ミレニアムのおじさんドクター ミレニアムには怒らせてはいけない人物が幾人かいる。
筆頭としてあげるのは、アルバート・ハインライン。怒るというよりも、延々と理論と正論に罵倒が混じる説教が続く。
その次は、艦長のアレクセイ・コノエ。こちらは教師時代の名残から、相手の話をきちんと聞いた上で何がダメなのかを明確にして叱る。
そして、ミレニアムの医官、クルーからはドクターと呼ばれている人間だ。いつも気だるげでやる気がない目をしていて、軍服の上にシワの入った白衣を着ている。実にだらしない風貌の男は上官だろうと敬語は使わないし、口も悪いときた。
そして、怒らせたらとりあえず怖い。決断と手段に容赦がない。そんなドクターは不機嫌さを隠しもせずミレニアム内を闊歩していた。
夜もふけ、不寝番以外のクルー達しかいないミレニアムの格納庫の一角で青と白が密やかな会議を開いていた。
1つのモニターを共有しながら、お互いの意見を交換している。目の下にくっきりとした隈を浮かべてにも関わらず、目線はモニターに映る数字の羅列を追いかけている。
時たまカタカタとキーボードを叩く音がするだけの空間を切り裂くように入口の扉が開いた。
ぬっと音もなく入ってきた影は、集中しすぎて気付いてないキラとハインラインの背後に立つと、恨めしそうな声を出す。
「ようやく見つけたぞ、悪童め」
「え!? あの……ド、ドクター、こんばんは?」
「…なぜこの場所がわかったんですか。まだ見つからないと思いましたが」
「はぁ……。微妙に毎日場所変えるから探すの手間取ったぞ。ヤマト准将、ハインライン大尉。俺が探していた理由はわかってるな?」
ニッコリと笑うその顔にはハッキリと怒りマークが浮かんでいる。
キラは罪悪感から言い淀むが、この笑顔に慣れているハインラインはふてぶてしい程はっきりと言い返した。
「そうは言いますが、ドクター。今の開発も佳境に入っています。期限に間に合わせるためにも多少の徹夜は目を瞑っていただきたい」
「ハインライン大尉。俺もあんた達の仕事の重要性は理解しているつもりだ。だが、5徹を多少と言えるわけないだろ」
「……後2日あれば」
休ませようとしたのを、のらりくらりとかわされたから5徹なんてことになったのに、あと2日見過ごせというハインラインにドクターは呆れを通り越して感服する。この大尉は相変わらずだというしかない。
だが、それはそれ、これはこれである。
「はぁ……わかりました、そっちがそういう考えなら俺にも考えがある」
「考え……ですか?」
首を傾げたキラに絶対零度の目を向けた。いつもやる気のないダルそうな彼から想像できないくらいの眼力に、思わずキラはたじろいでしまう。
だが、知ったことではない。医者の言うことを聞かない者に情けなどない。
「俺は医者で、ミレニアムクルー全員の健康を守る義務がある。睡眠や体調管理もその1つ。だから、俺にしか使えない権限を使わせてもらう」
「まさか――」
やっと頭が回ったハインラインが、ドクターのしようとしていることに気付いたようだったが、もう遅い。
悪どい笑みを作りながら、技術者2人に死刑宣告を告げる。
「ドクターストップだ。コノエ艦長には事前に許可をもらってますから拒否権はない。少なくとも、明日いっぱいの仕事を禁じる。格納庫や艦橋の立ち入りもしかりだ」
軍属なら上官の言うことは絶対であるが、このミレニアムでは医者のいうことも絶対である。しかも、この艦の最高権力者であるコノエに根回しされては、キラとハインラインに逃げ場などない。
仮にここでただを捏ねたり、余計なことを言おうものなら休養が増やされるだけ。それでは、本当に今やっている仕事が間に合わなくなる。それを即座に理解したキラとハインラインは大人しく撤収を始め、その様子を見ながらドクターも2人のデバイスと端末を回収する。これがあると部屋などでまた仕事をし始めるから、予防策として没収だ。
「ほらほら、部屋に戻ってまずは寝ろ。念を押すが、くれぐれも仕事はなし。わかったか?」
「……はい」「…………」
「ハインライン大尉」
「……わかりました」
不承不承と言いたげに口元をへの字に曲げるハインラインにドクターは溜息を吐いた。これでも大分讓渡したのだから、勘弁してくれと言いたくなるのをぐっと堪えた。
しっかりとキラとハインラインをそれぞれ部屋に入るのを見届けたあと、ドクターは自室ではなく居住区の1番奥へと足を運ぶ。
休みたいのは山々だが、まずは回収したデバイスたちを安全地帯に持っていくのが先決だ。あのハインラインのことだから、今は大人しくても、明日にはこれを取り戻しに来るのは目に見えている。というか、絶対にする。ドクターはそれを経験から知っている。
だから、見つかってもそうそう取り戻せないところに置いておく必要がある。そしてそれが出来るのは、ミレニアムでたった1箇所だけだ。
もう片方のキラはハインラインほど強行にでるとは思えないし、そこは別の手を講じてるのでおそらく問題はないだろう。
ドクターの目線の先に最奥の鉛色の扉が見えた。
「コノエ艦長、夜分に失礼する。少しいいでしょうか」
着いた艦長室の扉の前で入室の許可を待つ。といっても、向こうも来ることは分かっていたから、数秒してスライドした扉を潜り、中へ入った。
少し暗めの照明の下、コノエは椅子に深く凭れかかった状態でドクターを出迎えた。机の上には、琥珀色した液体が半分程入ったグラスが2つ置かれている。
ドクターはグラスを見やり、ついで視線をミレニアム艦長へ向けた。
「晩酌を邪魔したか?」
「いいや、君が来ると思って用意したんだよ。それで? 例の問題児は大人しく部屋に戻ったのか」
「とりあえず、な。どうせ、明日にはこれを躍起になって探すにきまってる。つーことで、預かってくれ」
持っていたデバイスと端末をプラプラさせながら見せると、丁寧に机の上に並べ、ドクターは机の上に軽く腰掛ける。艦長に対する態度として、到底許される発言と態度ではない。
にも関わらず、コノエは苦言をいうことなく軽く肩を竦めるだけに留めた。置かれたハインライン用のデバイスを持ち、流れるような手つきで自分の左目にかける。
pipi……
『アレクセイ・コノエと認証。アルバート・ハインラインからのアクセスをすべてブロックします』
「……これで明日いっぱいアルバートも仕事はできないな。准将の方は?」
「非番のアスカが朝から突撃しに行くだろうよ。1日可愛い部下と一緒なら仕事なんて手につかないだろ?」
「なるほど、いい案だ」
そう言ってグラスの1つをドクターに差し出すと、「だろう?」とドヤ顔でコノエからグラスを受け取る。
示し合わせたようにグラスの縁を軽くぶつけ、チンという音と氷が揺れる音が静かに部屋に鳴る。舌で舐めとったウイスキーの芳醇な香りが鼻腔を抜ける。いい酒だと、これを用意したコノエに視線を投げた。するとコノエもお茶目に片目をつぶってみせる。
「君が好きそうな味だと思ってこの前買っておいたんだよ、どうだい?」
「流石、コノエ。俺の好みよく知ってて助かる」
「君ともそこそこの付き合いだしな。この艦だとアルバートの次になるのか」
「そう考えると長ぇ付き合いになったもんだ」
当時を思い返してドクターはしみじみと思う。まさかこんなに長い付き合いになるなんて当時からは想像もしてなかったなと、ウイスキーを口に含む。うん、美味い。
「くく……ここで僕達だけで酒盛りしてるの、アルバートが知ったらさぞ悔しがるだろうな」
「自業自得だろ、それこそ」
バッサリとドクターは切り捨てる。通常運転な彼に、そうだなとコノエも特に反論せずグラスを回す。
氷がグラスに当たったことを音で知らせる。
やがて、2人の間に沈黙が落ちるも変わらず酒を煽り、その味を堪能する。関係ないのだ、喋ってようと黙ってようと。
ここにハインラインがいたのならまた話は変わるが、時折かわされる言葉のやり取りでも十分楽しめるくらいお互いのことは知っているということだ。
「あーー。そもそも、なんで俺ァコンパスに来てんだよ。お前のせいだぞ、コノエ」
「いやぁ、ラメントに頼んでおいてよかった。ははは!」
「議長に言うのは卑怯だろう!」
「そうでもしなきゃ、コンパスに来ない気だったくせによく言う」
当たり前だとドクターは反論をする。先の大戦が終わったあと退役を考えていたのに、気付けば最高議長から呼び出されて出向命令くるわ、コンパス来てみれば悪どい顔してるコノエとハインラインがいるわ、メンタルヤバい子供はいるわ。人生設計を見事に狂わされて、愚痴を言わない人間はいない。
「まぁ、君にはまだまだやってもらいたい仕事がたくさんあるわけだから……あきらめてくれ!」
「ぐぅ……」
それ以上の文句を言わない……これまでの経験上無駄だとわかっているせいで言い返す気にもなれなくなった。
どうして俺はこんな奴の下で働く羽目になったんだと、過去の不運をドクターは呪いたくなって唸る。
またそんなドクターの心情が手に取るように分かってしまうコノエはニヤニヤと笑い、楽しげに眺めた。
目の前で頭を抱える男をハインラインと同じくらい信頼と信用を、コノエは置いている。ハインラインは自他ともに認める相棒であるが、この男に似たようなこと言おうものなら、最大限に嫌な顔をされるのがおちだ。それもまた想像できる。
けれど、どんなに嫌な顔をしようが悪態をつこうが、この医官は1度懐に入れたものを無造作に捨てる程、冷酷な人間ではないということも知っている。なぜなら、それを逆手にとって、コンパスに引き入れたのだから。
「これからも、よろしく頼むよ。ドクター」
「勘弁してくれ……艦長」
ウイスキーが入ったグラスをコノエが掲げると、ドクターも掲げる。再び、チンとグラス同士がぶつかり合い音を奏でる。軍帽で隠されていない、いつもよりもよく見えるコノエの顔が愉快そうだ。何が楽しいんだ、とドクターは胸の内に思うも素知らぬ風のまま、深層を覗こうとする視線を無視した。
夜の帳が降りる。明日になったら金髪が医務室にムスッとした顔でくることを予想しながら、ドクターはなるべく面倒にならない方法を模索して、ため息を吐く。
次にアプリリウスに戻ったら、今度はコノエが好きそうな酒でも用意しておくかと頭の隅で考えておき、ウイスキーがなくなったグラスを机に置いてコノエに背を向けた。
「じゃあ、俺はもう寝るからな。今日は……早く寝るようにな、艦長さん」
「肝に免じておこうか、医官殿」
それを最後にドクターは艦長室を去っていった。1人残った最後のウイスキーを飲みきったあと、自身の黒髪をかきながらコノエは呟いた。
「……バレてたか」
ハインライン達ほどではないが、きちんとした睡眠時間が取れていないことはバレていたらしい……。本当にやる気はないが抜け目のない男だと、自身が運用する艦の医官の能力の高さに舌巻く。
だが、釘を刺されたからにはこれ以上夜更かしするわけにもいかず、コノエは大人しくベッドへと足を向けたのだった。