ぐ彼がいた。
     寝心地がよさそうなふっくらとしたマットレスに沈む彼は、儚げとは程遠い存在であるのにも関わらず、吹けば飛んでいってしまうかのように美しかった。
     白と肌色のコントラストに息を飲み、ボールを掴む大きい手のひらに自らの手を重ね、指をからませる。シーツに縫い付けて、蝶の標本のように飾っていたいと思いながら、決して傷つけぬようにやわらかく手を握りこむ。
    『……』
     彼の口の形がおのれの名を呼ぶ。親とはぐれたこどものような顔をしていた。その顔がどうしようもなく愛しくて、彼を穿いている欲の塊を更に奥へと押し込めるようにして、腰をやんわりと動かす。
     形のいい顎が仰け反り、立派な喉仏が上下に揺れる。『──ッ!』たまらずそこに舌を這わせると、細いながらもがっちりとした肩が、ひく、と跳ねた。
    『……──』
     絡み合った手に頬をすり合わせ、はしばみ色の瞳を蕩かせて、儚げに微笑む。その顔に、"愛しい"以外の感情はなかった。
    『……きもちいい?』
     そう問うと、はちみつのようにとろとろ甘く蕩けたまま、ゆるやかに顔が縦に揺れる。
    『……そう、よかった。俺も、すっげぇきもちいいよ、みつ──』


     ──そこで目が覚めた。



     昼間飲んだワインが驚く程に相性が良くて、気がつけば、二本、三本、四本。ワイナリーに謝罪をしなければいけないレベルの飲み方をした。だが良い物だったのだろう、二日酔い特有の頭痛、嘔吐や倦怠感は感じられない。それが救いだった。
     夢とは過去をきっちりなぞるものではないらしい。
     だって彼を抱いたのは、煙草のにおいがしみついた固くて薄い煎餅布団だったはずだ。やわらかくふっくらしたマットレスは、今回泊まっているホテルのクイーンサイズのベッド。中途半端に現実とリンクしたせいで、目が覚めても彼がいると思ってしまった。
     ──そうか、忘れてしまったんだな。
     広いベッドの上、顔を覆って項垂れる。
     笑う顔も、焦がすような体温も、泣きたくなるような芳香も、なにもかも覚えているのに──あなたの声だけ、忘れてしまった。
    「……おはよう、三井さん」
     ようやくその名を呼べたのに、がらんどうの部屋に虚しく響いた。



     フランス領、コルス島。
     ヨーロッパ諸国からはバケーションスポットとして人気だが、日本で同じくらい有名かと言われたらどうだろうか。少なくとも水戸は、ここに来るまで島の存在すら知らなかった。
     青い海と城塞跡くらいしか観光スポットがない辺鄙な島。フランス領だが本土よりもイタリアの方に近いここに、フランス外人部隊・第二外人落下傘連隊(2e REP)の拠点がある。
     外人部隊に入って十二年。
     それは、すべてを捨てて日本を離れた年数でもあった。





     世間からみれば、水戸を取り巻く環境は不遇だったといえるが、水戸自身、そう感じたことはない。

     よくある話だ。
     父は財界人で母はその不義の相手。当然ながら水戸を孕んだ母は捨てられて、その事実から目を背け、一度も生まれた子を見にこぬ父を待ち続けた結果、心を病み、水戸が十四の時に首を吊った。母の死後面倒を見てくれた祖父母は、その後を追うように相次いで病死した 元々高齢だったのはある。が、明らかに娘を亡くした心労がたたっていた。
     中学卒業するまでに、水戸は肉親をすべてなくしたが、母と祖父母の残した保険金で高校に行けたし、贅沢をしなければ、バイトをしなくたって高校三年間は生活できた。
     水戸の未成年後見人は近くの寺の住職だった。金を持ち逃げされても構わないと思っていたが、住職はきっちり職務を全うした。週に一度の電話と月に一度の面会を欠かさなかった。元気か、金に困ってないか、飯は食ってるか。質問は決まっていたし、大丈夫です、元気です。と返す言葉もお決まりだったが、それでも住職は電話と面会を欠かさなかった。
     学費と光熱費だけを保険金頼りにし、他はほとんど手をつけず、バイトをして生活費を賄った。寺の檀家の持ち物である湘北の近くのアパートに相場の五分の一の家賃で住まわせてもらえたのは不幸中の幸いだろう。そんな環境のなか、比較的まっとうに生きてきたのは、数少ない友人たちの存在だといえる。それと──もう一人。
     その友人たちを含む一切合切を棄て、水戸は高校を卒業するやいなや、日本を飛び出したのだ。
     

     卒業式のあとに軍団と呼ばれる悪友三人と、卒業記念に酒を飲み交わす約束をして、「じゃああとで」と高校の正門で別れ、それっきりだ。相棒と呼ばれていた桜木花道は、既に海の向こうだ。高校で始めたバスケに魅入られて、卒業を待たずして海の向こうに飛んでいたので、別れは誰よりも早かった。
     正門を出て近くの公園に停めていた、カワサキのゼファーのハンドルにかけていたふたつのボストンバッグを手に取り、公園のトイレに入っていく。お世辞にもきれいとは言えないトイレの個室に鍵をかけて、中から私服を取り出し、代わりに着ていた制服一式を中に丸めてにぶち込む。ぺったんこになったローファーも入れて、スポーツスニーカーに履き替えて個室を出た。トイレを出る前に曇った鏡を見て、固めたリーゼントをくしゃりと潰す。幼い顔の自分が、鏡の中にいた。
     制服をいれたボストンバッグを公園のゴミ箱に入れるのはさすがに憚られた。仕方がなくふたつのバッグを肩にかけ、単車に跨ってフルフェイスを被る。メットの中で、深く、細く、息を吐き、振り返って、高校の方角を見やる。
    「────じゃあ、元気で」
     誰に告げた言葉なのか、水戸自身もわからないが、言わなければいけないような気がした。



     外人部隊の存在を知ったのは、さいごの肉親──祖母が小さい骨壷に入れられてしばらく経っただった。
     四十九日が終わり、未成年後見人ができ、ようやくすこし落ち着いた頃、BGM代わりにつけていたテレビで『戦地に赴く若者たち』と称した番組を見た。ただのよくある深夜番組の再放送だ。なんだこれ、と思いつつ、音量のボリュームを上げる。
     元外人部隊にいた男が出ていたが、プライバシー保護のためか、音声も変えられ、首から下だけしか映ってはいない。こんなのホンモノかどうかもわかったもんじゃない。
    『人生を変えるために部隊に入った。結果、変わった』
     番組内で"Aさん"と名付けられた男は、そう言った。
     そんな簡単に人生が変わるもんか。水戸は鼻で嗤う。だが、少なからずその番組は水戸の興味を引いた。
     人生を変えたいとか大それたことは思わないし、現状に大きな不満はない。だがしかし、と既に歌番組に変わったテレビを見ながら思う。
     頭も良くはない。素行は悪い。こんな自分に至極真っ当な将来があるなど到底思えない。割かし仲がいい先輩たちは大体日陰者で、真っ当な人間との付き合いはない。ろくでもねぇな、と思う。そんな人生を歩むのならいっそ、ぶっ飛んだことをしても罰はあたらないんじゃないか。どうせ、死んだような人生なのだし止める肉親はいない。友人たちには恵まれているが、彼らにも彼らの未来がある。いつまでも手を繋いで仲良しこよしではいられない。
     仏壇の引き出しに、フランス語入門の本がひっそりと鎮座したのは、翌日のことだった。



     三月の茅ヶ崎にほとんど人はいない。吐き出す息こそ白くないが、冷たい潮風が容赦なく頬を突き刺す。水戸は砂浜に座って、サーファーすらいない静かな海を眺めていた。
     四十四億年という悠久にも近い時間、ここにあり続け、生命の誕生と進化を司った海。水戸は海が好きだったし、さまざまな別れの日には、かならずひとりで海に来た。母親が死んだ日、祖父が死んだ日、祖母が死んだ日。相棒の父親が死んだ日はふたりだったけど、それ以外はずっとひとりだった。
     海を眺める水戸の眦には、喜びも悲しみも何もなく、暑さも寒さも感じられない。咥え煙草のまま携帯を取り出して電話帳を開く。元々登録数の少ない電話帳だ。目当ての人物をなんなく発見し、流れるようにそのまま通話ボタンを押した。
    「ご無沙汰してます、日高さん。水戸です。──ははっ、ええまぁそんなとこです。……なんで、お願いしたいんすけど、いいですか。────はい、あの、急で悪ィんすけど、今日っていけます? はい、じゃあ二時間後くらいに」
     電話を切り、待受画面に戻って、履歴ボタンを押す。
     着信履歴のいちばん上にあった名は、"三井寿"。相棒の部活の先輩であり、親友の為に殺意を込めて殴り飛ばした相手であり、水戸の心の大部分を占める想い人である──恋人だ。
     今日の卒業式に、三井は来られなかった。大学バスケ部のOBで、現プロバスケプレイヤーの先輩たちと練習試合があるらしく、どうしても部活を休むことができなかったらしい。
     本当にごめんな、と電話越しで何度も謝られたが、怒る気になどなれるわけなない。バスケに夢中な三井ごと惚れているのだ。怒れるわけが無い。
     それに──
     携帯が震えて、着信を知らせる。液晶画面にうつった名を見て、水戸は静かに息を飲んだ。
     "三井 寿"
     出るか、出まいか。かけようと思っていたくせに一瞬迷う。その迷いが煙草をもつ指を震わせる。どく、どく、と鳴る心臓の音が、耳障りなほどにうるさかった。たっぷり時間をかけて、もう一度息を吐いて、通話ボタンを押す。やはり指は震えていた。

    『もしもーし、水戸ォ? 卒業おめでとさん』

     無意識に立ち上がる。真夏の太陽のような声に、座ってなどいられなかった。煙草を砂に落として、尻についた砂を叩き落とす。足元からは細い煙が上がっていた。
    「──うん……ありがと」
    『行けねーで悪ぃな、マジで』
    「そんなの全然いいから、気にしないでって言ったじゃん。一週間前にも前祝いしてくれたしさ」
    『……そうだけどよォ、やっぱ当日大事じゃねぇか……なんで今日なんだよ……クソ』
    「だから大丈夫だって」
    『明日俺ん家来るよな。そん時に改めて卒業祝いするからな!』
     ほとんど消えかけていた煙の大元を、スニーカーで踏み潰すと、煙はあっけなく消えた。喉がいやに乾く。無性に煙草が吸いたいと思ったが、震える指で火がつけられるとは思わない。ぶあつい雲に隠れている金烏を仰いで、ひとつ、意を決すように、息を吐いた。

    「なぁ、三井さん、別れよっか」

     生きてきた中で、いっとうか細い声が出た気がした。震える唇を血が出るほどに噛み締める。
    『…………は? ……なに、言ってんだ、急に』
    「急なんかじゃないよ。三井さんは、俺なんかの隣にいていい人じゃないって、ずっと思ってた」
    『……あ? どういう、ことだ』
     殴って殴られて、本気で殺してやろうと思った。出会いは最悪。印象もこれに以上ないくらいに最悪。だが、下がることがないのなら上がるしかない。そうして気づけばどうしようもないくらいに惹かれていた。
     欲しくて欲しくて、どうしても欲しくて焦がれて。駄目元で手を伸ばしたら、太陽の方から落ちてきた。奇跡だった。東京と神奈川というなんとも言えない距離での恋愛だったけど、このまま死んでもいいくらい幸せだった。
     大事にしたい、幸せにしたい、ずっと傍で笑っていて欲しい。十七歳のこどもは、永遠を願った。──大学生になった三井の試合を見に行くまでは。
     コートの中で駆け回り、あの頃と変わらぬ美しいフォームでシュートを決める三井に賞賛を浴びせる観客。チームメイトと拳を合わせ、太陽が霞むくらいに眩しく笑う三井。そんな光景を見て、絶望した。なんてものに手を出してしまったんだ、と。
     三井の高校時代の試合は当然見ていたが、その時は特別な関係を築く前であり、水戸が一方的に恋焦がれていただけだった。涼しい顔を貼り付けて、あの人が欲しい、と胸のうちを苛烈に焦がして。欲しいものを欲しいと言える、ただのこどもだった。
     一時期は闇の中にいたものの、彼は光の中にあるべき存在なのだ。自分のようになんにも持たない男が傍にいていいはずが無い。ましてや同性だ。昨今緩和されたとはいえど、差別の目の方がまだ多い。もし彼が──いや、間違いなく彼はプロフェッショナルの道へ進むだろうが──そうなった時、おのれの存在は、三井にとって枷でしかない。自分はいくら貶されようが構わないが、三井のプレイを否定されるのは水戸にとっては何よりも許し難い。そんなことあるわけが、などとは微塵も思わない。叩けば埃が出るのなら、叩き方はいくらでもある。
     なんてことをしてしまったんだ。手を伸ばさずに見守るべきだった。誰かの隣で笑ってくれればいいと、それを、身の程知らずに手を出して──ああ、これはまるでギリシャの神話だ。人間ごときが偽物の翼で太陽に近づいて、まっさかさまに海に落ちて死ぬ、傲慢なイーカロスの話。──ではなく、これはまさに、俺だ。
    「どうしたって俺じゃ釣り合わないんだよ。だから俺なんか忘れてさ、きれいでかわいい、彼女作ってさ、フツーに結婚して、ガキできて──幸せに、」
    『ンだよそれ、フツーってなんだよ、俺の幸せを勝手にテメェが決めるんじゃねぇぞ! それに……ッ、電話で言うなんて……、ひ、卑怯モンのすることじゃねぇか!』
     一週間前、これが今生の別れになるのだろうと、穏やかに眠るあなたの顔の頬を撫でながらひとり静かに泣いたのだって、あなたは知らなくていい。
     そうだよ、俺は卑怯モンだ。顔を付き合わせて別れの言葉を言うなんて、とてもじゃないけどできやしなかった。もし自分に度胸があれば──いや、そんな度胸あるのなら、あなたを手放す選択肢など、ありやしない。
    『今からそっち行くからな、俺の顔見てもう一度言ってみやがれ! どこにいんだ!』
     がなる声に、思わず左胸を抑えた。ああ、やっぱり好きだ。どうしようもなく好きだ。灰色の雲の上にある太陽を見上げる。そうだ、彼は、泣きわめいて『捨てないで』と追い縋るような男ではない。つよいひとだ。直接顔を見て言えない自分より、よっぽど。
     そんな男が、言葉を震わせて、時折洟をすすらせている。泣かないで、と言いかけて何を考えているんだとみずからを叱咤して口を噤む。
    「……ッ、バスケット、頑張ってね。応援してる」

     どうか、幸せに。

     最後の言葉は言わなかった。みと、まて、と震える声で名を呼ばれる。振り切るように通話を切り、電源を切って、砂浜に落とす。右足を振り上げて、踵に体重をかけて、くの字に曲がる携帯の接合部分めがけて一気に携帯を踏み抜いた。まっぷたつに携帯は割れ、真っ黒な液晶画面にひびが入る。まるでおのれの心だ。
     腰を折り曲げて拾い上げ、渾身の力を込めて、海に放り投げる。ぽちゃ、と情けない音がした。これで二度と彼の声は聞こえない。聞くことができなくなった。
     はぁ、はぁ、と肩で息をして、制服をいれたボストンバッグに目を落とす。ポケットからジッポを取り出して両手でそれを持ち、震える指でフリント・ホイールを回す。両手でジッポを持ったことのは、初めてコレで火をつけた以来だった。ジッ、ジッ、と何度も回す。オイルが切れているのか、いや、三日前に入れたばかりだ。おのれの手が馬鹿みたいに震えているだけだ。それから五回ほど回してようやく火がつく。ほうっと息を吐き、てのひらからジッポは離れ、バッグに落下した。
     燃えちまえ。
     灰になって、なんにも残らなければいい。あなたへの想いも、思い出も、ぜんぶ、ぜんぶ、燃えちまえ。
     すべてが燃え尽きる前に海に背を向けて、そばに停めていた単車に跨り、今度は一度も振り返らずに走り出した。すべてを置いておくように、アクセルを全開で回す。視界がうっすらと滲みだして、深い瞬きを繰り返して、それを散らした。
     嫌いだなんて、嘘でも言えなかった。口が裂けても言えなかった。「嫌いになった」「他に女ができた」と言って、彼に未練を残させない手もあったのに、水戸は、それをしなかった──できるわけがなかった。残酷なことをしている自覚はある。忘れてくれ、と言っておきながら、心の中では、どうか忘れないでくれと願っている。
     水戸は、彼を忘れない。決して。それこそ、事切れる瞬間まで、手の届かぬ太陽を想い、胸を締め付けるのだろう。三井が水戸のことを思い出として昇華して、忘れてしまっても。
     三井と付き合いだして、フランス語の勉強により力をいれた。いずれ訪れる別れがくるのをわかっていて、自分の存在を刻みつけた。そうだ、俺は、卑怯者だ。

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     値段も安いし料理も美味いし店も小綺麗だが、如何せん立地が悪い。大通りから路地に入ってしばらく歩いた上に、四回ほど曲がってようやく店に辿り着く。曲がる所にこれといった目印もなく、口頭で教えるのは不可能に近いので、この店を知りたければ連れて行ってもらうしかない。観光客向けのガイドブックにすら載っていないし、地元民の知る人ぞ知る隠れ家的な存在だ。
     そういった店は、総じて客が少ない。
     他の客と鉢合わせたのは二回ほどだが店主はカウンターに座って新聞を広げていたのを見たのは今回を含めると七回目。こちとら毎回潰れていやしないか、ひやひやしながら最後の角を曲がるのに、呑気なものだ。
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