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    Honte_OshiCP

    熱が赴くままに書いたもの達の保管庫

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    エイみし、習作

     運ばれてきた皿に、佐倉エイスケは些か困惑した。ペスカトーレと鮮やかなサラダ、ビシソワーズという品目にはこれと言って文句のつけようはない。問題は、それぞれ皿が一人分多いという事である。たいして大食漢でもないエイスケに食べきれる量ではない。
    「…えぇと、この皿は」
     何も説明の無いままテーブルに置かれた二食を前に、声色に困惑が滲むのを彼は自覚する。そしてその困惑が表情に露わになったのは、間もなくであった。
     目の前に、その二人分の料理とともに部屋に入って来た男が座ったのだ。いつの間にやら持参していた折り畳みの簡素な椅子を広げて、である。
    「さて、冷めてしまわないうちに食べてしまいませんか」
    「いや、待ってくれ」
     テーブルにひたりとついた三嶋の手を、思わず握って止めた。

     突拍子もない言動を事も無げに寄越すのが三嶋左近という男である。失念していた。頭に手を添えかけるエイスケをよそに、三嶋はその柔和な笑みを貼り付けたまま、持参した椅子に座り直す。流れるような身体運びに滲む、さも当たり前のような気色。フォークを手に取った彼とは対照的に、エイスケは水にすら手を付けられないでいる。
    「…どうしました? ペスカトーレに入っているシーフードは北海道産のものを使用しておりますので、無論歯ごたえも風味も素晴らしいのですよ。それにサラダにはエディブルフラワーも…視覚的にも楽しいこと請け合いなのに」
    「そうじゃなくて」
     遮ったエイスケに、三嶋は少なからず驚いた反応を見せた。常と変わらぬ、ひどく仰々しい様子で肩を跳ね上げる。もうこの挙動に慣れてしまった、そんな自分自身にエイスケは頭が痛くなるような、しかしそれでいてどことなく妙に安堵するような感覚も覚える。誤魔化すように、やっとのことでコップの水を嚥下した。
    「…なんで今日はここに居んの。最近じゃいつもはさっさと部屋から出てくだろ」
     尋ねられた声色に少なからず怪訝を読み取ったのだろう、三嶋はいつも通り、半ば目を瞑った笑顔のまま、くっくっと笑う。
    「あぁ、その事ですか! いえ、これはちょっとした…まあ、言ってしまえば保護対象の皆さまがきちんと食事をとっているかという、確認作業みたいなものですよ。体調管理上で食事の持つ意味は大きい、それをきちんと目下でもというね」
    「あぁ、もうわかったんで。変な意味があるわけじゃないなら良いんで」
     長くなりそうな彼の話を遮り、エイスケは自分のフォークを取った。

     パスタを口に運びながらエイスケは思う。
     三嶋左近という男は、隙間が無いほどに品性で塗り固められている。カトラリーを扱う手つきも、普段の口ぶりも流麗なのである。所作の美しさは否みようが無く、ついつい目が吸い寄せられてしまう。
    「どうされました? 私の顔に何か?」
     目線に気付いたらしい三嶋が手を止めた。たちまち気まずさがこみ上げ、首を横に振ってエイスケは誤魔化す。呆けた顔を慌てて正す彼に、三嶋は掠れた笑いをあげて口元を一度拭った。
    「エイスケさん、作品制作の時とはまるで様子が違うのですねぇ、実に素っ頓狂な顔をよくなさる!」
    「あんた時々びっくりするほど失礼だよな」
    「おや、ご気分を害されたのなら謝らなくては」
    「…別に、慣れてるからもういい」
     よく言えば裏表のない、端的に言ってしまえば不躾な言い回しも混ざる口ぶりに、もう慣れた自分が居る。そうエイスケは自負している。芳醇なトマトソースの絡んだイカを噛みしめて嘆息する。妙に芝居がかった一挙手一投足に雑言、しかしそれに対して不快感はもう湧いては来やしない。そう、数か月前の自分からすれば反吐が出るであろう、慣れである。定刻に部屋を訪れる三嶋を疎まない日々が続き、やがて男は時折妙な時間帯にも何かにつけて、他愛ない話を聞かせにエイスケの部屋の扉を開くようになった。
     しかし、今日のような行動はひどく新鮮だった。突飛な真似に驚くのはもちろん、エイスケは目の前で自分と同じようにパスタを味わう三嶋の姿に驚いていた。
    「それにしても、流石は機構が選び抜いた料理人です。外でもなかなか食べられませんよ」
     満足げに頷きながら、三嶋は食事を腹に収めていく。うすら血色の悪い唇が開いて、真っ赤なパスタが、鮮やかなグリーンリーフが、真っ白なスープが、消える。しゅくしゅくと小さく咀嚼音が籠る口元がうごめいて、それが終われば喉仏がきゅるりと流れるように滑る。その間、口角はずっと上がったままだ。弛んだ笑みという、およそ三嶋左近が見せない代物がその顔に浮かんでいるのだ。
    「…そりゃ、アンタも飯くらい食うか」
     エイスケは知らずのうちに呟いていた。まだ飲み込みきらないサラダを頬張ったままの三嶋と目が合った。これまた彼には珍しい、ハトが豆鉄砲を食らったような顔つきがあった。
     素っ頓狂。そっくりそのまま、まさしく彼の放った表現がぴったりだ。
    「…エイスケさんも大概失礼では? 私が初めて貴方とお話した時からずっとですよ」
     緩慢に飲み込んで、つとめて平静に彼はそんなことを言う。しかしその言葉の中に、エイスケはほんのりと、いじけた気色を見た。紳士の色で塗り飾られた三嶋のほんの小さじ程度の人間味が、胸の内の味蕾をくすぐる。
     急におかしく思えて、エイスケはリーフとトマトを刺したフォークを持ち上げたまま、けろけろと声を上げ笑った。しばし訝り眉を顰めていた三嶋も、ついには破顔一笑。ほとんど初めて、二人の間の緊張はぷっつりと途絶えた。

     ああ楽しかった。そうつぶやいた三嶋が手を合わせる。最後のひと口、ペスカトーレを食べ終えてエイスケが手を合わせたのは、その直後だった。ごちそうさま、と声が響く。いつもは一人分の挨拶に、もう一つ、弾んだ声が重なっていた。
     こうして誰かと食事をするのなど、いつぶりだろうか。記憶を探るエイスケをよそに、三嶋は口元を拭ったナフキンを畳む。
    「こうして何方かと食事をするというのも悪くないと思いませんか」
    「あんたもいつも一人で食ってんの?」
     ええ、と落ち着き払って三嶋は頷く。直後、いつの間にか部屋の前に来ていたらしき、スーツの男が二名入って来た。皿が片付けられていく。三嶋が持参した椅子をもう一人が片す横で、三嶋は機嫌よさげに杖の柄を右手に収めた。椅子から立たないエイスケの前で軽く屈む。
    「またご相伴にあずかりましょうかねえ。あぁ、エイスケさんがよろしければの話ですが」
     いつもの、形の整った隙の無い笑みが戻っていた。なんとなく、食事中の笑みがもうすでに懐かしい心地がして、エイスケは頬杖をつきながら目線を受け止める。
    「え? いいよ、全然いい。結構楽しかったし」
     単純に、そう単純に、エイスケはそう自然と返していた。見知った顔との食事が、ただただ楽しかったのだ。長らく一人での食事に慣れきっていたせいか、単なる栄養摂取に久方ぶりの華が添えられたような気がしていた。それが悪くない、と純粋に思ったのだ。それ以上でも以下でもない本心だ。
     それを口にした直後、ふと、三嶋の顔がふいと逸れた。口元に伸びる左手に、最初こそ再び口元でも拭っているのかと納得しかけた。しかしその手にナフキンも何も握られていない事に気付くと同時、エイスケの視界は三嶋の顔つきを捉えた。
    「…それはなんともまぁ、嬉しいお言葉を」
     眉を下げ、やけに困ったような表情はいつになく血色が良い。要するに、これは間違いなく照れくささで染まった朱の顔である。それを受け止めるのに十秒もかかった。十秒ののち、エイスケは椅子の背もたれを掴んで立ち上がった。口がはくはくと、何かを言おうとして結局何も発せない。
    「では、そろそろ監視に戻らなければならないので失礼しますね、では、では」
     いつになく急いた口調でまくしたて、三嶋は早々に部屋を後にした。もたつきながら出ていく彼の後ろを、控えていた男二名が、皿や椅子を抱えて着いていく。取り残されたエイスケの部屋だけが静まり返る。あの赤ら顔だけが彼の意識を占めていた。
     そんなに彼にとって嬉しい事を言ったのだろうか、自分は。三嶋にとって、食卓を共にしたのを楽しかったと評されるというのは、あそこまで彼を赤く染めるようなものだったのだろうか。そこまで考えて、エイスケの顔はゆっくり、ゆっくりと綻ぶ。なんだ、三嶋という胡乱の塊は、あんなにも人間くさいところがあるのか。驚きよりもずっと色鮮やかな何かがこみ上げる。好奇にも似たそれが、まるでデザートのように彼の腹の奥で甘く溶ける。
     ──夕食の時間に顔を合わせる時、どんな顔で出迎えてやろうか。あわよくば、明日にでもまた昼食を共にしないかと誘ってやろうか。
     思慮を巡らすエイスケの固まったままの表情に、ほんのりと紅がうつっていた。
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