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    Honte_OshiCP

    熱が赴くままに書いたもの達の保管庫

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    [再掲] ベンハトの短いやつその2
    甘め
    再掲祭り終わりです。

     去年は晴れだったのになぁ、とごちた。小さな花束を雨に晒し、墓地の門をくぐる。少しぬかるんだ土を踏みしめて通路を進み、目当ての墓標を前に足を止める。
    「…最近来れてなくてごめん、忙しくてさ」
     花束を置いた。安らかに、と刻まれた下にある愛しい名前を掠めた雫が、雑草の葉へと滴った。

     昨年と違い、今年は幾分か落ち着いた気分で挨拶に来ることが出来た。人生を投げ出したくなった数年前から俺の時間が止まっていたのだ。彼女への悔恨だけが頭を占めて、毎日生きている事が憂鬱だった。彼女の死した瞬間を思うだけで、何度彼女のもとへ向かいたいと願ったことか。今でこそそんなくだらない希死念慮は失せたものの、拭いきれない寂寥感を抱えたまま、今年も彼女の墓前に花束を添えた。
     アリッサ、と土くれに声をかける。きっとどこからか見ているであろう彼女に、こんな形で呼びかけるのも些かおかしいような気もする。
    「ケントもギャビー達も、みんな元気にやってるよ。知ってるだろうけどな」
     水をたくわえて冷える墓石に額をつけた。眼下の花束がますます濡れていく。
    「…あと、奴もだいぶ大人しいし。今頃家で新しい学術雑誌でも読んでるだろうな。聞きたくなかったらごめんよ」
     本当は、本当はあの男の事など話すべきじゃないのだろう。監視下におくという名目のもととはいえ、彼女も暮らした屋根の下に奴が居るのだ。アリッサからすれば気に食わないどころじゃないだろう。一度殺されかけた相手を匿うだなんて、と非難されても文句は言えない。
    「ギャビー達や街の連中にも迷惑かけないよう見張るから。もう少しだけ、この生活が続くことを許してくれ」
     そろそろ行くよ、と膝を伸ばした。上げた顔に小さな雨粒が注ぐ。わずかに弱まった雨足は、彼女からの慈悲だと信じたい。

     このまま帰っても良かったのかもしれない。それでもなんとなく帰る気にならなかった。数秒考えたのち、俺は家への道を歩き始めた。墓地が遠ざかる中、足を止める。ほんの数か月前には忌々しくて仕方なかった、アイスクリームショップのメニュー看板が視界の上を占める。彼女が何を買おうとしていたのかは知らずじまいだったことを思い出した。
    「…でも、多分サンデーだろうな」
     スプリンクルたっぷりのスイーツが大好きな彼女だった。昼食が遅かったため、シングルサンデーにしておこうか。アイスをどれにしようかと考えながら扉を開けた。

     イートインなんていつぶりかと考えつつ外へ出ると、再び雨足が強くなっていた。アスファルトに叩きつける水音がザアザアと喧しい。あのまま止む気配すらあったのに、と内心愚痴をこぼした。店の雨除けは心もとない。咄嗟に、目と鼻の先にある雑貨屋まで走った。定休日ではあったが、ショーウィンドウの前は大人一人が雨を避けるには十分だった。
     雨を被ったジャケットと帽子をはたいていると、通りにはほとんど人が居ない事に気付く。おおかたどこか別の店に走ったのだろう。会話も足音も聴こえない、雨と街路の大合唱の中に取り残された。
     いつになったら止むのか、この時期の天気予報はアテにならない。そもそも携帯は昨晩充電を忘れたため使いたくない。どうしたものかと天を仰ぐ。たった一人で灰色に淀んだ空を見上げていた。雲の境目すら見えない視界は、どうしても変なセンチメンタルを煽るものだ。
     ──ベン、傘持っていくの忘れたでしょ?
     いつかの雨の日も、アリッサが俺を迎えに来てくれた。天気予報が変わりやすいこの時期だった。研究室から出て途方に暮れていた俺に、彼女が傘を持ってきてくれたのだ。帰り道でついでにコーヒーショップにも寄った。甘いマフィンと熱いカフェオレの匂いが、脳裏で鮮明に漂う。雨で冷えた身体をコーヒーで温めたその夕方が、ひどく懐かしい。
     街を見渡しても、傘を手に走る彼女が居ない事実を反芻してしまう。急な雨で迎えに来る人が居ない事を、ふっと思い出す。今しがた引き始めていた寂しさが顔を覗かせた。誤魔化すように、何もない広場のほうへと視線を向けて立ち呆けた。

     「遅いじゃないか」
     不意に聴こえた声に、弾かれたように顔を向けた。広場とは真逆のほうからかかる声は、飽きるほど聞いた、ゾクリと冷たい声だ。
     傘を一本持つ、骨張った細い手が目に入った。時代錯誤なシルクハットを目深にかぶった、全身暗色の威圧的な影だ。ショーウィンドウに映してもらえぬ影が、俺に傘を突き出している。いつも使う、少し色が剥げてきたネイビーの傘だ。
    「まったく、安傘一本の為にここまで足を運んだ私の労力を考えろ」
     俺に傘を握らせて肩をすくめるクランプは、雨粒ひとつついていないマントを払っている。並ぶように雨除けカーテンの下にずかずかと入ってきた。
    「人通りが少ないとは言え、通りすがりの人間の視線が好奇ばかりで些か居心地が悪かったぞ。なんなのだ彼奴らは、不躾な事この上ない」
     文句を垂れるクランプを横に、奇妙な笑いがこみ上げた。眼窩の奥が熱いような、くすぐたいような、変な気分だ。
     何より、よりによって覚えていちゃいけないような悪霊が迎えに来たのだ。何も危機感を持たないなど、命取りではなかろうか。こんな気の抜けた間柄に、安堵などもってのほかではないだろうか。警鐘のように訴えかける脳を自覚しつつも、口をついて出るのは気の抜けた言葉ばかりだ。
    「…そりゃあ、普通の人間からすれば傘しか見えてないだろ。傘だけが浮いてれば、誰でも変だと思うだろ」
     俺の指摘に、クランプははたと動きを止めた。空いた両手を組み、目線を泳がせたのちこれ見よがしにため息をつく。きまりが悪い時の癖だ。
    「ふむ、盲点だった。君に見えているのが少々当たり前になりすぎたようだな」
     呑気に答える奴に、とうとう腑抜けた笑い声が漏れた。
     一瞬だけ怪訝な顔で俺を見たが、結局クランプは早々に俺を小突いてカーテン外へと促した。傘を開いた。慣れた仕草でマントを翻す奴の二歩隣へ歩み寄る。足元の水たまりを踏み、映る街灯がくしゃりと歪む。水面にも、奴は映らない。

    「そういえばだ、ベン、コンフィチュールが切れるぞ。買い足しておくといい」
    「そろそろジャムって呼び方に慣れろよ」
    「仕方なかろう、私がいつ生まれた人間だと思っている」
    「冗談はよせ、あんた、今や俺のスマホの使い方も知ってんだろうが」
     軽口を叩きながらの帰路は、正直に言うと退屈しない。地に足をつけているようでつけていない貴族様の足取りは相変わらず優雅で、慇懃無礼で、あの夜と全く変わりない。それでも、ただひたすら驚くのだ。この男、わざわざ俺を雨の中迎えに来るくらいには懐柔されているのか。
     ──何はどうあれ、俺には迎えに来る奴が居たらしい。
    「マーマレードでも買ってくか」
     お気に入りを提示されて満更でもないのか、クランプが機嫌よさげに鼻を鳴らす。心なしか足取りが軽くなっていた。
     なんとなく、奴の頭上に傘を傾けてやった。なんとなく、気分がよかった。
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