ピノに借金返すために体で返す船長の話「今日はオレの奢りだ!お前らガンガン飲めよ!」
高らかな号令に応え野太い海の男たちの歓声が酒場に響いた。
ここはパイス・ブラン連邦の港町バライ。その中でも今宵はひときわにぎやかな酒場が一軒あった。
そこでは連邦の仕事を終えた海賊団の面々が労をねぎらっていた。
気性の荒い獣人の男ばかりが老若問わず集まって日頃は厳めしい顔をしたアウトローがこの日ばかりはみな相好を崩し、肩を組んで陽気にたまの贅を味わっていた。
そんな馬鹿騒ぎを尻目に号令を上げたレオンハートはエールを呷る。一仕事を終えた達成感が安酒を美酒に代え心地よい酩酊に誘うのだ。
つい先日まで食うに困っていた手下たちがいまや明日の食糧に頭を悩ますことなく思うままに食らいしこたま酒を飲み、笑いあっている。
レオンハートは満ち足りた気分でいるためにその解決の糸口となった人物を頭の隅に追いやり杯を干した。
日もとっぷり暮れ、夕刻に始まった宴はそろそろ終わりの時間が近づいていた。
酔いの回った頭でレオンハートは手下たちに号令をかけた。
「おい、お前ら。そろそろ船に引き上げるぞ」
当然、またとない宴会の引き際となれば海賊たちは呂律の妖しい口で文句を漏らす。
「はいはい。さっさと帰ってゆっくりしたきゃ言うこと聞けよな」
そんな事態を予見していたのかロビンは手早く手下たちをまとめあげ退店させた。
互いを支えにしながら千鳥足で船へ帰っていく手下に苦笑を漏らしながらレオンハートは店員に勘定を告げた。
レオンハートの言葉通りにたっぷりと酒と食事を味わった部下たちの酒宴の勘定は平素の食費とは比べ物にならないほど莫大だが、懐が暖かいレオンハートにははした金も同然の額だった。
しかし、
「ん?ちょ、ちょっと待てよ?」
財布を取り出そうとしたところでレオンハートは油が切れたように動きを止めた。ややあってから体をまさぐりながら、今度はテーブルの下を覗き込み、床にしきりに視線を投げては忙しない動きを続ける。身支度を整えていたロビンは挙動不審なレオンハートにそっと耳打ちをした。
「おい、レオン。まさか財布落としたとか言わねえよな」
「そのまさかだ。お前もちょっと床見てくれ。このままだとまずい」
手下たちはとっくに酒場を立ち去り船への帰路についている。酒場の喧騒の中、レオンハートとロビンは背筋を冷たいものがつたう感覚を得た。
連邦の財務大臣たるモーガンの商船団の一員として名が知れたレオンハートが連邦の酒場で無銭飲食を働くわけにはいかない。しかし、支払うための金銭は手元にない。派手に飲み食いをし、酒場にいる者たちの衆目を集めてしまったいま、いまさら人目につかぬよう行動することも難しい。
万策尽きたかと思われたそのとき、レオンハートと店員の間に割って入った者があった。
「これで足りるな?」
無造作に店員の前に突き出された黒い掌には数枚の金貨が握られている。ヒュームの店員はその男をみとめるとにやけ笑いを浮かべて頷いた。
「支払いは済んだぞ。帰るとするか」
青いコートを羽織るとピノはさっさと店外に歩き出していた。
「あ、おい!ちょっと待て!」
コートを小脇に抱え帽子を乱雑に被るとレオンハートはピノの後を追った。追従しようと立ち上がったロビンにレオンハートは振り返りざまに言う。
「ロビン!お前は先に帰ってあいつらの面倒を見てくれ」
「……了解、キャプテン」
物言いたげなロビンに心配するなと言うようにレオンハートは白い歯を見せて笑って見せ、腰布を翻して店を後にした。
レオンハートは灯りの少ない路地を悠然と歩くピノの姿を認めると走り出した。ピノは息を切らしながら隣に並んだレオンハートを一瞥するとこれ見よがしに溜息をついた。
「情けないぞ、レオンハート。貴様、手下の飲み代を払うほどの金の持ち合わせもないのか?」
「そんなわけねえだろ!」
ピノは軽蔑の目をレオンハートに向けた。いつになく冷淡なピノの視線にレオンハートは困惑しながら、言葉を継いだ。
「店員を呼ぶまで財布はあったんだ。店に戻ればまだ落ちてる可能性も……」
「言い訳はよせ、レオンハート」
足を止め、すげなく話を遮ったピノの表情は夜闇に紛れて判然としない。
「見苦しいだけだ。そもそも、貧窮している貴様らに支払い能力など端から期待していない」
闇の中から見返す琥珀の瞳には失望の色が混じっている。
「お前、本気でそう言ってんのか」
「貴様こそ、わかったうえで覚悟しているのだろうな。このおれさまに借りを作ることの意味を」
ピノは声音に凄みを利かせた。レオンハートを射抜く琥珀の瞳に嗜虐の光が宿る。
「そんなことはわかってる。だが、さっさと返せばそれでちゃらだ」
「大した自信だな、レオンハート。文無しとはとても思えんぞ」
いきり立つレオンハートを嘲るようにピノは皮肉を口にした。
「しかし、報酬をたんまり蓄えた財布を紛失した貴様がすぐに返済できる当てがあるとも到底思えん。貴様らの貧困っぷりはおれさまにも周知の事実だからな」
「それは、そうだが……」
言い淀むレオンハートに対し、ピノはいやに優し気な声音で提案を口にした。
「おれさまは貨幣制度に執着するほど視野は狭くない。物品交換でもそれ以外でも構わん」
実利主義のピノとは思えない発言にレオンハートは訝った。
「発想を転換してみろ。金そのものを揃えずとも金の代わりになるものを貴様が用意すればいいだけのこと。そうだろう?」
雲を掴むようなピノの言い回しに苛立ったレオンハートは言葉尻にかぶせるように問いただした。
「まだるっこしい言い方をするんじゃねえよ。何が言いたい」
「いま一度、貴様自身の胸に問うといい。貴様がかつてこの連邦で金を得ていた術についてな」
レオンハートはピノが暗に示すことに思い当たった。
それはかつて連邦とオブシドニア間の定期船上、乗客の前で晒された自身の醜聞だ。
「……オレの体で払えと?」
「そこは貴様の受け取り方次第だな、おお、ちょうどよいところに宿屋があるぞ」
ピノは宿のほうへ目を向け、芝居がかった仕草で驚いてみせた。その声につられるように目を上げれば、
宿屋の窓から漏れる灯りを背に、ピノはレオンハートを振り返った。逆光の中で牙を見せて笑う姿はさながら獲物を弄ぶ肉食獣そのものだった。
「貴様の前にはふたつの選択がある。ひとつは戻る保証のない財布を探すのか、今夜中におれさまへの借りを返すのか、二つに一つだ。選べ」
選択肢は残されていなかった。