神父と淫魔 №12「慕情」
背後からの聞き覚えがある男の声に慕情はため息をついた。
振り返ろうかこのまま立ち去ってやろうかと考えている間に、男は慕情の隣に立つ。
「無視することはないだろう」
司祭平服を着た男は眉根を寄せて言った。
「無視されていることに気付いているなら大人しくどこかへ行け」
「可愛げがないな」
「お前に見せる可愛げなんて元々ない」
「そうだな、元から期待してないがな」
そう言う割には気に入らないらしく憮然としている。
「用はそれだけか、私は忙しい。じゃあな」
とりつく島もなく、さっさと立ち去ろうとする慕情の手首を風信は掴んだ。
振り払おうとしたが強く握られてびくともしない。
「どうせ、散歩でもしていたんだろう? 暇ならうちに茶でも飲みに来い」
とてもじゃないが、茶に誘うなんて雰囲気ではない強い目色に
「そういうことか」
と、慕情は舌打ちをする。
もちろん慕情は散歩をしていたわけでは無い。
南風以外を受け付けなくなってしまった扶揺の為に、万が一の時に食える人間を探していたのだ。
今も丁度都合の良さそうな人間を見つけたので、様子を探るべくついて行こうとしたところだった。
何に対してのものか知らないが、風信のあからさまな牽制に慕情は鼻白んだ。
「今は茶を飲む気分じゃない。そのうち気が向いたらな」
「まぁ、そう言うな」
慕情の手首を一層強く握る。強すぎて痛いほどだ。
慕情が思わず顔を歪めると、風信はそのまま腕を引いて歩き出した。
このまま教会へ行く気なのだろう。
「風信、痛い、手を離せ」
「駄目だ」
感情を押し殺したような低い声に慕情は渋い顔をした。
引きずられるように道を歩く。
途中何人かに声をかけられたが、風信は足を止めずに挨拶を返す。
道行く人が腕を引かれた慕情を興味深げに見送っている。
目立って顔を覚えられたくない慕情にとってはこの状況はかなりまずい。
下手に嫌がって何事かと思われるのは困るし、第一、目的の男は見失ってしまったので諦めて風信に合わせて歩く。
ほどなくして着いた教会の裏手の住居に引きずり込まれた。
そのまま食卓の前まできて漸く解放された。
「座ってろ」
「命令されるいわれはないが?」
「いいから黙って座れ」
慕情が椅子に座るのを確かめてから、風信は台所へと姿を消したが、じきにティーポットとカップとマフィンがのったトレイを持って戻ってきた。
「湯が沸くのに少しかかる」
「マフィンを食べて待っていろとでも?」
慕情の嫌味に、ずっと不機嫌顔だった風信が笑う。
「お前がそうしたいならそれでもいい」
言って、マフィンがのった皿を慕情の前に置いた。
「……お茶が出るまで待つ」
嫌味が通じなかったのか躱されたのか。
慕情はどうでもよくなった。
どうせ、今日は風信のせいでもう街を歩けない。
ややあって紅茶が注がれたティーカップが漸く慕情の前に置かれた。
「で、わざわざここまで連れてきて、私に何のご用ですか神父様?」
「最初に言っただろう。茶に誘っただけだ」
「はっ、よく言ったものだ」
随分雰囲気の悪い茶会が始まった。
どちらからも特になにも話しもせず黙々と茶を飲んでマフィンを食べている。
――時間の無駄なことこの上ないな――
慕情が内心苛ついていると、風信が突然噴きだした。
「何だ」
「いや、だって、お前、そんなにわかりやすく」
まともに返事も出来ないぐらいおかしくて堪らないらしい。
「何がそんなにおかしかったのか私には分からない」
「いや……くっ、気に、するな」
我慢しきれずに途切れ途切れに言う。
気にはなるがどうせくだらない事だろう。
一頻り笑った後、少しズレた片眼鏡を直したのを見て、慕情はふと気になっていたことを訊くことにした。
「風信」
「ん?」
「どうして片眼鏡なんだ」
慕情の問いにピンと来なかったらしく、少し首を傾げた。
「なんで普通の眼鏡ではなく単眼鏡を使ってるんだ」
わざわざ言い直してまで訊くことじゃなかったなと慕情は半目になった。
「ああ。これか」
風信は左目の片眼鏡の下の方を左手指先で覆う。
「つまらない話だ」
なんだか話したくなさそうにみえて、慕情は俄然興味が湧いた。
「わざわざ茶を飲みに連れてきたんだ、何か話ぐらいしてもてなしてもらわないと来た甲斐がない」
「茶と菓子を出しただろう」
「それは当たり前だ。それだけで済ませる気か」
意地の悪い笑みを浮かべた慕情に風信は「それもそうか」とまた笑った。
「隠すほどでもないから構わないが、本当にたいした話じゃない」
「それを決めるのは私だ」
「そこまで言うなら」
「さっさとしろ」
「俺の左目はちょっと特殊でな。祝福なのか呪いなのか、普通の人間では見えない物が見える」
「へぇ。例えば」
いかにも信じてないといった様子で、慕情は腕を組んだ。
「悪意とか呪いとか怨霊とか」
そう言いながら風信は片眼鏡をゆっくり外す。
「人に化けた悪魔の真の姿とか」
表情を消した風信の射貫くような視線に慕情は思わず身構えた。
『人に化けた悪魔』なんて思わせぶりに、あからさまに慕情の反応を窺っている。
「それは随分な話だな。神父ならさぞ便利だろう」
ぞんざいな調子で慕情が言うと風信は小さく笑った。
「そうでもない。どれほど見えても全てを解決してやれるわけでもないし、そう言う物は見るだけで心身共に疲弊する。だからこれは余計な物が見えない様にすためのものだ」
風信はまた片眼鏡をかけた。
慕情はどう反応するのが正解なのか迷った。
興味を示すべきか信じてない素振りをするか。
まぁ、自分の性格なら後者の方が妥当だろうなと。
「それはそれは気の毒な話だな神父様。そんな余計な目ならいっそ封印でもした方がいいんじゃないか」
「そうはいかない、片目だと不便だし、それにこれが役に立つときもある」
「役に立つ?」
「ああ、俺は祓魔師だからな」
慕情を見る探るような風信の目に慕情は血の気が引くのを感じた。
「驚いたな。悪魔払い(祓魔師)なんて本当に居るのか。てっきり童話だと思っていた」
嫌味よろしく口の片端をあげる。
「今時は大体そんなもんだろうな」
「…………」
「…………くっ」
慕情が神妙な顔になっているのをみて、風信はまた笑い出した。
今の流れで何がおかしいのか理解出来ず、慕情は唖然とする。
「慕情、お前、信じてない振りが出来なくなってるぞ」
「なっ」
「あっさり信じるんだな。意外だった」
笑いすぎて目に涙を浮かべている風信に慕情は白目を剥いた。
「私をからかったのか」
「そう怒るな」
「勝手なこと言うな、不愉快だ、帰る」
机を叩く勢いで手を突いて立ち上がる。
ティーカップが跳ねてティーソーサーとぶつかった。幸い割れているような音ではなかった。
しかし、そんな事は気にも留めず、慕情は腹立たしげな足音をさせて出て行った。
風信は追いかけることはしないで、遠ざかっていく慕情の気配が完全になくなってから一旦笑顔を消して
「やっぱり慕情は本当の姿の方が綺麗だ」
と、静かに口の端をあげた。
慕情は少し乱暴な歩き方で家を出てしばらく歩いてから、風信が追いかけていないことを確かめると歩き方を変えた。
所作の綺麗な歩みで角を曲がり、教会の近くの建物の影に隠れた。
外壁に背を預け腕を組む。
――やっぱり食えない男だ。目の話が真実かどうかは置いておいて、私たちの正体は気付かれていると考えておいた方がいいだろうな――
慕情は目をつぶり、ため息をついて組んだ腕をといた。
目を開けて教会へ目をやる。
「祓魔師か。面倒だな」
忌ま忌ましい気に舌打ちをしてから慕情は教会を背に再び歩き出した。