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    niwa¦とり

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    niwa¦とり

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    さめしし吸血鬼パロ🦇
    村で若い娘の腹が裂かれる事件発生!多分吸血鬼の仕業だ!→村の若者ししさんが退治に行く!→行ったけど怪我しちゃって、それを吸血鬼のさめ先生に助けられる!→お詫びに吸血させてあげる!という、なんちゃってゴシックパロディです。
    続くかもしれない。

    異端の牙 ①
     
     ぱちぱちと火の爆ぜる音が耳をくすぐり、獅子神の意識はふっと浮上した。じんわりとインクがにじむように色を取り戻した視界に映るのは、見慣れぬ天井だった。
    「ここ……は……」
     全身が鈍く痛む。僅かに目に入った周囲の様子は、質素という訳では無いが、極端に物の少ない部屋だった。顔をしかめ、ゆっくりと上体を起こすと、すぐ横から男の声がした。
    「起きたか」
    「!」
     まったく気配を感じなかった。その声の主は、獅子神が横たわっている寝台のすぐ横の椅子に腰かけ、こちらを見ていた。薄暗く表情はよく見えないが、黒いマントを着けた男のようだった。
    「あなたは森の中で狼に襲われていた。腕と脚を負傷していたので、応急処置をしておいた」
     男はゆっくりと立ち上がり、獅子神を見下ろす。言われるがままに自分の体に視線をやると、左腕と右の大腿に白い包帯が巻かれていた。怪我を負っている、と意識したせいか、改めてずきずきと痛みが襲ってくる。それと同時に、意識を失う直前の光景が目の裏に蘇り、獅子神は無意識に顔をしかめた。
     薄暗い森。自分を追う複数の獣の足音、獰猛な呻り声。無駄な殺生はしたくない、そんな自分が甘かったと後悔した次の瞬間に襲ってきた衝撃。
    「大方、村の人間に請われて、私を『始末』しに来たのだろう」
     何の感情も感じさせない男の声音に、獅子神ははっとした。
    「まさか、お前が……あの吸血鬼……」
    「『あの』、かどうかは私には知る由もないが」
     こともなげに言う男の口元に、確かにその特徴を見つけ、獅子神は愕然とした。血を欲するという、鋭く尖った牙。
     逃げなければ。いや、違う。本来の目的は、この男を始末することだ。慌ててあたりを見回すと、部屋の隅に獅子神が持ってきた白い麻袋が置かれているのが目に入った。あの中には、銃とロザリオが入っている。村人に持たされたものだ。
     獅子神の視線の先にあるものをすぐに察したのだろう、目の前の男はつまらなそうに目を細めた。
    「言っておくが、あの銃は私に効果はない。それに、今のあなたの体で私を屠るのは無理だろう。今夜は大人しく帰るといい」
    「……」
     獅子神は唇を噛んだ。目の前の男に殺意や敵意はないようだが、その真意がまったく読めない。何の温度も感じられない男の視線と、この部屋に漂う異様な空気が、獅子神の正常な判断力を奪っている。
     部屋の中央――本来であれば食事用のテーブルが置かれるべき場所に置かれた大きな寝台。ただし、そこには身を包む柔らかな毛布も、華やかな飾り付けも、心を安らがせるような切り花を挿したガラスも一切ない。無機質な台にかけられた粗末なシーツには、赤黒い血痕が動物の足跡のように点々と残っていた。
     寝台の脇には小さなワゴンが置かれており、小型の細いナイフのようなものが、均等な間隔を保って行儀良く並べられている。その切先が、暖炉の炎を反射して鈍くきらめいた。
     その不吉な光に、改めてここに来た理由を思い出す。
    「女の腹を割いているんだろ、ここで」
     丸いガラスのむこうの赤い目が、わずかに光を帯びたように見えた。
     数ヶ月前から、獅子神の住む村の若い娘たちが失踪し、腹に大きな傷を負って帰ってくるという事象が立て続けに発生した。姿を消した女たちが最後に目撃される場所は決まってこの森の近くで、この森は昔から吸血鬼が住むとささやかれていたため、腹から血を抜く異様な吸血鬼が女たちをさらっているのだという噂ができあがった。村の役人で、腕の立つ獅子神が、その討伐に行く役目を受けたのだった。
     男は赤い目でじっと見つめながら、獅子神の話を聞いた。すべての経緯を聞き終えると、さも億劫そうに、その口の端を歪めてため息をついた。
    「私という存在が誤認されることは一向に構わないし、面倒なので放っておいたが、あなたのようなマヌケが送り込まれるようでは、厄介だから訂正しておこう」
    「訂正?」
     曰く、村の若い娘たちの間では、ある病が流行している。女特有の病で、村の医師はその診断ができていないし、当然処置もできない。伝染病であるから、放っておけばすぐに村の女は死に絶えてしまう。
    「私は医学の心得があるので、近くに迷い込んだ女がその病を患っていると診断した際、腹を開きその病巣を摘出していた」
    「……」
     獅子神は言葉を失った。たしかに娘たちは身体に傷を負って帰ってきたが、その後命を落としているわけではない。事実は確認のしようがないが、彼女たちが生きている以上、目の前の男を害悪であると断罪する後ろ盾はない。何より、獅子神自身もこの男の手で助けられているのだ。
    「……それが本当なら、悪かったな」
     獅子神の口から漏れた謝罪の言葉に、男は少し驚いたように僅かに目を見開いた。そのガラスのレンズ越しに、赤の光があやしくゆらめいたことに、頭を垂れた獅子神は気づかなかった。
    「私に謝意を示すつもりがあるなら、あなたの血をいただこうか」
    「えっ」
    「見ての通り、私は吸血鬼だ。世間で私たちの生体がどう語られているのかは知らないが、基本的に私は、生き血ではなく普通の食事で生を繋いでいる。とはいえ、人間の血が最も美味なのは間違いない」
     獅子神の脳裏に、この寝台で開腹された娘たちの血を啜る男の姿が浮かび、背筋を冷たいものが駆け抜けた。やはりこの男は――
    「けれど、私は女の血はどうも受け付けない」
     神経質そうに眉を顰めてから、そこで一度言葉を切った。不吉な光をたたえた赤い目が、獅子神に向けられる。
    「だが、先程あなたが負傷した部位からは、食欲をそそるいい香りがした。あなたなのものなら飲めそうだ」
    「は……?」
     獅子神は、咄嗟にその意味を飲み込めず、男の顔を見つめた。彼の表情は先ほどと変わらず冷たいままで、けれどその瞳は、反らすことを許さない力を持って獅子神を縛り付けた。
     自分の血を彼に与える――果たしてそれがどれだけの痛みや危険を伴う行為なのか、獅子神にはわからない。けれど、彼の言うとおりここで抵抗して逃げ出すことは、今の自身の状態を思えば、叶わないことは明白だ。
     むしろ、本当に彼が命の恩人であるならば、自分の血は差し出されるべきではないのか。彼が生き血を欲しているのならば、意識がないうちに勝手にすればいいものを、こうしてわざわざ意志を確認するところに、幾ばくかの人間らしさ――誠実さのようなものを覚えたのも事実だった。
    「……わかった」
     獅子神は、低くつぶやいた。
    「やれよ」
     臆病な思考を放っておけば、恐怖が心を浸食してしまう。ならばひと思いに。
     獅子神は、寝台の上に座り直し、その身を差し出すように胸を張ってみせた。すると、作り物のように無機質だった男の顔に、初めて喜色に似た笑みが浮かんだ。
    「素直な男だ」
     男が音もなく一歩を踏み出す。立って並べばおそらく自分よりも上背は低く、薄い身体をしているのに、寝台の前に立つ男は今、獅子神を支配していた。
    「失礼」
     そう言って身をかがめ、彼は目を伏せた。距離を詰めて首筋に顔を寄せる。その優雅なしぐさは、淑女が熱いスープに慎重に唇を寄せるときのようで、餌を前にした獰猛な動物の気配はまったくない。けれど、その端正な口元にぎらりと光る凶暴な歯が、自分は今、被食者なのだということを獅子神にしたたかに思い知らせた。
    「……ッ」
     すぐに痛みが来るかと構えていたのに反して、首筋に触れたのはひやりとした――けれど柔らかい唇だった。薄い皮膚の下に眠る血脈のなかで、一番太く、熱く、確実に息の根を止められる箇所を探るように、甘く丁寧にそこを食む。
    「やめ、ろ……」
    「どうした? 怖くなったか?」
    「……ッ」
     単純な恐怖とは違う何かがぞくぞくと背筋を震わせる。口を開けばその恐れを吐露してしまいそうで、獅子神は強くシーツを握りしめた。
    「ひと思いにやってほしいか?」
     耳の近くで囁く声は愉しそうだった。かっと頭に血がのぼり、獅子神はきつく奥歯をかみ締める。その様子を見て、ふふ、と男は笑った。
    「では頂戴しよう」
     濡れた唇が大きく開き、つぷ、と小さな凶器が皮膚に沈む。次いで、生暖かいものがあふれ出す。自分の意識とは無関係に奪われていく喪失感が、獅子神を襲った。
     あふれる。体内を熱く巡っていた血潮が、男の口を濡らしていく。それは今までに知らない恍惚に似た感覚だった。
    「あ……っ」
     いつのまにか男の手は獅子神の肩を捉え、逃げないようにしっかりと拘束している。
     男はゆっくりと角度を変えて、溢れる血を何度も啜る。己の中にある命を吸い取られているようで、けれどその逆で何かを流し込まれているようでもある。即効性のある毒が瞬きのあいだに全身を巡り、体中を犯されていくような感覚を覚えた。手足の力が抜け、寝台に倒れ込みそうになるのを、かろうじて彼の腕を掴んで耐える。ああ、まだあふれている。意識がぼんやりする。これは失血のせいなのか、それとも――
    「……やはり、あなたの血は美味だ」
     そう言って、男は獅子神を解放した。支えを失い、ふらりと寝台に倒れ込む獅子神を見下ろす赤い瞳は、満足そうに細められている。
    「この程度の失血では死にはしない。安心しろ」
     薄い唇に残る鮮血を舌先で舐めとる姿は、獅子神が思い描いていた吸血鬼まさにその姿だった。
     震える手で首筋に手をやると、じんと痺れるような感覚がある。その下には確かな脈動があり、生きている、という安堵で泣きたい気持ちになった。
    「放っておけばすぐに出血は止まる。が、気になるなら包帯を巻いてやろう。帰って余計な詮索をされるのも面倒だろうしな」
     そう言って、彼は戸棚から包帯を取り出し、慣れた手つきで獅子神の首に巻いた。止血をされたことで安堵したのか、身体から緊張が解けると同時に、視界がふらふらと揺れ始めた。
    「もう少し眠るといい。寝台は貸してやる」
     包帯の上から傷跡を撫でるようにして、彼は囁く。
     私は満たされて気分がいい――その穏やかな声を耳元で感じたのを最後に、獅子神の意識は途絶えた。
     
     
     
     ②
     
     西の空が燃えるような橙から濃紺へ色を変える時刻、村雨は屋敷の書斎で本を読んで過ごしていた。木々のざわめきや、夕刻を告げる動物たちの鳴き声に混じる、普段であればそこにはないはずの人間の気配を感じ取り、村雨は本を閉じ窓の外に視線をやった。鬱蒼とした森の奥にあるこの屋敷に近づく物好きは、ここ数年の間で現れた記憶はない。
     分厚い絨毯を踏み、薄暗い螺旋階段を降りる。申し訳程度に置かれた燭台の灯りが唯一の光源となって、玄関ホールに細長い影を落としていた。
     重い扉を開けると、夕闇を背景にして、背の高い男が立っていた。呼び鈴を鳴らしたわけでもないのに、まさか扉が開くとは思っていなかったのだろう。傍目にも分かりやすい動揺をその瞳に浮かべて、男は一歩後ずさった。
    「……あなたは」
     彼が何らかの言い訳を口にする前に、村雨は口を開いた。その金色の髪と碧い瞳には見覚えが――いや、忘れようもない。なにしろ、この数年で久しぶりに血を吸った相手なのだから。
     少し前、森の中で狼に襲われ負傷していた彼を助けた成り行きで、村雨は男の血を少しだけ頂戴した。白いシャツにベストを身に着けた男の首筋には、特徴的な二つの傷跡――吸血の痕跡が残っている。つまり、あれからまだそれほどの日が経っていないことを意味していた。
    「何の用だ? また狼に襲われに来たのか? それとも、村のマヌケ共はまだ私が女たちに害をなしていると?」
     全く不愉快なことに、自分は村で失踪した女たちの腹を捌いている魔物だという噂が流れていたそうで、この男はその討伐に遣わされてきたのだった。害をなすどころか、病巣を抱えた彼女たちに適切な医療処置を施していたと言うのに。
    「ちげーよ!」
     村雨が不満を隠さずに告げると、男は慌てたように否定の声を上げた。
    「お前が悪さをしてたんじゃないってことは、ちゃんと村の連中に説明した」
    「そうか。ならばなぜここに?」
    「それは……」
     途端に男は口篭り、その視線をさ迷わせた。右手でさっと、吸血の痕を覆うようにして触れる。
    (――ほう)
     村雨は冷静にその様子を観察する。
     頬の上気、発汗、眼球と手の動き。その表層に現れたいくつかの変化だけでも、簡易的な診断には十分だった。村雨は無意識に口元を歪めて笑った。
    「……成程、吸血行為に快感を覚える人間もいると聞いたことがあるが、もしかしてあなたがそうだったのか?」
    「!」
     一歩、前に進み出る。近づいた男の顔が、はっきりと分かるほど赤面する。その身体から発せられる香りに含まれるのは、極度の緊張、そして興奮。それを鼻腔が感知した瞬間、村雨は自身の体内に、食欲とも吸血欲とも違う、肌がざわめくような何かが湧き上がるのを感じた。
    「今夜は食事がまだだ。望みの通りにしてやってもいいが」
     餌を前にして、こんなにも気が急くのは自分らしくない。いや、それどころか、自分はこれまで人間の血を好んで欲したことは無かったというのに。僅かな動揺を正当化しようと意識が葛藤する。この男は、自分が血を求める吸血鬼だと知って再びここを訪れたのだから、遠慮は必要ないだろう、と。
     その腕に手を掛けて引き寄せようとした瞬間、男は勢いよく顔を上げた。
    「飯を作ってやる!」
    「――は?」
     男から発せられた言葉が咄嗟に理解できず、村雨は捕えた手から力が抜けるのを感じた。男はその隙をついて、自由になった腕でぐっと拳を作って見せ、身を乗り出すようにして力説し始めた。
    「お前に手術されて帰ってきた女たちが、改めて村の医者にかかったんだよ。失踪する前に皆同じ不調を訴えていたこと、帰ってきてからはその症状が消えていること、縫合の跡も綺麗で、これは適切な――いや、奇跡のような処置だって、医者が言ってた」
    「当たり前だ。私の腕を舐めるな」
    「だから、今日はオレに礼をさせてくれ」
    「礼?」
    「厨房を貸せ」
     一瞬たじろいだ村雨に構わずホールに足を踏み入れると、男は奥へ続く扉と階段をきょろきょろと見回した。
    「厨房はこっちか? って、なんでこんな暗いんだよこの屋敷は」
     独り言を漏らしながら、男は屋敷の奥へ足を進める。見られて困るものがある訳では無いが、勝手にうろつかれるのは愉快では無い。仕方なく村雨は男のあとをついて行く。
     すぐに厨房を見つけた男は、手にした大きな麻の袋をどさりと起き、てきぱきと中から食材らしきものを取り出し始めた。
    「おい、ここ厨房だよな? 調理用具がねえぞ」
    「私の屋敷に文句を言うな」
    「この前、人間の血は吸わねぇって言ってたじゃねーか。どういう食生活してんだよ」
    「……あなたには関係ない」
     人間とこんなやり取りをしたのは何年ぶりだろう。いや、そもそも意識のある人間をこうして屋敷に招き入れたことなどあっただろうか。
     村雨は眉根を寄せつつ、それが不快感から来るものではないことに気がついていた。
     
     ***
     
     分厚いステーキは、村雨が希望した通り表面だけを軽く焼き付けられ、艶やかな肉汁を滴らせていた。皿に並んだパプリカとポテトのハーブ焼きが、鮮やかな色彩を添えており、ワインの芳醇な香りも村雨を満足させるものだった。
     会話もそこそこに食事を終えた村雨は、口元を拭い、ナプキンを畳んでテーブルに置く。
    「食後のデザートはないのか」
     珍しくこんな良質な食事を摂ったからだろうか、腹は満たされているのだが、欲がさらなる欲を呼んだようだ。片付けた皿を洗おうとしている男の背中に呼びかける。
    「ああ……悪ィけどそこまでは準備がなかった」
    「ならば、あなたの血を少し頂けないだろうか」
    「は?」
     驚いた声を出して、男が振り返る。持っていた皿を落としたのか、カシャンとガラスがぶつかり合う音がした。
     村雨は、静かに椅子から立ち上がった。
    「あなたも元よりそれを期待していたのでは?」
    「ばっ、ちが」
     男の前に歩み寄ると、怯えたような瞳を揺らしながらも、彼は逃げなかった。
    「一口でいい」
     そう言ってその腕を捕える。体格差を考えれば、振り切って逃げることは容易であろうに、それをしないのは、怯えているからなのか、それとも、自分が礼をしに来た立場であるからなのか――あるいは。
    「逃げないならば、了承と受け取る」
     そう宣告する村雨の声に覚悟を決めたのか、それとも痛みに備えているのか、男はぎゅっと両の瞳を閉じた。差し出された身体に、村雨の口は自然と笑みの形に弧を描く。
     健康的に日に焼けて、なめらかな肌だ。その質感を楽しむようにぺろりと舌を這わせると、男の体が震えた。その反応を楽しみながら、浮き上がる血脈を唇で辿る。ここだな、と一度舌なめずりをしてから、狙いを定めた箇所に牙を沈める。
    「あ……っ」
     歯を立てた瞬間、男の口から小さな悲鳴が漏れる。同時に、舌の上に広がる甘美な血の熱さ。
     小さく震える男の肩に手をかけ、強く吸い込むと、気が遠のくような快感が喉に流れ込む。
    「は、あぁ……」
     男が漏らす熱いため息が耳元に触れて、それが一層村雨の欲を煽った。
     人間から吸血を行う際は、露出した部位のうち、太い血管の走る首筋を狙うのが手っ取り早い。しかし、彼の身体の別の部位にも歯を立ててみたい――そんな欲望が己の中に生まれていることに村雨は気づいた。たとえば、日に当たらない胸元や、服の上からでもわかる引き締まった腹部、それから、薄く柔らかい皮膚の大腿の内側。
     この男の身体の、まだ誰も知らない場所に、己の牙の痕をつけたい。そこから溢れる赤い血を啜りたい。恐怖の中に滲む歓喜の声を、もっと聞きたい。
     気づけば、村雨の指は男のシャツの釦をはずし、その奥を求めて肌の上を這っていた。
    「も、や、めろ……」
     押し留めようとする腕は、力が入らないのか、村雨のシャツを軽く引くだけで終わった。
     飲み込み損ねた血液が口の端から溢れ、村雨ははっとする。身体を離すと、焦点を失った青い瞳がぼんやりとこちらを見ていた。頼りない蝋燭の明かりが、彼の剥き出しの首筋に揺らめいて、妖しい影を踊らせる。
    「だから、やるなら……ひと思いにやれよ」
     男が、乱れた呼吸の合間から小さな声を漏らした。村雨は、口元の血を指の腹で拭ってから答えた。
    「勿体つけたわけではないが……ああ、しかしあれは人間のまぐわいでいう前戯のようだったな」
    「!」
     青ざめていた男の顔色が、一気に朱に染まる。
    「前にも言ったが、私はあなたを死に至らしめたいのではない。どこが痛覚が少ないか、あなたの苦痛をできるだけ少なくするように見極めているつもりだ」
     そう続けて、村雨は彼のシャツの釦をそっと留め直した。
     一瞬とはいえ自分が理性を失ったことは、思った以上の衝撃を彼に与えていた。こんなにも人の血を――いや、その先の何かを求めたのは初めてだった。これは吸血鬼としての本能だ。そう自分に言い聞かせようとしても、男の首筋に残された血の滲む牙の痕が、まるで所有の証のように見えてしまう。それは村雨の胸に不思議な高揚感をもたらした。
    「と、とりあえず礼は済んだから、オレは帰る」
     そう言って、向きを変えた男の身体はふらりとよろめき、すぐに壁に手を付いた。その後ろ姿に、村雨は小さくため息をつく。
    「少量とはいえ血を失っている状態ですぐに動くのは、死に急ぐマヌケのすることだと言っただろう」
     食堂に続く広間には、体を横たえるには辛うじて足る程度の大きさのソファがある。そちらを目で示してやると、男は「ああ……」と呻くように応じてから、素直にそちらへ足を向けた。身体を横たえ、村雨が手渡したブランケットを腹に掛ける。
    「あなた、名をなんという」
    「……獅子神」
     瞼はもう重たげにその視界を閉ざしかけており、答える声も曖昧に響いた。
    「おめー、は……」
     そう問い返そうとする声の最後は寝息の中に溶けるように消え、村雨の答えを待つことはなかった。
     村雨はソファの脇の椅子に腰を下ろし、その背に凭れ掛かった。しゃら、とグラスコードが音を立てる。
    「……厄介なことになったな」
     まだ血の味が残る唇が、無意識にそう呟く。村雨は、暖炉の薪が爆ぜる音を聞きながら、彼の寝顔を眺めていた。
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