神父と淫魔 №17 窓から扶揺の部屋に入り床に足を下ろす。
ベッドとクローゼットと小さな机と椅子。
最低限のものは揃っているのに何故か生活の匂いがしない。
扶揺は部屋の真ん中で南風に背を向けて立っていた。
「あの」
扶揺の背に何か言おうとしたが何を言えばいいのか分からず南風は口を閉じた。
――やっと会えたのに――
何か言わないと、何も言えなくなってしまう。そう思って扶揺の名を呼ぼうとした時
「私が気持ち悪くないのか」
と扶揺が言った。
「なんで?」
予想だにしてなかった言葉に南風は目を丸くした。
「キス……」
「あ、ああ。大丈夫、なんともないよ」
「なんともない……」
「え、いや、そう言う意味じゃ無くて……」
南風は人差し指で軽く頬を掻いて少し考えてから口を開いた。
「ちょっと驚いたけど嫌じゃ無かった。だから気持ち悪いとかないよ」
「嫌じゃ無かった……?」
「うん。それに、何か事情があったんだろうなって思ったし。だからもう気にしなくても」
「なんでだ、気にしろよ!」
勢い扶揺は振り向いて大きな声で言った。
頭の上の方で結われている髪が大きく揺れてた。何故かそんなところがいやに目についた。
「えっと……」
「どう考えてもおかしいだろう! 急に具合が悪くなって、いきなりキスして、逃げ出したのに」
眉根を寄せて苦しそうに言う。
「何か事情があったんだろ?」
扶揺の表情に眉じりを下げながら南風は扶揺に近づいて行く。すぐ側まで来て、そっと扶揺の頬に触れようと手を伸ばした途端、扶揺の目からぽろぽろと涙がこぼれはじめた。
「あっ……」
思わず手を引いてしまう。
「どうして泣くの?」
「理由を話したら、お前は私の事を嫌いになる」
「ならないよ」
「絶対嫌いになる!」
吐き出すよう言葉、止まらない涙に堪らなくなって南風は扶揺を抱きしめた。
「大丈夫、絶対嫌いにならないから。だから泣かないで」
強く抱きしめられて扶揺はおずおずと南風の背に手をやる。
大丈夫と言われても扶揺は信じられなかった。それでも、ほんの少し受け入れてもらえるのでは無いかと期待してしまう。
ここまで来てしまえば、もう何も無かったことにはできないしごまかすことも出来ない。
二度と会えないと命尽きる事まで考えたのだからもう今更だと思えば、涙は一層溢れた。
思わず南風の背に回した腕に力が入る。それに応えるように南風も扶揺を強く抱きしめた。
「南風」
「うん」
「私は……人間じゃ無いんだ」
「うん」
「悪魔なんだ」
「うん」
南風は特に驚いた様子も無く、扶揺を抱きしめたままだった。
抱き合ったまましばらく二人して黙り込む。
どうやら南風は次の言葉を待っているらしいことに気づき、思わずその胸を押して身体を離しその顔をみる。南風は驚いていないどころか、急に離れた扶揺を不思議そうに見ていた。
「驚かないのか?」
「なんで?」
「だって、私は悪魔だって言ったのに」
「うん」
「……信じていないのか?」
「そんなことはないよ」
「……私が人間じゃないって気付いていたのか?」
「ううん。今までそんなこと考えたことなかった」
「じゃ、なんで驚かないんだ」
「なんでって……、だって、人でも悪魔でも扶揺は扶揺じゃないか」
予想だにしなかった南風の反応に扶揺は目を見開いて動けなくなった。
「そんな……」
呆然としている扶揺に優しく微笑んでからその額に自分のそれをくっつけ、扶揺の頬を包むように手で触れ、涙で濡れた頬を親指で撫でる。
「俺、扶揺が好きだ」
「えっ」
「好きだよ。人でも悪魔でもそんなのどうだっていい」
「どうだっていいわけないだろう。悪魔なんだぞ。私がお前にひどい事するかもしれないとか考えないのか」
「扶揺はそんなことしない」
「どうしてそんなことが言えるんだ」
「扶揺が優しい事を知ってるから」
「私が優しい?」
眉間に皺を寄せる扶揺に南風はへにゃりと笑う。
「俺や子供達にアップルパイ焼いてくれたじゃ無いか」
「それだけで!?」
「それだけじゃないよ、一緒に居れば扶揺がどんな性格かわかる」
「お前、お人好しの馬鹿だろ」
「そうかな」
「そうだ、馬鹿だ」
また泣き出しそうな顔をする扶揺を抱き寄せる。
「信じて、俺は扶揺が好きだ。だからこれからも会いたいし側に居て欲しい」
腕の中で扶揺が戸惑っているのが分かる。南風はそんな扶揺の背中を優しく擦った。
「扶揺は俺のこと嫌い?」
扶揺は南風の身体に腕をまわす。扶揺の視界が涙で揺れる。
「嫌いだったら泣いたりしない」
「うん」
「……南風」
「うん」
「私も、お前が好きだ」
「うん」
南風の返事は今までで一番優しい声だった。
扶揺の頬にまた涙が流れる。
身体を震わせて泣く扶揺に南風も胸がいっぱいになってしまって涙が溢れた。
強く抱きしめ合って、嬉しくてせつなくて二人して泣いた。