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    asanomono

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    『Goodbye, Yokohama-town』
    攫われた左馬刻を助けに海へ出る銃兎と理鶯のMTCの話。
    ※スピーカーに対する捏造
    ※左馬刻への暴力

    2023/8/19 ヨコハマディビジョンwebオンリー「Drown_In_The_Blue」展示作品です。
    主催者様、素敵な企画、運営本当にありがとうございます!
    ヨコハマが好きだ〜

    #Drown_In_The_Blue
    #どらぶる作品

    Goodbye, Yokohama-town「スピーカーについての調査結果?」
    「そうだ」
     
     真夏の炎天下。
     冷房も送風もない灼熱の森の中へいつもの黒いスーツで足を踏み入れた銃兎は、汗だくで辿り着いた先でもてなされた蛙の串焼きに顔を引き攣らせていた。一緒に差し出されたキンキンに入れた水を一息に飲み干すと、蛙の足の先をちょいと齧る。おおよそ人類が快適に過ごせるための文明の利器は何もないこのベースキャンプで、理鶯は当然のように上裸となり逞しい筋肉を晒していた。盛り上がる大胸筋が眩しい。じっとりと背中を伝う汗は不快でしかないが、それでも仕事の合間を縫ってわざわざここを訪れたのは、理鶯から伝えたいことがあると真剣に告げられたからだ。
     
    「先日、中王区の研究機関のデータベースへハッキングし入手した。左馬刻にも声をかけたのだが…手が離せないらしい」
    「ああ、あいつの組は今バタついてますから…というか理鶯、ハッキングというのは」
     
     じろりと睨むも、「何か問題でも?」とでも言うようにキョトンとした目を向けられて肩を落とす。どうせ言ったところで聞きやしないし、中王区への潜入は理鶯の目標だ。MTCの仲間として口を出せるものではない。
     
    「まぁいいでしょう。で?何が分かったんです」

     理鶯はひとつ頷くと口を開いた。

    「我々がマイクを起動した時に発現するヒプノシススピーカーは、使用者の深層心理と深く関わっている。ある程度関連しているのだろうとは、今までも既に分かっていたことだが」
    「…まあそうでなければ、今のようにあからさまに、使用者と関わりのある形にはならないでしょうからね」
    「ああ。今まで分かっていたのはそこまでだった。スピーカーは、使用者と結びつき何らかの関わりを以て発現する」
    「そこから先が分かったと?」

     理鶯は側に置いていたプロトタイプのマイクを手に取る。

    「スピーカーは深層心理の影響を強く受け、思い通りに動かすことができる」

     ぴたりと、串を運んでいた手が止まる。
     スピーカーを、思い通りに?

    「ラップをしている時以外でも?」
    「そうだ」
    「物理的に?」
    「そうだ」
    「それは……そんなことが可能なのか?」
    「可能だ」
     
     断言する理鶯に頭が痛くなった。もう試したのか。理鶯のスピーカーから発射されたミサイルがどこへ着弾したのかなんて考えたくもない。
     
    「単純な話だった。マイクのスイッチを入れてスピーカーを起動させ、小官の場合は、弾丸を撃ち込みたいと強く願う。照準を定める。撃て、と強く念じる。それだけだ」
    「は………いや、それでは今までも出来たのでは?」
    「言っただろう。深層心理に深く影響されると。小官が試した際は、何度も繰り返して漸く一発、かろうじて思い通りになった程度だった。恐らく無意識下の領域にも影響されるのだろう。自由自在とはいかないようだ」
    「つまり、たとえばシブヤの有栖川帝統は狙ってスリーセブンを出すことはできないってことか」
    「本人の無意識領域に、ギャンブルをしたいという気持ちがあるからだろうな」
    「なるほど…」
     
     三人のスピーカーの使い道を思い浮かべる。銃兎のスピーカーは拡声器として利用できるが、ラップをすればビートを刻み音を奏でるのだから効果としてはあまり変わらないかもしれない。理鶯のミサイルは──武力面では大いに役立ちそうだが。左馬刻の髑髏と棺は──何に使うんだ、あれ。死者を弔うのか。いずれにせよ、思い通りに動かすことは難しいのであれば、一発でも思い通りになった理鶯がとんでもない野郎だということだ。
     
    「左馬刻にもこの話をしたかったのだが」
    「…暫くは無理でしょうね。あまり詳しくは言えませんが…火貂組は今、カワサキにある組と一触即発の状態だ」
    「そうか…。何か、力になれたらいいが」
     
     銃兎は考える。左馬刻とは、最近連絡を取っていない。いや、取れないと言った方が正しいか。今朝も何度か鳴らした電話は不通で、あちこち動き回っているか、もしくは身を隠しているのか。
     いずれにしろ、身の危険が迫っていることには違いない。理鶯が身辺警護をしてくれるならば、下手な組員が脇を固めるよりもずっと安全だろう。
     スマホの画面を見るが、やはり左馬刻からのメッセージはないままだった。いくら何でも、音信不通である期間が長い。ああ見えて、報連相はきっちりする奴だ。
     銃兎が背筋を伸ばしたのを見て、理鶯も居住まいを正す。
     これまでに何度か、左馬刻は理鶯にボディガードを依頼したことがあった。それがないということは、きっと、それだけ危険な状態であると判断しているからだ。
     ならば。
     
    「──理鶯。実は…左馬刻のことで、少し気にかかることがあるんです。…力を貸していただけますか?」

     そう、真っ直ぐに目を見て問えば。

    「当然だろう?」と、瞳の中の海がゆらりと返事をした。

     


     


     ヨコハマから見える海が好きだった。
     昼間は観光客も混じり人の多いみなとみらいも、夜が更けるにつれて隙間が増えていき、──やがて誰もいなくなる。ヤクザが活動するのはそんな時間だ。爆音を鳴らしバイクを走らせる馬鹿共は、無視していれば去っていくかポリ公の世話になるかして勝手に静かになった。気がつけばピンと張られた静寂の糸を、ただ波の音だけが小さく揺らしていた。
     
    「カシラ、そろそろお時間です」
    「ああ?まだ五分も経ってねえだろうが」
    「いつ襲撃があるか分かんねえんですよ。本来ならここに来ることだって…」
    「あ〜いい、いい、分かった。チッ、クソが…」
     
     手にしていた煙草をもみ消すと、舎弟に促されるままに黒塗りのベンツの後部座席へ乗り込む。シートに背を預けると、深く息を吐き出した。身体全体に疲労が広がり、目を瞑ればすぐにでも眠れてしまいそうだ。

     カワサキに拠点を置く水虎(すいこ)組の奴らが、どうやら香港のマフィア共と手を組んだらしい。元々そう小さい組でもないが、調子づいた奴らはヨコハマにある火貂組のテリトリーを脅かした。水虎組は人身売買に手を出している、というのは耳に入れたことがあったが、彼らは標的をヨコハマからも釣り上げ始めたのだ。男女問わず、行方不明届が最近増えていると銃兎も言っていた。
     当然火貂退紅は激怒し、左馬刻に事の対処を命じた。先日、左馬刻直々に水虎組へ赴き、ヨコハマから手を引けとメンチを切ったばかりだ。奴らも馬鹿ではないのか、その場では謝罪と合意を得られたのだが──その時から、左馬刻を付け狙う輩が現れたのだ。
     
    「何故こうも執拗にカシラを狙うんでしょう」

     車を発信させた舎弟は、サイドミラーで後方を確認する。後ろに座る左馬刻ではない。車を尾行する者がいないかのチェックだ。既に二度尾行され、一度はタイヤに鉛玉を喰らった。
     
    「商売すんのに俺様が邪魔なんだろうよ」

     ヒプノシスマイクを扱える左馬刻がいなくなれば、もっと自由に出来るとでも思っているのだろう。これでもう一度お話し合いの場を設けてやるほど、火貂組は甘くはない。水面下で親父の指揮の元、全面戦争の準備を進めているが──その間、左馬刻はセーフハウスを転々として身を隠していた。水虎組の奴らはどんどんエスカレートしていき、先日は就寝中の左馬刻の部屋に手榴弾が投げ込まれた。窓は大破し部屋は見るも無惨な惨状となったが、奇跡的に左馬刻は無事だった。ガラスの破片が頬を切った程度だ。
     怪我は大したことないが、それからは夜もぐっすり眠れなくなった。さっさとこちらからも仕掛けてやり合えば良いが──水虎組単体であれば火貂組の方が規模は上だが、バックについている香港マフィアを含めれば戦力差は歴然だ。いざ抗争となれば香港マフィアは必ず出てくる。舐めてかかれば痛い目を見るのはこちらの方だ。それが分かっているから、退紅も険しい表情で左馬刻に「死ぬな。身を隠せ」と命じたのだ。
     さっさと全面戦争したいところだが、今それをすればこちらの被害も少なからず出るだろう。とにかく、左馬刻は水虎組の連中から逃げ回るしかない。真っ向勝負を好む左馬刻にとって、それはかなりのストレスだった。
     ポケットで振動し続けるスマホの画面を見やる。心配症のウサポリ公だ。事情を話せば、あのおせっかい兎はやれ身辺警護だの言ってそばに付くだろう。初めは左馬刻も理鶯に警護を頼むことを考えていたが、手榴弾で窓が粉々になり大破した部屋──一歩間違えれば、お陀仏だっただろう──を思い出すと、そんな気は起こらなかった。
     あいつらの手は借りたい。だが、巻き込んでもし──万が一のことがあったら。
     そんなことを考えて何も言わない左馬刻に、きっとあの二人ならまずは怒って、次いで煽るように「左馬刻様が何を不安になってるんだ?」とでも言ってくれるのだろう。なんとなくそんな想像をして、自然と笑みが溢れた時だった。
     
    「カシラ!!!!」
     
     急ブレーキの音。
     グシャ、と何かがぶつかる音。
     
     そして。

     プツンと電源が切れるかのように、左馬刻の意識はそこで落ちた。





     どこか遠くで悲鳴が聞こえて、目を覚ました。
     ズキン、と酷く左足が痛んで堪えるように歯を食い縛る。
     ばしゃりと冷たい水がかけられて、無理矢理にクリアになった視界で漸く状況を理解する。
     どこかの廃倉庫なのか、廃材が散乱し苔の生えた古いガレージのような場所で、天井から吊るされた鎖に両腕を拘束され吊り上げられていた。両足は地面に付いているが、左足が嫌な激痛を訴え熱を持っている。恐らく折れているのだろう。意識のない間に折られたのか、もしくは──あの、ブレーキ音は。
     
    「お目覚めかい、火貂組の若頭さん」
     
     顎を掴まれ上向かされる。水虎組の若頭だ。左馬刻を取り囲むように舎弟達が輪を作り、下卑た笑い声を上げる。
     
    「上手いこと追突したもんだろう。意識のないお前を連れてくるのは造作もないことだったよ。尤も、運転席にいた男は死んでいるかもしれないが」
     
     鈍い音がして頬を殴られる。揺れる脳を堪えながら状況を整理した。
     追突の衝撃で意識を失ったのだろう。全身の打ち身と左足の骨折は恐らくそのせいだ。運転していた舎弟の姿は見えない。この男の言う通りならば、現場に放置されている筈だ。無事でいてくれたら良いのだが。
     再び頬に衝撃が走り、思考は中断させられる。口の中が切れて血の味がした。
     左馬刻を取り囲む男達がにじり寄る。乗っていた車が表向きは交通事故で処理されているのであれば、必ず警察に連絡がいっている筈だ。ならば、きっと銃兎にも話は届いているに違いない。退紅が動くか、銃兎と理鶯が動くか──結局、迷惑かけちまったな。
     男が手を挙げると、周りの男達が一斉に左馬刻へ飛びかかる。すぐには殺さずに痛めつけるつもりらしい。
     その辺の一般人よりも痛みには強いが──酷く、怠くはあった。殴られたら腫れ、強く蹴られれば骨が折れるのは左馬刻だって同じだ。
     深く一つ息を吐いて、左馬刻はこれから降りかかる暴力の中に身を委ねた。


     カラン、と乾いた音がやけに耳に響いて意識を戻す。
     転がったのは鉄パイプで、多分、右腕に入れられたやつ。人を殴るには体力がいる。左馬刻を暴行していた男達は殴り疲れたのか、血濡れの左馬刻を囲んだまま「もういいんじゃねえか?」「死なせたら駄目なんだろ?」などと口走った。ひゅう、と掠れた呼吸音を響かせる左馬刻を一瞥し、水虎組の若頭は満足気に微笑む。
     
    「連れていけ。くれぐれも手錠は外すなよ。ハマの狂犬がいつ噛み付くか分からんぞ」
     
     ガタイの良い大男が左馬刻を吊るしていた鎖を外し、ガクンと地面に倒れ込む左馬刻を抱えると、両手を後ろ手の拘束に切り替える。かろうじて意識のあるだけの左馬刻はされるがまま、米俵のように肩に担がれるとどこかへと移動するようだった。男の肩が腹を圧迫し、こふ、と小さく吐いた血がたらりと男の背中を伝った。



     ザア、と耳慣れた音がする。波の音だ。
     ヨコハマの、港だとすぐに分かった。
     夜の港には、大小入り乱れて多くの船が停泊している。男達は左馬刻を連れて、停泊している中型のタンカー船に乗り込んだ。
     船尾の柵に鎖の先を繋がれる。夜の海風が血のこびりついた髪をなぶった。ここいら一帯の港は監視が厳しく、許可の無い船は出航できない。つまりは正式に登録された船。とはいえ朦朧とする意識では、何の船なのかまでは判別できなかった。

     船に乗らされてすぐだったのか、はたまた幾分か時間を要していたのか。かろうじて意識を落とさないように、既に限界の身体をどうにか起こしていた左馬刻は突如響いたボオオ、という大きな汽笛の音でびくりと身体を揺らす。
     船のあちこちが振動し始める。エンジンがかかり、動き出すようだった。
     水虎組の若頭がわざとらしく靴音を鳴らしながら近寄ると、項垂れていた左馬刻の髪を引っ掴んで顔を上げさせる。
     船は出航し、徐々に港を離れていく。薄く開かれた真紅の瞳に、遠ざかっていくヨコハマの夜景が映り込んだ。ずっと守ってきた、大好きなヨコハマの街。クソみてえなことがあったって、どうしたって嫌いにはなれなかった。この街を守る為に、メンツと家族を守る為に拳を、マイクを握った。──左馬刻の、ホームタウン。
     
    「ようく目に焼き付けとけ」

     再びぐいと顔を上げさせられて呻く。船の速度は速い。さっきまで眼前にあったヨコハマがどんどん遠ざかっていくのに、左馬刻は目を細めた。

    「もう二度と、お前があのヨコハマの地を踏むことはねえ。ここでサヨナラだ」

     ほら、最後の挨拶でもしたらどうだ。
     水虎組の若頭が左馬刻の耳元に口を寄せる。自分のものとも銃兎のものとも異なる煙草の匂いに、突然のように胸にポカリと穴が空いた心地がした。地に足がついていないような、フラフラした感覚。それはもう二度と戻れない故郷への郷愁じみた感覚と似ているものであったが、左馬刻には理解ができなかった。

     やがて、ヨコハマの夜景は霞む視界に消えていき、米粒となる。耳元で、男が嗤いながら呟くのが聞こえた。


    ──「Goodbye, Yokohama-town ってな」。











     理鶯を連れて山を降りたところだった。鳴り響いた一本の電話に、嫌な予感がして理鶯と顔を見合わせる。
     
    「…はい。入間です。……………ッ!」
    「どうした、銃兎」
     
     通話を切り、銃兎は強く携帯を握りしめると、クソッ!と地面を蹴った。次いで、自分を落ち着かせる為に深呼吸をすると、その様子を見守っていた理鶯へ向き直る。
     
    「左馬刻の乗っていた車が、何者かの車に追突されたようです。その場には左馬刻の舎弟が一人重傷で残され……左馬刻の、姿はないそうだ」
    「ッ…それは、」
    「ええ、追突した車に乗っていた奴らも見つかっていない。十中八九、そいつらに連れて行かれたと見ていいだろう」
    「すぐに捜索を開始する。銃兎は…」
    「私は現場へ向かいます。事故…いや、犯行が起きたのは夕方の17時40分頃。今は…18時半か。理鶯、」
    「分かっている。今なら、まだ左馬刻は近くにいるかもしれない。銃兎は現場の様子から分かったことを教えてくれ。小官は独自のルートで捜索しよう。30分おきに定期連絡を」
    「ええ、お願いします。…では」
     
     バッとそれぞれ反対方向へ駆け出す。
     愛車へ乗り込むと即座にエンジンをかけアクセルを踏み込む。パトランプを付けると、その赤にあいつの目を思い出した。脳裏によぎった嫌な想像を掻き消すように、銃兎はぐんと速度を上げた。

     到着した現場は想像していたより遥に酷い状況だった。規制線の内側で、ほとんど潰れてしまった車とバンパーのみがひしゃげた車が二台、煙を上げている。銃兎の祈りも虚しく、ほぼ潰れている方の車には見覚えがあった。火貂組が保有している車だ。左馬刻が乗っていたのは後部座席だろうから──いや、こんなの、どこに乗っていたって。
     握りこんだ拳は手袋をしていなかったら、爪が刺さり血が流れていただろう。
     現場検証していた警官から話を聞き、後は任せてその場を離れる。ふうと息を吐いてから、理鶯に電話をかけた。通話はワンコールで即座に繋がり、低いバリトンボイスが鼓膜を揺らす。
     
    「現場を見てきました。追突されたのは火貂組が所有する車です。…ほぼ潰れてしまっていますが。追突した方は見たことない車だが、おそらくカワサキの組のものだろう」
    『なるほど。こちらはいくつかの防犯カメラの映像から、左馬刻らしき人物を運ぶ集団を確認した。──映像は見たが、左馬刻の意識は無いようだ。生死は分からない』
    「――――っ」
     
     ぎり、と拳を握りしめる。手に持ったスマホが嫌な音を立てた。
     
    『左馬刻を拉致した集団の動向はちょうど赤レンガ付近で途絶えている。銃兎、左馬刻が渦中にいるというカワサキの組とやらについての情報が欲しいのだが』
    「…ええ。水虎組といい、元々は火貂組の半分程度の構成員規模で、ヨコハマにある火貂組のシマを荒らすようなことはなかった。だがここ最近で若頭が変わり、そいつがどうやら香港マフィアに近づいたようです」
    『香港マフィア…水虎組のメリットは規模の拡大と武器の調達、それに…ふむ、商売のしやすさといったところか』
    「その通りです。水虎組は人身売買にも手を出していた。正確には、新しい若頭が手を出し始めた。海外に味方がいるのは強みでしょうね。…水虎組だけなら火貂組の圧勝だが、バックに付いている香港マフィアを合わせれば戦力差はかなり大きいでしょう」
    『ふむ、ここまでは分かったが…なぜ左馬刻を狙った?』
    「ここからは私の憶測なのですが。水虎組は人身売買のターゲットを、ヨコハマからも拉致していた可能性が高いです。最近、ヨコハマでは相次いで行方不明届が出されていました。そのことに気づいた火貂組は、まずは穏便に話し合いをする為に若頭である左馬刻を水虎組へ向かわせた」

     話しながら、銃兎は愛車に乗り込むとエンジンをかける。
     
    「水虎組もいきなり全面戦争をするほど馬鹿じゃない。その場では事を収めたが──なんらかの理由で、その後左馬刻を狙い始めた、と考えるのが妥当でしょうか」
     
     逸る気持ちを抑え、ハンドルを握りしめる。何かをして動いていないと気が収まらない。電話の向こうの男がこんなにも冷静でなかったら、きっと、もっと焦っていただろう。落ち着いていられるのはいつだって大木のように安定している、この男のおかけだ。
     
    『理解した。小官はもう少し左馬刻の足取りを追う』
    「私は火貂退紅に会ってきます。──また連絡します」
     
     通話を切ると同時に、アクセルを踏み込む。
     大丈夫。大丈夫だ。あいつがこんなところで終わる男の筈がない。
     食いしばった歯の軋む音は無視をして、銃兎は今はただ、手のかかるリーダーの無事を祈った。



     再び、次は理鶯の方から着信があったのは、銃兎が火貂退紅のいる屋敷を離れてすぐのことだった。
     
    『様々なカメラの映像を追い、どうやら左馬刻を連れた男達はヨコハマの港に向かったことが分かった。…銃兎、恐らくだが──』
    「…船に、乗せられた」

     そして、きっと。この時間では、もう。

    「………理鶯」
    『どうした』
     
     銃兎は息を吸って、吐く。ここで諦めてなるものか。たとえそれが、海の上であっても。遠い異国の地であっても。地獄であったとしても。
     
    「──左馬刻は、必ず連れ戻します」

     あいつが、唯一無二のリーダーだから。
     電話越しに、くすりと笑う声が聞こえる。
     
    『当然だ。左馬刻の他に、MTCのリーダーはいない』
     
     大丈夫だ。左馬刻は、まだ生きている。そう俺たちが信じていなくてどうするっていうんだ。
     
    「左馬刻を拉致して、船に乗せたのであれば。死体を運ぶよりは生きている方が価値は高い」
    『水虎組は人身売買に手を出しているのだったな』
    「そうだ。つまり、左馬刻が生きている可能性は十分にある。先ほど火貂退紅と話をしましたが、やはり予想通りだった。水虎組の若頭と左馬刻は一度は話し合いで事を収めたが、その直後から左馬刻を執拗に狙い始めたらしい。戦力差を埋める為に火貂組が準備を整える間、左馬刻は身を隠していたそうだ」
     
     話しながら、銃兎は再び愛車に乗り込みエンジンをかける。
     
    『なるほど…。左馬刻が乗せられた船に目星は?』
    「今夜出航する船の中から絞り込んだが……現状、二択です。台湾行きの小型船か、香港行きのタンカー船。…その、どちらかに」
     
     ここでもし選択を間違えたら。もう二度と、左馬刻には会えない。もう二度と、あいつの煙草に火をつけることはない。
     
    『そうか。…銃兎』
    「はい?」
     
     電話の向こうで、珍しく理鶯が息を呑んだ気配がした。そして。
     
    『小官は──銃兎を信じている。銃兎の判断に従おう』
     
     心臓の音がやけに煩い。これまでに得た情報。最後に会った時の左馬刻の様子。一つも漏らしてはいけない。全ての情報を使って、決めろ。
     思考を巡らせる。気付かぬうちに息を止めていたらしい。は、と苦しげな自分の呼吸がどこか遠くに聞こえた。
     通話時間だけが増えていく携帯の画面が、しばらく沈黙を返したのち。
     ──銃兎は、覚悟を決めた。──左馬刻を救う、覚悟を。
     
    「──香港へ向かったタンカー船を追います。理鶯、今から言う港へ来てください。火貂退紅からクルーザーを借りる。…運転は頼みます」
    「承知した。すぐに向かおう」
     
     通話を切ると、銃兎はアクセルを踏み込む。
     正解の確率は五分五分。台湾と香港。どちらも十分に可能性としてはある。
     日本から香港まではそう遠くはない。上陸されてしまえば、いよいよ足取りは掴めなくなる。その前に、全速力で左馬刻の乗る船を追い、海上で救出する。
     まるで雲を掴むような話だ。海上でどうやって船を制圧するのだとか。その船はその後どうするのだとか。そもそも、追う船を間違えていたとしたら。
     色んな負の想像を掻き消すように、銃兎は頭を振りペダルを強く踏み込んだ。

     




     耳障りなエンジン音に、強制的に意識が浮上する。
     意識を失っているうちに、船内のどこかの部屋へ移動させられているようだった。ゴウンゴウンと鳴り続ける轟音に、2畳ほどの狭く暗い船室。物置なのか、船を動かすために必要な部屋なのか。窓もなく、ドアから漏れ出る僅かな光が少しだけ床を照らしていた。
     後ろ手の錠は天井から床まで生えたポールに鎖で繋がれているようで、外れそうにない。足は拘束されていないが、そもそも左足が折れているのだ。全身が鈍い痛みを訴え、出血が止まらず頭がやけに重たい。
     はぁ、と苦しげな息を吐く。海の上。船の中。行き先は分からないが、水虎組が管理する船なら目的地は香港か。いや、追手を巻く為に、あえて一度別の国を経由する可能性だってある。
     仮に、隙を見てここから脱出できたとして。
     広大な海の上で、どうやってヨコハマへ帰る?
     左馬刻は頭を振る。恐らく、自力では厳しいだろう。船を制圧し、助けを呼んで、救助の船が来るのを待つには、左馬刻自身の状況が悪すぎる。幸いにもマイクは奪られていないが、意識を保つのがやっとの現状でラップをすれば力尽きて終わりだ。
     
    「…………っゲホ、ゲホッ、……く、そ」
     
     再び意識が遠のいていく。絶望的な状況に置かれているのに、不思議と胸の奥が落ち着いているのを感じていた。焦りはあるが、悲観し泣き喚くほどではない。このままでは、きっと香港で奴隷として売られる将来が待っているというのに。
     ただでさえ悪い視界がさらに霞んでいく。
     口うるさい、迷子の捜索が仕事の一部である警官と。かつて海の上がフィールドだった軍人の顔を思い浮かべて、左馬刻は目を閉じた。

     
     ▽


     理鶯の運転するクルーザーがごうごうと風を切る。全速力を出すから船内にいろと言われて、銃兎は大人しく中で左馬刻を救出する算段を考えていた。
     一番は、こっそり船に近づき、誰にも気付かれずに左馬刻を救出してクルーザーでその場を離れることだが、そう上手くいくだろうか。なにしろ左馬刻が船のどこにいるのかも──本当に船に乗っているのかどうかも、分からないのだ。
     焦りが思考を遮り、ジャケットの裏を探り煙草を咥えて、出港前に火気厳禁と理鶯に言われたことを思い出しジッポを探っていた手を止める。火をつけず咥えたままの煙草に、どうしたってあの白い男の顔が浮かんだ。
     ふいにクルーザーが動きを止めたかと思うと、急にハッチが開き理鶯が顔を見せる。
     
    「目標を捕捉した。右斜め前方に約600m。このまま突撃するから甲板に出ていろ」
    「ええ、わかりまし──は?」
     
     突撃?慌てて立ち上がった銃兎が甲板へ出ると、理鶯はハンドルを握り再びクルーザーの速度を上げたところだった。
     風の音が激しく、腹から声を出さないと全く聞こえないほどだ。海風が容赦なく髪をなぶる。
     
    「理鶯!!突撃とは?!」
    「そのままの意味だ!!タンカー船はそう大きくはない、どうせ音ですぐに気付かれる!ならば全速力で突っ込み船内を制圧しつつ左馬刻を助ける方法が確実だ!!」
     
     ぐんぐんスピードを上げるクルーザーにタンカー船の見張りが気づいたのか、何度か発砲音が空に響く。クルーザーの前方に数発の銃弾の跡が残された。
     反論する余裕も時間もないままあっという間にクルーザーはタンカー船に横付けされ、理鶯は人間とは思えない動きでタンカー船に飛び乗った。もう何も考えずに銃兎も後を追う。火事場の馬鹿力だ。普段ならこんな大ジャンプはできなかっただろう。
     ぞろぞろと湧いて出てくる乗組員を殴り、蹴り、船首側の広い甲板に出る。
     
    「何事だ!」
     
     現れた男に、銃兎は見覚えがあった。水虎組の若頭だ。その姿に、自然と胸を撫で下ろす。
     ビンゴだ。きっと左馬刻はこの船に乗っている。
     
    「ウチのリーダーを、返してもらいに来たんだよクソボケが」
    「容赦はしない。対話も必要ない。行くぞ銃兎!」
     
     マイクを取り出し、何かを喚いている男の言葉を無視してラップを繰り出す。夜中の海に、赤黒く光る拡声器と閃光を放つロケットランチャーが浮かび上がる。
     逃げ場のない船の上ではマイクの力は絶大だ。先手必勝、慈悲のかけらも残さずその場にいる奴らを制圧した二人は、突如起きたドン、という腹に響く音に顔を上げる。
     
    「は、はは…お前らも道連れだ!」
     
     船尾からフラフラと走ってきた一人の男が、銃兎と理鶯を指差し笑い声を上げる。背中を嫌な汗が伝った。愚かな男が、船に、火をつけたのだ。
     生き残りの他の組員が「何を勝手なことを!」「ふざけるな!」と罵声を浴びせるのを尻目に、二人はただ一つを目指して駆け出す。
     ゴォ、と勢いよく船尾側から火の手が上がった。梯子を飛び降りて、片っ端から目についた船室のドアを開ける。タンクに火がついたら全員纏めてお陀仏だ。走りっぱなしで肺が痛んだが、アドレナリンが出ているのか今は無視することができた。
     
    「ハァ、ハァ、クソ、どこだ!」
    「左馬刻!聞こえるか、左馬刻!!」
     
     再びドン、とどこからか轟音が響く。揺れる船内で、何度か身体を壁に打ち付ける。どこにいる、左馬刻。
     長い廊下を走り抜け、一番端にあった鍵のかかった部屋に理鶯が手をかける。鍵を壊している時間が惜しい。その間に別の部屋を探すか。でももしこの中に左馬刻がいたら。理鶯と目を合わせる。この軍人にしては珍しく、額に汗をかいていた。トレーニングや太陽の光によるものではない、緊張と焦りによる汗。
     静寂は、一瞬だった。だがその一瞬で、銃兎の耳が何かを拾った。

    「……ッ理鶯、開けましょう」
     
     無言で頷いた理鶯がドアノブに手をかけ、反対の手でポケットから何やら工具を取り出す。早く。まだ船はもつのか。火の手は今どこまで迫っているのか。見守るしかない銃兎は、とにかくこの部屋に左馬刻がいることを祈った。
     ものの数分で破壊されたドアを押し開ける。真っ暗な部屋の中から漂う血の匂いに、銃兎は最早倒れるかのように部屋の中へ縺れ込んだ。
     
    「左馬刻!!!」
     
     暗く狭い部屋の奥のポールに繋がれるようにして、左馬刻がいた。ボロボロだが、かろうじて息はしているようだ。肩に手を置き頬を軽く叩く。閉じられていて瞼が、気だるそうに、焦ったいほどのスピードでゆっくりと開いた。見慣れたルビーの虹彩が銃兎を捉え、やや見開かれる。
     
    「……ぅ、と」
    「ああ、俺だ」
     
     すぐさま左馬刻の横に回った理鶯が、左馬刻の手錠の破壊を試みる。銃兎が取り出したハンカチとその辺に落ちていた板を使い左馬刻の左足を固定している間も、意識が落ちそうなのか、左馬刻が何度か瞬きを繰り返す。
     手錠を破壊した理鶯が、そのまま左馬刻を背負った。
     
    「よし。ヨコハマへ帰るぞ」
     
     そう言うと、理鶯の首に回された腕に、少しだけぎゅうと力が入った。
     
    「………おせぇよ」
     
     理鶯はふ、と笑い、「少し手間取ってしまった」と返した。

     


     廊下にはすでに煙が回り始めていた。理鶯がスカーフを銃兎に渡し、銃兎が左馬刻の口元にスカーフを当て、そのまま理鶯の肩に押し当てる。
     
    「ゴホッ、ゴホッ、ッ…出口はどっちだ!」
    「あっちだが、風が向こうへ流れている。こっちだ!」
     
     左馬刻を背負ったまま慎重に駆け出した理鶯を抜き前に出ると、後ろの様子を気にしつつ全力で走り出す。船の温度が上昇しているのか、酷く暑い。
     扉を開けると、どこかの甲板に出たようだった。焼け爛れ手すりが落ち、今三人がいる場所もすぐに崩れ落ちてしまいそうなほどだ。
     どこかで爆音が鳴り響く。もう、乗ってきたクルーザーへ戻る余裕はない。救命ボートを探している時間も。もうすぐにでもタンクに火がついて、この船は爆発する。
     理鶯に背負われた左馬刻の白い頭をポンと撫でた。大丈夫だ。この男を、こんなところで終わらせたりはしない。
     会話は無かった。ただ、隣の軍人と目を合わせて。
     まるで宇宙のような黒い海へと、ダイブする。
     夜の海の冷たい海水が即座に三人の体温を奪い始めた。ただ必死に、何もかもを飲み込んでしまいそうな黒い海を搔く。背後で、三人の乗っていたタンカー船が轟音と共に破裂し、やがて沈んでいくのが見えた。
     
     




     成人男性を一人抱えて、真夜中の冷たい水に晒され続けるのは一体何分が限度なのか。
     左馬刻は意識を失ってしまったのか、ぐったりと目を閉じている。どうにか溺れずに三人とも水面に顔を出せてはいるが、理鶯がいなければとうに沈んでしまっていただろう。海に慣れた軍人に感謝しつつも、これではただ沈むまでの時間を稼いでるにすぎない。冷たい水にどんどん体力を奪われていく。
     
    「ハァ、ハァ、…ゴボ、」
    「銃兎!」
     
     沈みかけた銃兎を、理鶯の筋肉質の腕が引っ張り上げる。銃兎を掴んだ理鶯の腕も震えていた。恐らく左馬刻を、リーダーを背負っているからアドレナリンが出ているだけで、限界は近いのだろう。腕の中の左馬刻も唇が紫になり顔色が真っ青だ。猶予がないことは明白だった。
     周りを見渡しても、辺り一面の大海原。
     澄み渡る空に輝く星と、その中で一層輝く満月だけがあたりを照らしている。このままここで三人で、夜の海に沈むしかないのか。
     せめて理鶯の助けができるようにと、銃兎も最後の力を振り絞り左馬刻を支えた。腰に手を伸ばし力を入れて──ふと、手に当たった感触に目を見張る。
     
    「マイク…」
     
     左馬刻のマイクだ。水面に出すと、水に濡れた無機質な黒が月明かりを反射する。
     藁にもすがる思いでスイッチを入れた。ブォンと起動音が鳴り、ややあって──がしゃ髑髏と棺が海上に現れる。青白い炎を灯す左馬刻のスピーカーを、理鶯と二人で呆然と見上げた。
     コォォ、と髑髏の息遣いが海面を揺らした。
     髑髏はがらんどうの目に、海に沈みかける三人を映し出す。じいと見つめ続けるそれは、やがてその大きく骨ばった10本の指で棺を開けると──棺を掴み、海に浮かべた。
     
    「────っ!」
     
     理鶯と二人で、無我夢中で棺の中に左馬刻を入れた。棺の中がどうなっているのか全く分からなかったが、どうやら本当に、普通の棺になっているらしい。なぜ海に浮いているのかも理解不能だが、左馬刻を乗せても沈むことはなかった。
     良かった、これで。
     あとは理鶯も棺に乗り込められれば、左馬刻は助かる。
     
    「銃兎!!」
     
     ふ、と腕から力が抜け、かろうじて棺にしがみついている状態だった銃兎が海に沈みそうになった、その時。

    「──ッ?!」
     
     ぐるん、と棺がひっくり返り、中に入れた左馬刻が海に投げ出された。正確には、ひっくり返されたのだ。他ならぬ、髑髏の手によって。次いで伸びてきた骨が銃兎を掴み、空いた棺に入れようと力を込める。
     まさか。これは。
     慌てた理鶯が沈む左馬刻をかろうじて引き上げるのを、どこか遠くで眺めていた。棺の中は温かくて、海水も入り込んでいない不思議な空間だった。ここにいれば、暫くの間は助かるだろうと本能で分かった。
     起き上がり理鶯から左馬刻を引き上げようとして、目の前の光景に息を呑む。
     髑髏が理鶯を、理鶯だけを掴もうとして。左馬刻を手放せない理鶯が、骨ばった指を必死に跳ね除けていた。
     頭の中が、急激に沸騰したかのように熱くなる。
     ふざけるな。ふざけるな。──ふざけるなよ。
     
    「左馬刻!!!!」
     
     意識のない左馬刻ではなく、スピーカーの髑髏に向かって。銃兎はまるで胸ぐらを掴む勢いで殴りかかる。
     
    「テメェ、ふざけんな、このカラス頭のボンクラが!!!!お前も助からないと意味がねえんだよ!!!!!」
     
     はあ、はあと肩で息をする。髑髏は動きを止めて、まるで意志があるかのようにじいと銃兎を見つめていた。
     
    「俺と理鶯はなあ、お前を助けるためにヨコハマ離れて遥々海の上まで来てんだよ!!もう二度とヨコハマに戻れねえ覚悟だって、海の上でおっ死ぬ覚悟だってしてここまで来てんだよ!!!今さら、今さら……っ!お前を置いて帰る訳がねえだろう!!」
     
     髑髏の虚ろが銃兎を映す。銃兎は温かな棺から冷たい海へ戻ると、左馬刻を抱える理鶯のところまで必死に海を掻いた。ぐったりとした左馬刻は既に危険な状態だ。一刻も早く棺に上げなければ、もうもたない。
     理鶯と二人で左馬刻を棺に入れると、すぐに理鶯の太い腕が銃兎を抱えた。
     
    「理鶯…」
    「銃兎を置いて帰ることだって、ないからな」
     
     海水に晒され続けた体は、とうに限界を迎えているだろう。精神力だけでここまで保っている。
     にも関わらず銃兎を抱え自分は最後になろうとする理鶯に、銃兎も腕を伸ばした。
     
    「む…」
    「理鶯を置いて、帰ることもね」
     
     一緒に上がりましょう。
     そう言えば、理鶯は微笑んでそうだな、と呟く。棺の中には大の男が二人程度しか入るスペースはないが、縁に腰かけるなりすれば三人海から上がることは可能だろう。最後の力を振り絞って、棺に乗り上げた銃兎と理鶯を虚ろが見つめて。どうにか三人が収まった棺を、髑髏の指が包み込むように、守るように覆い隠した。
     
     
     





     棺の中で左馬刻を温めるように寄り添っていた三人を発見したのは、タンカー船の爆発を受け救助に来ていた付近の漁師の船だった。
     運の良いことにヨコハマから出た漁船らしく、三人はそのままみなとみらいへ寄港し再びヨコハマの地を踏みしめる。左馬刻は応急処置をしてもらい一命を取り留め、銃兎と理鶯も大小含めた怪我と疲労、それに煙を吸っていることから、大事をとり一日入院することになった。病院に無理を言い三人部屋にしてもらい、未だ眠り続ける左馬刻の顔を眺めながら、理鶯ととりとめもない話をする。
     
    「そういえば、火貂退紅の所有するクルーザーを失ってしまったな」
    「それについては謝っておきましたよ。尤も、無事に左馬刻を連れ戻してこれたのでチャラにしてくれるそうです」
    「そうか。なら良かった」
     
     やや開いた窓の隙間から風が入り込み、左馬刻の髪を靡かせている。頬に張り付いた髪をそっと避けると、それにしても、と銃兎は続けた。
     
    「まさか、スピーカーがあんな動きをするなんて」
    「あの時は左馬刻の意識が無かった。だからこそ深層心理に影響された、偽りのない行動だったのだろうな」
    「今思い出しても腹が立つ。早く目ェさませこの野郎」
     
     頬をつん、と指でつつくと、反対側から理鶯も指を伸ばした。むに、と変な顔になった左馬刻に二人でくすりと笑う。
     
    「小官も腹に据えかねたな。自分を大切にしないのは左馬刻の悪いところだ。まあ、──あんなにも激昂する銃兎は始めて見たので、そちらにも驚いたが」
    「私も、あんなに腹が立ったのは生まれて初めてかもしれません」
     
     ぺち、と今度は額を軽く叩く。理鶯は左馬刻の耳たぶをむにむにと触り引っ張っていた。
     
    「まあ、水虎組とのいざこざが解決した訳じゃないからな。目を覚ましたら早速こいつは駆り出されるんでしょう」
    「その時は小官らも力になれると良いのだが」
    「素直に頼りますかね、この男は…」
     
     顔を陰を作る長い睫毛の先をさわさわと触る。ぎゅう、と眉間に皺が寄った。
     
    「お」
    「ん、起きたか?」
     
     首元にぴたりと手を当てる。傷のせいで熱が出ているのか、少し熱かった。理鶯がちょんと鼻を触ったのを皮切りに、んん、と唸り声が上がる。
     ややあって、ゆっくりと紅が二人の姿を捉えた。
     
    「あぁ……?」
    「起きたか寝ぼすけ」
    「おはよう、左馬刻」
     
     暫く天井を見上げてここが病院だと把握したのか、ゆるゆると息を吐き出す。
     
    「…ここは?」
    「まだ海の上にいる気分か?ヨコハマだよ。正真正銘陸の上だ」
     
     ちらりと目線を窓にやった左馬刻が、何かを吐き出すように肩から力を抜いたのが分かった。
     これから左馬刻が目を覚ましたことを火貂退紅にも連絡して、あのタンカー船爆発と左馬刻の車への追突事故の事後処理もして、──いや、その前に。
     耳たぶをさすさすと触る理鶯にハテナを浮かべた左馬刻が、ぼんやりとされるがままになっているのを面白げに眺める。まだ覚醒しきってないのかぼうっとしている左馬刻の額に強めのデコピンをした。
     
    「ッッテェ!なに、しやがるウサポリ公…!」
    「ちょっとした意趣返しだ。正直な所こんなんじゃ気は済まないが、まあこれでチャラにしてやる」
    「ああ…?何の話だよ」
    「まあ、とにかく無事で良かった。流石に今回は肝が冷えたぞ」
     
     理鶯がそう言えば、左馬刻は漸く事態を思い出したのか、ガバリと上体を起こした。が、目眩がしたのかふらついたところを理鶯が支える。
     
    「ぅ…、ワリ、理鶯」
    「大丈夫か?まだ横になっていた方が良い」
     
     身体を倒そうとする理鶯を制して、左馬刻はどうにか背筋を伸ばすと銃兎と理鶯を真っ直ぐに見つめる。一歩間違えたら、もう二度と見られなかったかもしれないルビーの虹彩。あのまま三人まとめて名も知らぬ海に沈むか、五体満足でヨコハマへ帰るかの二択だった。無事に帰って来られたのは、本当に、──あの時、三人でいたからだ。一人でも欠けていたらと思うとぞっとする。職業も、信念も、目的も、性格も、何もかもが違うけれど──三人は確かに、同じ舟に乗っていた。
     
    「銃兎、理鶯、その…ありがと、な」
     
     言い終えてから照れたように逸らされたそれに、戻ってきたんだなと実感が湧く。無事に、三人揃ってヨコハマへ帰れて本当に良かった。
     
    「左馬刻が無事で良かった」
    「まぁ、貸しにしといてやるよ」
     
     ゆるゆると息を吐いた左馬刻が再び横になる。まだ眠いのだろう。何度か瞬きを繰り返している。
     
    「ん…じゅ、と。りおう」
    「なんだ?」
    「まだ何か?」
    「今度、…お前らの、力、貸せ」
     
     思わず理鶯と顔を見合わせる。再び左馬刻に目を向けたときには、もう眠ってしまっていた。あの時、左馬刻の意識はなかった。スピーカーの髑髏が経験したことを、左馬刻も覚えているのかは分からない。けれど──
     
    「良かったな、銃兎」

     貴殿の想いは届いているようだ。
     そうニコリと笑う理鶯に、銃兎は耳が熱くなるのを感じて目を逸らす。

    「貴方の想いだって届いていますよ。それに、…別に厄介ごとが増えるだけです」
    「貴殿も中々に素直じゃないな」
     
     頼られて嬉しいのだろう?小官は嬉しい。
     と、ニコニコと微笑む軍人には、これからも勝てる気がしない。
     布団を引っ張り胸までかけてやりポンと叩く。このまま暫く、この年下リーダーの寝顔でも拝んでやるのも悪くない。
     目を覚ました後も、まだ素直でいてくれると良いのだが。
     そんなことを考えながら、理鶯と二人で白い髪をくしゃりと撫でたのだった。


     

     END
     
     
     

     
     

     

     
     
     
     

     
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