蝉の声が、頭上でうねるように響いていた。
どこからともなく湧いては、耳の奥にまとわりついて離れない。七月もなかば、盛夏の音だ。
校舎の白い外壁が陽を照り返して、一階、中庭を通り抜ける渡り廊下は、歩くだけで足の裏が焼けそうだった。木暮は担任に頼まれて、クラス全員分の課題プリントを職員室に届ける途中だった。
日陰を選びながら、廊下のはしを歩く。風が吹くこともなく、背中に汗がにじんでいた。そして、目に飛び込んできた光景に、思わず足を止める。
空気の粒が変わったような気配がした。校舎の裏手、植え込みの向こうに人影。白いワイシャツの背中は、みなれた姿だった。三井。長袖のシャツを肘までまくり、片手をポケットに突っ込んでいる。三井の影になった所に、もうひとり誰かいる。陽を浴びて白く光るスカートのすそ。胸元のリボンを握る手が、小さく震えているのが見えた。長い黒髪が綺麗な子だった。何かを決めたような顔つきで、彼女は口を開く。
「好きです!」
その言葉が、蝉の声に紛れて木暮の耳に届いてしまった。とっさに壁際に身を寄せる。紙束がかさりと鳴り、あわてて押しつけるようにかかえ直した。少し、息が詰まる。おそるおそる視線を戻すと、三井は首をかたむけ、余裕そうに彼女を見下ろしていた。表情は見えない。
二人を見る自分の視線が、見張っているような目つきになっている気がして情けなくなる。汗がじっとり手のひらを濡らし、プリントが指先に張りついた。視線を外そうとしても、できない。胸の奥が、きゅう、と縮む。肌の表面は燃えるように熱いのに、胸の内は一瞬にして冷えていくような、奇妙な感覚だった。
ふいに三井が首筋をかくようにして、何かを言いかけた。その気配だけで、心臓が不気味な脈を打ち始める。もう耐えられなくて、次の瞬間にはその場を立ち去っていた。
足を速める。べつに三井の返事を聞きたくなかったとか、そういうんじゃない。ただ偶然通りかかっただけで、深入りするのはよくないから。
頭の中では言い訳がいくつも浮かんでは消えた。けれど、どれも胸のどこかに引っかかってうまく通り抜けてくれなかった。
落ち着かない。蝉の声と自分の脈が、耳の奥で響いていた。