栗桐 風のなかに枯れ葉のにおいが混じり、そこらじゅうに秋の香りが漂っている。黄金色をした夕陽の光が芝生を染めあげる。練習を終え、チームメイトから離れてひとり顔を洗っていた桐木に近づく、大きな影があった。
「桐木って、彼女いるの?」
ぶはっ、と吹き出し洗っていた水が口に入る。声音からして誰が話しかけてきたのかすでに分かってはいたが、首からかけたタオルで滴る水を拭き取りながら桐木は相手を凝視した。
「栗林……急になんだ。そんなこと聞いてどうする」
「え、それは俺にどうかして欲しいってこと?」
含みのある言い方に、桐木はあからさまに嫌そうにしながら眉間へ皺を寄せた。こちらが聞いているのにも関わらず、飄々とした態度で聞き返してくる栗林の言動に苛立ちを覚えた桐木は、なにも答えずに無視しようと決め、その場を立ち去ろうとする。
「答えないってことは、いないってことでいいのか?」
「しつこい、さわる……っ、、」
ガッ、と肩を掴まれ、建物の壁に追いやられる。栗林がどうしてここまで無理に問い詰めてくるのか、桐木には不思議でならなかった。肩を掴む手の熱さが、皮膚を通じて伝わってくる。慣れない温もりに、手を振り払いたくなる。
「いるのか、いないのか、どっちだよ」
"栗林と桐木の実力は、チームのなかでも群を抜いている"
他者がふたりを褒めるときは毎回、栗林の名前が先に挙がる。本人は気にも留めたことはないだろう。意識しているのが自分だけだという事実にも、悔しさが滲んでくる。
「人の色恋沙汰が気になるなんて、よほど余裕なんだな」
憎まれ口を叩いてやったにも関わらず、栗林は力なく笑った。
「あはは。いまの俺も、桐木には余裕に見えるのか」
表情をよく見てみると、いつもと様子がすこし違った。どこか焦っているような、緊張しているような、昂っているような。こんな栗林は見たことがないと桐木は目を丸くした。なにを言えばいいのか桐木が言葉を探していると、先に栗林の口から珍しい内容が飛び出てくる。
「人に"好き"だなんて伝えるのは初めてだから、どうしたらいいか迷うな」
「は? なに言ってるんだお前」
栗林が、好き? だれのことを?
桐木の頭のなかは蜘蛛が巣を荒らされたようにあちこちへ考えが散らばる。考えがまとまらない、うまく処理できない……にも関わらず、肩を掴む相手の指の力が増したことだけは分かる。
「桐木のこと、好きだから彼女いるか聞いてんだけど」
「好き? 俺のことが? 意味が分からない。理解ができない。どうして、」
「考えて考えて、考え抜いたうえで、お前は俺に最高のパスをくれるから」
眼差しは真剣だった。栗林の背後から射してくる夕焼けがあまりにも乱暴にきらめいて、桐木は思わず目を細めた。秋風が顔に吹きつけてきて、どこかに遠出していた冷静さが返ってくる。栗林という人間は、本気になった相手には決して嘘をつかない。それは長年の付き合いから確信を得ていた。だからこそ、困惑する。いつからか意識の奥底に根づいていた相手への感情と、こちらに向けられる感情が奇跡的にも、重なっていたことに。
「なぁ、聞こえてる? 桐木のこと、好きなんだけど」
たったふたつの響きにまた、心臓が早鐘を打つ。夕陽に照らされた顔が火照る。複雑な感情に胸が焼かれていく。ここで答えを出せば、確実に関係が変わる。表面上ではなにごともなく過ぎていった日々にはもう、戻れない。
この沈黙の合間にも確実に変化していく、ふたりの関係。
沈黙が、答えに近づいていく。
光を増していく大きな鼓動が、むず痒い甘さに包まれはじめる。
「桐木、返事は?」
いつまでも二番手として数えられていた俺の存在は、お前のなかでは特別な一番になっていたのか。……嗚呼。けれど、欲しいものをすべて手に入れていくお前のことが、気に食わない。
「慢心するなよ、栗林。俺のパスが受けれないところにいると分かったらすぐにでもお前を追い越して、俺がゴールを決めてやる」
桐木が睨み返したにも関わらず、栗林は臆することなく嬉しそうに唇を重ねた。