GERD 最近気に入っている女にねだられ、露店で籠に詰められていた猫を2匹購入した。赤毛の雄猫、赤と白が入り混じった雌猫は兄妹猫なのか、籠の中でぴたりとくっつき離れない。商人に話を聞くと2匹はよく躾けられており、飼い主の長期間の留守なども問題無いと言う。
露店の爺さんは籠をロープから外しておれへ渡すと眉間に皺を寄せた。
「ただ兄さんや、これだけは気を付けろ。この雄猫、雌猫に危機迫るととんでもなく暴れやがる」
「ほぉ、そいつは楽しみだ」
籠を手にすると、雄猫はおれに向かって得意げに胸を張った。その刹那、おれの脳裏にどこかのお頭と愛娘が過ったが、今は隣に女もいることだし、ここは都合よく忘れることにした。
それから女は猫達をを大層可愛がった。ああ、勿論おれも可愛がったさ、女の方はな。たまたまこの島には寄港する機会が多く、女と猫達には日を空けずに会うことが出来た。猫達もおれを忘れてはいないようで、部屋へ入ると2匹は一目散に駆けつけて頭をおれの足に擦り付けた。
「うふふ、ずっとあなたを待ってたのよ?まるで子供みたい」
「こんな毛むくじゃらのガキは作った覚えねェがな」
「はいはい。ほら、みんなでご飯にしましょう」
猫がいることで女の家は少しばかり、いやかなり賑やかになった。一瞬でも“ガキのいる一般家庭”を味わえたことは、今考えてみても貴重な経験だった気がする。だがしかし、そんな日々は即刻終了した。
「うにゃあ!にゃあぁあ……」
猫達が発情期で一晩中鳴くようになったのだ。トイレマナーだの留守番だの、どんなに躾を受けていても、本能的なことには抗えないのか、2匹は目を離すとすぐ交尾を繰り返すようになった。女は猫達が重なるたびに「こら!うちは2匹以上飼えないんだからやめて!」と叱り付けていたが、勿論効果は無い。無理に引き剥がそうとすると雄猫は容赦なく牙を剥いた。
おれ達の抵抗も虚しく、程なくして雌猫が妊娠した。日に日に膨らむ腹を見つめ、女がため息を吐く。
「困ったわぁ……お店の子に譲るしかないわね」
「ま、次は去勢するしかねェな」
「そうね、可哀想だけど」
「日数的に、次の航海から戻ってきたら生まれてるか」
「えぇ。まあ生まれてからしばらくはこっちで面倒見るわ」
この時まで、たかが猫だと思っていたよ。おれも。次の航海から戻ってきた時、事件は起きた。女の家に上がると彼女は悲鳴をあげて走って来た。
「おい!何があった……お前、顔が……!」
「わたしのことはいいからあの子達を助けて!こ、子猫達が……イヤ!いやあああ……」
彼女の商売道具である美しい顔には横一線赤い傷が入っていた。にも関わらず、女は生まれたばかりであろう子猫達を心配しながら気絶した。彼女の手や腹は血塗れで、おれは意識を失った彼女を廊下に横たわらせて、一目散に室内に入った。
「な、んだコイツは……」
人1人殺したかのような、血生臭さと独特の湿気。部屋奥に設置されていた猫子屋の奥からギラリと光るものが4つ見えた。どうやら雄猫と雌猫はあの小屋の中に潜んでいるらしい。おれは小屋ごと持ち上げて中身をひっくり返してやった。子猫がいようが構わない。これはおれの愛する女を傷付けた罰だ。
だが中から出て来たのは……
「う、っ……!」
ぼとぼと。音を立てて落ちて来たのは首がもげた子猫の死骸だった。それからもう一度小屋を振ると、あの雄猫と雌猫が一緒に落ちて来た。雌猫の方は出産直後だからか動きが緩慢だったが、雄猫の方はコイツを守るかのようにおれに立ちはだかり、鋭い歯をチラつかせた。
「お前……テメェのガキを食い殺したのか」
雄猫の口周りにはベッタリと赤が付着しており、胸元には肉塊がこびり付いている。どうやら生まれた子猫をコイツが全て噛み殺したらしい。雌猫の方は自身の子供を殺されたにも関わらず、けろりとした表情で、血塗れになった己の尻尾や股間の毛繕いをしていた。
「ガキのことは別にどうだって良い。だがな、おれの女を傷付けた罪はデカいぜ」
たとえ猫だろうが何だろうが、おれの女を傷物にしたツケは支払って貰う。銃口を雄猫に向けると、猫は怯える様子もなく、あくまで雌猫を庇うように前に立った。
「今度はあの世で2匹、仲良くやんだな」
そう言っておれが引き金を引く直前、まるでそのタイミングを見計らったかのように、家屋に雷が落ちた。酷い雷だった。一瞬足元がもたついて、おれが床に手をついたその瞬間、雄猫は雌猫の首根っこを咥えて玄関扉から勢いよく飛び出して行った。
「こんな胸糞悪い展開があるかよ」
夢なら早く覚めてくれと願う一方、足元に転がった子猫だったモノから漂う生臭さが、これは現実だとおれに訴えていた。
***
「……ック、ベック!おーい!ベックったら!」
「ん、……あ、なんだ」
「なんだって……呼び止めたのはベックでしょ?ねっシャンクス」
ウタの呼びかけで過去に飛んでいた意識が現実に引き戻される。そうだ、おれは目の前にいるほぼ素っ裸の2匹をとっちめている真っ最中だった。
「お説教なら後でシャンクスに言って!」
「おれだけかよ」
「そもそもシャンクスが悪いんじゃん。ベック、わたしはこのわる〜い海賊、わるい大人に嵌められただけだからね!」
「ウタ、お前こういう時だけ娘面すんな」
「娘面って、ベックにとってわたしは娘なんだから当然でしょ?」
ぐちゃぐちゃガキみたいな口喧嘩をする2人からは、何とも言えない事後の色香が漂っていた。シャンクスは上裸で、ブランケットでぐるぐる巻きにしたウタを抱いている。ウタの首筋やブランケットから伸びる白い脚に散らばる所有の証が視界に入るや否や、自分の胃の中の内容物が一気に込み上げてきた。
「う、っぷ」
そうだ。おれはコイツらの、身近に居る家族が男女の仲になっちまったこの気まずさを、あの猫どもと重ねたんだ。海賊に倫理観もクソもあったもんじゃないが、実際目の当たりにするとまあまあなショックだった。
吸い過ぎてとっくにカケラになったタバコを口から落とし、足で踏み付ける。早くこの場から離れたかった。
「もういい、胸糞悪いからとっとと行け。それとシャンクス、他の奴らに示しがつかなくなるような真似だけはするな」
目の前の2匹はおれの発言に目を丸くした後、一目散に風呂場へと逃げて行った。
あの猫達の行方を、おれは知らない。女は今、夜職を辞めて小さな花屋を営んでいる。そういや最近は郵便のひとつもないが、あの女は元気にしているだろうか。珍しく島に置き去りにした女の顔を思い浮かべてみたが、あの日に嗅いだ血生臭さと赤がチラついて、柄にも無く胸が傷んだ。