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    藍河響

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    藍河響

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    現パロ杢月
    モクタロさんから月をフッたくせに元鞘になろうとする話。
    月は月でウジウジっとしている。
    長くなって終わりが分からなくなったので一旦上げ。
    尻叩きしてくだしゃぁ……_:(´ω`」 ∠):_ ...

    新しい一日『新しい一日』


    「っし、終わったか……」
    年度末最終日。
    月島は今日までが〆日の案件をなんとかやり切って、漸く相手先にファイルを送り付けた。時計を見ると既に終業時刻をとうに過ぎていて、三時間後には日付を跨いでしまうほどだ。
    「さすがに疲れたな」
    オフィスには自分一人だけだ。最近の急激な寒暖差で体調を崩したり、家庭の事情なんかで早く帰らなくちゃならなかったり、そういう部下を早く帰してやるのも月島の仕事である。
    凝り固まった肩やら背中を伸ばすと、ゴキゴキ嫌な音が鳴る。音が鳴るまでやってはいけないと何かで聞いた気がするが、これが気持ち良くて「ゔあ〜………」と部下からオッサンくさいと言われる声が思わず出る。
    「ふぅ……」
    満足して腕を下ろす。全身の力をダランと抜いて椅子の背に全体重をもたれかけ、天井を仰ぎ見る。
    『お前ひとりで抱えこみ過ぎンなよ』
    そう言って、ポンと肩を叩かれたのはいつだったか。
    ぼんやり思い出した顔は、今より少し若かった。






    ──五年前。
    「悪い。月島の事が嫌いになった訳じゃねえンだ。ただな……、俺が不甲斐ねえだけなんだ」
    「……わかりました」
    そう言ってすまなさそうに頭を下げる恋人──菊田の旋毛を見つめて、月島は乾いた声で返事をした。
    菊田の旋毛を愛でるのが好きだった。長身の彼の旋毛を見るには、座っているか横になった時でないと見る事は出来ない。見る事は誰にでも出来るだろう。でも、その旋毛に触れられるのは恋人である自分だけの特権で。デカイ図体を器用に丸めて、甘えるように胸元に顔を埋める菊田の頭を抱える時、頭を撫でるフリをしてこっそり親指で旋毛を愛でるのが、本当に好きだった。でもきっと旋毛を愛でる度に胸元に低い笑い声が響いてたから、バレバレだったのだろう。そんな事も含めて、菊田の旋毛を愛でるひと時が、月島の中で幸せの象徴とも思える時間だったのだ。
    ──もうこれからはそれら全てが過去の話になる。
    仕方のないことだ。
    働いている限り、会社の命令は絶対。海外支部の立て直しに出向しろだなんて、中間管理職として優秀な菊田に白羽の矢が当たるのは当たり前の事。
    その海外支部が手の付けようが無いほどに酷い惨状になっていると、先日上部から話を聞いたばかりだ。つまり、いつ日本に戻れるかも分からないということ。
    (だから、仕方のないことなんだ……)
    「……じゃぁ、元気でな」
    「……貴方も」
    顔を伏せて去る菊田に、これが最後と分かっていても、立ち去る姿を見たくなくて目を閉じる。数秒後、カチャンと閉まる玄関の音が聞こえた。
    (嗚呼、終わったんだ)
    帰りを待っていてくれとも付いて来てくれとも言わず、ただ自分にだけ非があると頭を下げた最愛の人。
    ──いや、最愛だった人。
    「ほんとうに狡い人ですね……貴方は……」
    目の奥がじわりと熱を帯びてきて、涙腺の蛇口がキュルキュルと緩んでくる。
    「っ、ゔぅ……」
    三十路超えの坊主のオッサンがフラれて泣くなんて。なんて、みっともない。
    (けど、嗚呼、でも、そうか。それだけ俺は貴方の事を………)
    月島は泣いた。子供の時、初めて飼育係で任されたインコが冷たくなった時以上に、それはそれは泣いた。
    でも目は閉じたまま。
    あの人が好きだと言ってくれた瞳が、涙で溶けてしまわぬように。





    ──ブブ……。
    必要最小限に落とされた暗いオフィスに、メッセージの受信を知らせる光が灯る。
    差出人は、あの日別れを告げたヒト。
    『その缶コーヒーまだ飲んでンだな』
    先月。春にはまだ薄ら寒い日に現れて、第一声がそれだった。
    最初は幻聴だと思った。
    あれから五年。どれだけ忘れようとしても、部下として働いた職場と恋人として寝食を共にした部屋のあちこちに彼の姿がチラついて忘れようがなかった。
    「アンタは相変わらず一度受け入れた人間に甘いんですなぁ」とあの人と同じ銘柄のフレーバー違いを吸う部下に言われた言葉は、身の内に重しのように居座った。
    何も言い返せないのが悔しくて、惨めで、そんな自分にムカついて仕方がなかった。
    行き場のない胸の黒い澱みを誤魔化すように「お前だってコレ、懐いてた証拠だろ」と開けたての煙草を胸ポケットから抜いてやったら「八つ当たりせんで下さい」と呆れられたのは、今思い返しても大人げなかったと反省している。
    まぁ、だから。
    元恋人にフラれて、女々しくも引き摺っていたいい歳したオッサンの、都合の良い幻聴だと本気で思ったんだ。
    その日は年度末まであと三十日をきっていて、無駄な評価の締切や無理やり捩じ込まれた案件をどうやり繰りしようか頭を捻っていた時だった。
    この缶コーヒーは、月島にとって頭を整理する時に無くてはならない物だ。
    きっかけは、まだ入社して三年。漸く色々と一人で任された頃。重なるタスクに絡まる頭をなんとかしようと手帳を開いて唸っていた時に、上司である菊田から『そういう時は何かスイッチになるもん作れ』と投げて寄越されたのが、この缶コーヒー。
    だいたいどこの自販機にも入ってる微糖の缶コーヒーは絵柄を少しづつ変えながらも、長く愛されている物。
    貰った時は、それはそれは嬉しかった。助けてと言うのが昔から苦手だった自分にとって、直接慰めもされず下手な仕事のアドバイスをされる訳でもない菊田の態度に救われた。
    多分菊田にとっては大勢いる部下の内一人に、気まぐれでやったに過ぎないだろう。
    でも、どういう訳かあれ以来喫煙所で一緒になる度に『ほらよ』とくれた。
    月島にとって、この缶コーヒーは菊田との思い出が詰まった大切な物で。
    それを飲んでる時に菊田の声が聞こえたのだから、とうとう珈琲のカフェインで脳がやられたかと遠い目で成分表示を眺めてしまった。
    『──月島』
    しかし二度目に聞こえた、緊張と懐かしさと気まずさを押し殺した元恋人から呼ばれた自分の名前に、現実なのだと一気に世界が鮮明になった。
    ──途端。
    ドッ、と体の中心が拍動した。
    『きく……た、さん……』
    ハクハクと掠れた声でようやく絞り出た言葉は、思い焦がれ幾度と頭の中で呼び続けた愛したヒトの名前だ。
    きっと最悪な顔色をしていたんだろう。
    苦笑いを浮かべた彼曰く、時間がかかったがとりあえず問題の支部の立て直しに目処がたったと。今度はこっちでの調整や上部への報告、今後の展望についての話し合いに戻ってきたと。
    『で、一旦解放されたから一服しに来たんだが……』
    そこに自分がフった相手、つまり月島がいると思わなかったらしい。
    それもそうだ。
    既に時刻は天辺を回っている。週末で明日が休みだからと、溜まっている雑事をこなしたり気になっていた細かいフォローやらなんやらを上司や部下に止められる事無く思い切りやっていたのだから、こんな時間にもなる。
    (あぁ、こんな事なら無理するなという忠告を素直に聞いておけばよかった)
    今更後悔しても遅い。
    空調は完備されているのに、冷たくて暑い汗が止まらず、肌着が張り付いて気持ち悪い。
    とにかく菊田の前から去りたくて、俯いた視線を彷徨わせる。視線の先に見えた革靴の靴は、相変わらずセンスもよく手入れの行き届いたものだ。あぁ違う。そんなのを確認している場合じゃない。どうしたらいいか考えろ。きっとこの人も困ってる。早く、何か、何か言わないと。でも、何を言おうというのだ。
    (何を言っても、この人をきっと困らせるだけなのに)
    本当はもっと声を、顔を、匂いを、菊田の全部を感じたいのに。
    自分でも把握していない五年間分の想いが蓋を開けたように湧き出てくる。
    そんな自分が浅ましくて、女々しくて、情けない。
    『……久しぶりに日本に帰ったからさ、美味い店とか、もう忘れちまったんだ』
    何かを堪えるように眉間へ力を込めていた月島へ、菊田はなんて事ないといった声でカラリと投げかける。
    『だから明日のメシもどうしたらいいか分かんないンだわ。月島のさ、オススメの店。あとで教えてくれよ』
    連絡先変えてないから。
    返事も出来ない月島に菊田はそう言って、ひらりと手を振り去って行った。


    それが先月の出来事。
    菊田とはメッセージだけでやり取りをしている。
    オススメの店だなんて、そんなの菊田と付き合っていた頃に連れて行ってもらった場所しか知らない。
    菊田にどういう意図があって教えてくれと言ってきたのか分からなくて、グルグルと勘繰ってしまい新規作成ページから先がまっさらなまま一文字も増えずにいた。
    (菊田の知らない店を伝えたら、他にいい人が出来たのかとか、行動範囲変わったなとか思われるのも嫌だし、菊田に連れて行ってもらった店を伝えたら、コイツ未練がましく自分を引き摺ってんじゃないかとか引かれるのも嫌だ)
    数日ウンウン唸って悩んで寝不足になるくらいに頭をぐしゃぐしゃにしていたら、なんともまぁ呆気なく、菊田の方から『ここ美味いぞ』とメッセージが飛んできた。
    それに対して俺は『そうなんですね』という、なんとも素っ気ない返事を半日ほどかけて打ち込んで、震える指で送信した。
    (だって今更「いいですね、今度一緒に行きましょう」なんて、言えるわけないだろ)

    そこから何故か分からないが、自分をフった元恋人の菊田からポツポツとメッセージが送られるようになった。

    最初は『来週カレーのトッピングが無料らしい』『新しくアイス屋が出来るらしい』と、ぼんやりとした内容だったのが、ここ最近は『揚げ出し豆腐が絶品』『スイカ味発見』と、写真付きで送られてくるようになり、正直言って、大変返事に困っている。
    未練なんて無いですよと伝わるように、そうですか、よかったですね、となるべく素っ気ない言葉で応えていたのに。なのに、送られてくる文字と写真から、徐々に菊田の美味そうに食べる顔や好物を見付けて嬉しそうにする顔が頭に浮かんでくるのだ。
    月島はメッセージが届く度、甘苦く締め付ける胸の痛みに気付かないふりをするのに精一杯で、毎度震える指で時間をかけ、素っ気ない返事を返していった。
    ──そうして一ヶ月。
    菊田とはあの日から一度も逢っていない。
    同じ職場に勤めているとはいっても、もう部署が変わってしまったらなかなか出逢うことはなく、昔よく会っていた喫煙所は月島が避けているから出逢うはずがなく。
    「難儀しとりますなぁ〜」と懲りずにちょっかいを出してくる部下はどんな嗅覚を使っているのやら、毎度場所を変えているのに月島が煙草を吸っていると猫のように現れてくる。
    (そんなこと、言われなくても自分が一番分かってる)
    今日も定時後、さてこれから残業頑張るかと一服していたら「火ィ貸して下さい」と咥え煙草で猫みたいな部下は現れた。仕方なくライターを貸してやると「そうそう、お礼にいい事教えてあげます」なんてニヤついて煙を吐き出す姿に、いらんと一言バッサリ切ってやった。しかし、まぁまぁそう言わずになんて普段ならフィルターギリギリまで吸うのに、二~三口吸っただけで灰皿へ火を消す姿に違和感を覚え、続く言葉をじっと待った。
    聞く気になったと伝わったのか、さっきまでニヤついていたのが嘘のように真顔で「“今日は自分の気持ちに素直になるといいでしょう”」と、やたらイイ声で告げてきた。
    (なんの事だか分かるからタチの悪い)
    コイツは元恋人にも、そして自分にも懐いている可愛い部下なのだ。そんな可愛い部下に余計なお世話を言わせるほど、自分は面倒くさい状態になっているのだろう。
    善処するという返答に「お先です」と期待のこもった声で喫煙所を去った猫のような部下の言葉を、今、ひとり残ったオフィスで開いたメッセージを見て思い出した。





    「海外支部の立て直し、ですか?」
    朝一で呼びつけられ、告げられた内容に菊田は片眉を上げる。
    「あぁ。どうにもあちらさんのやり方じゃ上手く行かないようでな。菊田なら上とも下とも上手くやれるし、実績もある。向こうとこちらの橋渡しも兼ねて、立て直すまで行ってくれ」
    「いや、待って下さい。俺にだって都合ってもんがあります」
    上司が行けと言う海外支部は、本社でも度々会議に上がる難儀な部署だ。そこへ立て直すまで居ろだなんて、数年単位の仕事になる。
    公表はしていないが恋人と同棲して数年。仕事と生活のバランスを取るのはなかなか難しいが、それでも恋人──月島と二人穏やかで幸せな日々を過ごしているのに。
    四十目前、遅咲きの幸せな生活を捨てなくてはならないのかと、ほぼ確定事項だと告げる禿げ上司へ待ったをかけた。
    「ふむ、そうか……。なら別の者に声をかけてもいいんだが……。そうなると模部山か守武川か……。いや、茂撫沢がいいか? ──どう思うかね、菊田」
    「~~ッ、」
    (卑怯な野郎だぜ、この陰険禿げ上司め)
    名が上がった者は最近子供が生まれた者と新婚さん、そして経験不足な三年目。
    ここで菊田が断れば、彼らの家族や本人に降り掛かる負担はかなりのものであろう。それを分かっていて、この上司は敢えて彼らの名をあげたのだろう。
    菊田は元々世話焼きなタチだ。弟がいるからか部下の面倒見もよく、頭もいいので上司からの無理難題をこなす器量もある。しかし不憫体質で度々残念なことになるのも含めて、魅力溢れる頼れる中間管理職である。もちろんそんな自分のことはちゃんと自覚している。デスマーチという徹夜も土下座回りもある大変な仕事だが、同じ会社に恋人がいて、可愛がっている大切な部下達も(一部振り回してくる奴も)いる今の環境は恵まれていると思う。
    そんな彼らに今回の海外支部立て直しの為に、数年単位の出向に行かせていい訳がない。
    「……数日時間を下さい」
    部下を人質にとられた怒りを顔に出さぬよう、拳を強く握りしめながら努めて平坦な声で返す。
    「かまわんよ。いい返事が聞けることを期待して待ってるからな」
    「失礼します」
    嫌味ったらしく笑う上司の顔をこれ以上見ていたら殴ってしまいそうで、素早く踵を返して退出した。
    ズンズンと長い脚を存分に活かして、自販機横の喫煙所へと急いで向かう。外から誰もいないと目視して、乱暴にドアを開けて勢いよく閉じる。
    「あンの陰険綿毛禿げクソ野郎めぇッ!!」
    ガゴンとドアがフレームにぶつかる音なんか知るかとばかりに、苛立ちを口にして荒ぶる。
    この怒りをどうにか霧散しようと胸ポケットから煙草とライターを取り出す。しかし火を点けようとするも、イライラする指ではどうも上手く火が点かない。
    「あ〜、クソッ!」
    カシ、カシ、と空回るライター。そこへ白い手がニュっと火を差し出してきた。
    「荒れとりますなぁ〜」
    「……あんがとよ」
    素直に火をもらい、肺深くまで吸い込んで右口角から紫煙を吐き出す。
    やっぱり最初の一吸い目はうまい。
    ニコチンが頭に回り少し冷静になる。誰も居ないと思って悪態をついたのに、月島の部下であり俺の部下でもあるコイツは野良猫のように空気清浄機の隅に座り込んでいたらしく、気づかなかった。
    「悪かったな、驚かせちまっただろ」
    「別にいいですよ。アンタがそこまで荒れるなんて珍しいもん見れたんでね」
    「言うねぇ〜」
    これは後で両頬に黒子のある奴と一緒に絡まれるかもしれないが、今はそんなことにかまけている場合ではない。
    どうしたらいいものか。考えたくないが考えなくてはならない現状に、煙草のフィルターを強く噛んだ。
    「あの出目金禿げ野郎がなんか言ってきたんです?」
    「おい、出目金に失礼だろ。……いや、お前に話すようなことじゃねえよ」
    口は悪い癖に〝どうしたの、何があったの〟と子供みたいなおっきな黒目で見上げられ、心配させまいとオールバックをクシャリと撫でる。
    「子供扱いせんで下さい」
    ムッと口を尖らせて頭を前から後ろに撫でる顔はどこか嬉しそうだ。
    その姿を見て、知らず力の入っていた顔がゆるむ。
    厭味ったらしい態度やマイペースを崩さない男だが、根は優しく甘ったれで猫みたいなコイツは月島にもよく懐いていて、二人でよく可愛がっている。
    (……コイツがいるか)
    「なぁ、ちょいとばかり協力してくれねぇか?」
    「……俺に話すようなことじゃなかったんじゃないですか?」
    「そう拗ねンなよ。お前も大好きな月島についてだ」
    「つきしまさん……?」
    ピクンと猫が耳を動かすように顔を向けるコイツに、俺は陰険綿毛禿げ上司の話と月島との関係について喋った。



    『──で? 自分一人が悪者になればいいだなんてカッコつけてアンタが出向してる間、月島さんの傍で見守り様子を定期連絡させて更には悪い虫が付かないように追い払うクソ面倒くさい役目を可愛い可愛い部下にさせて、いい加減いつになったら戻ってくるんです』
    「初っ端から噛みつくンじゃねえよ」
    やたらイイ声で突っかかってくる部下を可愛いヤツめと思うが言葉に出さず、荷造りの手を動かしながらスピーカーにしている携帯電話へ向かって要件を告げる。
    「ようやく目処がたったんでな。こうやって連絡寄越してもらうのも今日で終わりさ。来週、そっちに戻る。お前には悪いが、それまで月島のこと宜しく頼むよ」
    あのクソ上司の魔の手から他の奴らを逃すため、俺は海外支部行きについて首を縦に振った。月島とのことを思えば身を引き千切る思いだったが、彼らのことを庇うには仕方がないことだった。
    月島には彼らへ魔の手が伸びた事は言ってない。俺の性分を解ってる月島が、自分が足枷になってしまうんじゃないかと責めないよう、勝手に暴走して逃げないようにするには狡い選択だったと思う。
    『ははぁ。さすが月島さんより先に叩き上げで昇進なさった方は違いますなぁ。……あんこう鍋のコース、お待ちしとりますよ』
    「冬まで待て、って……。最後まで聞けよなぁ」
    言いたい事だけ言って切られた。やれやれと思うが、終わり際の声が少し弾んでたので、これは奮発してやらないといけないなと電波の向こうにいる猫を思って笑う。
    「っし、あとは向こうに送ればいいだろ」
    荷造りも終え、一休みしようとベッドに腰掛けかける。
    思うのはいつだって最愛について。
    月島への気持ちは五年前から変わらない。
    出向するにあたって絶対に外せなかった条件は、自分が帰ってくるまで月島に悪い虫が付かないこと。
    帰りを待っていてくれとも付いて来てくれとも言わず、ただ自分にだけ非があると頭を下げて去った自分が言える立場じゃないのは分かってる。
    (それでも……。俺の最愛はお前さんだけだよ)
    チャリ、とスイカのキーホルダーを付けた鍵が手の中で鳴いた。
    あの日。
    閉めた玄関ドアのポストに、本当はこの鍵も入れるはずだった。でも、どうしても出来なかった。同棲初日に『俺はおにぎりで貴方はスイカ』とお互いの好物を付けてはにかみながら渡してくれた鍵だから。
    そして月島の所へ帰る縁にしようと、ジャケットの内ポケットへ大切にしまい込んで飛行機に乗った。
    粘着質で重い男だと他人は思うだろう。
    自分と月島に懐く猫のような可愛い部下に月島のお目付け役を頼んだのだって、アイツが月島へ親愛以上の感情を向けることは無いと分かっていたからだ。
    「だが、それももうすぐで終わりだ」
    五年ぶりの最愛との再会まで、あと少し──。





    「なぁんでアンタらは難儀してばっかりなんですか」
    「……うるせえなぁ」
    ボワリと吐き出した紫煙が換気扇へ吸われていくのを睨みつける。
    先月、五年ぶりに帰ってきた。
    俺の予定では、それはもうロマンティックで情熱的な再会を考えていたのに。まさか深夜に残業してる所へ出会すなんて、思いもしなかった。
    久しぶりに見た月島は草臥れていた。相変わらず一人で色々抱え込んでいるとすぐに分かった。いつも飲んでた缶コーヒーを呷る姿に、あぁ帰ってきたんだと感動して、思わず何も考えずに話しかけたのがまずかった。
    「なぁ、俺は月島に嫌われてンのかね」
    「そうなってもおかしくない事したのはアンタでしょうが」
    「ウグッ」
    新しく開けた煙草の外装をピロピロ指で遊びながら言われた言葉に、返す言葉もない。
    確かに月島をフったのは自分だ。
    ラブラブでイチャイチャな生活を手放したのは本当に辛かったが、その思い出を糧に頑張ってきたからこそ、少しだけ期待していた。

    “月島も俺と同じく相手を想っている”のだと。

    だからあの日。
    軽率に話しかけて、血の気の引いた顔をされた時のショックといったらない。でもなんとか次に繋げなければとその場で考えた提案は、今でも稚拙だったと後悔している。
    「……メシの事ばっかで呆れてンのかな」
    フィルターギリギリまで灰になったのを、灰皿の角で揉み消す。新しく吸おうとするも、箱の中は空っぽで今のが最後の一本だったらしい。
    グシャリと箱を潰して溜息をつくと「物足りないかも知れませんが」と愛煙のフレーバー違いを一本寄越された。
    「悪いな、助かるよ……」
    火を点けて吸い込めば、メンソールのスッキリとした味が上顎を撫でていく。
    (余裕のないオッサンになったって、幻滅されたかな)
    返ってくる言葉は簡素なものばかり。恋人だった頃、いや、仲の良い上司と部下だった頃であっても、もっと砕けた感じで今度一緒に行こうと送ってくれたのに。
    しかも避けられてるのか、同じ会社にいるのにあの日以来一度も逢えていない。
    つれぇなぁ、と腕組み項垂れる。
    「別に呆れてる感じじゃありませんでしたよ」
    「……そいつは本当か?」
    「えぇ」
    俺は逢えないのに何故かコイツは月島と逢えてる。その事に嫉妬を抱くが、せっかくの情報源に八つ当たりするのは馬鹿のすることだからしない。
    「俺についてなんか言ってたりするか」
    「……知りたいですか?」
    含みのある笑みに、これは何かあるなと黒目の猫ヘ飛びついた。
    「っ、教えてくれ!」
    「ちょっと火、危ねぇッ!」
    あわや、火傷するところだったが慌てて顔を引く。シャーッと歯を剥く様子に悪かったと素直に謝る。
    「まったく……。教えてやってもいいですがね、その代わりさっさと元鞘になって下さいよ」
    「分かってる。だから早く言えよ」
    「……直接何をと言った訳じゃありませんがね、“素直になるといい事が起きますよ”って教えてあげたんです。そしたら『善処する』って返事がきたんでね。まぁそうですなぁ。今日も一人で残業するらしいんで、あとはアンタがどうするか、じゃないですかねぇ」
    鮟鱇鍋、三人で予約しときますから。アイツなりの励ましに、任せとけと言うと満足げに目を細めて「お疲れ様です」と去って行った。
    「さて、と……」
    任せとけ、か。
    可愛い部下に大口を叩いた手前、退路はもうない。
    菊田は部下の煙草から勇気を貰うように深く吸って勢いよく煙を吐き出す。そして灰皿へ押し付け火を消して、意を決したように携帯電話の画面をタップする。
    「あと三時間」
    大切であればあるほど臆病になる、駄目な大人な自分をどうか「仕方ない人ですね」と叱ってくれますように。




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