千夜一夜のその先を 黄金のランプのなかには巨大な魔人が住んでいて、願いを三つだけ叶えてくれる。そう、どんな願いも。それこそ千夜一夜を超えてまで、探すに値する宝物だった。
「お前は……」
「やあ、はじめまして。僕は魔人のベルトルト。ランプの精だ。君の名前は?」
「…ライナー」
「ライナー。僕を見つけてくれた君の願いを、三つだけ何でも叶えてあげよう」
「…どんなことでも叶えてくれるのか」
「ああ。僕の力が及ぶことなら、なんでもね」
幾年ぶりに魔人を目覚めさせた男は、真っ白な肌に立派な体躯と金色の髪と瞳を持ち、砂漠だらけのこの国では珍しい容貌をしていた。その姿は清らかで、高貴で美しいものにも見えて、魔人は目を細める。
魔人は千年の時を過ごし、人間たちの望みを聞いてきた。力が欲しい、金が欲しい、権力が欲しい…ぎらついた瞳で自分へ望みを話す人間たちの姿はいつだって同じで、変わらない。
だが、彼は今までの者とは違う、何かこの無限に続く永遠に、変化をもたらしてくれるのではないかと、魔人は期待した。
「じゃあ一つ目の願いだ。俺の家族…母の暮らしを豊かにしてくれ」
「君の…母親?君自身ではなく?」
「俺と母は海を渡ってこの地に来た。慣れない土地で男に騙され、苦労をしているんだ。だから、何の悩みもなく、楽にさせてやりたい」
「……殊勝な願いだ。ライナー。こんな立派なご子息がいるなんて、母君はさぞ鼻が高いだろうね」
ベル卜ル卜は噯気にも出さず、そう口にした。……結局期待外れだ。彼の話したことは確かに素晴らしいことだが、突飛な願いでも何でも無い。当たり前だ。誰だって自分や、自分の大事な人を想って魔人に願う。この力は、これまでと同じ使われ方をして終わるだろう。
「魔人に御託をたまわるなんて畏れ多いことだな…じゃあ二つ目の願いを言うぞ。俺は世界を見たい。今まで誰も到達しえなかった世界の果てに、連れていってくれないか」
「ふふ、世界を見たいというお願いは、今まであまりなかったな。でもなんてことない。じゃあ一緒に行こう」
そう言うと、ベルトルトは空飛ぶ魔法の絨毯を呼び出した。そしてスルスルと、ライナーと同じくらい…人間の大きさまで身体を縮ませると、絨毯に跳び乗った。
「さあ、行こうか」
「……お前、その姿」
「流石にあの魔人の姿のままじゃ絨毯に乗るには定員オーバーだからね」
「お前も一緒に来てくれるのか?」
「うん。あ、もしかして一人で行きたかった?ガイドの僕は必要ないかな」
「いや、是非来てくれ」
「なら良かった。じゃあ、乗ってよライナー」
差し出したベルトルトの手をライナーが取る。……なんだか懐かしいような、寄り添うように馴染む体温にベルトルトは首を傾げる。ライナーはベルトルトと手を繋いだまま「じゃあ、連れてってくれ。世界の果てに」と、前をまっすぐ見据えたまま話した。
✴︎
「ここが、世界の果てか」
魔法の絨毯に乗って、たくさん旅をした。砂の雪原、炎の大地、そして空の青をうつす七海を越え、ライナーとベルトルトは天にも手を伸ばせば届きそうなほどの高い高い山の頂へと降り立って、世界を見下ろしていた。
「世界は、広いな。そして美しいものばかりだった」
「……そうだね。君のおかげで、僕も久しぶりに広い世界を見て回れた」
ベルトルトはきらきらと輝く太陽を眩しそうに見上げる。次は三つ目、ライナーの最後の願い。それを聞いたら、またひとりランプの中に閉じ込められる。この美しい世界も空気も味わえる機会は、しばらく無いだろう。
「ライナー、君のおかげで僕も久しぶりに楽しい時間を過ごせたよ。ありがとう……じゃあ君の最後のお願いを聞こうか」
ベルトルトのきらきらと輝く少年のような瞳に翳りが差し、諦念に満ちた威厳ある魔人の表情に変わる。
「……これで最後か」
ベルトルトは、ライナーの言葉を待つ。その姿をじっと見つめていたライナーは徐に、魔人へと口付けた。
「へ……⁉︎」
驚き目を見開く魔人を他所に、ライナーは堂々と願いを口にした。
「三つ目の願いだ。俺も、お前と同じにしてくれ」
「…………え?」
瞬間、足元には魔法のランプが現れ、一陣の風と砂煙が二人を包む。
「ライナー⁉︎君、なんてことを願ったんだ⁉︎一生君も、ここに縛られるんだぞ⁉︎」
「ああ、それでいい。それが願いだからな」
「は…⁉︎」
「やっとお前を見つけたんだ。この世に残す未練もなくした。こんな世界の果てに人が来ることもない。邪魔だては入らない」
これでずっと一緒に居られるな。
力強く抱きしめられる。その強さと熱さにベルトルトは震えた。囚われたのは彼も同じでつらく苦しいはずのに、美しい金の瞳、その奥には暗く深い歓喜の色が宿っていた。