審判前に提出された記録文書。
被告人はまず家族に宛ててサーカスへの招待状を送った。
「慈善活動へ感銘を受けて」と匿名で贈られたその招待状に、これまでにもそういった善意のもてなしや支援を受け取った事がある夫婦(ふたりは一連の犯行の為に入籍しており、厳密には夫婦とは言えないが、法律上は夫婦であるため便宜上こう記す)は疑問を抱かなかった。
当日の夜、年長の者を中心として子供達は喜んでサーカスの観覧へと向かい、被害者達には夫婦の時間を楽しんで欲しいと別に食事の席が設けられた。
夫婦が招待されたレストランでの食事中、婦人が疲労を訴えた為、この夜の食事は早めに打ち切られた。
犯行時刻はちょうど、サーカスの一番盛り上がる時間であった。
被告人は玄関から堂々と侵入したが、子供が帰宅した物音だと思ったのか、被害者の男はグランドフロアの書斎にとどまり被告人が部屋へ入ってくるまで事態に気付いた様子はなかったという。
ナックルで武装した被告人が襲いかかると、男は護身用に携帯していたナイフで応戦し、揉み合いとなった。
この時、被告人はナックルで覆われていない腕を中心に複数箇所をナイフで刺されている。
また、被害者男性は腹部を中心に何度も殴られた。後述する理由により、被告人は頭を狙うのを避けた。
揉み合ううちにナイフを手放してしまった男は、食堂へと逃げ込んだ。
キッチンへ辿り着く前に追いつかれた男は食卓の上にあった燭台を掴み、被告人の首元に突き立てた。
この時、既にナックルは壊れて使い物にならなくなっていた為、被告人は男の首を絞めて絞殺するに至った。
男が絶命したのを確認した被告人は、首に燭台が刺さったまま1階の寝室へ向かった。途中書斎へ立ち寄って、男が落としたナイフを拾い、自身の血と脂を服で拭っている。
女はレストランで睡眠薬入りの飲み物を飲んだせいで激しい眠気を感じており、寝室で眠っていた。
しかし階下からの騒ぎ声で目を覚ましていた。
寝室の入り口から血だらけで首に燭台を突き立てた少年が侵入してきた事に驚いて女は悲鳴を上げ、ベッドサイドテーブルから拳銃を取り出し、発砲。
この時の悲鳴と発砲音を聞いた近隣住民が通報をしている。
警察隊が辿り着く迄の約5分間。まず被告人はナイフで女の喉元を切りつけた。悲鳴を止める為だったと供述している。
この時点でナイフは既に鋭利さを失っており、女が絶命するまでに被告人は十数箇所を刺している。
警察隊が駆け付けた時、被告人は女の横に倒れ込んで床に広がる血を眺めていた。
全身の刺し傷、首元の燭台に加え、腹部には貫通しなかった銃弾が埋まっており、非常に危険な状態であった為、治癒魔法の使える医師が在中する病院へとすぐさま運ばれた。
被告人は睡眠薬を女にだけ盛ったことや、はじめ男の頭部を狙わなかった理由について、質問したい事があったから気絶させたくなかったと供述した。
男から返答は貰えなかったし、質問の内容ももう忘れてしまったが、くだらない事だったと思う、と述べている。
-----------
数多くの事件と向き合ってきた私でさえ、あまりの凄惨さに絶句した事件だった。
加害者がまだ十代であること、犯行に至った背景をも含めて、全てが悲惨なものであったが、人は時としてこういったものにすら娯楽を覚えるものでもあった。
歌劇場での審判当日。
苛烈な境遇を経験した子供達へ同情する者が席の半分を埋めていたが、残りもう半分は悲劇的な人生を背負った子供の血生臭い復讐劇を期待する者で埋められていた。
私の質問ひとつひとつに対して淡々と正直に返答する少年に対してフリーナが大袈裟につまらなそうな顔をして退席してみせなければ、歌劇場はますますこの惨劇を娯楽に昇華させようとする者達の熱で湧き立った事だろう。
彼女が立ち去った審判は、水神の興味を惹く事が出来なかった三文芝居以下のショーとして簡潔に進められる傾向にある。
だから、誰もが内心で気になっていたであろう「父親に聞きたかった事を思い出したか?」という質問も、誰にも触れられずに審判を終える事が出来た。
それは事件の真相とは関係のない彼のプライベートな事だったが、審判の場で問われれば少年は嘘を混ぜず正直に答えただろうから。
「おはよう……。良い香りだ。」
額に口付けを落とすと、身じろぎをしてようやく目を覚ました彼が、淹れたてのお茶の香りに少し微笑む。
「おはよう。君はお茶の方が良いだろうと用意させた。」
メイドがパタンと控えめに扉を鳴らして退室してゆく。
朝が弱いというわけではないはずだが、まだ夢から覚めきらない様子でゆっくりと起き上がる。
朝日の中で彼の体を見ると、より一層古傷が目に入る。
見ていて愉快な気持ちになるものではなかったので目を伏せると、逆に私の体を眺める視線を感じた。
「明るい場所で見ると思ったより目立つな。だが服でギリギリ隠れるはずだ。問題はないだろ?」
「……あぁ、これのことか。」
一瞬なんの話かわからず、昨夜あちこちを噛んだり吸ったりされた事を思い出した。自分で視認できる範囲でも、いくつか鬱血の痕が残っている。
「気遣いに感謝する。流石に私にも体面というものがあるのでな、服で隠れない場所だと困っていた。」
「最高審判官さんがキスマークを隠す為にあちこち絆創膏を貼って法廷に立つんじゃちょっとばかしマヌケだもんな。」
「いや、そうではない。この程度の鬱血痕なら自然治癒を待たずとも私の力で消す事が出来る。が、君から受け取ったものを消してしまうのは惜しいからな。」
「おいおい朝なんだぞ勘弁してくれ……」
眉間を押さえて項垂れてしまった。
そうだ。麗らかな朝だ。せっかく用意させたモーニングティーを冷める前に口にして欲しいものだが。
はぁとため息を吐く彼にティーカップを差し出す。
お茶を味わう彼の肩越しに、シーツの上の赤いシミが見えた。私のものではない。
「リオセスリ殿、血が……。」
「うん?あぁ、背中だろう。たいした傷じゃない。」
「私が付けたのか?」
彼の背中を確かめると、確かに真新しい引っ掻き傷がある。昨夜、無意識に付けてしまったのだろう。
「そんな顔しないでくれ。軽い引っ掻き傷だし、今更傷がひとつふたつ増えたところで惜しむような体じゃないだろ?」
「これくらいの傷なら私にも治療できよう。」
怪我を治そうと傷に指を這わせると、慌てて手首を掴まれた。
「俺があんたから受け取ったものは問答無用で取り上げてしまうのかい?」
責めるような口調ではない。この程度の怪我、気にするなと言いたいんだろう。しかし……
彼の手をやんわり押しのけて、指先に力を通す。
フォンテーヌ人の体を巡る血潮は全て私の権能のもとにあるので、この程度の怪我なら塞ぐ事は容易い。
「私が君の体に残すものが傷では嫌なのだ。」
あの日、自分の体に突き立った燭台を引き抜く事すらせずに血溜まりに横たわっていたという少年。
仮に引き抜いていれば自身の血で溺死する事になっていたらしいので結果的には良かったのだが、果たして本人はそれが分かっていたのだろうか。それとももう、自暴自棄だったのだろうか。
私はいまだその疑問の答えも、あの時彼が養父に質問したかった事も、聞く事は出来ていない。この先も尋ねる事はないだろう。ただ、生きていてくれて良かったと思うだけだ。
感謝を込めて、祝福を込めて。彼の首元に口付けをする。
軽く歯を立てながら吸い付くと、小さな鬱血痕が鎖骨の上に残った。
「どうせ贈るなら私もこれにしよう。」
目を見開いた彼が鎖骨を撫でている。見えないだろうが、そこに何が残ったのかはわかるだろう。
「あぁ、だがすまない。慣れない事をしたせいで少し場所が悪かったようだ。これでは襟をきちんと閉じないと他の者に見られてしまうだろう。」
堅苦しいお仕着せが好きではないのと、肩書きにあった威厳との折衷案の末にスーツを着崩した普段の彼の姿を思い浮かべる。やはり見えてしまうだろうな。
「ふむ、たまには堅い着こなしも悪くないだろう。ほんの数日の事だ。今朝はタイを私が結ぼう。」
はぁ……と更に深い溜息をついて彼は項垂れてしまったが、タイミングよくノックの音がしてメイドが入ってきたので私も着替えなければならない。
たとえ地上と水中で距離がふたりを分つとも、鏡で贈り物を見るたびに甘い夜を思い出せる。