きっと多分はっぴーえんど(仮) じわじわと、額や背中が汗ばむような暑い夜、晋作は洗面台の前に立っていた。
風呂から上がったばかりで髪はぼとぼと、服は着たけれど水滴を拭き取りきれずに肌に布が引っ付いて気持ちが悪い。
しかし何より晋作は、今の自身の気分の方が気持ち悪かった。
――最近、先生が素っ気ない。
先生…晋作の唯一無二の師であり恋人でもある吉田松陰が、このところ晋作に対してやけによそよそしいのである。
普段の晋作であれば「今の先生はきっと忙しいのだろう」とか「後で差し入れでも持って行こう」などそれなりに前向きに考えることも出来たのだが、今の晋作にはそれが出来なかった。
正面の鏡を見ながら(顔白いな…)と他人事のように思う。それはここ数日の不調で顔が青白がったのだが、元々肌の白い晋作にはあまり違いがわからなかった。
ふと、ケア用のカミソリが目に入る。刃のギザギザした、真っ直ぐなカミソリ。
晋作はそれを持ち、自室へと向かう。松蔭と同居(同棲)している家だが、最近は帰ってこないので晋作1人の広い家だ。
そんな家の、階段を上がった先の一室、隣は松蔭の部屋兼書斎になっている。
自身の部屋のベッドの横の床に座り、右手に持ったソレを手首に当ててみる。途端、怖気づいてしまったのか、横にスライドさせることが出来ない。そんな自身にいらいらして、半ば八つ当たりのように刃を肌に叩きつける。
何度か繰り返した後、晋作はぷつりぷつりと水滴のように浮かんでいる雫に気がついた。
続けて、じわりじわりと微妙な痛みを感じる。
「……なにも、切らなくてもいいんじゃないか」
晋作は気が付いたようにかすれた声を浮かべた。もう少しだけ叩いて、微妙な痛みが続くようになった頃、最初に抱いていた感情の事なんて、晋作はすっかり忘れていた。