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    お久しぶりです、「泡沫モラトリアム」の続きです。
    高校一年生、夏頃の牧藤出会いのお話。pixiv「crossing wish」シリーズの設定です(https://www.pixiv.net/novel/series/11148199
    2話でまとまりませんでした。まだ続きます。

    ***********************


    ※1話目→ https://poipiku.com/8739801/9991675.html
    ※高校一年生、夏頃の牧藤の出会いのお話です
    ※ pixiv「crossing wish」シリーズの設定です(https://www.pixiv.net/novel/series/11148199)
    ※スマホがあります※週休土日2日制で自販機にペットボトルもあります※何でも許せる人向けです







    その美しい笑みは種だった

    オレの胸に根付いたそれは、
    感情として育つ事をまだ知らない




    三日目も、そして最後の休日も、オレと藤真はこのコートで待ち合わせをして共にひとつのボールを追って過ごした。
    長時間1on1に興じ、声を掛けられればチームに混ざり、稀に同年代のバスケ部員に誘われてゲームにも参加した。自分よりも遥かに経験を積んだ者のマークは時に厳しく、だが確実に己の成長の為の糧になる。逆に浅いプレイヤーとのゲームは、巧拙では無くスポーツは愉しむものだという事を思い出す切っ掛けを与えてくれた。全てが、楽しかった。

    「後半の、上手くいったな」
    「だよな!相手チーム完全にお前のドライブに気を取られてたからな、あそこで後方に振るとは思わなかっただろ」
    「ああ、暫くお前のスリーも決まっていなかったから警戒も薄かった」
    「一言余計だな、さっきは決めただろ!」

    そしてまた藤真とふたりきりで休憩をとり、互いに反省と対策を提唱し合ってあれこれと感想戦をする。部活の様に大きな組織で無く、ただの"個"として己を振り返るのはとても有意義な時間だった。何よりも、バスケットボールのあらゆる事を同じ視線で愉しむ事が出来る相手が居るのが至極幸せであると───
    藤真健司と出会えた事が何よりも価値があると、オレの本能の底がずっと滾っている。

    「牧、あそこコート空く、行こうぜ」
    「分かった」

    冷静に会話をしていた透明な瞳は、立ち上がった瞬間にまた極光の様な美しい炎を宿した。涼やかな顔に似つかわしく無い温度。たまらないな…その度に背筋がゾクゾクとした。



    初めての時からずっと、1on1の瞬間は常に真剣だ。勝敗の天秤はコートに居る人数の分だけ揺れる物だとしたら、一対一はオレと藤真の実力差をただ明確にするだけの時間であり、試合同然。無論、負けたく無い。
    藤真の巧みなフローティングに張り付きながら、得意な左へのコースを塞いでチェンジオブペースのタイミングを見極める。視線が右を伺った瞬間を捕え、足が動き出す前にボールへと手を伸ばしたが逆にそれを読んでいたかの様にビハインドザバック。これを躱すか…!だが甘い、まだ届く距離だ、オレが脚だけでコースを封じながら藤真の腕の可動域まで身体を戻すと、藤真は白い歯を悔しそうに擦らせて笑いながら一歩後ろへと退いた。

    「しつこいな…!」
    「そう易々と抜かせると思うなよ」

    ふぅー…、と小さな口から平静を手繰る音がする。この男はどれだけストレスを掛けてやっても、常に冷静さと洞察力を失わない。大した精神力だ。
    例えば二年後此奴が翔陽の主将の座に就いたとしたら、凄まじい統率力でチームを纏め率いるリーダーになるのだろう。脳であり、心臓の様な。あの新緑色のユニフォームの4番を背負う姿が容易に想像出来た。当然その時には、オレも同じ番号を纒い立ち憚るつもりだが。
    その時までずっと、こうして一つのボールを追ってこのコートで向き合っていられるだろうか。ずっと、此奴と一緒にバスケをしているだろうか。

    互いに数本ずつゴールを奪い合い、もう何度目かのムキになって決めたシュート。下から伸びてきた指がボールを掠める事は無く、「よし」とオレは勝ちを確信した──その刹那、空中でぶつかりながらオレのシュートを止めにきた細身が、オレの着地と同時に目の前で倒れる。ズザッと激しく地面を擦る音がして、思わず腹の奥が冷えた。

    「大丈夫か…!」
    「っ…平気だ」
    「怪我は」
    「これくらい何とも無いって」

    穏やかな声だが唇だけを尖らせて、藤真はオレが差し出した手を握り返してスッと立ち上がる。
    こうして怪我の確認をするのももう何度目になるのか。無鉄砲な訳では無いが、此奴の勇敢さは些か危険に近過ぎる気がする。着地してからよろける分には何とか腕を掴んでやれるが、空中ではそうもいかない…
    オレの心配を他所にボールはリングを通り、ネットを揺らしてからその真後ろでテンテンと音を立てて跳ねてゆく。

    「あ〜くそ、今のは絶対止めたと思ったのに」
    「お前、ゴール下での無茶が過ぎないか」
    「うるせえ、1on1でゴール下粘らないで勝負になるかよ」
    「いつか大怪我に繋がるぞ」

    まだ尖ったままの唇が、心配どうもと吐いてから「べ」と舌を覗かせてきた。

    「オレがあと十センチでかけりゃ全部止めてやるのに」
    「お前が十センチでかかったらオレもあと十センチでかいな」
    「何でそうなるんだよ」
    「でなけりゃ面白くないだろう」

    即ち、オレはそれだけ際どい差で勝っているだけなのだ。次も同じとは限らない。…悔しいのでそこまでは言葉にせず、オレはボールを拾ってコートへと戻る。

    「牧、お前身長いくつ」
    「ん?IH前に測った時は179だったな」
    「八センチ差か…」
    「お前は瞬発力で充分カバー出来ているから、体幹を鍛えれば変わるだろうな」

    アドバイスどうも、と藤真は口角を引き攣らせた。その長いまつ毛の下でまだ煌々と光る瞳が、もう一本、と鋭い熱を溢れさせている。
    その圧を受け止めてオレはボールを藤真の手元へ投げようとしたが、それと同時に他のプレイヤーがコートへと入って来た。此方の様子を伺いつつ、「こいつら誘う?」というやり取りをしているのが聞こえてくる。誘われる、と察知した藤真は、すぐにバッシュの爪先を外へと向けてしまった。

    「休憩しようぜ」
    「分かった」

    瞼がゆっくりと閉じられて、ふう、と柔らかな溜息が熱を掻き消してゆく。次に現れた薄彩の瞳は、静かな水面の様に凪いでいた。

    段々と、いつの間にか。声を掛けられないように、邪魔をされないようにと陸橋の柱裏に隠れての休憩が決まりになりつつあった。
    知らない奴でも年齢も実力も関係無く、誰とでもコートに入るのは楽しい。だが藤真とのふたりきりの空間はそれ以上の、どんな時間よりもかけがえの無いものに思えた。
    具体的な言葉で形容するのは難しい。ただ選手として焦がれているだけでは無い、姿勢も心意気も綺麗なこの男の隣はどうしようもなく心地が良いのだ。
    奪われたくないという、身勝手な欲が出る程に。

    藤真も同じ微熱を燻らせていれば良いのに。
    先を歩く背が振り返って、「牧、早く」と名を呼びながら笑うので、愚かなオレの胸は浮つくばかりだ。


    どうせなら少し長く休もうと、陸橋の影で日差しを回避しつつコートと隣接しているスケートボード広場の方へと逃れてきた。
    素人目にも分かる、桁違いに上手いスケーターが一人居るな。身体が宙に浮いた瞬間にボードを数回転させてまた見事に着地をする。当然ではあるが、サーフィンと似通っていながらもやはり全く違う競技だ。
    それを眺めながら飲み物を片手にオレが腰を下ろすと、藤真もオレの右側に同じように座る。今日はバッシュの話から始まり、好きなメーカー・ブランドを語り出した。次はBリーグ、NBA、それから尊敬する選手へと話は弾んでゆく。
    その会話の途中で藤真は、スッと徐に自分の左腕を真っ直ぐ前に伸ばしてオレの腕の隣へと並べた。

    「良いな、肌黒いの」
    「そうか?」
    「ああ、強そうだし。格好良い」

    それこそNBA選手みたいだ、と言いながらオレの腕を見ている藤真には、当然だがご機嫌取りなどの様子は全く伺えない。素直に真っ直ぐに褒められているらしい。心臓の端をくすぐられた様な感じがして、少しこそばゆいな。

    「元々その色なのか?」
    「地黒な方だが、日焼けもあるな。…波乗りをするから」
    「波乗り?」

    サーフィン、と答えると藤真の瞳が海の縁の様にキラリと光った。目が大きいから、光を集める量も人より多いのだろうか。そうでなければこの美しさは説明がつかない。

    「へぇ、凄いな、お前ホント格好良いな」
    「興味あるか」

    ううん、と藤真は素直に顔を横に振りながら「無い」と言って笑う。目の前を舞うスケーター達を横目にアッサリとした声。

    「でもお前がやってる所は見てみたいな」
    「そうか、なら…今度誘う」
    「ん」

    いつか、と言い掛けて、この男にそんな社交辞令は失礼だと思った。本音で語り合っていたい。オレの中の朧も、そう願っているだろうか。

    ついでのように藤真に「お前はバスケ以外に好きなものはあるのか」と尋ねると、「近所の野良猫の後追っかけて歩くのが好き」という変化球が返ってきた。その趣味はどうなのかと問うと、うるせぇと肘で小突かれてしまう。
    可笑しくて、暫くふたりであまり共感されない趣味を暴露し合いながら肘の打ち合いをしていた。


    その後も1on1に比重を置いて、互いにゴールを取られる度に「もう一本」と唸り、際限なく夢中でボールを追った。
    そして体力を使い果たした頃にまた同じ夕日を見ながら歩き、最後の日も自販機の前を終着点にする。毎日交代で奢り合っていたので、今日は藤真がふたり分の小銭を投入してオレに正面を譲ってくれた。
    ありがとうと礼を言ってから、渇いた喉が潤されるまで息もつかずに一気に飲む。隣で同じように豪快にポカリスウェットを飲み干した藤真も、飲み口から口を離して漸く大きく息を吐き出した。
    唇の端から一筋だけ水滴が溢れ落ち、白い顎を伝って夕日でダイヤモンドの色に光る。

    「…また会えるか?」
    「え?」

    まるで永い別れの前の様な訊き方をしてしまった。だが訂正はしない、部活動が休みのこの時期が終わる事は此奴との時間の終わりを意味する。明日からまたオレは海南の体育館へ、藤真は翔陽の体育館へと帰る。ただのライバルに戻ってしまう。

    「藤真、次は、いつ会える?」

    オレが言葉を区切りながら問うと、藤真の周りにだけまた蒼い風が吹いたかの様に、フワリと細い髪の先が浮いて揺れた。少し驚いた様に目を見開く様は、このコートで初めてオレを見つめてきた時とよく似ている。

    「うちは土曜が午前練で終わる」
    「…!」
    「だから午後はよく、此処に来てるよ」

    穏やかにはにかんだ口元が、少し震えてから閉じる。それだけで分かった。気持ちが何ひとつとして違っていない事が嬉しくて、オレはたまらず一歩分だけ距離を縮めた。

    「同じだ、うちも土曜は全体練が午前で終わって午後は自主練になる」
    「へぇ、意外だな。海南って監督が全部メニュー決めてるイメージだった」

    監督は自主性が何よりもの力になるという信念の人だ。本当に勝ちたい者だけが自然と己を高める鍛錬を行う、そして努力次第で誰にでもユニフォームを取るチャンスがある、それが海南大附属高校バスケ部だと先輩方も口を揃えて言う。

    「お前は自主練しなくて良いのかよ」
    「藤真健司という相手がいながら、ひとりでゴールに向かう方が良いとは到底思わん」
    「ハハッ。…何時に来れる?」
    「十三時には」

    じゃあ、また土曜に。
    そう言って笑った藤真の顔が、向日葵よりも鮮やかで、朝顔よりも儚く一瞬の夢の様に見えた。

    夏よ、どうかまだブザーを鳴らさないでくれないか。




    部活が再開した一週間は待ち望んでいた様でやけに長く思えた。四日間ストリートの地面に親しんでしまったので、体育館でのドリブルはボールが返ってくる感触が微かに違う、などと普段はあまり思わない事を感じてしまう。

    約束の土曜日は青空が多く、遠くの空で入道雲が猛々しく立ち昇っているのが見えた。
    午前の全体練習を終え挨拶を済ませると、大体の者が食堂へと移動して昼食を摂り午後の自主練習に臨む。だがオレは同級生達にだけ断りを入れ、ひとり体育館を後にした。

    目指す先はいつものコート。本当に藤真は来るのだろうか、と何故か半信半疑になりながら約束の時間丁度に辿り着くと、背にSHOYOと書かれたシャツを着てひとりでシュート練習をしている綺麗な男がきちんとそこに居た。
    まだ日差しの暑い夏休みの終わり、新緑色が良く映える。

    「牧!」
    「スマン、遅かったか」
    「時間通りだろ。翔陽が此処から近いだけだ」
    「飯は食ったか?」
    「まだ。腹減った」

    藤真が笑って自分の腹を撫でたので、オレもだと笑い返してふたりでスタジアム付近まで移動した。一緒に食事を摂るのは初めてだが、互いに食の好みには煩く無い質だったので気兼ね無く目の前のレストランに入る。それほど大きく無いその身体に、オレと同じ量の白米が難無く入っていくのには少し驚いた。

    食事終わりにオレが小さな手提げ袋を渡すと、そっと中身を窺いながら藤真は首を傾げた。宝石の様な見た目をしたそれを親指と人差し指で掴んで、くるくると回して眺めている。食って良いの?と聞かれたので、ああと答えると藤真は嬉しそうに包装を開けた。

    「チーズ?洒落た菓子だな」
    「周りのはドライフルーツらしい」
    「へぇ、綺麗だな」
    「父親が土産にくれた、部員や友人にも持って行けと」
    「…友人」
    「友人だろう?」
    「…ありがとうございます、って伝えてくれ」

    ふふ、と少し照れを含んだ様な、だが腹蔵無い反応で笑ってくれる。小振りな口を開けて、手の中の宝石を恐る恐るといった感じで齧った。バスケ部員達からの評判は半々と言った所だったが、表情を見る限りでは藤真にはどうやら当たりだったようで安心した。


    帰省時期だった先週と比べて、コートには同年代の姿が多く見受けられる。SHOYO、そして黄と紫にKのロゴが入ったシャツを着たオレ達が同じコートに居るのはなかなかに目立っていた様で、終始好奇の視線が絡み付いた。中には声を掛けてきて一緒にプレーしようと誘ってくれる他校の先輩もいたので、オレも藤真も気取る事無く頭を下げて「よろしくお願いします」と挨拶をして混ざった。

    だが結局また途中からは1on1ばかりして、休憩中は声を掛けられないようにと人目を避けて陸橋の柱の裏に身を潜ませた。そして互いにしか聞こえない小さな声で話をする、まるでふたりだけの秘密を渡し合うみたいに。


    「土産貰ったし、今日はオレの奢りで良いよ」

    夕陽が落ち切る頃、また飲み物を尽かして自販機へと最後の時間を過ごしに来た。汗を吸い込んだシャツで上半身を仰ぎながら藤真が財布を開くので、オレはそれを「待て」と静止させる。

    「この前もお前の奢りだっただろう」
    「そうだったか?よく憶えてるな」

    そう言いながらも投入口に五百円玉を滑らせて、藤真はオレに正面を譲ってきた。企みの無い爽やかな表情を目の前に、たかが百五十円を遠慮するのも逆に失礼か、とオレは礼を言ってその好意を受け取る。
    自販機近くの柱の裏側に隠れるように座るのも、決まりになっていた。ぽつりぽつりと話題を変えながら紡ぐふたりきりの刹那は、クールダウンの代わりの様なもの。

    「──、すまん」

    地面に置いた飲み物を同タイミングで取ろうとして、オレの右手と藤真の左手がぶつかった。ああそうだ、左利きなんだからこうなるよな…そう思ってオレが少し手を引くと、何故かそれを面白そうに笑いながら藤真がオレの顔を見つめてくる。

    「……何だ」
    「何でも。お前の反応が面白くて」

    また胸の奥が騒めきと共に揺れ、キュウと鳴いた。…何故だろう、此奴の笑顔を見るとこうなるのは。知りたい、この感情の正体を知りたい、もっとお前の事を───。
    落ち着かない気持ちが鎮まらぬまま、オレは意を決して口を開く。

    「藤真、嫌であれば断ってくれて良いんだが」
    「ん、なに?」
    「その…連絡先を、聞いても良いか」
    「………」

    …まずかったか。良くなかったか。
    飲み物を片手に目を見開いたまま静止した藤真を見て、心臓が早鐘を打ち焦り出した。断ってくれて良いなどと前置きをした癖に、余裕も平静も繕えない。
    今しか無いと切り出したつもりだったが、間違っていただろうか。いやそもそもそこまでの関係じゃ無いと言われるか、踏み込んで来るなと壁を置かれるか。

    「…ふ、ハハッ」

    だが藤真は突然口を大きくあけて笑い出し、ああ良いよ、とけろりとした態度で鞄の中からスマホを取り出した。

    「すげぇ深刻な顔するから何かと思った」
    「……悪かったな」
    「連絡先聞くだけでそんなに緊張するか?」

    クク、とまだ藤真は可笑そうに含み笑いを続けていて、何故だか愛の告白でもしたかの様な恥ずかしさが込み上げてくる。まるでオレが言い出せずにウジウジしていたみたいじゃないか。

    「でも安心した。友人って言ってくれた割に聞かれないから、そこまでの関係は求められて無いのかと思った」
    「お前だって聞いて来なかっただろうが…」
    「オレは自分から連絡先教えないようにしてる、いつ何処で誰の所に流れてくか分からないから」
    「………」

    スッとメッセージアプリの画面を差し出され、コードを読み取るよう促される。
    成程、藤真健司と親密になりたい者など男女を問わずごまんと居るのだろう。それこそ呆れる程に。連絡先を他者に勝手に回されてしまうというのは余りにも倫理観が無く驚愕したが、此奴にとってはそれが日常なのか。
    つまりオレは信頼に足る者と認識されている、と思って良いのだろうか?
    連絡先を読み取ると、名前の欄にfとだけ書かれた無地のアイコン画面が出た。徹底して身を隠しているのが伺える。

    「苦労をしてるんだな」
    「別に。分かりづらけりゃ名前打ち直しておいてくれ」

    容姿が目立つだけで無く、内から溢れる魅力も持っている男だ。近付き、触れてみたくなる不思議な引力がある。そう感じるのはきっと自分だけでは無い。…此奴の隣に居たいと願う者は、一体どれだけ存在するのだろう。
    名前を“藤真”と修正してからメッセージ画面を起動して、よろしく、と一言だけ送る。受信音と共に「あ、来た」とすぐ隣で小さな花が咲いたかの様に、スマホに向かって藤真が微笑んだ。
    そしてすぐに何かを打ち込んでいる。今度はポコ、とオレの手の中の物が報せを奏でた。

    『来週の土曜も、十三時』
    「………」

    直接口で言え、などという突っ込みは野暮だろう。これからはこうして文字での約束も出来るようになるのだ。
    了解、と再度ただ一言の面白味も可愛げも無い返信を打つ。
    再び藤真の手の中でリン、と小さなベル音が鳴り、それを見つめる大きな瞳が嬉しそうに細まってからこちらを見た。

    知らない感情が、胸の朧のすぐ隣に芽生えた気がした。




    次の土曜日、新学期が始まったまだ暑い秋の入り口。容赦の無い太陽を手のひらだけで遮って、デカい声でオレの名前を呼びながら藤真が駆け寄ってくる。
    増えてゆくルーティンに喜びを覚えながら、またふたりで一緒に食事を済ませて意気揚々とコートへ赴いた。夏休み中よりも明らかに利用者の減ったコートは、短時間であればふたりで占領しても問題が無さそうで気持ちが高まる。

    が、オレが少し離れた場所でバッシュの紐を締め直している間に、藤真が大人のプレイヤー数名に囲われてしまっていた。三、四十代か?この時間帯にしてはやや年齢層が高い集団だな…。
    一緒にやろうと誘われているのであろう事は察せたが、会話が長い。藤真が顔を横に振る回数も妙に多いなと訝しんでいると、一人の男が藤真の腕を強引に掴んだのでオレはすぐにその間を割った。

    「此奴に何か?」
    「……おぉ」

    そう声を掛けると、オレの顔を見て男達は驚いた反応をしてから小さく舌打ちを残し、コートから去ってゆく。何だ…雰囲気の悪い連中だな。

    「何だ今のは…何を言われた?」
    「……え?あ、」
    「どうした、…大丈夫か?」
    「あぁ、うん、一緒にやろうって。悪い、断った」
    「それは構わんが」

    これまでも全ての誘いに乗ってきた訳では無い。例えば女子からの声掛けには怪我をさせるリスクも含め、こちらが思う存分動けないゲームは乗り気になれないのでふたり同意で断っていた。治安の悪そうな連中も、オレは良くとも藤真を巻き込むのはどうにも気が進まず、オレが判断をして顔を横に振ってきている。
    なので藤真の意思で相手を選別する事にも特に意見は無いのだが。

    連中が藤真の腕を掴んできたのは、明らかに別の意図があった。透明な瞳が少し翳った様な気がしたので、もう一度「大丈夫か」と問いながら様子を伺うと、眉間に力の入った顔がこちらを向く。いつも涼しげな色を纏っている藤真の顔に妙に落ち着きが無い。

    「他には何を?」
    「…いや、平気」
    「何が"平気"なんだ」
    「………」

    歯切れ悪く最終的に下唇を噛んだのを見て、オレはふたり分の荷物を纏めて拾い上げた。そして反対の手で、ボールを持ったまま固まっている藤真の手を引いて人目の無い場所を探す。オイ、と慌てた声に反抗されたが、掴んだ白い指先が氷の様だったのでオレは振り返らず、黙ったまま少し遠くの柱の裏側まで藤真を連行した。

    「何を言われた、脅されたか?」

    暴力は無かったよな、ならば金銭か?とオレが詰め寄ると藤真は強く否定をして、はぁー…と諦めた様に大きく溜息を吐く。

    「……ナンパだよ」
    「…ナンパ?」

    鸚鵡返しした言葉に返事は無く、再び藤真の唇は固く結ばれた。…つまり口説かれたという事か?さっき藤真に絡んでいた集団は全員男だったよな、と己の記憶を巡らせてから胸に嫌な靄が立ち込めた。ひと回り以上年上であったであろう男達が、下心を持って藤真に近付いてきたというのか?…何だそれは。理解した瞬間に、酷く不愉快なものが込み上げる。
    そこで数秒の間を空けてしまった事が余計に藤真の表情を曇らせた。

    「気持ち悪いよな、悪かった忘れてくれ」
    「多いのか」
    「………」

    沈黙は肯定だ、こんな顔色になる程嫌悪をしているくせに何が平気なのか。成程、先日聞いた連絡先を勝手に他人に流されてしまう話の件も含め、世の中には思いもしない趣味趣向が有り、それは藤真にとって常に纏わりつく畏怖なのだろう。己の世界が狭い事を強く実感する。だが知った以上、見て見ぬ振りは出来ない。

    「とりあえず少し座って休め、顔色が悪い」
    「平気だって…」
    「そんな顔で言われても説得力が無い」

    オレが背をさすり宥めたのが気に入らなかったようで、顔をむくれさせながら藤真はオレを見上げて睨んだ。「怖かった訳じゃ無い」と言うので、なら何だ?と問うと大きな瞳は何故か左右を彷徨ってから、視線と共に遠くへと逸らされる。

    「…お前が笑わないから驚いただけ」
    「……何?」
    「だから…お前が普通に助けてくれた事に驚いたって言ってんだよ」

    白い頬に微かに朱が走り、額や首筋にうっすらと小さな汗が浮いた。やや恥ずかしそうな反応を伺わせるその顔は、悔しそうに顎の下にぎゅっと力が入っている。…笑わないで助けたから、驚いた?

    「いや、それは…助けるだろう…?」
    「助けねぇよ、オレ男だぞ?なのに男からナンパされてんだぞ?」
    「だから何だ、友人が困っていればどんな状況であろうが助けるだろう」
    「大抵は遠くで見ながら笑ってたり後から茶化してくるだけだって」
    「そんな薄情な奴があるか」

    男子校ならそんなもんなんだよ、と藤真は後頭部を軽く掻きながら溜息を吐く。そうか翔陽は男子校か。共学には無い、男だけの環境のそういったノリや雰囲気があるのだろう事は分かるが。だからと言って目の前で大人達に言い寄られる友人を見過ごすなど、まして笑い種にするなど…
    いや、それともオレは余計な事をしたのか?確かに藤真は女子では無いし、男から言い寄られたとてその場を切り抜けられない事も無いだろう。つまり何だ、女扱いの様な惨めな思いをさせたと?

    「すまん、無粋だったのなら謝る。…お前を見くびった訳じゃ無いんだが」

    気を悪くさせてしまったのなら。そう思いオレは浅く頭を下げて見せたが、藤真は逆に困った様に眉を下げて顔を横に振った。

    「いいけど。…お前、オレが男からナンパされてても面白がらないんだな」
    「面白い訳があるか」

    むしろ苛立っている。肺に蜘蛛の巣か埃でも蔓延っているかの様で、今すぐにでも掻き毟って取り払いたい。オレの怒りが別の角度へ向いているのを何となく察した藤真は、少し笑ってから真剣な表情をした。

    「ありがとうな、何かオレ以上にお前が怒ってて拍子抜けしてる」
    「…そうか」
    「ほんと良い奴だよな、牧って」
    「…普通だと思うが」
    「心配してくれたし」
    「当然だろう」
    「揶揄いも、笑いもしないし」
    「する訳が無い」

    うん、と頷いてからもう一度「ありがとう」と言い藤真は頬を緩めずに真っ直ぐにオレを見た。まだ昼の白く強い日差しを背景に、仄暗く宿した黒の気配。ふたりきりの時にも、試合中にも、こんな顔は見た事が無い。…どうしてか痛い。
    その切創の様な鋭い痛みを奥歯で噛み締めて、オレは藤真の視線を受け止める。

    「慣れてはいるけど、気分の良いものじゃねえし不快な事には変わり無いし」

    人が何に対し怒りを感じ、悲しみを得るか。まだ両の指で足りる程度の回数逢瀬を重ねただけだ、どれだけ同じ視線でバスケをしていようとも、どれだけ似た感覚を携えていようと──

    「正直、オレの外見はそういう対象だって言われてるみたいで胸糞悪い」

    オレはまだ藤真の事を何も解っていないのだという事実が、小さな棘となって喉に刺さった。ただぽつり溢れた声が、オレの心臓にひと滴の波紋を落とす。

    このコートで初めて出会った時、一番最初に感じたもの。
    藤真は、“美しい“。
    笑った顔、燃える瞳、風に靡く髪、遠くまで通る声、バスケをプレーをする指先。そして海南に対する確かな競争心を持ちながら、同志の様に清く穏やかなオレへの態度。
    感謝も謝罪も正面から伝えてくる強さ。敵だからと噛み付く事などしない、恨みつらみも持たない、次は勝つと宣言をしてただひたすらに己の能力を磨いてゆく姿勢。
    藤真健司は全てが美しいのだと── それを知る度にオレの胸は震え焦がれているのに。

    「オレは藤真を、もっと別の事で美しいと思う」
    「……え?」
    「確かに見目も綺麗だとは思うが」

    お前がそんな風にお前自身を貶めるな。
    真摯に伝えたつもりだったが、藤真の表情は困った様に歪んだ。それから瞳を大きく見開いて何故か困惑しながら目を逸らされたので、疑われているのかと思い「本心だぞ」と付け足す。
    すると更に藤真の表情は戸惑い、挙句、はぁー…と肺に溜まっていたのであろう澱みを重たげに吐き出した。白い頬に再び赤が灯ってゆき、…むしろ赤すぎるくらいか?どうした?

    「…牧って天然なのか?」
    「なんだ?」
    「何でも無い。…もう良いから、早くバスケしようぜ」


    占いの類を信じた事は無いが、運というものは本当に日毎に確率を変える物なのだろうか。
    どういう訳かその日、オレが用を足しに行っている間に藤真は再び知らない男達から声を掛けられ、バスケの誘いでは無く下心丸出しに口説かれるという災厄に見舞われた。
    タイミング良く戻ってきたオレが藤真の背を抱いて無理やり引き剥がす事で男達は引き下がったが、当人の表情は先程とは比べ物にならない程に険悪に殺気立っている。
    何となく会話は聞こえてきていた。ハーフみたいな顔が好みだ、可愛い、遊ぼうよ、飯奢るから。まるで女子を口説くかの様な内容で、…むしろ女子だと勘違いをしたのか?あれでは藤真が機嫌を悪くするのも無理無い。

    いつもよりも少し時間が早いが、今日はオレが二人分の飲み物を購入し、まだ苛立っている藤真の手に冷えたペットボトルを渡してやった。ありがとう、と礼だけはしっかりと言いながら、不機嫌な男は大股で歩いてゆきいつもの柱の裏へと隠れる様に座る。憤慨した気を確かに肌に感じながら、オレもゆっくりと藤真の左側に腰を下ろした。

    形の良い眉がキュ、と少し内側に寄っていて、大きな瞳は白い瞼に半分程が隠れて下を向いている。丸い膨れっ面は表情も相まり、意外とガキっぽい。
    そんな顔でもこの男は確かに美しい。光に透ける淡い髪と瞳、北国の雪を思わせるような白い肌。少し小振りな造りの顔も、くっきりとした二重瞼も長いまつ毛も、まるで神が愉しむ為に誂えられたかの様。
    手を伸ばし、己のものにしたいと誰もが思うのだろう。
    そっと滑らかな頬に指先で触れてみる。ビクッと、藤真の肩の端が怯えたのを感じて、誤魔化せるようにとオレは親指と人差し指で頬を摘んでやった。

    「………なんだよ」
    「機嫌を直せ、お前は笑っている方が良い」
    「…どう言う意味だよ」
    「そのままの意味だが?」

    どれだけ真剣に伝えようとも、ここで手をはたかれ振り落とされるのが関の山だろう。藤真の手が動いたのを見てそう思ったが、その左腕は予想外の所まで伸びてきて、グイと少し乱暴にオレの右頬を同じ様に摘み返してきた。
    何故そうなるんだ、と可笑しくてオレが吹き出して笑うと、オレの無様な変顔に耐えられなかったのか藤真も釣られて笑い出した。
    ああ、そうだ…その顔の方がずっと良い。

    「牧は貫禄あるよな、羨ましい」
    「……そうか」
    「さっきの奴らも、その前の奴らもお前の顔見て逃げてっただろ」

    藤真はまたつまらなそうにポツリと零す。年相応に見られない事もそれなりに不便はあるぞと返そうと思ったが、今の藤真が望む答えでは無いだろうとも思い、呑む。
    ゆっくりと藤真の指がオレの頬をひと撫でだけして離れた。それに合わせてオレも、摘んでいた白い肌に痕が付いていないか指先で確認してから手を離す。

    「まぁ…昔から年上に見られがちではあるな」
    「遠目から見たら外国人にも見えるし」
    「ああ、実際外国の血は入っているぞ。父方の祖父がアメリカ人だ」
    「!、クォーターか?驚いた、同じだ」

    オレは母親側の祖母がロシア人、と続けられてお互い同時に「通りで…」と溢してしまう。
    "通りでその風貌だ"。最後まで言葉にせずとも言わんとする事が分かってしまい、オレも藤真もまたシンクロする様にケラケラと笑ってしまった。先程までの湿った空気を払う様な、軽い吐息が溶けて漸く藤真の表情が和らぐ。

    「日本で初めて会った、同じ奴」
    「ああ、オレもだ」
    「…嬉しいな」

    丁寧に置く様な声で呟かれたその言葉に、胸の奥のピースがぴたりと嵌る様な感覚がした。そうか、そう感じる事すらも同じなんだなと分かると自然とオレも口の端が綻ぶ。

    幼少期は外国に居たのかと尋ねると、そこもまた己と似た境遇に居た事を知った。八歳、九歳で日本へ来たので、日本の小学校に馴染むのには時間が掛かった。親が日本語を話していたので会話に困る事は無かったが、自由が無く規律と協調性を強く求める環境はとても窮屈に感じた。お陰で幼い頃はとても生意気で、可愛げの無いクソガキだったと思う。藤真がそう言うので、オレも全く同じだと笑って返す。

    乱暴に踏み荒らす様にしてまで相手の事情を知りたい訳じゃない。だがこんなにも素直に胸の内を明け渡す事が出来る者は、これまで何処にも居なかった。それが嬉しくて、仕方が無い。

    オレとお前は似ていない、違う人間だ
    なのにこんなにもオレと同じだ
    まだ知らない事ばかりだ
    なのにお前は、オレを理解してくれる

    「藤真、オレはまだお前の事を知らない」
    「……」
    「お前がこれまでどんな風に生きて、どんな風に見られてきたのか。どんな事に喜び、苦しんできたのか」
    「…うん」
    「何に怒りを感じ、何に笑ってくれるのか、…まだ分からない」

    “お前の事、教えてよ“
    夕焼け空に打ち寄せた白波の泡が、そう言ったのを憶えている。
    もし藤真がオレと同じ気持ちでいるのならば、深く踏み込まれる事はきっとまだ望まないだろう。
    もっと、両手両足の指でも足りぬくらいにお前と時を共にしなくては───

    「ゆっくりで良い、また…お前の事を聞かせて欲しい」

    藤真が、淡い春の花と同じ色をした唇を微かに笑わせて、大きな瞳を薄くした。折った膝の上に頭を預けて此方を見る姿は、これまでの彼とは明らかに違う近さを感じる。

    「牧の過去もくれるなら、…良いよ」

    どうしてか耳の端から体温が上がったのが分かった。一度目を逸らしてしまったが、再び視線を戻してまた藤真の顔を見つめ直すと、今度はその甘美の爪から逃げられなくなってしまう。
    …好きだ、此奴の笑った時の瞳が。
    唇が震えて、情けなくへの字に曲がった。懸命に堪えるオレの様子に藤真は、少し優位になった様に笑う。

    「牧ってよく分からない所で照れるよな」
    「……っ」
    「揶揄い甲斐がある」

    悔しくて、思わずもう一度その綺麗な頬を指でつねってやった。
    触れると余計に、肌の色も温度も、笑う声の高さも違うと分かる。見た目もプレースタイルも真逆で、目標とする選手も、好きな色も、趣味も重ならないし確かにお前は別の人間なのに。
    だがこんなにも似ている。まるでお前はもうひとりのオレなのでは無いかと思うほどに。



    もっと、触れてみたい
    この隙間が埋まるのなら───




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