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    Honte_OshiCP

    熱が赴くままに書いたもの達の保管庫

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    Honte_OshiCP

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    妄言です。亡きあとの清次さんと慶太さん

     愛しい後ろ姿を見送って、幾許も経った。陽の光ひと筋も奪われた洞穴を、片淵慶太はひた走る。己が亡骸の所在など知った事か。空(くう)を踏みつける不確かな感触にも慣れた彼の足は、確かに出口へと急ぐ。手斧を拾い上げ、ただ一人の憎きを仕留めんと走る。
     抜け道を過ぎった。おどろおどろしい夜闇が、引き戸の向こう側に見えた。その手前、頼りない微かな月光に浮かぶシルエットが、今まさにその引き戸に手を掛けようとしている。左の袖から絶えずどす黒い何かをこぼす影めがけ、慶太は弾かれたように仏壇から飛び出す。長い廊下の先、戸が一人分開いた所へとびかかった。
    「待てぇッ!」
     振り返った顔、長い前髪の奥で目を瞠ったその表情が慶太の眼前を占める。次の瞬間には、玄関先に二人して派手に転げていた。側頭を叩きつけられる慶太に反し、突き飛ばされた男──森垣清次は確と受け身を取っていた。即刻体勢を立て直して立ち上がる。
     横転した視界でそれを捉えると同時だった。ほとんど反射的に、慶太は弾き飛ばされた斧を引っ掴んだ。雄たけびを上げて、今にも去ろうとする足めがけて得物を振り回した。
    「っ、…!!」
     突き刺さりはしないものの、刃先は清次の右足を抉っていた。びしゃりと赤黒い飛沫を撒き散らした右足は、糸が切れたように地面へと落ちる。腱まで達して制御を失った右足が、死神の退路を絶つ。慶太は斧を傍らへ放った。

     何夜も何夜も、取り残された忌地の中に慶太は居る。自身を縛り付け、安寧も責め苦も無いこの場所は地獄にほかならない。それでも彼がこの場所に居続けなければならないのは、他でもない、森垣清次という男の所為である。じっとりとした目つきで生前の慶太本人や妻である綾乃らを見張り、本家の傀儡に仕向けた張本人だった。泥の底で目をぎょろつかせる蛙のような、それでいて蛇のように影をしなだれかからせる男なのは今なお変わらない。
     それでも、かの夜に見せた凶悪の面持ちが、慶太をはじめその日儀式を目の当たりにした者達をすくみ上らせた事は記憶に新しい。何の躊躇もなく部外の男を殴り、何より、無垢な片淵桃弥の儀式完遂を見届けようと口の端を上げた男だ。己を殺めた事よりも、その事実が慶太の胸の内を黒々と染め上げたのだ。
     亡き者になって久しくも、慶太はこの因縁の血族と土地に、延々と縛られ続ける。森垣清次という男が地獄へも赴かず留まる限り、である。この世にしがみつく男が、万が一にも綾乃を、桃弥を、はては幼いひろとまでも毒牙にかけるなど、在ってはならないのだ。この家から逃さぬように、慶太は奴を執念深く追い回す。そうして、幾度となく殺めるのだ。

     諦めの悪い亡霊だ、と口に出さずとも吐き捨てる。右足の制御を失ってもなお這いずる影を掴み、地べたへ二たび転がす。こうして転がした体を見下ろすと、まるで虫のようだと慶太は思う。あの夜のような猟銃も持たず鉈も見当たらない。翅と脚をもがれた、哀れな夏の羽虫のようだった。口の端が吊り上がるのも致し方無しか。
     黒々としたコートが土くれを覆い隠している。その上にどさりと跨った。慶太が得物を放り捨てたのは、他でもない、“こう”するためだ。
     腕を退けられる前に、清次の首元へ掌を這わせて一挙に絞め上げた。
     全身の体重をかけて首を押さえ込み、指に力を籠める。喉仏のごつごつした感触と、血管の脈打つ微細な波。まるで生きているようだと呑気に考えながら、慶太は指を食い込ませる。
    「、ぎッ…ァ…!」
     慶太の左側から伸びる手が、自身の喉元にかかる手を引き剥がそうとやっきになってもがく。一、二本の指を掴まれてもなお、慶太は死に物狂いで指の力を強める。かつて銃と斧を交えた猟奇の姿形が、今宵は対になって月を背に浮かぶ。取っ払われた得物の代わりにつかみ合いよじれる手指は、命を吹き返しているようだった。ちりちりと血潮が行き交っては痺れる。力と殺意の応酬である。しかし、清次の左手は掴むという行為すら望めぬ有様である。片淵慶太に分があるのは火を見るより明らかであった。
     馬乗りになった男の歯ぎしり、頼りなく零れる喘鳴、皮膚と衣の摩擦。ケダモノが息を深め、もう一方のケダモノは息を封じられる。捕食にも似ていた。殺め、相手を手中に収めて存在ごと取り込む。野蛮で悍ましく、それでいて何よりも熱のこもった衝動の形である。

    「フーッ…くたばれ、早く…くたばってくれ…」
    「う、ぐ…、あは、」
     呪詛を吐く慶太の顔を、清次はじぃと見つめていた。目を血走らせ、歯茎まで晒さんほどに歯を食いしばる。記憶に残る気弱な青年とは似ても似つかぬ狂人の顔だ。ピントの合わない視界ですらわかるその顔が、自分自身に向けられている。
     ふと、その顔に既視感を感じた。靄のかかる頭の奥で、幾度も目の当たりにしたものが爆ぜる。それと同時、清次の顔には知らずの内に笑みが貼りついた。
    「…、は、は…ひゅ、ひはッ…」
     突如乾いた笑いを上げる男に、刹那、慶太の手の力が緩む。突如の気道確保。なだれ込んだ酸素で、弛んだ皮膚ごと震わせて森垣清次は咳き込んだ。ひゅうひゅうと整わない息遣いで喉元を掴む。見下ろす慶太の顔を、嘲るような目で撫ぜる。
    「…怖えなァ、“片淵”名乗る奴は」
     けふけふと乾いた咳の合間に吐き出された言葉だった。再び掌を押し付けようとした慶太の動きが止まる。
    「興奮した目ェ、しやがる…お前もしょせん、ただの

     片淵の一員だ」

     手の内がじとっと汗ばんだ。それを隠すように、否定するように、再び手の力を強める。爪のへりが薄皮を食い破る。浅い気遣いで生じる振動を殺すために、真っ黒なシャツの胸元に腰を落として全体重をかけた。喘鳴も許されない喉から絞り出されるのは、微かに空気が詰まっては気泡のように吹き出る雑音のみとなった。指先を揺らす、ぼつ、ぼつ、という不愉快で不安定なメトロノーム。早くその旋律ごと亡霊の意識を断絶すべく、慶太は狂気じみた執念で締めあげる。
     この男の言うとおりなのかもしれない、とぼんやり彼は思う。綾乃たちを守る為、もうこの男の餌食を出さない為、そう大義名分を掲げる己の為す事も所詮はコレである。なんら変わらない。片淵の家の所業と大差ない。
     ──それでも、家族に祟るかもしれない存在を放れない。何が何でもこの男を、何夜も、何夜も殺し続けなければ己は眠ることすらできない。そこが、片淵の姓を名乗って背負う業なのかもしれない。
     真下の呼吸音が、途切れそうなまでに心許なくなっていた。あとひと息、あとひと息で今日のところは安らげる。高鳴っていた心拍が急降下していく様を見下ろして、慶太は目を細めて安堵する。ほんのコンマ一秒、彼の指関節から力が抜ける。

     ぐしゃっ。
     今しがたの衝撃は、己の体から上がった。はっとしてすぐ這い上がる灼熱感に、慶太は覚えがある。あつい、この微かだが灼ける感覚にまさかと視線を下げた。
     左脇、それも心の臓に、深々と刺さったペーパーナイフ。トクトクと己の荒ぶる鼓動に合わせて、赤黒いものが噴出する。ほとんど血の気を失った右手の置き土産と気付くのに、そう時間はかからなかった。どこにそんな余力を残していたというのか。狼狽を隠せず慶太は瞳を揺るがす。
    「詰めが、あめえんだよ」
     くつくつと笑う清次の声が、慶太の鼓膜を揺らした。余裕綽々と謳う愚弄だ。それを聞いて再び殺意がかま首をもたげる。段々と主張を強める痛みに顔を顰めるも、家族への想いに縋る男は、憎い下郎の首を潰しにかかった。先よりも、指一本一本を喉元に、血管に押し当てて、あまつさえ先の食い破った皮膚もぐりぐりと割り開く。
     ぴくりと短い痙攣を繰り返す指先が地面を掻き、やがて小さく息を詰めたかと思うと、一挙にそのこわばりが解けた。線香の煙のように、細く、吐息が口の端をこぼれていく。
     今日のところは、終わったのだ。綾乃は明日もひろとや柚希と一秒一秒を刻み、桃弥は陽光の下で笑えるはずである。安堵で糸の切れた慶太の体が、黒いコートの側らへと吸い込まれる。段々と降下する虚構の脈拍に浸る彼の耳に、悲嘆めいた風に混じって、掠れた言の葉が届いた気がした。それを彼が確かめる手段はもう無かった。



     ──片淵慶太も知らぬ事がひとつある。知る由もない、目の前で目を白黒させる死神の真意である。

     森垣清次が片淵慶太という男に抱いた最初の印象は、端的に、「パッとしない」という実に酷なものであった。親戚の贔屓目を抜きにしても見目麗しく賢い姪は、何故このような男を選んだのか。当主夫妻に頭を下げる慶太を内心侮蔑していた。ひょろっこい身体でおどおどと目を泳がす慶太青年を、数段湿り気の多い双眸で見ていた。
     言わずもがな、片淵の家は怖ろしい伝統で髄を形づくられた異常な家系である。人間の形をした魑魅魍魎と言って差し支えない、気狂いの血脈がひしめき合うのだ。誰彼も寄せ付けぬ山奥の閉塞とは恐ろしいものである。次々と人が消えたところで、山間で行方をくらます程度では、世間一般の関心をくすぐるなど叶わない。呪縛が蜘蛛の巣を広げて片淵を蝕むのを、誰ひとりとして目に留めてはいなかった。
     そんな血族に飛び込んだのが、慶太だった。
     綾乃の隣で桃弥を見守る青年の目色が変わり始めたのを、清次は薄々と感じ取っていた。妻に送る目配せに、実子を撫でる手つきに、それとなく違和感を抱いてはいたのだ。それでもあくまで本腰を入れて警戒をしなかったのは、やはり婿入りした当初の慶太を覚えていたからだ。腰の引けた半人前という認識が抜けない清次にとって、恐れるに足らない男と密かに見くびっていた。

     それを決定的に崩落させたのは、忘れもしないあの儀式の夜だった。
     武者の如く突進する男に虚を突かれた。桃弥を傍らに斧を振るう姿は、数瞬前までの情けなさとは似ても似つかぬ憤怒の様相であった。息子に近寄るなとがなり立て、やみくもに鋼を振り回す。それが己に狙いを定めて得物を振りかざした瞬間を、清次は今なお覚えている。猛りを増した慶太の目線が、清次の網膜までをも突き刺した。猟銃と斧、重量と殺意が交錯した途端、およそあり得ない昂揚が彼の内を奔った。
     他の片淵の人間と同じく、ヒトを殺めるつもりだ、この男は。
     まるで脳幹ごと爆ぜる心地だった。バチバチと臓腑に火花が散るようだった。血が沸騰する激情の中で交えた戦意は、何にも代えがたい熱を波及させたのだ。あの瞬間に身を焼いた興奮たるや、煩わしいまでに高鳴った心臓たるや、金属音ごしの息遣いたるや。
     まさしく狂宴────!
     そこからは、もれなく清次自身も、飼い慣らした蹂躙欲とともに牙を剥き出した。睨(ね)めつける視線を開ききった瞳孔で受け止めながら、圧し掛かり、殴打した。燃えゆく祭壇の眩むような熱い光にあてられ、目の前の男が動かなくなってもなお、清次は加害の手をゆるめることは無かった。
     亡骸の手から斧がぱたりと落ちた。それが狂人の手を止めた。

     久方ぶりの猛り。そのトリガーを引いたのは、“あの”片淵慶太だった。
    その事実にえも言えぬ甘美さを、スパイスのような刺激を、森垣清次は抱く。廃したはずの感情表出も苛烈な衝動も身の内で燻るばかりである。波及したかの烈しい熱が、己を震わせたのだ。上質な米酒を啜るように陶酔していた。憤りと嘲弄と際限のない殺傷が、甘く深く溶け合って、傷口の疼きを苛んだ。
     パッとしない男の皮は剥がれ落ち、残ったのは血なまぐさい勇猛だった。

     こうして死んでもなお、清次はその獣性に偏執を寄せている。執拗に己を追い回す慶太に、いじらしさすら感じるほどであった。
     それというのも、実のところ、清次自身の中に片淵家への関心などこれっぽっちも無いのだ。莫大な資産だけが彼の目を惹きつけていたのだから当然である。片淵綾乃がどうなろうが、その息子や妹がどこへ行こうが知った事ではない。天にも地獄にも在りつけない身の上、ただそれだけなのだ。つまりは、慶太の懸念など的外れもいいところという訳なのだ。だというのに、慶太は頑なに清次を引き止めては、毎夜思いつく限りの嗜虐で自分自身を満たす。
     飽きの来ない男、それが今の片淵慶太に対する本音であった。
     そして同時に、清次は白状しなければなるまい。存外、その凶悪性に、そのケダモノの性と溶け合う事に、焦がれている己が居る。愛してやまない家族に見せられないほどに醜悪で悍ましい顔をする事に、彼はいつ気付くのだろうか。
     そして今日も、慶太は己を仕留めて安堵する。悪鬼の顔をやわらげ、家族を守った片淵慶太の顔に戻って、電源が切れたように倒れ伏す。その狂気と慈愛のあまりにも鮮烈なグラデーションに、清次の頭は為す術もなく眩むのだ。束の間見せるかつての慶太青年の顔に、内心どれほど興醒めし、明晩に思慮を馳せることか、この男は知らない。無垢に戻った表情に、腹立たしいやら懐かしいやら。
    「…おやすみ、片淵慶太」
     精一杯の嘲り、しかし滲む色はどこか生ぬるく、彼自身も心地悪さで苦く口の端を上げる。微睡むような疼痛が、清次の意識をかき消した。
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