遅刻バン!と勢い良く開かれたドアが、壁にぶつかって大きな音を立てる。
「びっくりした……」
デザイン事務所の主から、普段の甲高さを意識した声にも、24歳成人男性らしい落ち着いた声にも聞こえる声が漏れた。
遅刻したこともさる事ながら、ドアを大きな音立てて開けることも、失礼にあたるんじゃない?
男はずんずんと乱数の元へ行き、今度はバチンッ!と音を立てて両手を合わせ、頭を下げた。
「すまん乱数!パチで良い台取ったら、ちょっと当たっちまって」
頭を下げられた乱数は、ほーう、と感心した表情で、帝統の頭頂部を見ていた。
「帝統のつむじ、初めて見たー!」
―――
「うーん。遅刻した事はもうちょっとどうでも良いんだけど~、」
「今日が初めてじゃないしね!」と悪気なく付け加えられる。
ゔっと何かで心を刺された様な気がした。たぶん良心に刺された。
「理由が想定の範囲過ぎない?もっと突拍も子もない理由だったら、許すかも!」
乱数はお行儀悪く、自分のデスクに座っていた。
仕事で使う生地を専門店から調達し、約束の時間に合わせて事務所に戻るも、ポッセの2人が同時に遅刻だ。
時間を持て余した末に椅子に座るのにも飽きてしまった。
退屈を極めた乱数はミーティングに遅刻して来た帝統に対し、遅刻したことに対してではなく、遅刻の理由が面白くないと文句をぶつけていた。
帝統はうーん、と思考を巡らせ、パッと思い付いた行動に出る。
「すまん乱数!これが、これでよう。」
一つ目の「これ」の時、手のひらで林檎を掴むような形で軽く握り、手首から左右に振る。
パチンコのハンドルを回す動きだ。
二つ目の「これ」の時は、親指と人差し指で輪を作る。
お金を意味するサイン、つまり当たりが出た事を伝えたいらしい。
「にゃはは〜ちょっと面白いね。あ!でもー、理由は変わってないじゃん!」
「つーか普通はよ、遅刻したことに対して怒られるんじゃねーの?」
遅刻した理由が面白くないってなんだよ!?遅刻した責任を担う者として至極真っ当な意見である。
「あとそのお金のジェスチャーはやらない方がいいよ」
「え。なんか変なとか意味あんのか?」
俺知らねーんだけど、と帝統は言う。
「あるある!あとで検索してみー?」
―――
あーだこーだと会話していると、
「すみません乱数!担当編集との打ち合わせが白熱し、三日三晩かかってしまって。」
遅刻した上に大嘘をこく大物が現れた。
乱数は「幻太郎が遅刻は珍しいよね!」と、これまた感心した様子だ。
「ええ、まあ、色々ありまして。でも小生は、そちらの万年素寒貧と違って、ちゃんと連絡は入れましたよ?」
あぁ!?と急に出しに使われた帝統が吠える。
来る途中に入ったメッセージで、万年素寒貧も自分同様に遅刻した事を、大嘘こき太郎は知っていた。
「それってこれのこと?」
幻太郎の言う通り、彼からの不在着信はある。
乱数は2人にも聞こえるように、幻太郎からの留守番電話をスピーカーモードにして再生する。
『にっしきのおっみそは白出汁だ〜』プツッ
………………
「これを聞いてどうしろってんだよ」
「良い言い訳が思い付かなくて」
「これもし僕が出れてた時はなんて言うつもりだったの?」
見切り発車にも程があるでしょ。
「つか、普通にメッセージ送ってくりゃいいだろ?」
「はっ、走りながらスマホを操作できる程、器用じゃないのでね」
なんでこいつちょっとカッコつけてんだよ。
着いて早々に喋り切ったと言わんばかりに、額から汗を流す幻太郎が、はー暑い暑いと手を扇子にして仰いでいた。
―――
「僕もそう思うだろうから聞くんだけど、」
「おう」
「はい」
「2人とも、本心から悪い事した、とは思ってないよね?」
その言い方に棘は無く、純粋な問いかけらしいトーンで乱数は言う。
「伝わるかわかんないけど、悪い事したなって本気で思ってるし謝るんだけど、正直後悔はしていない?みたいな…………」
…………
「はい」
「おう」
幻太郎と帝統の口調が思わず入れ替わるくらい、気づけば2人は正直に答えていた。乱数の言い分に対し、本心から来る肯定だ。
乱数は「ぷっ。あはは」とおかしそうに笑う。
それが何故だか解せない2人の頭上に?マークがポンポンと浮かび、少し不気味に感じた。
(何とかこの状況を脱する方法はないのか!?)
(乱数の頭が(これ以上)イカれちまう前に……!!)
という焦燥感を抱かせた。
「やっぱりそうかー」
「うん、いいじゃん!」
自分を偽らないでいられる仲間。自分の本心に正直なままでいられる関係。
それで迷惑をかけられることもあるけど、同じように自分が迷惑をかけることもある。
お互いに自覚しているから、一緒に居られるし、一緒に居て心地良く感じるのかも、と思う。
「ら、乱数さん……?」
「その、何故だか嬉しそうに見えますが…………」
2人は訳も分からず不気味に笑う乱数に問いかける。
「嬉しいよ!だって僕も2人と同じ気持ちだったから!」
―――
「おや。奇遇ですね」
「おう幻太郎!毎日あちぃーな!」
髪を後ろで一つに括り、黒いシャツを限界まで捲りノースリーブのような着こなしの帝統は、過酷な陽射しの下、水々しい汗と若さを光らせながら肉体労働に勤しんでいた。
「日雇いですか?重そうな段ボールを持って」
幻太郎は思わず自分が差していた日傘を帝統の頭上に持っていく。
今度は幻太郎が、ギラギラの陽射しに晒される。
帝統が担いでいたのはコ○トレックスのロゴが入った箱。中身も同じなら、相当な重量がある。
「乱数がよー、「ノリでコ○トレックス箱買いしちゃった!だいすぅ悪いけどコレ事務所に運んでくれる?」ってさ」
この前の遅刻の件があり、帝統に断る選択肢は無かった。
「ふっふっふ」
幻太郎がいつも通り、含みのある笑い方で言う。
「小生も、似た様なものですよ」
そう言いながら片手に持っていた箱が帝統に見えるよう、目の前に掲げる。
箱には、行列の出来る話題のグルテンフリードーナツの店のロゴ。
乱数の事務所まで5分とかからない場所で遭遇した、2人の目的は一致していた。