筆跡をなぞる 座学の授業が終わり、席を立った訓練生の教本から一枚の用紙が滑り落ちる。それを拾ったライナーは、紙に書かれた文字を見て一人の訓練生に声を掛けた。
「おーい、クリスタ。これお前の班で作ってた作戦立案書だろ」
「あれ?本当だ。ありがとうライナー。どうして私たちの班のものだってわかったの?」
「こんな綺麗な字…書いたのはクリスタだろうと思ってな」
訓練兵の中で一際目を引く容姿の少女を前に、ライナーが照れながら答えると、クリスタはおかしそうに笑って首を振った。
「ふふ、ライナー。これ、私の書いた字じゃないよ?」
「そうなのか」
「これ、ベルトルトが書いたの」
「ベルトルトォ?」
まさか同郷の、男の幼馴染の名が出るとは思わず、ライナーは素っ頓狂な声を上げた。そしてその声に、他の同期たちと談笑していたベルトルトがびくりと反応する。
「ベルトルト、呼ばれてんぞ」
「う、うん。…ライナー?何かあった?」
コニーたちに促され、のっそりと近づいてきたベルトルトの姿と、彼が書いたらしい書類の字をライナーは何度も見比べる。……線が細くて少し小さめの、教科書の印刷のような文字。
「お前、身体だってでかいんだから、字の方も堂々としておけよ…」
「え?え?何?どういうこと?」
「ああ、ごめんなさい。ベルトルト。私たちの班の、作戦立案書の話をしていたの。ライナーが、あなたの書いた字が綺麗だって、褒めてたよ」
呼びつけられた上に何故かお小言を貰い、困惑するベルトルトを見て、クリスタが補足を入れた。
「えーと、そうなんだ?……ありがとう?」
話の流れを大体汲み取ったベルトルトは僅かの間を空けて、クリスタとライナーにお礼の言葉を告げる。それを聞いてクリスタはニコニコと笑い、ライナーは不服そうに口を開いた。
「せっかくクリスタだと思って褒めたのに、まさかお前だったとはな」
「あら、書き文字が綺麗なのはいいことでしょう?私もベルトルトを見習って、綺麗に字が書けるように練習しようかな。ベルトルト、お手本になってくれる?」
「あはは…えーと…僕よりいい先生が他にいると思うよ…」
「えー?身近な人をお手本にした方が上達すると思うんだけどなあ」
「……俺も、手本は違う奴に頼んだ方がいいと思うぞ」
「あ、私そろそろ行かなきゃ。じゃあまたね。二人とも」
――クリスタの字が美しくなるのは良いことかもしれないが、ベルトルトの字に倣って上達するのであれば、それはクリスタの字と呼べるのか?
ライナーは去って行くクリスタの後ろ姿を見つめながら、苦虫を噛み潰したような顔をしていると、周りに同期が集まってきた。
「ライナー。大声でベルトルト呼んで説教始めたと思ったら、次は変顔してんのか?」
「ああ…せっかくクリスタ相手に俺の株を上げるチャンスだったっていうのに…コイツがな」
コニーの言葉に、ライナーはわざとらしく肩をすくめて見せる。
「ぼ、僕のせいなの?」
眉尻を下げたベルトルトの横で、ジャンがライナーを茶化す。
「お前の株が上がるとは思えねぇ状況だったけどな」
「次のチャンスに賭けるさ。……クリスタ、お前の字はまるで、お前みたいに可憐で美しいな…」
「うっわ。気持ち悪りぃ」
「それになんだか花のような香りがする気がする…」
「ライナー、俺は優しいから教えてやるが、それ相当不気味だぞ…」
「あはは…」
✴︎
ヒストリアからの手紙を読みながら、ライナーは訓練兵時代のやりとりを思い出す。
ヒストリアの筆跡は美しい。……アイツも、そうだったな。ヒストリアと隣り合って座り、ベルトルトが書き物をしていた姿を思い出す。華奢なヒストリアと並ぶと、ガタイの良さが目立つ。猫背気味の広い背中は、俺が唯一、信じて預けられた安心できる姿だった。
「見ててくれよ…俺が上手くやれるように」
誰もいない船室で手紙を片手に独りごちるライナーの元へ、大使たちがやってくるまで、あと少し。