99%LIBERTY⑦ 首の皮一枚で繋がったような奇跡の連続で、俺は一応明智と未だ恋人関係にある。けれどこれも永遠に続くはずもなく、おそらくタイムリミットは明智の卒業だろう。それまでにどうにかこちらを振り向かせなければならない。
「愛とか恋とか信じてない相手に惚れてもらうにはどうしたらいいと思う?」
「はあ?」
ひとまずは一人で悩まずに相談するのが良かろうと、明智のことはぼかして竜司に相談してみたが、彼は変な顔をするばかりだった。
「なんかやばい相手じゃね? それ」
「まあ……でも、好きだし」
「うーん……あっそーだ、昔なんかあったよな? ドラマ。僕は死にましぇん! みたいなヤツ。そんな感じで回数勝負とかどーよ?」
「なるほど。よし」
「マジでトラックには飛び出すなよ? 一応、念のためだけど」
「さすがにしない。無駄死には嫌だしな」
「無駄じゃなきゃやるのかよ……」
回数勝負。信じない相手への根比べとしては悪くない。あとはどれだけインパクトを与えられるかの勝負でもある。残された時間で精一杯やるしかない。
放課後のチャイムが決戦の合図だ。俺は一度大きく深呼吸して仮面を付け替える。鞄を掴み、一階下へ駆け下りて目当ての教室を覗き込む。果たして彼はまだそこにいた。
「明智先輩」
こみ上げる衝動のままに微笑んで呼びかけた。明智は一瞬眉根を寄せ、しかし周囲の人目のためにさっと体裁を取り繕う。その外面の分厚さはいっそ尊敬する。それが綻びるのが俺の前だけだというのも悪くなかった。
「早いね。何かな」
「一緒に帰りませんか」
初対面から一切気を遣っていなかった俺だって、一応先輩である明智に敬語を使うことくらいできる。かわいい後輩アピールにもなるしと試してみたが、明智は特に驚くでもなく微笑みを崩さない。まあ、三年の教室で四面楚歌は避けられるのでいいだろう。わざわざ人目があるところで誘えば、ばっさりと断られないのも都合が良かった。
「いいよ、ちょっと待ってて」
「ありがとうございます」
『良い先輩』の顔をして微笑んだ明智に、俺もおとなしい後輩の顔をして頷いた。教室を出て待っていると、すぐに明智がやってくる。
「おまたせ」
促す視線に歩き出せば、ふたりの間に拳ふたつ分の距離が開いた。前はもっと近かったのに、その辺りはしっかりと調節しているらしい。ほんの少しだけ傷つきそうになって、でも前はちゃんと恋人として扱われていたんだな、と思い直し、この距離を埋めることに全力を出すことにする。ひとまずは周りに知り合いがいないことを確認してもっと体を近づけた。
「手、つないでいいですか?」
「絶対にお断りだね」
鉄壁の微笑みは崩さないまま、低い声で明智が答えた。器用な真似をする男だ。対外の仮面を脱いでいるようだったので、俺も敬語をやめることにする。
「やることやってたのに、照れ屋だな」
「君、それ今度外で言ったら絶対に殴るからね」
「今は許してくれるのか? ありがとう。愛してる」
「ノリが軽いな」
軽い舌打ちとともに寄せた腕を振り払われて、ぐ、と胸が詰まった。けれど傷ついた顔なんて見せたらより心は遠ざかるだろう。何でもない顔をして笑ってみせる。逆境こそ微笑んで、ブラフを張る。明智と勝負する中で覚えたことだ。
「俺はずっと本気だぞ」
白けた目をした明智は、ただ鼻で笑った。
「君は恋だ愛だというけどね。どんなものだと定義しているのかな」
「定義?」
「議論の際にはすり合わせが必要だ。共通認識なんてまやかしだよ。愛には種類があることがいくつかの論文で定義されているけれど、君の言う愛とは、どれのことを言ってるんだ?」
「ルダスとかエロス、ストルゲってことでいいか?」
「そうだね。その六分類がわかりやすいだろう」
小難しい分類は、前に少し見たことがあるだけだが、好きな相手がいたのでよく覚えている。直観的で肉体的な愛のエロス、友愛のストルゲ、ゲームとして恋愛の駆け引きを楽しむルダス。偏執的で独占欲の強いマニア、自己犠牲的なアガペー、社会的地位などを求める利己的な愛のプラグマ。
「エロスだな。他の要素も混じってると思うけど、俺はおまえをそういう目で見てるし」
「随分即物的だね」
「きっかけがそれだったからな」
「へえ?」
あの日の絶望を覚えている。大事だった何かをめちゃくちゃに汚してしまったような苦い味。それでも、無視も諦めることもできなかった。明智が欲しい。それだけだった。
「俺を抱くことができたんだから、おまえだってエロスに当てはまるんじゃないのか?」
「そんな感情、持ち合わせてないから仮定がそもそも無意味だけれど、あるとしてもルダスだよ。君はもう二度と抱かれないとしても、僕が好きなの?」
「好きだよ。そういう関係にならなくても好きだったんだから」
最初はただいい先輩だと思っていた。けれど、わりと早くにいい性格をしている先輩だと気づいた。同格に見られたくて努力を重ね、シニカルな表情の裏の寂し気な一面にまんまとハマってしまって、もう抜けられない。
「たぶん、何をされても、逆にされなくても、俺は明智が好きだよ」
噛みしめるように言った俺に対して、明智は苦虫を噛み潰したような顔をして、眉間に深いしわを寄せる。
「僕の何を、……わかったような口をきくなよ」
「わかりたいから教えてくれ」
「君って推理小説を結末から読むタイプ? 情緒が足りないんじゃないかな」
「じゃあ勝手に推理する」
「それはそれで嫌だから却下するよ」
「難しいな」
ぽんぽんと言葉を投げ合って考え込んだ俺に、ほんの少しの憐れみを混ぜた視線を投げかけた明智が、ぽつりとつぶやいた。
「早く諦めたほうがいいんじゃない」
「絶対に嫌だ。責任は取ってもらうからな」
「勝手に惚れておいて?」
「恋なんてそんなものだろう。主観的に行う行為だ」
「本当に君って、……面白いよ」
苦みを残しながらシニカルに笑うその表情がやけにきれいで、脳裏に焼き付けるように、言葉を継ぐのも忘れてじっと見つめてしまった。
――ああ、好きだなあ。
動きを止めた俺に不審げな表情になった明智に笑い返して、また一歩離された距離を詰めた。