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    r_i_wri_

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    r_i_wri_

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    随分と前に書いた🎈と🌟とお弁当の話の続き……のはずのものです。書ききれていないまま放置してしまっていたので、尻叩きとして置きます。
    今年中には書ききりたいですね。

     ぎゅう、と眉間に皺が寄るのがわかった。
     とっても楽しみにしていた、司くんの手作りのお弁当。つやつやの卵焼き、半分に切られたハンバーグ、タコの形のウィンナー、小さなグラタン。
    そして弁当箱の隅に鎮座する、黒っぽいもの。
    「…………司くん。これ」
    「ん? ああ、茄子炒りだ!」
     にこ、と笑う司くんは、自慢げな顔でつらつらと語る。
    「茄子は青臭さも少ないし、醤油で更に味も隠れる! クタクタに炒めたから独特の食感もなくなって……」
    「はぁ」
    「……類?」
     つんつん、と箸で弁当箱の隅の宿敵をつつく。行儀が悪いぞ、なんて声はスルーした。
    「何度も言っているじゃないか、僕は野菜が嫌いだって」
    「だ、だが、栄養バランスがだな」
    「ご心配なく、こうしてちゃんと健康体で生きているよ」
     はぁ、と無意識にまた溜息が漏れる。
    だって、楽しみだったんだ。一昨日、司くんがお弁当を作ってくれると言ったときからずっと、楽しみにしていた。
    それなのに、本来食べるどころか視界に入れたくもない野菜が僕の手元に収まっている。楽しみにしていた分、なんだか裏切られたような気分だった。
     そのままどうしたものか、何とか司くんの弁当箱に移せないかと悩んでいれば、やけに静かだった司くんがふらりと立ち上がった。
    「司くん?」
     食事前とはいえ、一度弁当を広げた彼が席を立つなんて珍しい。どうしたのだろう、と声をかけても、返事はない。
    司くんはそのまま側においていた鞄をゴソゴソと探り、菓子パンを二つ取り出して戻ってきた。
    「司くん、どうし……」
    「……悪かった。押し付けだったな」
     そう言った司くんは、僕が持っていた弁当箱をパッと持っていってしまう。代わりに膝へ置かれたのは、彼がさっき持ってきた二つの菓子パン。
    「今度ちゃんとしたのを作ってくる。すまないが今日はそれを食べてくれ」
    「え?」
     急に空になった手と彼の顔を交互に見る僕は、さぞ間抜けな顔をしていただろう。
    「つ、つかさ、く」
    「ああ、委員会で昼に集まるよう言われていたのを忘れていた! すまん、行ってくる」
     そうバレバレの嘘をついて笑う司くんの笑顔は、しかし怖いくらいにいつも通りで。僕の手から回収した弁当箱に乱雑に蓋をする手つきと、嫌にチグハグだった。
     そのまま彼らしくない雑さで僕と彼の弁当箱二つを鞄に放り込んで、司くんは「じゃあな! また放課後の練習で!」ともう一度笑顔を僕に向けて屋上から出ていってしまった。
     僕はその背を追えず、一人屋上に取り残される。
    だって彼の、覆い隠した顔がわかってしまって。
     泣きそうな顔を必死に隠す司くんを前に、彼をそうさせたのは自分だと言うことに、声の一つも出ないまま呆然とするばかりだった。


    ***


     ぐしぐしとセーターの裾で目元を擦る。
    大丈夫、あいつの前では堪えられていたはずだ。
     屋上から一つ降りて、人気のない廊下の隅。あまり使われることのないトイレの入り口に棒立ちのまま、司は鼻を鳴らした。
    鞄の中にある二つの弁当。
    蓋を開けた瞬間の嫌そうな顔。
    大きくついた溜息。
     グルグルと、頭の中で回り続けて、また涙が溢れた。
     嫌がるだろうとは思っていた。
    それでも、弁当を作ってこようか、と言ったときの嬉しそうな笑顔に、多少の期待があったらしい。
     司くんが作ってくれたものなら、なんて言葉を、待っていたのか?
    ああ、なんて馬鹿らしい。押し付けがましい。恥ずかしい、恥ずかしい。…………悲し、かった。
     咄嗟に逃げてきてしまったが、さてこの弁当はどうしようか。
    まだじんわりと滲む涙と裏腹に、案外頭の中は冷静だった。
     放課後の練習用に買っていた菓子パンは類に渡したが、この弁当を代わりにするには近頃少し気温が高い。傷んでしまうだろう。
    だからといって、捨てるのも司の良心が許さない。
    ……最初はそのつもりで屋上から真っすぐこのトイレまで来てしまったのは、なかったことにしよう。
     衝動的に便器へ弁当をぶちまけていたら、きっとひどく後悔していたことだろう。多少なりとも冷静だった自身に感謝しつつトイレ前から離れて廊下の隅で一人悩んでいれば、聞き覚えのある声がした。
    「司? なに、してんの」
    「……寧々」
     どうにも、周りの音が耳に入っていなかったらしい。声をかけられるまで気が付かなかった。
     彼女の声は、いつも司に対して見せる強気なものではなかった。心配そうな、様子を伺うような、そんな声。
    濡れた目元も、グズグズと鳴る鼻も、もう隠せない。
    「……なあ寧々、今日弁当忘れてきていたりはしないか?」
     司は諦めて、情けない顔のままヘラリと笑った。


    ***


     屋上へと向かう階段を上りながら、寧々はため息をついた。
     今日の練習について直接相談したいことがあったのだが、文面では細かなニュアンスが伝わりにくい。かといって、相談相手である座長と演出家は揃いも揃って『変人ワンツー』なんて括られて、良くも悪くも校内では有名人。あの二人と一緒にいては、酷く目立つことは確実だ。最悪である。
     なので、せめて人目につかないところ……『変人ワンツーのたまり場』こと屋上で話をしよう、と昼休みにこうして長い階段を上っているわけで。
     あの二人がもう少し大人しくしていてくれたら、ショーの相談一つにここまで苦労をしないのに、と思えばなんだか腹が立ってきた。今度グレープフルーツジュースでも奢ってもらおう。
     そんなことを思いながら屋上へ向かっていた足を止めたのは、しかし屋上の一つ下の階。移動教室に使われる教室が固まっているここは、昼休みには人気がなくなる……はずなのだが、何やら物音がする。いや、これは物音というより。
    「(誰か、泣いてる?)」
     泣き声がするわけではない。ただ、小さく不規則な息遣いと、時折ずずっ、と鼻をすするような音。
     寧々は階段に向かいかけていた足を止める。一瞬眉を顰め、そうして音のする方へ足音を潜めて近づいて行った。
     なにも、厄介ごとに巻き込まれたいわけではない。むしろ聞かなかったことにしてそのまま屋上に向かおうかとさえ思ったのだ。
     だが、きっと背を向けたその瞬間から胸の奥がもやもやとして、それはいつまでも寧々の心について回ることだろう。それはいやだな、と思った。それだけだ。別に、司たちなら見て見ぬふりなんてしないだろう、なんて思ったわけではない。
    誰に言うでもない言い訳を胸中にたどり着いたのは、トイレの前。
     そして、寧々はぴしりと固まった。
     僅かに濡れた目をぐしぐしと擦りながら何故か弁当箱を片手にトイレの前で立ち尽くしていたのは、誰あろう天馬司その人だったのだから。

     どうしよう。

     それが、真っ先に浮かんだ。
     司は感情に素直な男だ。泣き顔だって、何度か見たことがある。しかし、今回はなんだか違う気がした。
     今まで、司は寧々の前で『座長』や『年長者』として振舞っていた。寧々と同い年の妹がいる分、無意識なのだろう。だが声を抑えるように涙を堪えるその後ろ姿は、ただの一人の高校生であった。
     見たことのない司の様子に、咄嗟に隠れてしまう。
     ほら、きっと司もわたしに泣いているところなんて見られたくないだろうし。何があったか知らないけど、司なら勝手に元気になりそうだし。きっと大丈夫、だからここは見なかったことにして、屋上で類と一緒に何も知らない顔で司を待てばいい。
     頭の中で言い訳がグルグルと浮かんで回って。一歩、踵を返そうとした、その時。
     ぽたり、一粒の涙が司の頬を伝って床に落ちる。司は誤魔化すように濡れた床を上履きでズッ、と擦った。そして同じようにらしからぬ乱雑な手つきで頬を拭えば、ふらりとトイレの前から離れて廊下の隅で何やら立ち尽くしてしまう。その背中の震えはおさまっている。きっともう泣いてはいない。けれど、けれど。
     馬鹿じゃないの。ここで怖気づいてどうするの、わたし。
     カラカラな喉。ごくりと唾を飲み、声を絞り出す。
    「司? なに、してんの」
    「……寧々」
     振り返った司は、真っ赤な目でバツが悪そうに笑った。こんな時でも笑うのか、と少し眉間に皺が寄る。
     けれど、司も誤魔化しきれないとはわかっているようで。困ったように笑いながら、右手に持ったままだった蓋が半開きの弁当を軽く振った。
    「なあ寧々、今日弁当忘れてきていたりはしないか?」


    ***


     ちらちらと視線が刺さる。
     ついさっきまでいかに人目のないところで司や類と話ができるか、なんて考えていたはずなのに、何がどうしてか、寧々は今司と中庭のベンチで隣に並んで弁当を広げているところである。通りすがりの三年生が「あ、ワンの方だ」なんて呟く声が聞こえてきた。今すぐ教室に帰りたい。
    「む、どうした寧々! 箸が進んでないが、腹でも痛いのか?」
    「ちょ、うるさい、ボリューム落としてっ」
     隣で120㏈とは言わずともそれなりの声量で話しかける司は、すっかりいつも通りに見える。慌てて「すまん!」と声を落とした彼に、寧々は一つため息をついた。
     この様子なら放っておいても大丈夫かもしれない、なんて思わないこともないのだが。
    『間違えて弁当を作りすぎてしまってな!』なんて下手くそな嘘と完璧な笑顔で笑った司と、嫌でなければ食べられるものだけでも手伝ってくれ、と蓋を開けられた偏り気味なメニューのお弁当に唖然として、ついここまで一緒に来てしまった。
     ちらり、となるべく動かないままに視線だけ屋上にやると、遠くからでもよく目立つ藤色がこちらを見下ろしているのがわかる。その表情までは伺い知れないが、どんな顔をしていようと流石に今回は彼の味方もフォローもできそうになかった。
     隣の司に視線を戻せば、すっと背筋を伸ばして行儀よく弁当に箸を伸ばしている。その膝に乗った弁当は、司と寧々の間に置かれている弁当よりずっと彩り豊かで。
     はぁ、とばれない様にため息を吐く。「これ、もらうね」と声をかけてつまんだ茄子炒りはほんの少ししょっぱく味付けされていて、ご飯によく合いそうだった。
     司のものと中身の異なる、野菜のほぼ入っていない弁当。隅に詰められた濃い味付けの茄子炒り。トイレの前で泣いていた司と、屋上からこちらを見ている類。
    (本当に、馬鹿)
     司は何があったかばれていないつもりなのだろう。せいぜい、泣いていたことさえ煙に巻ければいいだとか思っているようである。
     しかし、こっちは屋上からこっちを見下ろしている大馬鹿とは十年来の幼馴染であり、二人と同じユニットで日々研鑽を積む仲間なのだ。舐めてもらっては困る。大方何があったのかは想像がついていたし、だからこそ、この弁当と司を置いて立ち去ることができずにいたのだった。
    「……美味しい」
     司が望んだのは、寧々からの言葉ではない。そうわかっていても、思わず零れた言葉は慰めでもなんでもなく。ただ純粋に、誰かを想って作られたその弁当はとても美味しかった。
    「! っそ、そうか、美味いか! この天馬司、やはりなんでも完璧にこなしてこそのスター!」
    「調子に乗んないで」
     げし、と軽く爪先を司のローファーにあてたものの、内心ではいつも通りの口上にどこかほっとしていることは認めるしかない。
     そして、寧々が四分の一程度、司が半分ほど食べた弁当は、しかし腹の満腹具合と昼休みの終わりが近づいていたことによって蓋をせざるを得なかった。
    「ぁ、司、あの」
    「うん?」
    「その、お弁当」
    「ああ、気にするな! 元より多く作ってしまっただけだしな!」
     食材を無駄にしてしまったのは心苦しいが、なんて少し眉を寄せながらも弁当を鞄にしまう様子に、上手く言葉を返せない自分がもどかしい。しかし、言葉を探している寧々に司が何やらこそりと寄ってきた。
    「時に寧々、少し相談なのだが」
     ひそ、と声を潜める司は、随分と真剣な顔をしている。思わず寧々も声を潜めてしまった。
    「なに、改まって」
    「いや、なんだ、さっきの弁当とは一切関係などないが! ……オレの、修行に付き合ってはくれないか」
    「は? 修行?」
     思いもよらない言葉が飛び出てきて、思わずオウム返しに尋ねた寧々に、司はこくりと頷いた。
    「ああ! る……いや、好き嫌いの多いやつでも気づかず野菜を食べてしまうような、そんな弁当を作るんだ!」
     先程までの影を帯びた瞳はどこへやら、ぐっと拳を握って寧々を見つめるその顔には、固い決意がある。司はやはり、天馬司であった。
    (もう、泣いてた理由言ったようなものじゃん)
     名前はぎりぎりで誤魔化せど、食べさせたいものが野菜だなんて、相手だってもろばれだ。それでも司はうまく隠したつもりなのだろう。本当に、演技はうまいくせに嘘が絶望的に下手である。
    「……野菜の隠し方一緒に考えるのと、味見くらいならしてあげる」
    「本当か! ありがとう、寧々!!」
    「声が大きいっ」
     ブンブンと寧々の手を取って嬉しそうに笑う司の声が中庭に響いて、自分の顔が真っ赤になるのが分かる。最悪だ、目立ちたくないと言っているのに。
    (でも、まあ)
     泣き顔なんかよりは、ずっと良い。
     また「す、すまん!」と謝る司に、寧々は「グレープフルーツジュース一本で許してあげる」と笑った。


    ***


     司くんと昼休みに共に過ごさなくなって、二週間が経った。
     そりゃあ、恋人とはいえ毎日一緒に食べよう、なんて約束をしていたわけではないし、お互いの都合によってはそれぞれで昼の時間を過ごす日だってあった。
     けれど、そんなのは週に一度あるかないかで。屋上に向かえば、彼との時間を過ごせることが殆どだったのに。
    「……また、あそこか」
     屋上から見下ろす先に見えるたんぽぽみたいな色の髪に、思わずため息をつく。
     司くんは、この二週間の昼休みを毎日のように裏庭で過ごしていた。しかも、一人ではなく。
    「寧々、どういうことなんだい」
     若草色のふわふわとした髪が、司くんの隣で揺れる。人気のない裏庭で隣り合って過ごす二人は、もはや見慣れた光景になってしまった。
     寧々が僕たちの間に割り入ろうとしているとは思わない。恋愛感情云々以前に、そんな人ではないと良く知っている。
    ただ、彼女はこうして毎日のように司くんを見ている僕に気づいていた。時折ふと屋上に視線を向けては、呆れた、とでも言うように首を振るのだ。その意味が、類にはわからなかった。
     一度、寧々に直接聞こうともした。先週の水曜日、司くんと過ごす時間が無くなってからちょうど一週間が経った日のこと。
    「寧々、司くんのことでちょっと聞きたいんだけど」
     そう声をかけた僕に、寧々はひどく冷たい目を向け「司のことなら司に聞きなよ」と突き放されてしまった。
     寧々の言うことは正論である。何が彼女をああも怒らせてしまったかはわからないが、確かに司くんのことは司くんに聞けばいいのだ。
     しかし、最近は司くんとまともに話すことすらままならないのが実情であった。
     昼休みだけのことではない。練習終わりも、練習のない放課後も、彼はいつだって忙しそうに「それじゃあ、また明日!」と軽く手を振って帰って行ってしまう。いつも、家の方向が分かれるところまで手を繋ぐ繋がない、なんて軽口と攻防戦を交わしながら一緒に帰っていたのに。
     けれど、週末となればショーの本番が立て続けに入っている。ショーの合間の休憩時間にはよりよいショーを作るために直前の演目の反省会や修正、機械のメンテナンスなんかで休みなどあってないようなもので、のんびりと話している暇なんてそうない。かといって、主役として出番が多く、僕の演出にも全力で応えてくれる司くんはそれ相応に負担も増える。一日の公演が終われば、すぐにでも帰ってゆっくりと休んでほしかった。
     放課後も週末も駄目ならば、ゆっくりと話すチャンスはやはり昼休みしかないのだが、ここ暫く寧々と過ごしている彼を改めて誘うとなると上手い言葉が思いつかない。ああ、いつも司くんに「無駄に口が良く回るな!」なんて呆れ半分に突っ込まれる僕の舌は、肝心なところで役に立たない。
     何より、最後に司くんと過ごした昼休みが頭をよぎるのだ。少し泣きそうな、そんな顔を覆い隠して笑う司くんの顔。初めて見る表情。そんな顔を思い出しては「いつも通り」の声のかけ方なんてわからなくなってしまって。
     何か、口実があればいいのだけれど。
     何故恋人と過ごす時間に口実なんて探しているのか、と思わなくはないが、もうなりふり構っていられないのだ。
     司くんとまともに話せなくなって二週間。それはつまり、子供みたいに暖かな体温を抱きしめることも、よく手入れされた柔らかな唇に触れることも、照れたような、甘えたような、僕にしか見せてくれない笑顔を見ることも二週間できていないということで。
     一度彼の隣で過ごす心地よさを知ってしまっては、一人の時間が今まで以上に味気なくて、寂しかった。司くんに触れたい。類、と優しい声で呼んでほしい。大好き、って伝えた時の、ふにゃりと和らぐ瞳が見たい。
     心とか感情とか本能とか、もう判断もつかないくらいに僕のすべてが司くん不足で死にそうだった。
     そうしてうんうんと唸って考えて、ようやく出た結論。
    「お弁当、作ろう」
     司くんは、人が『何かをしてくれる』ことに弱い。手作りのお弁当を持って昼に誘えば、一緒の過ごす時間を断られることもそうそうないだろう。それに、おそらくきっかけとなったあの日にも、僕たちの間には手作りのお弁当があった。司くん作の、だけれど。だから、お弁当を作っていけばあの日の話も多少切り出しやすいかもしれない。
     打算的だな、とため息をつく思考と「恋人なのに、なんでこんなに言い訳を作っているんだろう」という感情は押しやって、僕は意を決した。
     司くんとまともに話せなくなってから18日目のことだった。


    ***


     屋上で一人決意を新たにしてから更に一週間後。僕は、校門で司くんが登校してくるのを待っていた。
     本当はもっと自然に、例えば授業合間の休み時間なんかでさらりと声を掛けられればいいのだろう。けれど、緊張で夜明けとともに目を覚ましてからずっと、おかしな音を立てる心臓とキリキリ痛む腹を撫でる羽目になっている。これはもう悠長にしていたら冗談抜きで心臓が馬鹿になってしまうな、なんて大真面目に考えた結果、朝一で誘ってしまうことにしたのだ。
     校門脇で突っ立っている僕を横目に、生徒たちが次々登校してくる。時折向けられる視線は好奇心だったり、何かをやらかす気か、という猜疑心だったり。けれど、そんなものを気にしている余裕などなく、僕はただ校門までの一本道の向こうへ目を凝らし続けた。
    「っ、司くん」
     揺れるたんぽぽ色。優しい色合いは、僕の前で笑う彼の笑顔とよく合っていて愛おしい。
     人の群れの向こうに見つけた司くんもすぐに僕を見つけたらしい。きょと、と大きな瞳を開いて、こちらへぐんぐんと向かってきた。
    「おはよう、類! 珍しく早いな、どうしたんだ?」
     学校でまともに言葉を交わすのは久しぶりだというのに、いつも通りの様子の司くんに思わず安堵のため息が漏れる。とりあえず、避けられてはいなさそうだ。
    「きみに、聞きたいことがあってね」
    「オレに? なんだ、改まって」
     はて、と大袈裟に首を傾げる仕草が司くんらしい。ここ最近の様子は何なのか、というくらいにいつも通りな彼に、しかし今すぐそれを問いただす勇気はなくて。
     だから、僕は用意していた言葉を口にした。
    「明日、お弁当を作ってきたら、一緒に食べてくれるかい」
     口の中がカラカラだった。「寧々と食べるから無理だ!」なんて断られたらどうしよう。あれだけドクドクとうるさかった心臓は、止まってしまったのかと思うほどに静かだった。
     一拍、二拍。
     数時間にも思える数秒の後、司くんの大きな声が響いた。
    「る、類がオレに弁当を作ってくれるだとぉ?!」
     不意打ちのそれに驚きすぎて、心臓がピョンと跳ねた。ついでに身体も跳ねた気がする。司くんの真後ろを歩いていた一年生が「わぁっ!」と声を上げて大きく飛び跳ねたから、司くんは僕から気が逸れたようだけれど。
    司くんが「すまん、大丈夫か?」なんて一年生に声をかけている間に跳ねた僕の心臓も無事に戻ってきたので、何とか司くんの前ではすまし顔を取り繕うことができた。向きなおった司くんに、にこりと笑みを向ける。
    「うん、どうかな。明日、きみの都合が良ければ」
    「もちろん、いいに決まっている! 屋上に行けばいいか?」
     おや?と僕は内心首を傾げた。
     渋い顔をされるほどではないにせよ、最近の司くんの様子を見ていれば、こうも手放しであからさまに『めちゃくちゃに嬉しくて楽しみです』なんて反応が返ってくるとは思わなかった。てっきり……仕方ないな、みたいな感じなのかとばかり。
     予想外の展開に目を瞬かせている僕を前に、司くんは焦れたように「類?」と顔を覗き込んでくる。可愛い。
     じぃ、と覗き込んできた恋人に思わず口付けそうになる己を理性でぶん殴りながら必死に堪えて、僕は「ああ、屋上で」と頷いた。
     明日の昼には、司くんと過ごすんだ。きちんと話を——何故急に一緒に居てくれなくなったのか、と聞かなければ。
    (嫌われた、とか別れたい、なんてことではなさそうだよね、きっと)
     今朝真っすぐに歩み寄ってきた様子からしても、類を厭う雰囲気はなかった。意図的に隠されたとすれば、彼の演技を見破れていないだけの可能性もあるけれど。

     すう、と胸の奥が空くような感覚を覚えながら、今日も類は昼休みの屋上から中庭を見下ろした。
    そこに咲くたんぽぽ色は、どこかいつもより楽し気に寧々と話しているように見えた。


    ***


    「……でき、た?」
     朝六時半、神代家キッチンにて。
     僕は慣れない早起きをして、包丁を握った。
     目の前の弁当箱には、生姜焼きがメインで鎮座している。何故野菜なんかに泣かされなくてはいけないのか、と思いつつ何とか切った玉ねぎは、太さがバラバラのまま豚肉の間に紛れている。その豚肉だって、とろみのついたタレは焦げやすくて、端の方が少し黒くなってしまった。
     八本足は諦めざるを得なかったタコさんウィンナーは、妥協と譲歩を重ねた四本足だ。もはやタコとは言い難い姿である。
     昨日の夜に作っておいたポテトサラダには、ベーコンときゅうりと人参がたっぷり入っていて、心底僕とは相いれない出来になっている。野菜を入れてからは味見ができていないから、一番の不安要素である。
     そして、流石に冷凍に頼ったメンチカツにはしっかりと水気を取ったレタスと、忌々しいくらいに見事な赤色のプチトマトを添えた。
     一番最初に詰めておいたご飯は、いい具合に熱を冷ましている。一応完成、のはずだ。
     ちら、と隣に立つ母さんを見れば、小皿に分けておいた試食用の生姜焼きとポテトサラダをすっかり食べ終わって、にっこりと頷いてくれた。
     恥ずかしながら料理なんて碌にしてこなかった僕は、背に腹は代えられないと一週間前に母さんに頼み込んだのだ。お弁当を作ってあげたい人がいるから、料理を教えてくれないか、と。
     最初は少しからかい交じりの視線を向けていた母さんも、僕がメニューに野菜を入れる気だと知ってからはつきっきりで付き合ってくれた。おかげで、うちのここ数日の夕飯はほとんどが焦げた生姜焼きだった。ごめん、父さん。
     まあ何はともあれこの一週間でなんとか形になったお弁当は、母さんの合格をもらって僕の鞄の中に収まった。ちなみに野菜抜きのものを並行作業で作る技量はまだないので、僕の昼食は途中のコンビニで買った。
     そうしていつも通りに登校して、いつも通りに授業を受けて——と言いたいところだが、正直僕は心ここにあらずだった。
     昼には司くんときちんと話すんだ、という緊張ももちろんあった。むしろ、それに占められるものだと思っていたのに。
     僕の意識は、司くんとの時間と同じくらい、鞄の中の弁当箱へも向いていた。
     数時間後には司くんの手元に収まる予定のその小さな箱が、何故かひどく存在を主張しているようで。
     午前の授業は、何一つ耳に入らないまま過ぎていった。


    ***


     ようやっと訪れた昼休み。時間通りに終わった授業の最後に日直の気の抜けた号令がかかって、教室はざわざわと騒がしくなる。そんな喧噪を横目に、僕は鞄の中から弁当箱を入れた手提げと碌に見ずに買ったあんパンを引っ掴んで司くんの教室へと急いだ。何も彼が約束をすっぽかすなんて思っていないけれど、どうにも朝から落ち着かない気持ちに足を突き動かされたのだ。
     少し押してしまったらしい彼のクラスの授業は、三分遅れで号令が聞こえてくる。ガラリと教室の引き戸を開けた現国の先生が、目の前に立っていた僕に「うおっ」と小さく驚きの声を漏らしたが、そんなことを気にしてはいられない。
    「つ、っかさくん」
     最悪だ。焦りすぎてどもった上に、喉のボリューム調整が馬鹿になってしまって、僕の声が2-Aの教室に響く。一瞬シン、と静まった教室がまたざわつきを取り戻すけれど、ほとんどが僕と司くんに向けられた好奇の声だった。
     僕の奇行にただでさえ大きな目をまん丸く見開いていた司くんは、ふっと笑って「今行く」と手を挙げた。なんだかいつもと立場が逆だ。顔が熱くなっていく僕をよそに、司くんは手早く教科書やノートをまとめてしまって、手ぶらで僕の元へ駆け寄ってきた。
    「屋上、行くか」
    「……うん」
     小さく頷く僕を前に、司くんはおかしそうに笑う。それは、今までと何も変わらない笑顔で。何でそんな顔で笑ってくれるのに、僕を避けるの?なんて口をついて出そうになる言葉は、今じゃないと飲み込んだ。

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