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    鋭←百
    ワードは「靴」「ワルツ」「おはよう」

    ##鋭百

    愛しい現実へのザクースカ たん、たん、たん。ワン、ツー、スリー。
     三拍子のリズムに合わせてくるりくるりと軽やかに回るマユミくんを、ぼんやりと眺めていた。
     そこには彼以外誰もいない。だけど繊細な動きはまるで伸ばした腕の中にパートナーがいるかのように錯覚させられてしまう。普段僕達とステージに立つ時は力強さを押し出して踊るのに、こうして風に舞う羽のようにふわりとターンすることもできる。才能と努力が噛みあうとこんなにも、……そこまで考えたところで、首を振って余計な考えを追い出す。
     ふう、と一息ついて何かを考えこんでいるマユミくんに、飲み物でも差し入れようかと立ち上がろうとして、がくんと体が傾いた。

    「あ、れ」

     疲れてたわけじゃない。障害物があったわけでも。じゃあどうして。百々人、と慌てて駆け寄ってくるマユミくんに、反射で大丈夫だよと口にして、違和感を覚えたつま先に視線を移す。

    (……ああ、これは、夢だ)

     昼なのか夜なのかわからない窓の外。レッスンルームの明かりはついていないのに、まるでスポットライトに照らされたようにマユミくんと僕だけが鮮明で。
     僕の足は、レースと小さな宝石があしらわれた真っ赤な社交ダンス用のヒールに覆われていた。

    「……ふふ。なぁんだ」
    「百々人?」

     なんてことはない。夢だと気づいてしまえばあちらこちらに不自然が散らばっている。マユミくんがワルツの練習をしていたのは随分前だ。あの仮面舞踏会のお仕事が終わった後も時々反復練習をしているのは知ってるけど、それはレッスンルームじゃなくて自分のおうちでやってるって本人から聞いた。
     これは夢だ。僕の未練がましさが見せた、ただの夢。
     こんな靴を買った覚えはない。練習に不向きで、仕事でも使わない靴。興味本位で社交ダンスって単語を画像検索した時に上の方に出てきた、僕には履けない靴。履きたかったわけでもない。値段もサイズも覚えていない。ただその色が鮮烈で、きっとマユミくんとワルツを踊る誰かが履けばお互いを引き立てるだろうなって思いながらタブを閉じた。それだけ。

     夢の中でくらい、このヒールを履いても問題ない姿で君の隣に立てたらよかったのに。結局僕は僕のまま、似合わない靴に足元を掬われて立ち上がれずにいる。情けない。みっともない。自嘲の気持ちでくすくすと笑い続ける僕を怪訝そうに窺って、マユミくんはそっと手を差し出してくる。

    「似合わないよね」

     その優しさを無視して、僕は呟いた。指先でなぞった靴のつるりとした感触。さて、夢の中のマユミくんはなんて返してくれるんだろう。

    「……そうだな。お前には似合わない」

     数瞬の間の後返ってきた言葉は、やっぱりマユミくんの言葉で。なんというか、僕は明晰夢の才能すら無いのかと落胆した。夢だと気づいたなら、僕の反吐が出るような理想をマユミくんに押し付けちゃってもいいんじゃないかなって思うのに。そう、きっと、現実でも。僕が例えば、自分でこの靴を買って。よろよろしながらどうかな、と見せても。彼は思ったまま、遠慮も躊躇もせず事実だけを述べてくるんだろう。
     さて、どうやって脱ごうかな。皮膚に貼りついたみたいに僕の足から離れてくれない靴の縁をひっかいていると、思ったより近くでマユミくんの声がした。

    「立て、百々人」
    「…………。ごめん、今は」

     無理だよ、と。そう呟いて顔を上げると、至近距離に翡翠の瞳があって、喉が詰まった。真っ直ぐに僕を見つめてくるこの目が、逃げ出したくなるほど苦手で、吸い込まれたくなるほど好きだ。こんなに近くで見たことはないけど。

    「お前には、その靴は似合わない」
    「……ほんと、夢の中でも容赦ないね。マユミくんはいっつも、正しい事しか言わない」
    「ああ、そうだな。お前や秀に嘘や世辞やおべっかを使うつもりはない。だから、何度でも言わせてもらう。お前にその靴は似合わない」
    「…………」


    「お前の靴は、これだろう」


     距離が近かったのは、マユミくんが跪いていたからだった。まるで童話の王子様みたいに恭しく膝を突いた彼がいつの間にか持っていたのは、ユニット衣装のロングブーツだった。
     ぴぃちゃんがくれた、僕のための靴。魔法みたいに現れたそれを見て。

    「……そうだね。僕の靴は、それだ。こんなのじゃない」
    「そうだ。お前のための、お前だけの靴だ。……俺は、この靴で、俺達の隣で踊る百々人が、一番好ましいと思う」

     聞いたこともない柔らかな声で言いながら僕の足に触れるマユミくんを見て、やっぱりこれは夢だと何度目かの確認をする。

    「……ふふ。最後の最後に、夢らしい夢になったなあ」

     虚しさとしあわせで胸の中をぐちゃぐちゃにされながら、僕はマユミくんに差し出されたブーツを抱きしめる。


     さあ、そろそろ起きよう。優しく触れる指先も、ゆるく愛しそうに細められた瞳も、柔く僕の名前を呼ぶ声もない現実に戻るために、ゆっくりと目を閉じる。

    「ねえ、マユミくん」
    「なんだ」
    「キミとワルツを踊ってみたかったな。……なんてね」


     余計なものは、真っ赤な靴と一緒に置き去りにして。先輩で仲間で友人の「眉見鋭心」に、おはようと声をかけにいこう。
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