眠り薬を頂戴 父が遠征に行くことになった。簡単に言えば、隣国の支援だ。代わりに一番上の兄が内政に関わるようになってから、謀反者が増えた。長兄は焦って片っ端から犯罪者を牢に入れているが、そのやり方が正しくないことくらい、俺にも次兄にも姉にも、何なら俺より幼い弟たちにも分かる。姉は心を痛め、床に伏してしまった。
俺の手助けはいらないからと、兄は俺に仕事を手伝わせはしない。どうにも面倒で、最近は城の外に出ることも少なくなっていった。
その頃から、俺は充分に眠れなくなっていた。寝付いたと思ってもすぐに目が覚める。兄が俺を殺しに来るのではないかと、冷や汗が出る。当然剣術の稽古にも響き、教師には理解されながらも呆れられてしまっている。
この環境を変えたいけれど、体調も良くない。どうしたものかと勉強中に頭痛に耐えていると、ラディムが珍しく近寄ってきた。
「おい、そこまでにしときな。ひでぇ顔だ」
「いや、でも……」
「いいから。オレの部屋行くぞ」
そう言うや否や、ラディムは俺の身体を軽々と持ち上げる。抵抗する間もなく、横抱きにされる。海の碧を思わせる右目に見つめられ、喉が鳴る。無言の圧力を感じてそのままラディムにしがみつくと、ようやくその目が細められた。
「そうそう、大人しくしてろよ、ミカちゃん。体調管理も護衛のうちだと思ってくれ」
「なんで、ラディムの部屋なんだよ。自分の部屋で寝れるだろ」
「寝かしつけてやるって言ってんだよ、お坊ちゃん。寝ないと成長しねぇぞ?」
俺をからかうような口調で、ラディムはゆっくりと歩き出す。メイドとすれ違う際に彼女らの話し声が聞こえたが、気にしないことにした。
城の一階に、ラディムの部屋がある。本来は父の遠征についていくはずだったのだが、俺の護衛になったことで戦争には行かなくなった。ラディムが怪我なくここにいることは、奇跡と言っていいだろう。
ラディムの体温は温かく、自然とまぶたが降りる。部屋の扉を開けて中に入ると、ラディムがしっかりと施錠をする。俺をベッドに座らせ、慣れた手つきでブーツの紐を解いていく。そうして数分でベッドの中に潜り込んだ俺だったが、なかなか寝付くところまでいかない。
「どうだ、寝れそうか?」
「無理だっての……自分の部屋でも寝れねぇのに」
「あー、じゃあオレが隣で寝てやろうか? ミカちゃんの大好きなお目目見れんぜ」
たぶん、ラディムは冗談のつもりで言っているのだろう。けれど俺は、ラディムの目が見られるなら、と考えた。あの奇麗な、透き通った海面のような目を見ながら眠りたい。
俺が黙り込んでいると、ラディムは「ほんと、黒猫みてぇ」と吹き出した。その頬に手を伸ばして、ぺたぺたと古傷を触る。
「なんだあ、甘えたか?」
「寝れないから、ラディムの目を見ながら寝たい」
「お、甘えるの慣れてきたか? 仕方ねぇなあ、ほら」
ベッドに座っていたラディムが、コートを脱いでベッドに入ってくる。真っ白いシャツを着崩して、一度だけ自分の隣を叩いた。
誰も見ていないのをいいことに、俺はラディムに擦り寄る。ふわりと香水の匂いが漂ってくるが、今日は葉巻の煙の残り香がしない。不思議に思ってラディムの方を見上げると、何を勘違いしたのか、奴はそのまま俺を抱きしめた。
「な、なにすんだよ……」
「人肌で眠くなるかなって思ってよ。今はオレしかいねぇから、安心して寝な」
ぽかぽかと、身体が温まっていく。最近は感じていなかった睡魔が俺を緩やかに襲っていく。ラディムを見ると、その目が細められる。静かな水面の湖畔が、陽の光できらめいているようだ。
「ん、ラディム……」
「はいよ、どうした?」
「……ありがと」
ぎゅっと目の前のシャツを握りしめ、目を閉じる。背中に手が回る。微睡みが気持ちいい。
柄にもなく、安心していた。ラディムの隣を心地よいと感じていた。悔しいけれど、俺は相当奴を信用しているらしい。
ラディムの甘い香水は、不安も取り除いてくれる。「おやすみ」と言う彼の言葉を子守唄に、そのまま意識を睡魔に委ねた。
***
「ミカちゃん、寝れたか?」
「……んぇ…………?」
日が落ちた頃、静かにラディムが声をかけてきた。それで意識が浮上した俺は、間抜けな声とともに目を開ける。ラディムは俺の頭を撫で回し、起き上がる。
「そろそろ飯時じゃねぇか? 早く準備して行かねぇとな」
「俺、寝てたか……?」
「かわいー寝息立てて寝てたぞ。安心したみてぇだな」
額に自分の額をつけ、ラディムが「おはようさん」と優しい声で言う。ラディムの匂いが間近で感じられ、また体温が上昇する。
「な、なんでいつも近いんだよ……!」
「ミカがそうしてほしそうだから」
「んなわけあるか!」
「嫌だったら離れればいいじゃねぇか。……ああ、シャツ握りしめて擦り寄ってきてんのに、それはできねぇか」
言われて自分の手元を見ると、それらはしっかりとラディムのシャツを握っていた。寝る前の記憶がよみがえる。もしかすると、ものすごく恥ずかしいことをしていたのではないか。
けれど、思考とは反対に俺の身体はラディムにひっついている。これは、温もりが心地良いだけだ。決してラディムの傍がいいとか、そういうわけではない。
「おはようさん、ミカ。目は覚めたか?」
「……まだ」
「オレのベッドを気に入ってくれんのは嬉しいが、そろそろ行かねぇと兄弟が怒るんじゃないのか」
「ん、姉様の様子、見に行く。食事はいい」
「食べてから行けよ、身体が資本だぞ。……ほら、オレが運んでやろうか?」
ベッドからなかなか抜け出せず、もぞもぞと身体を動かす。するとラディムは、俺の身体をひょいと持ち上げて無理矢理靴を履かせ、また俺を横抱きにして部屋を出ようとする。
「なっ、ば、ばか、降ろせ! このまま食堂まで運ぶ気か!?」
「おうよ。寝ぼけてるミカちゃんが燭台にでもぶつかったら危ねぇからな」
そう言われてしまっては、何も言えない。俺は仕方なくラディムにしがみついて、食堂の前まで運ばれることとなった。
運ばれている最中、違和感に気づく。
ラディムの首に提げられていた首飾りの存在が、きれいさっぱりなくなっていたのだ。