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    美女と野獣的な鋭百

    ##鋭百

     広がるそれは、炎にも、血だまりにも見える。だけど漂う甘やかな香りがそれを否定する。
     薔薇の海。紅の絨毯。

     僕の世界は、赤で構成されている。


    「百々人」
    「……あ、マユミくん」

     目を細めて庭を、自分の仕事の成果を眺めていた僕を呼ぶ穏やかな声。振り返ればそこにも、赤がある。夕日に照らされ、赤銅と紅の間をきらきらと曖昧に漂う髪と翡翠の瞳。夜の闇のような黒いツノ。
     マユミくんは人ではないが、僕の恩人だ。行く当てもなく出自もはっきりしない僕を屋敷に雇い入れ、仕事を与えてくれた。

    「今日もありがとう。綺麗だ。……お茶をいれたんだが、一緒にどうだ?」
    「いいの? じゃあ、ご馳走になるね」

     主だからとふんぞり返らず、むしろ友人のように振る舞ってくれる。見た目が同じ年頃の相手に敬語は使うのも使われるのも苦手だからと斜口を許し、紅茶や料理の腕もいい。
     僕は、そんな己の主人を気に入っている。


     ぷつ、と獣の手が薔薇を一輪器用に摘んだ。
     零れ落ちそうな程開いた大輪の薔薇。近いうちに切ろうと思っていたそれは、花びらからリンゴのような香りがする。マユミくんのお気に入りの薔薇だ。
     毎日彼は一輪薔薇を摘む。寝室の枕元にある花瓶に挿すために。

     ふわ、と鼻をくすぐる甘い匂い。思わずヒクついた鼻の頭を軽く親指で擦ると同時に、振り向いたマユミくんが薔薇を僕に近づける。

    「……ん、」

     水滴のついた花びらが唇を濡らす。近づいた分香りは強くなる。僕をじっと見るマユミくんの目は優しいのに、底の方ではちろちろと炎が燃えている気がする。それを見る度、なぜかぞわりと背筋がなぞられるような、背中の毛が逆立つような、妙な気分になる。
     大人しく見つめ返し続けていれば、ゆるく微笑んだマユミくんは薔薇を僕の口元から離し、また歩き始めた。

    (……そんなに食い意地張ってるように見えるのかなぁ)

     軽く鳥肌のたっていた腕を摩って、腹の底に燻る熱を逃がしながら目を瞑る。
     唇にそっと花びらを触れさせ、その薔薇を大切に自分の部屋に活ける。毎日繰り返される謎の行為の理由は知らない。餌付けのような、戯れのようなその行動の意味を。聞けばきっとすぐ答えてくれる、でもなんとなく問いただしたくなかった。
     これだけ広いお屋敷にたった一人で住んでいる理由も。庭の仕事以外、特に料理と掃除は自分でこなし、人を雇おうとしない理由も。時折僕の背中をじっと見つめている理由も。
     いまいちよくわからない所を含めて、僕は彼を気に入ってるから。

    「…………」

     花びらの感触の消えた唇をそっと撫でる。残ったのは匂いだけ。水滴はただの水で、舐めても味なんてしない。料理も器用にこなせるのに、庭の仕事はうまくできないと笑うマユミくんが淹れた茶は美味しい。
     自然と足が速まる。仕事をすればお腹が減る。リンゴの匂いはお腹が減る。紅茶で少し空腹を落ち着けて、夕飯の前に残りの仕事をこなそう。
     そうすればマユミくんは喜んでくれる。僕なんかを雇ってくれる恩義に少しでも報いるために、彼にできないことを。彼ができない仕事を。自分だけができること、を

    (―――あれ、 そういえば)

     ここに来る前、何をしていたかすら思い出せない僕みたいな男を拾ってくれた感謝を、こめて。


    (僕に お庭の仕事を教えてくれたのは   マユミくんじゃなかったっけ)


    「庭仕事だけはできないから、百々人がいてくれて助かる」と、笑ってくれたキミのために。



    (僕がここに来た時 庭の薔薇はきれいに手入れされて いて)


     掃除も洗濯も、屋敷の主って立場なのに一人でこなして、絶対手伝わせてくれないから。


    (僕は剣を持っていて。……ぼくの、剣は。そうだ倉庫だ。奪われて、そのまま)


     この赤くてきれいな庭を守ることが、僕がキミのためにできるたったひとつのこと。


    (バケモノを、倒しに来た、はずだ。バケモノはどこだ、バケモノ、は)


     マユミくんのために。マユミくんのために。マユミくんのために。




     赤いばけものをころすために、




    「百々人」





    (  あ )

    (甘い においが する)










    「百々人? どうした、あまり美味くなかったか?」
    「…………ううん、いつも通り美味しいよ。別に甘すぎたりしないし」
    「え?」
    「あれ、マユミくん、さっきなんか『ききがあまかったか』とか言ってなかった? てっきり砂糖でも入れすぎたのかと思ったけど、普通にすっきりしてて美味しいよ、これ」
    「……、ならよかった。ちゃんと効いているな」
    「?」
    「いつもありがとう、百々人。明日も俺の庭をよろしく頼む」
    「あー、うん。僕にできることなんてそれぐらいだし、お世話になってるしね。ふふ、僕に任せてよ」

     食事の時の百々人はどこか幼く、無邪気だ。
     俺の作った料理を美味そうに味わう時の幸せそうな表情も、庭の薔薇の世話を焼く時の真剣な横顔も、押し付けられた花びらで濡れた唇も、礼を言うと照れ臭さを滲ませた顔ではにかむ姿も、すべて愛おしい。

     だからそれを陰らせるものはいらない。剣も、過去も、記憶も。
     要らないものは消すに限る。これは幸せを守るための正当防衛だ。


     剣の代わりに剪定鋏を。敵意の代わりに薔薇の花を。
     食事を。寝床を。生きがいを。愛情を。

     全ての幸せの共有を。




    (お前も今、しあわせだろう? 百々人)



     さて。
     明日はいい加減、倉庫に打ち捨ててある鋼の塊を処分しようか。



     いとしい庭師との平和な日々を守るために。
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