神父と淫魔 №18「落ち着いた?」
扶揺のベッドに二人、並んで座っていた。
やっと涙が止まった扶揺の背を擦りながらもう片方の手を扶揺の手に重ねている。
「悩んでた私が馬鹿みたいだ」
拗ねたような声調子で鼻をすする。
「そんなことないよ」
泣きはらした目で睨んでくる扶揺に南風は苦笑する。
「訊いてもいい?」
「何を」
「言いたくないなら言わなくていいけど、どうしてキスしたの?」
南風の問いに扶揺は居心地が悪そうに視線を足下に落とした。
「お前の精気を食べるために」
「精気?」
「人間の生命力みたいなものなんだ」
「それを食べるの?」
扶揺はこくりと頷いた。
「……私は淫魔だから」
「うん」
「人間の精気を食べないと生きられない」
「食べたらだめなの?」
「え?」
「凄く悪い事をしているみたいに言うから」
「よくはない……と思う」
「どうして?」
「精気は生きる力だから」
「食べられると……死んだりするの?」
扶揺はもう一度こくりと頷く。
「でも、兄さんが人間を死なせるのは駄目だからって。だから死んでしまうほどは食べないけど」
「そっか」
南風が明らかに安心したような顔をする。それに扶揺は眉根を寄せた。
「私がお前を死なせると思ったのか?」
「なんで?」
「お前、今ホッとしただろう」
「? ああ、そうじゃない。俺の精気?をあげられるんだと思ったらなんか安心して」
そう言って南風はへにゃりと笑う。
「私に精気をくれるのか」
「うん。いいよ。キスしたら良いんだよね」
少し頬を染める南風に扶揺は笑う。
「キスじゃないんだ。正確には体液」
「体液?」
「触れるだけでも少しだけなら精気は吸収できるのだけど、体液に含まれてる精気の方が量が多いから」
「うん?」
「キスしたのは唾液から精気を食べる為だ」
「なるほど」
「汗、涙、唾液、血、精液。中でも精液が一番精気が濃い」
「せ」
言葉を失った南風は顔が真っ赤だった。その様子が一瞬理解出来なくて一拍おいてから扶揺は自分がとんでもない事を言ったらしい事に気がついた。
自分にとってはただの食事の話だけれど、神父の南風にとってはおおっぴらにする話では無かったはずだ。
「なんか……ごめん」
「あ、いいよいいよ、謝らなくて大丈夫。ちょっとびっくりしただけだから」
神父にとって性行為は禁忌だったはず。きっと南風は自分の事をふしだらだと思っただろうなと扶揺は落ち込んだ。
そもそも、「淫魔」という存在自体がふしだらなんだと気がついてさらに落ち込んだ。
「そっか、扶揺はお腹が空いてたんだ。病気とかじゃ無くて良かった」
「えっ」
「これからは倒れる前に言って。せ……えきはちょっと難しいけど、唾液なら大丈夫だから」
南風が赤い顔のままへにゃりと笑う。
見ているとどこか安心する大好きな笑顔だ。
この笑顔をまた側で見られるようになったのだと思うと扶揺は泣きたくなるぐらい嬉しかった。
上機嫌でリビングの扉を開くと、難しい顔をしてソファーに座っている風信が目に入った。
手には新聞を持っているが、明らかに気持ちはそこにはない。
なんとなく不穏さを感じて南風は眉じりを下げた。
「おかえり」
南風に気付いた風信が言う。
「うん。ただいま」
「どうした」
「ううん。何でも無い」
南風はそのまま歩いて風信の隣に座る。
「扶揺に会えたのか」
「うん」
自分の足下を見たまま嬉しそうな南風をみてただ会えただけでは無いのだと風信は気付いた。
「良かったな」
「うん」
南風は顔を上げて風信を見る。
「兄さんの言うとおりだった」
「ん?」
「扶揺から理由を聞けて良かった」
「そうか」
「兄さんは知ってたんだね」
「ああ」
「どうして?」
「見れば分かる。祓魔師だからな」
眉じりを下げて笑う風信に南風も釣られて同じような表情になる。
「兄さん」
「なんだ」
「俺、それでも扶揺が好きだよ」
「そうか」
「……反対しないの?」
「反対して欲しいのか?」
南風が無言で首を横に振るのをみて風信は小さく笑う。
「お前が悪魔を好きになることを俺がどうこう言えるはずもない」
「そっか。やっぱり兄さんは慕情さんの事好きなんだね」
「そうだな」
いやにあっさり認める。聖職者としての葛藤があるとかそう言った様子でも無いから、南風は首を傾げた。
「それならなんで言わないの?」
不思議そうな南風の頭に手をやってから風信は苦々しい顔をする。
「南風。俺は言わないんじゃない。言えないんだ」
「? どうして?」
「……ま、色々あってな。言えるかどうかは慕情次第なんだ」
「ふーん? よく分からないや」
「すまないな。今は説明してやれない」
「いいよ、無理しなくて。兄さんが言えないときはちゃんと理由があるって分かってる」
へにゃりと笑う南風に、風信は曖昧な笑みを返した。
屋根の上、大きな丸い月を背に男は立っている。
――これは夢か?――
風信は目の前の光景に眉をしかめた。
男は慕情だ。
真っ直ぐ前を向いている。
視線の先は街の外だ。
――ダメだ慕情――
届くわけがないのは分かっているのに言わずには居られない。
不意に慕情の背に黒い蝙蝠のような翼が現れた。
――行くな!――
風信の必死な思いもむなしく、慕情は街の外へと飛んでいった。
「慕情!」
勢い目が覚めると天井に手を伸ばしていた。
手を下ろし、ゆっくりと起き上がり顔に手をやって息をつく。
夢だと思いたいが、おそらく夢ではないだろう。
――慕情が街の外に出た……――
淫魔が夜に出かける理由なんてそう多くはない。
この街では風信の邪魔が入ると判断して外に出たのだ。
――裏目に出たか――
慕情は始めは風信の精気を狙っていた。
だから、正体を知っているし敵意が無いことを示せば自分を選ぶのではないかと思ったのに。
「お前はなんでそう、意地を張るんだ」
風信は盛大にため息をついた。
もう猶予はない。
教会の連中が来る前になんとかしないと行けない。
――慕情は大人しく言うことをきくことはないだろうな……――
手荒なことはしたくないが、そうも言ってられなくなった。
窓の外のに目を向けて風信は何度目かのため息をついた。