at the lakesideあの頃、父親は絶対だった。
「庶民と結婚したいと?」
「はい、お許しいただきたく思います」
「ならん」
アーニャとの結婚の許可をもらうため、久しぶりに自宅に戻り父にお伺いをたてたところ、想定通り「NO」と返ってきた。
盲目的に慕っていた。父が全てだった。認められたくて、褒められたくて、愛してほしくて、できることは全てやった。
こうして今、向かい合っていると、あぁ、父も歳を取ったのだなと思う。一見すると、どこにでもいる中年男性だ。相変わらず眼光だけは鋭いが。
「なぜですか?デズモンド家は、今更婚姻で血縁関係を強化する必要はないはずです」
俺が反論するとは思わなかったのだろう。少し怯んだように見えた。
「口答えをするな。お前の相手はもう決まっている」
昔は、父は完璧で、いつも正しいと思っていた。こうやって冷静に話を聞いてみると、なんの理屈も理論もないことがわかる。
人間なのだから、誰しも常に正しいわけではないし、誰しもどこか不完全だ。この人も例外ではないと、そう思えるようになったのはいつからだろう。
−−−−−
「じなーん、あっ、やっぱりここにいた」
「げっ!お前なんでこんなとこまで来てんだよ」
イーデン敷地内の奥深く、ステラレイクと呼ばれる湖‥‥までは距離があるので、校内の手近な池のほとりにいたところ、ここまでフォージャーは俺を探しに来たらしい。しかし、なんでここにいるってわかったんだろう。
「手下たちが探してた。じなんが7個目の星取ったからお祝いしようって」
「‥‥まだなったわけじゃねーし、いらねーよ」
後ろ手をついて地面にぺたりと座り込んでいる俺の左隣りに、声をかけながら腰をおろした。勝手に座るんじゃねぇよ。いいって言ってないだろ。
「星取れたのうれしくない?」
そう問われて、瞬間ギクリとする。フォージャーは普段突拍子もないことを言うが、その実、心の機微には意外と敏感だ。誰にも知られたくない、もしかしたら俺すら知らない心の中を言い当てる。
「‥‥まだなってないなら一緒だろ」
「そうかなぁ。手下たち、すごくよろこんでた。じなんの目標なんだろ?」
隣に座ったフォージャーが、相変わらず俺をまっすぐに見つめてくる。
目標、そう、ずっとそれを目指して努力してきた。皇帝の学徒になれば父上に振り向いてもらえると思って。裏を返せば、今、関心を向けてもらえていないのは、まだそうなっていないからだって。
でも、ふとした瞬間に疑念が首をもたげる。果たして皇帝の学徒になったら、本当に父上は俺を認めてくれるのだろうかと。もしかして、優秀だとかそうじゃないとかは関係ないんじゃないかって。
そもそも俺には関心がない。
ただの“兄貴のスペア”である俺には。
その考えはどんどん俺の中で膨らんでいって、あと星ひとつとなったところで、もう無視できないくらい大きくなってしまった。
「だいじょぶ」
いつかそう言われたように、地面についている俺の左手に自身の手を添えながら言った。
「な、なんだよ!触るんじゃねーよ!」
驚いて、ばっとそこから手を離す。いつも思うけど、コイツ、他人との距離が近いよな。パーソナルスペースが人より狭いのかもしれない。勘違いしそうになるからやめろ。って、勘違いってなんだよ。何考えてんだよ、俺。
フォージャーは小首を傾げて俺を見つめる。心の中を見透かすような、翡翠色の大きな瞳と見つめ合う。なんだか居た堪れなくなり、俺の方から目を逸らした。
「じなんがんばってる。みんなそれ知ってる」
「頑張るとか、努力だけじゃダメなんだよ。結果が大事なんだ」
途端にフォージャーががくりと項垂れた。
「うぅ、確かに。アーニャもがんばってるけど、まだ星たりない」
「まぁ、星も雷も同じだけ持ってるしな。でもお前もすげーよ、お前も7個目だろ」
「ふふん、アーニャすごい」
さっきまで萎れてたのが嘘みたいに、一転ドヤ顔をした。このポジティブさを見習いたいかそうでないか、微妙なところだといつも思う。
「お前はなんで皇帝の学徒になりたいんだよ?」
イーデンに入ったからにはみんなが目指すもの、そう思っていたから、一度も、誰にも聞いたことがない。でも、なぜだか今、聞いてみたくなった。他の誰でもない、目の前のコイツに。
「世界を平和にするため」
思いがけない壮大な夢に、たまらず吹き出す。
「なんだよ、それ。壮大すぎるだろ」
いつもの突拍子もない冗談だと思い、隣に座るフォージャーを見やると、ひどく真剣な顔をしていた。
「おかしい?アーニャが平和を目指したら」
「あ、いや、その‥‥悪かったよ、笑って」
「ううん、アーニャも大げさだなって思ってる。アーニャひとりの力なんて小さいし、結局なにも変わらないのかなって思うこともある。でも、あきらめたくない」
「お前が皇帝の学徒になったら、なんで世界が平和になるんだよ」
そういえば入学した時からずっと言ってたな。あれはただの誇大妄想ではなく、ちゃんと意味があったんだ。
「えへへ、秘密。おしえなーい」
「‥‥なんだよ、それ」
「で、じなんはなんでなりたいんだ?」
ぐっと言葉に詰まる。コイツの世界平和に対して、自分の目的があまりに矮小で、あまりに子供じみてるんじゃないかって、口にするのはひどく格好悪い気がした。
「なんでもいいだろ。ほっとけ」
「ずるい!アーニャ、ちゃんと言ったのに!」
「いや、お前も肝心なことは言ってないだろ。だからいいんだよ」
あぁ、コイツといると調子が狂う。“デズモンド”ではなく“ダミアン”が出てくる。デズモンド家に相応しい人間でありたいと思うのに、やっぱり自分は弱くて幼稚なダミアンなのだと思い知る。
これ以上格好悪いところは見せられないと立ち上がり、歩き出す。
「あっ、アーニャをおいてくな」
「知るか」
大股で歩いていると、小走りにフォージャーがついてくる。しょうがねぇなと、歩くスピードを緩めた。隣を歩くフォージャーがぽつりとこぼす。
「じなんはきっと、色々考えすぎちゃうんだと思う。もっと単純でいいんじゃないかな」
何を言わんとしているのかよく分からず、黙って横目でフォージャーを見る。
「えっと、だから、じなんはじなんのためにがんばればいいんじゃないかな。おじが“知は力だ“って言ってた。きっとじなんの努力はじなんのものだよ。他の誰のものでもなくて」
そして力いっぱい拳を握りしめた。
「もし、じなんの努力を認めない人がいても気にするな。そいつは間違ってる。おまえがすごくがんばってるのは、アーニャがちゃんと知ってる。そいつの代わりに、絶対アーニャがほめてや‥‥いたっ!」
「なんでそんな上から目線なんだよ!ほめてやるとか大きなお世話だ!」
春色の頭にチョップして目を逸らす。そうでないと、顔が赤くなっていることに気づかれてしまうから。
あぁ、くそっ、なんでお前は俺が欲しい言葉をくれるんだよ。なんでわかるんだよ、ほっといてくれよ、俺になんか構うなよ。
そんなこと言われたら泣きそうになるじゃねーか。
本当はわかってた。皇帝の学徒になっても何も変わらないってことくらい。でもそれを認めたくなかった。努力すれば振り向いてもらえるんだって思い込まないと、もう前に進めなくなってしまう。今まで何のためにやってきたんだろうって、もうどこにも行けなくなる気がしたんだ。
でもいいのか、俺は俺で、友達がいて、夢だってあって、努力を認めてくれる人がいるんだって。そう胸を張って、自分の思う通りに進めばいいんだって。
−−−−
あぁ、思い出した。やっぱりきっかけはお前だったんだな。あの日、俺の努力は俺のものだって言ってくれて、その努力を認めない人は間違ってるって言ってくれて、お前が“ただのダミアン”を肯定してくれたことが、たまらなくうれしかったんだ。
それから少しずつ、父親を盲目的に慕うことから離れていったんだよな。
「どうしてもというなら、勝手にしろ。出ていけ、二度と姿を見せるな」
そんなことを考えてると、父はそう話を切り上げた。ここまでか。ぺこりと一礼し、退出する。
以前の俺なら絶望しただろうな。
でも今となっては、どうということはない。
世の中のことをわかっていないのは、あの人の方なのだから。
自室に戻り、電話をかける。想い人はワンコールで出た。きっと電話の前で、今か今かと待っていたのだろう。そういうところが愛しいなと思う。
「はいっ!フォージャーですっ!」
食いつくように勢いよくそう名乗ったので、くすりと笑みをこぼす。
「えらく元気がいいな」
「むっ、笑うな」
「いや、褒めてるって」
「絶対褒めてない」
ころころと変わる声色がアーニャらしい。
なるべく明るく、大したことじゃないというトーンで告げる。傷つけたいわけではない。
「やっぱりダメだった」
「‥‥そっか」
顔を見なくてもわかるくらい、気落ちした声が返ってきた。
「まぁ、想定通りだよ。成人してるんだから、そもそも親の許可はいらないしな」
「でも、やっぱり、ちゃんと認められたい」
きれいなアーニャ。人の心を読んでなお、その心の美しさは奇跡だと思う。人間一皮剥けば誰しも欲望の塊だと、心が読めない俺でもそう思うのに、アーニャはまだ、人を信じられる心の強さを持つ。人を理解し、そして理解されたいと願う。両親の教育の賜物だろうか。
その美しさに、強さに、俺はどうしようもなく恋焦がれている。
「大丈夫だよ、きっと。そのうちわかってもらえるよ」
ふと一瞬、電話口に沈黙がおりる。電話だから読めないはずなのに、アーニャは何かを感じ取ったらしい。
「‥‥なにか企んでる?」
「いや、何も」
「嘘だ。絶対嘘」
「嘘じゃないよ。今度会った時、読めばいいだろ」
「‥‥別に心が読みたいわけじゃない」
「そうだな。悪かった」
これがアーニャの美徳だ。能力のある自分に引け目を感じている。黙っていることもできただろうに、告白した際、知ってから判断してほしいと打ち明けられた。はっきり言って驚いた。単にその能力だけでなく、フェアでいたいという心のありように。
「しかも最近は、ダミアンの考えてることがよくわからない」
「そうか?ごく単純だと思うがな。お前を愛してるってことくらいだよ」
「ほらそうやってすぐ誤魔化す!卑怯だぞ!あんなにすぐ真っ赤になってた“じなん”はどこに行ったんだ!」
思わず声を上げて笑う。そうか、バレてたか。
アーニャは良くも悪くも単純だ。心を読むことはできるが、そこから推察するということができない。見たまま、聞いたまま、読んだまま、だ。まぁ、その能力を知りながらそばにいるのが俺くらいだから、その必要がなかったのだろう。
特性さえ知ってしまえば、対処のしようはいくらでもある。そのことを、きれいなアーニャは知らないのだ。
「とりあえず、また話してみるよ。次は機嫌が良さそうなタイミングを見計らうさ」
「うん、お願い。じゃあまたね」
「おやすみ」
かちゃりと受話器を下ろし、イスに沈み込む。タイミングよくドアがノックされた。
「ダミアン様、ジーブスです」
「入れ」
さすがにこの歳になってもダミー呼びはキツいので、数年前にようやく変えてもらった。
「××家との婚約の件、いかがいたしましょうか」
「そうだな‥‥父は進めたいらしいが、俺はする気はない。ジーブス、お前が名代として行ってくれ。あくまでも、俺はまだ婚約を知らないテイで。いつでも白紙に戻せるように」
「かしこまりました」
そしていつもの通り、きれいに一礼する。姿勢を戻すと、ふいに柔らかい口調になった。
「やはりお許しになりませんでしたね」
「あぁ、俺が自分の思う通りに動かないのが気にいらないんだろうな」
「しかし、『出て行け』だなんて無茶を言いますね。今、デズモンド家からダミアン様がいなくなったらどうなるのか、何もお分かりになっていない」
「まったくだ」
アーニャに昔そう呼ばれていたように、俺は次男で、つまり兄に何かあった時の保険でありスペアだ。兄の出来が悪ければ俺にも存在価値はあったのだろうが、残念なことに、彼は俺以上に優秀だった。以前はそれがひどく苦痛だった。俺を見てほしかった。俺に価値があると思いたかった。
でも、誰しも、絶対にこの人でなければならないことなんて、そうそうない。代えがきくのは俺だけじゃない。
自分の価値は、自分で作るしかない。
さてどうするか。端的に言えば、新しい商品を作る時と同じだ。徹底的にリサーチする。市場は、攻めるべきターゲットは、俺のポジショニングは、思わず惹かれるキャッチコピーは。こういう時、経済学を学んでいて良かったと思う。政治にはない発想だから、きっと父も兄も知らない。
そうして俺を作り上げた。
“ダミアン・デズモンド”というブランドを。
比較的整った外見に産んでもらえて、親には感謝している。こればかりは、母に似てよかったと心の底から思う。
まず、マスコミに積極的に顔を売った。新聞や経済誌ばかりではなく一般誌にも。特に女性が読むようなファッション誌に。
それはなぜか、世間を味方につけるためだ。普段、政治にも経済にも興味のない大勢の人に、デズモンド家=ダミアン・デズモンドと、印象づける必要があった。
そのためなら、どんな企画でもOKした。やれ「ダミアン・デズモンドの1週間コーディネート」だの、「御曹司への100の質問」だの、「密着!セレブの休日」だの。おかげで知名度はかなり上がったし、なにより親近感を醸成することができた。
もちろん本業も疎かにしない。立ち上げた新規事業もいくつか軌道に乗ってきたし、顔が知られることで会社の人気も上がり、入社希望者も増えた。そうして入社した優秀な若手を積極的に登用し、ゆくゆくはグループの中枢を担わせる。そうやって全てを俺の思う通りに変えていく。頭の固いお偉方はいつかはいなくなる。その時を虎視眈々と狙えばいい。
世間ほど無責任で恐ろしいものはない。それと同時に、味方にすれば心強いことこの上ない。大事なのはうまく利用することだ。
そう、すべてはこの時のために。
あとは懇意にしている記者に、うまく情報を与えてやればいい。そうだ、それは、モジャモジャ頭のあの人にお願いしよう。きっとうまくやってくれる。
そのうち記事が出るだろう。「デズモンドグループ御曹司、十年愛を実らせてゴールイン」とか「現代のシンデレラ誕生」とか。世間なんて勝手なものだ。きっと無責任にわっと盛り上がって、そしてまたすぐ次に群がる。
しかし大切なのは最初のその盛り上がりだ。父が、家が、かき消せなくなるくらい盛り上がってくれ。
欲しいものは必ず手に入れる。
どんなことをしても。