そんなに悪くない 座標の力によって呼び寄せられた巨人の群れから逃れ、ウォールマリアの壁の上へと辿り着いたのは、もう周りが夜の闇に包まれた頃だった。
安全な壁の上でようやく息をつき、空を見上げると、もうすぐ満ちるであろうまるい月が輝いていた。
今が夏に向かう季節で良かった。壁の上で一晩明かしたとしても、凍死することはないだろう。
ベルトルトは膝を抱え、はぁと小さく溜息をついた。
ユミルが逃げ出すことはないと判断したライナーは、お前は身体を休めて周囲を見張っておけとベルトルトへ言い残すと、物資や水を確保するために立体機動装置で飛び去っていった。
「超大型巨人なんだな」
「……え?」
思わず顔をあげると、倒れ込むように寝てしまったと思っていたユミルが身を起こしてこちらを見ていた。
「ベルトルさんの巨人。私は実際拝んでないからな。確認しとこうと思って」
「……そうかもね」
「オイオイ今更はぐらかすのかよ。もうこうやってゆっくり話せるのも最後だろうし、それぐらい教えろよ」
訓練兵団にいた頃と寸分も変わりない飄々とした口調。だが表情には影が暗く落ちて、よく見えなかった。月を背負うその姿に目を細める。
明日は、満月の夜だ。
彼女は次の満月の日には、もうこの世にいないだろう。
ベルトルトは思考を投げ出すように、また膝の間へと視線を落とした。
「…………すまない」
……逃げてもいいんだよ、ユミル。
言いたかったその一言はどうしても喉につっかえたまま吐き出すことができなかった。……僕は、戦士だから。
「……私が生まれた時代でも、超大型巨人は破壊の神って呼ばれてたよ」
ユミルは壁の縁に足を投げ出してぶらぶらと揺らしながら話し始めた。
「……60年前、か?」
「ああ、そうだな」
昔を思い出しているのか、ユミルはつまらなそうに返事をした。
「破壊の神なら、この糞みたいな世界をぶっ壊してくれねぇかなって、思ってたこともある」
「……神様なんかじゃないよ。巨人は」
超大型巨人が神なら、なぜ僕はこんなにも無力なのだろう。
置いてきてしまったマルセルやアニ、僕を守るためにたくさん無理をさせてしまったライナーのことを思い、ぐっと膝を抱えた腕に力を込めた。
「まあ、そうだよな。私も顎の巨人になってわかった。巨人なんて万能の力じゃなかった……でも、私はそんなに悪くないって思ったよ」
「……え?」
断頭台に向かうはずの人間とは思えない、晴れやかなユミルの表情にベルトルトは面食らった。
「この力を貰ったから今まで好きに生きられたんだ」
話し続けていたユミルがちらりと視線を流した。
立体機動装置のガスを吹かす音が近くに聞こえる。ライナーが戻ってきたらしい。
「まあなんだ、せっかく女神様に貰った命なんだから、適当に使うのは許さねぇぞ。ベルトルさん。ライナーにも言っとけよ」
そう切り上げるとユミルはライナーに向かって、
「喉カラッカラだよライナーさん!酒はねぇのか?」なんて叫び、うるさい、静かにしろとライナーに嗜められていた。
それが僕と彼女が交わした最後の会話だった。
✴︎
シガンシナ区で巨人化し、僕はまた破壊の神になった。
「女神様になるのもそんなに悪い気分じゃないね」
彼女の言葉が耳に残っている。……ユミルが羨ましかった。
僕が選んだ道は結局地獄だ。彼女のように終わることはできないだろう。でも、どんな結果になっても受け入れよう。
この世を破壊する救済の神は、火の海の中、壁へ向かって歩き出した。