停電 新しくデザインした春夏向けの衣服に使用する生地や素材を見に行った乱数は、近くに幻太郎の家があるのを思い出した。
暑い日差しの中、吸い寄せられるように幻太郎の家へ向かった。
居たらラッキーの気持ちでインターホンを鳴らすと、在宅中だった幻太郎が迎え入れてくれた。
「幻太郎居てラッキー!暑くて溶けちゃうかと思ったよー」
そう言いながら出された乱数は麦茶をごくりと一口飲む。
冷たい液体が内臓から体を冷やす。
「小生も、さっき帰ってきたところです」
幻太郎の外出先は行きつけの喫茶店だった。
次の〆切まではまだあと3日ある。まだ、焦る時じゃない。
ちなみに乱数の新作の納品は一週間後。まだ、焦る時じゃない。
幻太郎の家にあった貰い物の焼き菓子をつまみつつ、二人は現実逃避した。
日も沈み辺りが暗くなった頃、そろそろ現実に戻ろうか、と思い始めたその時。
「なになになに!?」
突然周囲が暗闇に包まれる。
「おや。ブレーカーが落ちたんですかね?」
「うっそでしょ!?」
「嘘じゃありません。たまにあるんですよ。
体が冷えたので、ホットコーヒーでも作ろうかと今電子レンジを使っ」
「むりむりむりむり!!」
暗さにパニックになり、我慢ならなくなった乱数が話を遮る。
「無理、と言われましても。」
停電前に乱数が居た方向を見ると、暗闇で何も見えないが、ビビり散らかす乱数が見える。
乱数を恐怖の底から解放すべく幻太郎は、よいしょ、と立ち上がろうとすると。
「えっ。まってまってまって!!」
乱数が焦った様子で声を上げる。
乱数も同じく、暗闇で幻太郎の姿は見えないが、空気の動きで気配が伝わる。
引き止められた幻太郎は、え?と戸惑いつつ、言われた通りに立てかけた膝を下ろし、その場に座った。
「なんですか?今ブレーカーを上げて来ますから」
「ブレーカーってどこにあるの?」
「どこって、玄関の方にありますが……」
玄関へ行くには、この部屋から出て廊下を進んでいく必要がある。
一人取り残される事を察知した乱数は「行かないでよぉ〜!」と懇願した。
「でも行かないと、ずっとこのままですよ?」
玄関まで行かなければ、ブレーカーを上げて停電を直す事ができない。
乱数もそんな事は百も承知だが、いかんせん恐怖が上回り、この部屋で一人で居ることは耐えられない。
「ねえ、一生のお願い、そっち行っていい!?」
せめて落ち着くまで待ってよぉ〜と泣き言を言い出す。
「はあ。仕方ないですね」
一生のお願い、なんて軽々しく言うもんじゃありませ、とまで言いかけたところで、乱数が鉄砲玉のごとく、体当たりでぶつかってきた。そのまますかさず背中に手を回す。
思わず ぐえっ!と蛙の鳴き声のような情けない声を上げる幻太郎を、乱数はぎゅうぎゅう抱きしめた。
「ちょ、ちょっと乱数!力強っ!」
「むり〜!暗いのこわい〜!!」
無理無理の無理〜と言いながら力の限り幻太郎を締めた。
鳩尾を締められる幻太郎はただただ苦しかった。
あと子ども体温なのか、引っ付いた乱数の体から伝わる熱が暑い。
ついさっきまでクーラーを効かせ過ぎかと思っていたのが懐かしい。
その時。
カタン、と別の部屋から物音がした。
「い゙い゙い゙い゙ぃ゙ぃ゙ぃ゙い゙ぃ゙!!??」
幻太郎は「全部「い」の濁音の悲鳴か」と冷静に思った。
「何!?音!?今!?」
パニックで単語しか話せていないが、言わんとしている事は幻太郎には伝わった。
「大丈夫。たぶん大丈夫ですから、落ち着いて。」
「なんでたぶんなのに大丈夫って言えるの〜!?」
顎の真下にある頭からえぐえぐ啜り泣きのような声がする。
ぐりぐり顔を擦り付けている、今まさに服に鼻水が付いてるんじゃないかと思う。
「なんでって……だって貴方が、あんまり怖がるから。」
「その優しさは俺を救わない〜!!」
救いたいんじゃなく落ち着かせたいんです、と思うも、これは言葉じゃなく時間が解決すると思い、はあ、とため息を一つして、しばらくは大人しく締められる事にした。
「はっ」
乱数は急に何かを思い出したように、幻太郎の顎の真下から顔を見上げる。
「幻太郎……シャンプー●リット使ってる?」
「使ってる」
はよ落ち着け!というツッコミが喉元までせり上がってくるが、何とか飲み下した。
「あっ」
今度は幻太郎の方が声を上げる。
「に゙ゃ゙に゙〜」
「いえ、シャンプーで思いつきました。さっきの音は、たぶん風呂場でブラシが落ちた音ですよ。あれ何度水を付けても吸盤のくっ付きが悪くて。」
「そお゙な゙ん゙だ〜」
―――
膠着状態のまま早数分が過ぎた。
いい加減らちが開かないと幻太郎は口を開く。
「無い言葉しりとりをしましょう」
「無い言葉しりとり?」
「この世に存在しない言葉でするしりとりです。小生からいきますよ。
『ススッスススムッス』」
「!?なんかむり!!こわい!!」
「無い言葉なのに!?」
なんだか自分のセンスを否定されたような気にすらなる。
ススッスススムッス――
確かに未知への不安を掻き立てる……かもしれない。
ススッスススムッスという名の架空の生物に思いを馳せている内に、幻太郎に悪い心が起きる。
「乱数、知ってますか?」
「にゃにを?」
「あざらしの顔って、よく見るとけっこう不気味なんですよ。海坊主の正体、という説もあるくらい」
「っっっっおっ前まじでブッ殺すぞ!!??」
恐怖で堪忍袋の緒がキレた乱数が、幻太郎を抱きしめる腕の力を全力で強める。
ぐぐぐぐ、と引き締まる幻太郎の鳩尾。
いい加減この状態にも飽きていた幻太郎は「ぐ」と「え」を足した音で発声される「げええ」という最後の一言を発し、ガクリ、と項垂れた。
―――
「という事があったんです」
「ぶっははは!怖過ぎてブチギレたか!」
想像するとおかしいのか、帝統は小声で大きな笑い声を上げる。
端っこの布団に包まる、すでに夢の中の住人となった乱数に、申し訳程度の配慮をしているらしい。
「笑い事じゃないですよ!」
「まあまあ。乱数にだろー?つかお前も悪いとこあんじゃん」
なんでそこでアザラシの話しちまうかねー?と帝統はとなりの布団に入っている幻太郎がいる方を見る。
「それはそうですが……」
停電事件はその後、今日寝る所を求めてやってきた帝統の登場により幕を閉じる。
ブレーカーを上げたことがなかった帝統は、スマホのライトを頼りに「どれ?これ?」と上げられるスイッチを一つ一つ上げていき、無事夢野家に明かりが戻ってきた。
〆切が迫る乱数は「帝統も居るなら僕も泊まっちゃお✩」と現実逃避の延長を決め込み、早々に眠りに着いたのだった。