White or Black 寒さが身にしみる年の瀬、訓練兵団では季節性のウイルスによる病が流行していた。帰省もままならず床に臥す者も多く、宿舎に残り看病にあたる同期の訓練兵たちも数名いた。その訓練兵の内の、ミカサとベルトルトは二人、訓練所の厨房に立っていた。
「エレンはシチューが好きだ」
「シチュー?」
「調理場を使用する許可も貰っている、ので、これからシチューを作る」
「それでこんなに食材を買い込んだんだね…」
調理場のテーブルに溢れんばかりに置かれた野菜や肉などの食材。その大量の食材はミカサとベルトルトが二人で運び入れたものだった。
遡ること三時間ほど前、ベルトルトは同期の女子訓練兵たちに捕まった。話を聞けば、この雪の中ひとりで街へと外出すると言って聞かないミカサに、せめて誰かと一緒にと説得したところ、度々女子の買い出しの荷物持ちをつとめていたベルトルトが適役ではないかと、白羽の矢が立ったのだそうだ。
何故かすでにベルトルトが同行することが決定事項のような周りの口ぶりに、あれ?僕の意見は?と、頭をよぎったものの、女子たちに囲まれたベルトルトがその主張を通せるはずもなく、そして運悪くその手の対応を上手くしてくれるライナーもそばにおらず。そのうえ男女二人の外出に難色を示していた教官も、兵団内の状況と他の女子からの太鼓判により、なんと特別に二人の外出申請を許可したのだった。
確してこのミカサとベルトルトという珍しい二人組で街へと繰り出すことになったのだった。
ベルトルトはミカサと二人きりというのが不安ではあったが、ミカサの方はそんなベルトルトのことなどお構いなしに、迷いなく店を選び、品を選び、あっという間に買い物を済ませ、次々と必要な物を買い揃えていった。
大量の荷物を涼しい顔で抱え、全く苦ではなさそうに「次、向こうの店に行こう」と、ずんずん進んでいくミカサを見てベルトルトは(僕、一緒にいる必要ある?)という疑問を抱きながらも「ミ、ミカサ!その荷物、僕が持つよ」と素早く手早い彼女になんとか付き添い、怒涛の買い出しを終えたのだった。
買ってきた荷物を調理場に運び入れたところで、「次はこれから料理をする」というミカサの宣言に、彼女も一から料理をするのかと意外に思って聞いていた。だが普段の彼女の様子といい、先ほどの買い出しでのつつがなさといい、料理だって完璧にこなせるのだろう…それならもう僕は戻ってもいいのだろうかと思い、ちらりとミカサを見ると、こちらをスッと見据えていたミカサと目が合った。
「ベルトルト、もうひとつだけ頼みが、ある」
「えっ?なんだい?」
「…味見を、手伝ってほしい」
ミカサからのまさかの申し出に、ベルトルトは落ち着きなくきょろきょろと辺りを見回してしまう。
「味見…?えっと、その、それって僕でいいの?」
「いつもはエレンに頼んでいるけど、エレンは寝込んでいるし、アルミンはエレンの看病で忙しい。あと…サシャに頼んだらシチューがなくなってしまう」
「あー…なるほどね」
適任がいないからか。だがこの場にたまたま居ただけの自分より、料理が得意な誰か…例えばクリスタだったり、他の女子に頼んだ方が気兼ねもなくて良いのではないかと思い、そう伝えようとすると、ミカサが言葉を続けた。
「それに、ベルトルト。普段から思っていたんだけど、あなたが食事当番の時の味付けは狂いがなくて、完璧。私はあなたの味蕾を評価している、ので、あなたに味見を頼みたい」
ベルトルトを評価するミカサの言葉を聞き、ぽかんとしていると、ミカサは続けて「…駄目だろうか?」と聞いてきた。ベルトルトは慌てて「そんなことないよ!」と答えた。
ミカサはエレンのことしか見えてないと思っていたが、まさか自分のことをそんな風に評価をしていたなんて、と驚くと同時に少しだけ嬉しかった。
「僕でよければ、手伝うよ」と答えると、クールな同期は「ありがとう」と微笑んでみせた。
…このまま男子宿舎に戻ったら、きっと寝込んでいる同期の看病をしているライナーの手伝いをすることになるだろう。それなら、ここでミカサと一緒に食事を作って持っていった方が、彼の助けになるかもしれない。そうも考えたベルトルトは、ミカサを手伝うことにした。
野菜を洗い、食材を切り、煮炊きし、味付けをして…途中の工程から、ん?と違和感を感じていたベルトルトは、完成したものを見てからも目を丸くし、固まってしまう。そんなベルトルトをよそに、ミカサは味見用の皿にシチューを盛り、ベルトルトへ差し出した。
「できた。さあ、ベルトルト、味を見てほしい」
「えっと、これが、シチュー?」
「?そう」
「これで、完成?」
「完成、だけど…何かおかしい?」
「いや、そうじゃないんだけど…」
上手く言い表せずに考えあぐねていると、ミカサは不安そうに鍋の方を見つめた。
そうこうしていると調理場へひょっこりとライナーが顔を出した。
「何やってるんだ?」
「ラ、ライナー」
ライナーはベルトルトを見つけると「お前いないと思ったらこんなところにいたのか」と言いながらこちらへと歩み寄ってきた。そして隣にいるミカサを見て不思議そうな顔をする。
「なんだ、珍しい組み合わせだな。お前ら二人で何してる?」
「ミカサに味見を頼まれて…」
「病気で寝込んでいるエレンに、精のつくものを作っていた」
「ほぉ。何を作ってたんだ?」
「シチューを作ってみた」
「シチュー…?」
「ベルトルトに味見を頼んだのだけど、食べる前から怪訝そうで…ライナーも試しに食べてみてほしい」
「コイツ、シチューは大好物のはずだがな」
そう言って鍋の中を覗き込んだライナーも、ベルトルトと同じように一瞬動きを止めた。
ミカサの作ったシチューは、真っ黒な色をしていたからだった。
「…ビーフシチューってやつか?」
「?牛は高価だから、買えない。肉は豚を使っている」
ライナーは淡々と当然のように答えるミカサと、困った顔で固まるベルトルトを一瞥した後、鍋のシチューを一口食べてみせ、笑って答えた。
「…美味い。俺たちの故郷では鳥肉を使うことが多かったもんな。だから違和感があったんだろベルトルト」
「あっ…うん、そうかも」
ライナーの鶴の一声のような言葉に、固まっていたベルトルトがはっとしたように答えた。
「…そうか、確かに。使う肉が違うと、料理は全然変わってくる」
ライナーの話にミカサは納得したようだった。そして涼しげな瞳がベルトルトの方へと向けられる。
ベルトルトは小皿に盛られたシチューを平らげてみせた。煮込まれた野菜や肉と、スパイスの味が口の中に広がる…食べ慣れない味だが、これはこれで。
「うん、美味しい。…ごめんミカサ、不安にさせて。味付けはバッチリだと思う」
「良かった」
ほっとした様子のミカサはエレンの分のシチューを皿に盛り付けると、「ベルトルト、ライナー、ありがとう。助かった……次はあなた達の故郷の味のシチューを作ってみよう」と言い残し、去って行った。
ミカサが厨房から去った後、残された二人は緊張を解いてその場に座り込んだ。
「…まだまだ壁内の文化とは認識の差があるな」
「びっくりしたよ…壁内だとホワイトシチューは一般的じゃないんだな」
「家畜を育てる場所が多くないからな。乳製品は貴重だろうし、考えたらわかることだった」
舌に残る食べ慣れない味の真っ黒なシチューと、記憶の中にある故郷で食べた真っ白なシチューの味を思い返す。……故郷の料理が懐かしい。こうした文化の違いによるすれ違いから残る違和感は、後々の出来事にも響いてくるだろう。こういった情報はアニにも共有しておかないと。ライナーがそう考えている横で、ベルトルトが小さく呟いた。
「……故郷に帰りたいな」
些細なきっかけだったが、相棒の口から思わず溢れ出た本心は鮮明に耳に届いた。同じ事をライナーも一瞬考えたからだ。
「…なんだ、お袋の味を思い出してホームシックにでもなったか」
幼い頃から特段わがままを言わない印象のベルトルトだったが、今日はシチューが食べたい!と彼の父親に駄々をこねていたところを見たことがあったなと思い返す。
ベルトルトの誕生日を祝うため、訪れた家では鍋いっぱいに煮込まれたシチューが出てきていたし、
過酷な訓練の最中、「今日の晩ごはんはシチューなんだ。だから頑張る」なんてことも言っていた。
彼にとって特別な料理であることには間違いない。
「…僕、父さんの料理も好きだったけど、今まで食べた中で一番好きな料理って、昔ライナーの家で食べたシチューだったんだ」
「…は?」
「父さんに、ライナーの家のシチューが食べたいってわがままを言って、再現するためにたくさん料理の練習したなぁ」
「お前、そんなことしてたのか」
この島に来てからあまり自分のことを話さなくなったベルトルトが、珍しくライナーも知らない彼の話を教えてくれる。
「なかなか上手く作れなくて、結局父さんが君のお母さんにレシピを聞いてくれて…だから僕、シチューはとっても美味しく作れるよ。多分、君も好きな味の」
そう言ってベルトルトはクスリと笑った。……久しぶりに彼の、素の笑顔を見た気がする
「……そんなに食いたかったなら、俺の家に来れば良かっただろ」
ぽつりと呟くと、ベルトルトは嬉しそうに目を細めた。
「そうだね。じゃあ、故郷に帰ったら、また君の家に行ってもいい?」
「いいぞ。じゃあ俺の家で、お前がシチューを作ってくれ」
「えぇ?それはおかしくないか?」
ライナーの申し出にベルトルトは吹き出した。「君のお母さんもいるのに、どうしてそうなるの?」と続けると、ライナーは踏ん反り返って答えた。
「なんでだ?お前が言ったんだぞ。ブラウン家の味を再現できるんだろ」
「うーん…それはそうだけど…」
「お前の作った料理を食ってみたい」
威張りながらそう言ってのけたライナーに、ベルトルトは折れたようだった。
「わかった。善処します」
「それにしても知らなかったな。お前が我が家の味のシチューを作れるとは……お前、いつでも俺のとこに嫁に来れるな?」
真面目に応えるベルトルトを見て悪戯心が沸いたライナーは、彼の耳元でそう囁いた。
すると耳をこそばゆそうに押さえ、困り顔を真っ赤に染めたベルトルトに、「変なこと言わないでくれ」と強めに肩を小突かれた。
「さあ、おかしなこと言ってないで、もう行こう。寒くなってきたし、ミカサの作ったシチューを食べて暖まろうよ」
肩を摩りながら、ベルトルトにつられるように窓の方を見ると、寒い訳が分かった。外には雪が降っている。
冬の寒さが強まっていくシチューの食べたくなるこの季節は、もうすぐ彼の誕生日がくるのだというのを思い出させた……給金は殆ど使わずにとってある。近いうちにちょっと遠出して牧場にでも行ってみよう。それで今年は奮発して、彼の好物を作ってみるか。
幼い頃のように屈託なく喜んで、大好物のシチューを食べるベルトルトの様子を想像したライナーは、フッと笑いながらベルトルトの肩を小突き返した。