【政略婚リンゼル】1~67までのまとめ・一気に読みたい方用(まだ続くけど)【政略婚リンゼル】あらすじのみで連載中
★ツイート元となった「書きたいな発言」のあらすじ
姫様は力に目覚めず厄災は次世代との予言がなされ、勇者として選ばれたばかりのリンクとハイラル王の指示で婚姻を成す。リンクが一度主従であることを理由に断ったことから姫様はこれはリンクの意思ではない政略結婚なのだと思う。彼の激重感情も知らずに――。
次世代へと厄災が先延ばしになったということは、世継ぎを産むことこそが姫様に架せられた最大の責務。リンクに夜伽を望むも断られますます心が沈む姫様。夜な夜な寝室を出て行くリンクの不貞を疑い(それすら自分を責める)後を付けるも捲かれる。リンクの気持ちが分からないまま彼に恋をしてると知る。
【まとめ・1~67】
草木の影から現れたのは自分と同じ背丈の青年だった。厄災の到来が予言されて聞こえぬ精霊や女神の声に耳を傾け続けたゼルダの日々はなんの充足も与えてくれぬまま終わりを告げた。新たな神託は次代こそ厄災の禍に見舞われると断じたのだ。選ばれたばかりの対となる勇者。見目通りもまだのその者こそ眼前のリンクだった。少年期に伝説の剣に選ばれ抜いた、名の通りの英傑。そよ風がゼルダの長い髪をせせらぎの小魚の如く泳がせる。整った顔貌に空を思わせる瞳。日差しの元へと歩み出た近衛服は凝視する新緑の視線を避けるように深く頭を垂れた。
ゼルダはコクンと喉を鳴らした。あれが未来の夫となる者挨拶を促す父の声にゼルダは名を告げた。再びまみえた迷いのない眼にたじろぐ。ハイラル王の命は絶対。それは騎士であるリンクにとっても娘のゼルダにとっても同じ。聞きたい言葉をぐっと飲み込み「慇懃な態度は必要ありません」と起立を促す。婚姻が決まった以上二人は対等なのだ。が彼は立たなかった。
主従関係を継続しながらの婚約は静かに始まった。厄災復活が次世代と予言されようともゼルダは許された範囲で女神への禊と祈りを行う。リンクは常に帯同し近衛騎士としての任を果たす。表情の読めぬ青年と心閉ざす姫に会話は生まれず、ゼルダの呟きばかりが滝の轟音に打ち消された
ふいの触れあいはあるもののリンクの心は見えない。今だ心通わせることのできぬまま婚姻の日は近づく。馬上のゼルダは苛立っていた。追従する規則正しい蹄の音が落ち着かない。振り切るように馬を駆ったその時、背後から大呼され振り向きざまに馬を止めると彼がこちらへと飛び乗るその瞬間だった
馬上で押し倒すように抱きかかえリンクはそのままゼルダを大地へと降ろす。間髪入れず嘶く馬脚の隙間から矢を番え放った。それは一瞬の出来事。ゼルダは自分と変わらぬ背丈の青年の背にひたりと頬を寄せ重々しい何かが地面に倒れる音を聞いた。護られたのだと分かったのは彼の体が離れてからだった
傷の手当をするとリンクの口元が安堵させるように緩んだ。頬が熱くなる感覚にゼルダは戸惑う。一人になると彼が自分との婚姻をどう思っているのかゼルダは初めてそう考えるようになっていた。鬼神の如き闘いぶりと感情を見せぬ花顔はゼルダの行く先々でも話題となっていく。
リンクへの父からの伝言を携えて彼を探す内にゼルダは聞いてしまう。「一度は拝辞したそうだな」との下臣の声にリンクは否定はしない。「公になっておらぬのだ。今からでも辞して今一度我が娘とはどうだ? 手を取りあった仲というではないか。あれはお前を前から好いて――」
ゼルダはどう自室に戻ったか思い出せなかった。ベッドに突っ伏す。自分にとってリンクは何なのだろう。初めて彼を目にした瞬間の風が吹き抜けて細胞すべてが目覚めたような感覚を思い出す。けれど今は胸の奥が得体の知れぬもので澱んでいく気がした。姫巫女でなくなった自分に残されたのは勇者の血を継ぎし巫女をこの身に宿すこと。それが全て。
ゼルダは密やかにリンクに夜伽を願う手紙を託した。
約束の時刻。ゼルダは薄衣だけを羽織り彼の訪問を待った。ノック音に飛び起きる。扉を開ければリンクが近衛服のまま立っていた。ゼルダを一瞥すると彼は目を逸らし、「再考されますよう」と頭を下げた。扉を閉めゼルダは座り込んだ。
ふたりの心は近づかぬまま婚姻は成った。盛大に祝われるのはゼルダへの祝福ではない。ハイラルの安寧への期待と希望が人々を微笑ませている。その夜からふたりは寝室を同じくして眠る。一つベッドを断り二つとしたのはゼルダだった。夜伽を断られてからリンクの顔を見るのが怖い。
それでも同じ部屋にリンクがいることに胸が高鳴った。もう正式な夫婦となり主従ではないのだ。ベッドの中でそっと唇に触れてみた。初めてしたキスは一瞬で終わってしまった。顔が近づくとリンクの匂いがした。きゅっと胸が締め付けられゼルダは慌ててシーツをかぶった。リンクが入室してきたのだ。
何を話せばいいのか分からず眠ったふりをする。様子を確認するようにリンクが近づく気配。落とされたため息に胃が軋んだ。どんな意味を含んだものだったのか。まだベッドの前で立ち止まったままの気配に身じろぎもできずにいると、彼もまた自分のベッドに入ったようだった。夜半それは聞こえた。
浅い眠りの際に扉の開く音。ベッドにリンクの姿はない。ゼルダは急ぎ外套を羽織ると彼の後を追った。新婚の初夜に花嫁に触れようともせず騎士は……いや夫はどこに行こうというのか。城は眠らない。彼は人目を避けるのに慣れていた。靴音が響いてはと室内履きの薄い布靴で追うゼルダの目の前で彼は城下へと。彼の気配は瞬く間に追えなくなった。
部屋に戻りゼルダは泣いた。きっとあの娘の元へ行ったのだ。これは偽りの結婚。政略のための結びつき。王女や巫女という地位はあれどきっと魅力がないのだ。男性とは魅力的であれば心はなくとも抱けると聞く。人とのしての魅力も女の体としての魅力もないのだろう。ゼルダははっきりと知った。自分は初めて見た瞬間からリンクに運命を感じ強く惹かれていたのだと。ひとしきり泣いてゼルダは一つの決意をした。
山際に夜明けの白が滲み始めた頃扉は開き、眠った妻の目尻の赤さに眉根を寄せた。気付かぬ筈はない。わざと追わせたのだから。リンクは静かな寝息のゼルダに恭しく一礼すると冷えた自分のベッドに横になった。
そんな日々がどのくらい続いただろう。姫は王や貴族の心配をよそに調査により多くの時間を注ぎ、無論リンクも帯同した。できるだけ二人にならぬようゼルダは常に手回していたが、ついに密やかな策が実らない日がやってきた。
ハテノ村への調香の旅。城を離れたプルアを訊ねた。プルアより預かったのは子宝の香。夫婦となったふたりが未通であるなど知らない者達がいらぬ心配をしているという。ゼルダは心の中で苦笑した。触れられてもいないのに子どもなどできるはずがない。
遠征地でふたりで子宝の香を焚く。プルアと王への報告が必要だった。偽装すればよいという考えは生真面目な二人に浮かんでくるはずもなく、準備された部屋でぎこちなくベッドでふたり向き合った。未だ誓いのキスししかしていない清い体は強ばり震える。ゼルダはそれを必死に隠した。
「良いのですか」
「聞かないで。これは父の命なのです」
近づいてくる気配と軋むベッドの音。少女の気恥ずかしさと拒絶された記憶がゼルダの内面で逆巻く。
「触れても」
ドキンと胸が鳴った。頷けば自分のものではない指腹が頬に掛かった髪を耳へと掛けた。温かい感触に肌が粟立つ。ゼルダはあの夜――リンクが城下へ降りた夜にした決意を思い出した。決して心を許さない。婚姻はすでに成り勇者である彼でなければ次代に力は訪わないかも知れないからだ。だからせめて心は……心だけは。
(恋する私のままでいたいのです)
体温とリンクの香りが近づく。顎に添えられた指先。ゼルダは思わず口づけようとしていたリンクを押し返した。
「子を宿すのに口づけは必要ありません」
「従います」
その言葉に苛立ち空しさは棘となって痛んだ。
(私はやっぱりリンクにとって主なのですね。夫婦となっても主従なのだわ)
キスは拒絶しても子宝の香によって体は火照る。これは香の影響……そう思うのにリンクが近くにいるだけで息が苦しい。まるで温かい水中でもがいてるような感覚。リンクが触れてくるのを必死に声を出さぬよう耐える。吐息すら甘くなるのを聞かれたくない。
唇を噛みしめているとリンクの指がそれを押し開いた。折り曲げた中指が入ってくる。
「こちらを」
拒絶したい気持ちと裏腹にゼルダの唇はそれを受け入れた。リンクの手が服の上から体の輪郭をなぞる。甘い痺れを感じる度にゼルダはリンクの中指に歯を立てた。ぎこちなく体をまさぐりあったふたり。けれど最後の最後にゼルダの体が強張りリンクは行為を止めた。
「やはり止しましょう」
「ではいつ」
リンクは無言で半裸のゼルダに毛布を掛けた。背を向けられゼルダは着衣の乱れを直すことしかできなかった。
城へと戻っても言葉のない催促とそわそわした雰囲気にゼルダは居たたまれなくなった。夫婦の部屋にまだ日も沈まぬ時分からふたり押し込まれ、否応なく事に及ぶ。きっかけはいつもゼルダの言葉。こんなにも空しいのに彼が触れられれば心地よく嫌悪感などは皆無でゼルダは恋をしていることを何度も自覚させられた。未達の後は決まってリンクは部屋を出て行った。ゼルダはもう追う気もなく「ああ、また城下へ行くのだろう」と胸に空しい音が鳴る。
子を授かるまでには至らず暇の夜は繰り返す。平素通りの公務と調査の昼、夜には閨ごと。破瓜の日はじきにやってきた。それは調査に赴いた先の粗末な小屋だった。誰の目もない。ゼルダは強く言った「成すまで退出は認めません」と。
互いに背を向け服を脱ぐ。先に振り向いたゼルダは長い布でリンクの目を覆った。
「これならば好きな方を思い浮かべられるでしょう」
ゼルダは初めてリンクにいるだろう恋人の存在について口にした。今日こそは唯一残された務めを果たさなければならない。触れられて心地よくリンクの吐息に飲み込まれそうになるだけの密事は終わるのだ。今から行うのは未来の創世。それ以外の何者でもない。ゼルダはそう心に言い聞かせた。蝋燭の明かりだけの薄暗い部屋で男女の息は混じる。目隠しされた夫の姿に安堵と空しさと恋情を抱え夜は更けていく。
声を出さぬよう強く唇を噛めば、それがまるで決められた儀式のようにリンクの指が差し出される。ゼルダは初めてその指を拒んだ。深々と体を貫く熱に表情は甘く緩む。でもいい。彼の目を封じたことでゼルダは与えられる快感に素直になれた。今リンクは恋人を想っているだろう。寂しい空しい苦しい――様々な感情を押しのけてリンクのくれる熱はゼルダを夢中にさせた。決してリンクに知られぬように。父に嘘偽りない報告ができた日から、それは夜ごと行われた。
どのくらい繰り返せば子は授かるのだろう。夜ごとの片恋相手との愛なき閨ごとに不安を覚えた。心地よくて真白くなるばかりの頭ではいつ言ってはならない一言を唇から零してしまうか知れない。
「愛している」
それは決して告げないと決めた言葉。世継ぎさえ授かれば彼をこの叢雲のような城や自分から解き放とうと思っていた。一度振りほどけばきっと戻らない手と知っていてもゼルダがやらねばならないことだ。
自分自身がそうだった。常に姫巫女であることを求められ苦しんだ。勇者としてだけでなく姫の婿という難しい立場まで背負わせされて嬉しいはずがない。だからずっと彼は感情を見せようとはしないのだろう。もうリンクが想っているであろう女性に、黒く澱んだ嫉妬を抱かずに済むのならばどちらにとってもそれが一番良い選択なのだ。
だから早くとゼルダは焦っていた。そして知った。子が授かるはずがないことを。
リンクは発露していなかったのだ。
漏れ聞いた侍女らの恋人事情に蒼白となった。その夜怒りを抑えられぬまま寝室で夫と向き合った。ゼルダはガウンを脱いだ。まだ目隠しはしていない。リンクが白い裸体から顔を背ける。怒りがさらに沸き上がり、
「気付かないと思っているのですか」
と叫んでいた。子は男女の種子がなければ授からない。その役目を回避し続けていることを努めて冷静に伝えた。
「私があなたと結婚したのは次代のゼルダを生み育てるため」
役目を果たせと迫るとリンクは否と答えた。
「ではなぜ……あなたはなん」
何度も私を抱いたのに……言いかけて止めた。主の命令だと告げる。
「ゼルダ様」
初めて呼ばれた真名は静かな怒りの声色が滲んでいた。
「その言葉後悔されませぬよう」
青い炎の揺らぐ瞳にゼルダは捕らえられた。
【リンク視点】
父の手に引かれ見たその人は小鳥のようだとリンクは思った。守らなければならない小鳥。全身を通り抜ける風を感じてそれは確信になった。成長したリンクの元にその書状は届いた。赴いた先でかの人は立っていた。幼き日に見たのと同じ小さな鳥はリンクを怪訝な目で見ていた。理解している一度も顔を合わせていない相手と婚姻をと迫られているだから。
リンクは恭しく頭を垂れながらつま先を見ていた。整えられた足先。そこに存在するのだと実感できたからだ。名を告げる声は小鳥のさえずり。リンクはそっと胸に当てた手を握りしめた。
姫がわずかに噛んだ唇。言いたい言葉はそれだけで伝わる「何故あなたは受け入れたのか」今、その答えをリンクは持っていなかった。
婚約してからは姫付きの騎士となり玉体をお護りする日々。
初めて目にした姫の巫女姿は清浄であり、身を浸す泉の冷たさをどんなにかけっして世俗に汚してはいけないと。
その気持ちが動いたのは当然の仕事をした直後だった。魔物の気配を察知してすばやく御身を護る。距離を取られることには慣れていた。必要時以外触れぬように気をつけていたがこの時ばかりは身の安全が最優先。背に触れた頬の感触にゾッとする。心配げに見上げる姫に得意でない笑みを浮かべて見せたのは、体の芯を駆け上がった感覚を隠すため。
リンクは初めて主に嘘をついた。
武勲は風に乗って城下を渡り好意を寄せる女花は蜂を呼び寄せようと自ら危機を招く。そのひともその中の一人だった。眼前で心得顔で手を揉む男の娘。分からぬはずもない。背後の姫の気配に気付かぬ者が姫付きの騎士になどなれはしない。
眉間に深く刻まれた皺に指を置きリンクは淡い花の香のする手紙を引き出しにしまった。夜伽を命ずる姫の字はわずかにインクが滲んでいた。
「再考されますよう」
言えば泣かれることはわかっていた。なんでもお見通しなのだなと自分のなかのもう一人が笑う。その声を無視して下がってから数日後、城下に人々は集い成婚が祝われた。
婚礼服に身を包んだゼルダと誓いの口づけをかわす。わずかに触れ合う形だけのキス。リンクはすぐに頭から消し去った。
宴は夜半まで続き姫は先に私室へと戻る代わりに夫君となったリンクが、饒舌に述べられる祝辞に慇懃な礼を返す役を勤めた。いつもと同じ近衛服よりも、追加された飾緒や勲章、紅のサッシュベルトが重く感じられる。退魔の剣を得た時とは異なる外圧。心中でこの圧をいつも感じていたひとのことを考える。崇高な魂の持ち主は、この宴が終わって戻る部屋で眠っているはずだ。リンクは誰にも聞かれぬようため息をついた。
篝火に照らされた廊下を宮廷の奥へと歩を進める。前室で着飾った服を脱ぎ用意された私服に袖を通す。何度も見送った扉を今夜は開けるのだ。
正直この状況に一番困惑しているのはリンク自身だった。なぜ姫の相手が自分なのか。触れ合ったとしても涙を流させるだけ。扉の軋む音と共に明かりの消えた室内へと滑り込む。寝息が聞こえる。もう眠られているホッと安堵し、隣り合ったベッドへと近づいた。
寝てしまえばいい。
だが白いシーツの膨らみから、まるで光を受けたうねる波の如き金の色を目ざとく青い眼は見つけてしまう。足は自然と止まりゆっくりと上下する白い布を見ていた。深いため息が漏れた。
ああ……。
リンクは息を止めた。これ以上深く息をしてはいけない。どうして断らなかったのか。今更後悔しても遅い。どれだけ見入っていただろう。シーツ下のぎこちなく続けられる寝息。姫の困った様子と緊張が手に取るように分かり静かに自分のベッドへと入った。
眠らずに深夜を待つ。今日がどんな日か知らない訳もない。手つかずの花嫁を置いて部屋を出た。重苦しい息を吐くと尾行に気付いた。素足の足音。迷ったがこのまま追わせることにした。気付かれたいという歪んだ願望を捻じ切ってわざと歩みを遅くする。
思った通り城下までは追って来なかった。花嫁には酷な行為。だがそうでもしなければ自我を保てないのはリンクの方だったのだから。きっと今頃泣いているに違いない。熱を逃す手を速めて苦々しい息を吐く。
どこで間違った。
どこで――。
花嫁は美しく清廉な花。決して野に荒ぶる土塊が穢していい訳がない。
なぜ最初から……。
耳に蘇る漏れ聞こえる甘く鼻にかかった寝息。寝返りを打つ度に鳴る布ずれの音に爪を何度皮膚に食い込ませたか知れない。城下に恋人がいると誤解されただろう。それでいい。そのまま自分を蔑み手放して下さった方があの方の為だ。
だがもう知ってしまった。手放せないのは自分の方なのだと。傍にいる喜びをもうリンクは知ってしまったのだ。自覚し芽生えたばかりの若芽を英傑の青で覆い隠す。翌日より姫と婿騎士には実質的な距離が取られた。
リンクの思惑の通りに。
名ばかりの夫婦は婚前と同じ主従の距離で過ごした。巷では噂が立つ。姫の気位が高い故に子ができぬのだろう、いや婿騎士が手を出さぬそうだ。ならばやはり姫に魅力がないのでは――とリンクの耳にばかり入るのは取り入りたい者多々いる為だ。姫には早くお子をとの声ばかりが届く。
自分はいい。なんと言われようと。だが姫はダメだ。
いつ耳に入るか知れぬ危機感にリンクの苦渋を飲む日々は続いた。
転機は遠方より与えられた。研究所所員プルアを訪ねる調香の旅に出よとのお達し。明け透けな狙いに姫の機嫌は終始悪かった。
プルアから手渡されたのは子宝の香。やはりとリンクは奥歯を噛む。こんなものを使ってまで意に染まぬ関係を結べというのか。ハテノ村は己の故郷。自生の薬草など熟知している。香の成分は分からずとも効果を打ち消す方法などいくらでもある。姫の言葉に従い小さな部屋に入った。
焚き込められた香。薄衣の姫と寝台の上で膝をつき合わせた。
「良いのですか」と問えば「父の命」との答え。生真面目な方だ。まっすぐな方だ。嘘の報告はできないだろう。
ならばとリンクは己の手首を舐めた。朽葉色の汁で描いた一文字。消えるほど舐めれば舌先には苦みが走り次に口内全体が痺れる。男が近づく恐ろしさに身を縮めている姫が目を閉じている間になんとかそれをやり過ごす。目の奥が舐めた薬汁の効用で痛む。姫に近づく布ずれの音に混じり、手首を丹念に拭った。万が一にでも姫が口にしてはならない。
姫はこれから始まる密事をやり遂げなければならないとの強い意志がある。己の所業を知れば……知れば。リンクは頭を震った。
「触れても」
ビクリと怯えて跳ねる白い肌。毒を食らったのに目の前の美しき肢体の方がよほど目の毒だ。子宝の香とはよくいう。これはただの催淫剤。嗅げば自分の意志と信じて異性を求めるもの。
押し込められた小さな寝台しかない部屋にはまだ未通の夫婦。せめて自分だけは自我を失ってはならない。それでも恥じ入る翡翠の瞳に手は自然と伸びていた。婚姻の式より初めて触れる妻の白い頬。滑らかな感触が指腹を甘く走る。一瞬蕩けそうになる意識を口の苦みがつなぎ止めた。
顎先に触れた途端、口づけを拒絶され素直に従う。
姫の拒絶は当然だろう。本来自分の方から断るつもりだったのだ。後悔はない。けれど邪な心を見透かされたわけではないのに罪悪感が胃を重くした。
触れあいを再開すると甘い吐息を漏らすまいと姫は唇をきつく噛んだ。見ていられずリンクは指を折り差し出した。小さな歯の先端が皮膚を割る。出血したらすぐに止めるつもりだったが姫はギリギリの力で噛みしめた。それがなぜか悔しかった。罰の如く思い切り噛んでくれたらもっと心は楽だったのか。
次第に強ばる白肌。
子宝の香でも揺るがすことのできぬ拒絶感が姫にある証のようで、理解済みだったはずの心を暗く澱ませた。肌合わせより進まず帰城した。
歓喜の報告がすでに届いた城内に未だ契れぬ夫婦の逃れる場所はなかった。
早くと急く周囲。まだ望みを捨てぬ野望の者どもが自分本位の策を講じてくる日々。夜と昼とも言わず夫婦の部屋にふたりきり。
ハテノより持ち帰った薬草の効果は長くない。リンク自身が逃せぬ熱を帯びれば帯びるほどに、効果が切れた後の揺り返しは極悪だった。閨事の後にはかならず一人になれる場所へ赴くより他術はなかった。城下に備品置き場と称し借りた小さな一軒家。そこだけがリンクがリンクたれる場所となって行った。
姫と調査に出ている間も穏やかさに見え隠れするぎこちなさ。常に誰かに監視されているようで仲睦まじい夫婦を演じた。距離感を違えば不穏な噂が立つ。リンクは体温をギリギリ感じられるが決して触れない位置を心がけた。
二人きりの山小屋。粗末な小屋の周囲は危険な地形と魔物の巣。珍しく城からの影もなかった。後に姫の意向があったのだと知る。
夕餉の支度に声が掛かった。
「成すまでは退出は認めません」そう真正面から告げられればリンクに断ることはできない。夫婦となっても心は主従のままだからだけではない。姫を拒絶することをもうしたくなかったからだ。
未だ姫は信じている夫に別の想い人有りと。傍を離れたくないと望みながら同時にうち捨てて欲しいと願う。
何が騎士だ。
矛盾だらけの勇者になれなかった男というだけの存在。血脈ならば正統であるべきは姫のみ。祖父も曾祖父も勇者ではなかった。王家と共に受け継がれていないだろう近衛の血統である必要はないのだ。
自分に何度そう言い聞かせたか知れない。苦しんでいるのは自分ではない姫だ。けれど姫の前を自ら去る決断はできていない。こうして逃れられぬ状況になることは分かっていたのに。
簡素な寝台で背を向けて服を脱ぐ。次の声を待っていると目元に白い布が掛かった。目を隠すつもりと知って甘んじて受ける。
逃れる術がなくともこれならばと思った時、白い闇の向こうで姫が「好きな方を思い浮かべて」と告げた。
目の前にいる――胸の内に浮かんだ言葉に首を振る。
姫の行動は予想外でいつも隠し持っている薬草もないまま目を封じられた。寝台から降りることはできない。リンクの喉が鳴った。
今宵だけは自身の力で耐えなければならない。あれは感覚を鈍らせる効果を持ち、聞き耳を立てられているだろう城で触れあいにも耐えられたのに。
できるだろうか。
いや、耐えなければ。
姫がどこまで知識を持たれているかは分からないが、鬼気迫る瞳を見れば破瓜を避けられないことは明白。
目を隠したことで姫の声音はどこか柔らかく、そして寂しげだった。互いに導き合えば見えずとも姫が耐えているのが分かる。いつものように差し出した指を拒絶され、リンクの中の何かが切れた。
気遣うことも耐えることもできずにただ夢中になった。白い闇の向こうで愛しいひとが甘く啼いている。ただそれだけでリンクの奥に根ざした思想を剥ぎ取るのに充分だった。
どちらともなく眠りに落ちリンクは初めて姫の隣で朝を迎えた。
姫にとって「子を成す」それだけが目的の行為。体を繋ぐことを重ねる度に、気持ちはすれ違っていく。心地よさに時間を忘れ目的を忘れる姫がますます愛らしくリンクの心を占めていく。その分自分のしている裏切りに一人になると吐いた。
なぜ止められないのだ。
もうここは急を要したあの小屋ではない。手元に感度を鈍らせる薬草も機能を一時的に失わせる薬丸もあるというのに。
振り払えないことを姫のせいにして真に欲しがっているのは自分なのではないか。姫にはもっと相応しい方がいる。望まれてもいない男が善美な花蕾を啄んで弄んでいいはずがない。子を成すつもりなどないとはっきり言えばいい。それで終わる。それだけで姫は真実の相手に巡り会われるはずなのに――できない。できなかった。
できぬままに闇雲に甘く寂しい夜を重ねていく。
王国の政(まつりごと)はリンクの心を呵んだ。矛盾だらけの自分に嘔吐しながら同時に己が熱に乱れる妻に魅了される。いずれ決断は下されるだろう。子はできぬのだから。
姫の奥で達したのはただ一度あの遠征先の宵闇のなかで触れた初めての夜だけだった。
公務中、火急の用と寝室に呼び戻されたのはリンクの精神がギリギリの崖端を渡っている最中のことだった。
人払いをした姫は扉に錠前を掛けた。その鍵を一輪差しの花瓶へと投げ込む。青い視線の中、姫を包んでいた夜着が床に落ちた。
眼前にさらけ出された何も纏わぬ美しい裸体に思わず目を伏せた。
見てはならない。
その態度が姫の感情に火を付け「気付かないと思っているのですか」と叫ばせた。深呼吸の後努めて冷静な声色で知り得た情報を伝える姫のつま先が怒りに震えている。
こんなにも長く心痛を与えるつもりなどなかった。すべては騎士としての規範を貫き通せなかった自分のせいなのだ。婚姻をとお声掛けを頂いた時に固辞すべきだった。すべては今ここに結審する。いよいよ断罪の時が来たのだ。
けれど姫の口から発せられたのは房事を指示する強い言葉だった。
ここまでの裏切りを受けてなお、なぜこの方は自分を見限ろうされないのか。
王家としての体裁か、意固地となっての自暴自棄か。その両方か――そんな方じゃない。
それはずっと見つめ傍で仕えてきた騎士だからこそ分かる。誓ったのは父に手を引かれた幼き日。王妃の葬儀で強く唇を噛みしめて立つ横顔を見た時から知っている。高潔で純粋なハイラルの青碧の宝珠。
そして触れ合ってより深くこの方を知った。胸の内に秘めた寂しさと苦しみ。それに惹かれぬ日はなかった。愛しいと思わぬ瞬間はなかった。こんな名ばかりの勇者の想いなど姫巫女は知らなくていい。
けれど姫は自分を抱けと命令の声を発した。リンクのなかに苛立ちが生まれた。
なぜ分からない。
これ以上は無理なのだ。
だからこそ傷の浅いうちに身を引くと決めた。愛しいと叫ぶ魂をエゴで覆い隠してきたというのか。ならば存分に知るといい。リンクは心のなかで唸る。
どれほどにご自分が魅惑的であるかを、魅了された者は遠ざかる他に強く激しい欲求から逃れる術がないことを。
姫は鍵を掛けた。
逃し逃れる唯一の機会を自らの手で閉ざしたのだと。
「ゼルダ様」
リンクは初めて姫を妻を真名で呼んだ。目が鋭く尖っていくのを自覚しながらも止められない。消そうとした火に油を注いだのは紛れもない貴女なのだからと。なぜご自分を大切になさらないのか、怒りはリンクから冷静さと正しさを奪っていく。
「その言葉後悔されませぬよう」
怯えるように口元に伸びた手首を捕らえた。
【Twitterにて続きます】