モスティマ/アークナイツ「ありがとうございます、ありがとうございます」
その老夫婦は渡された小包みを胸に抱いて、涙を浮かべていた。
「なんとお礼を言ったらいいか……こんなところまで来ていただいて……。私たちにできることならなんでもいたします」
拝むように見上げられ、流れるような青髪のサンクタと思しき女は苦笑した。
「もちろん既に代金はもらってるから——あ。でも、そうだ」
頭の上に浮かんだ黒く染まった輪——それが本来白いものだとは、この辺境の人間たちは知らないだろう。もしかしたら、サンクタ人を見たのすら初めてかもしれない。それを傾け——すなわち、首をかしげながら。女はにっこりと笑って尋ねた。
「この辺りで一番美味しい食べ物って何?」
モスティマは小型の飛行艇の中で、膨れた腹をさすっていた。
「ふう、すっかりご馳走になってしまったな」
辺境というだけあって飲食店がほとんど存在せず、ならば昼食を一緒にどうかと誘われた。家庭料理など久しぶりだった。質素ではあるが美味であった。
「食材も満足に手に入りませんが、その分手間だけはかけるんですよ」
積み重ねた年月を感じさせるように、誇らしげに老妻は笑みを見せた。それはとても素晴らしいことだ、とモスティマは答えた。
満腹の心地よさにうとうとと微睡んでいるうちに目的地に着いた。この辺りでは一番大きな街だ。砂漠を越えるトランスポーター達が補給を行う場所である。
夜の街を勝手知ったる様子で歩き、彼女はとある店に入る。看板もなにも出していないが、其処では確かに商売をしている。
「やぁモスティマ」
薄暗い中、奥で影が蠢く。背の低い男がむくりと顔を出した。ニット帽を深く被り、常に俯きながら喋るので種族は分からない。最も、モスティマが気にしたことは一度もない。
「お久しぶり。荷物、受け取りにきたよ」
「そのことなんだが、残念ながら輸送ルートで事故があったらしくてね。到着が遅れている」
「どれくらい?」
「長くて一ヶ月ほど」
「そんなに?」
モスティマは苦笑した。
「参ったな。こんな狭い街に一ヶ月もいたら、全部の店のご飯を軽く三周は出来そうだ」
「代わりとは言ってはなんだが——」
男はモスティマの軽口を聞き流し、封筒を差し出した。
「急ぎの仕事を頼まれてくれないか。ちょうど中距離以上のトランスポーターが出払っているんだ」
「ふうん、手紙?」
モスティマは封筒を手に取り、くすんだ電球の灯りに透かす。中身が見えることはないが、危険物ではないようだ。
「ああ。砂嵐で電波障害も多いから、未だにここでは重要な伝達方法だ」
「私は好きだけどね、手紙」
「出したことがあるのかい?」
「まさか」
当然のように、彼女は即答した。
翌日、早速モスティマは伝手を使って巡回キャラバンのトラックの荷台に乗り込んでいた。
ガタゴトと揺られ、どこまでも続く黄土色の砂地を眺めながら。荷物からサンドイッチの包みを取り出す。
「まぁ、こういうところで食べるから美味しいということもある」
言い聞かせるように独り言ち、口に入れ——
「うえ、ぺぺっ」
顔を歪め、すぐにまとわりついた砂を吐き出した。
出しきれなかった分は水で押し流しながら、腹拵えを終える。
基本的に移動時間は暇だ。次から食事も携帯食料になる。油っぽくて変に甘く、味気のない、カロリーを摂取するためだけの食事。
炎国の魚団子の味が懐かしくなった。この辺りでは魚を手に入れることも難しい。
けれでもそういった不便さを楽しめることも、良いトランスポーターの条件だ。
数日後——
トラックの速度が落ちたような気がして、眠っていたモスティマは目を開いた。幌から顔を出すと、先頭にオフロードのバイクが併走している。バイクを運転するまだ年若い少年と、運転手が言葉を交わしているのが見えた。
バイクが走り去るのと同時に、合図と共に隊列の速度がゆっくりと落ちてゆき停止する。モスティマもトラックを降り、前方にいたリーダーに尋ねた。
「今のは?」
「天災トランスポーターだ」
年若い少年が告げたのは、モスティマの目的地である一帯に、大型の嵐が発生するといったものだった。
「早くて一週間、遅くて一ヶ月。姉さんも急いだ方がいいぜ」
「そうだね、ありがとう」
この大地において天災は珍しいことではない。モスティマはトランスポーターらしく冷静に頷いた。
目的地には、明日の朝には着く予定だった。
天災の予報は既に届いていたらしく、その村は既に慌しかった。移動都市の仕組みも万全ではないこの辺りでは、多くの家屋をそのままに避難するしかないようだった。村のまとめ役らしき老人が、キャラバンの隊長と緊迫した様子絵話し合いを始めている。
道を聞ける状況でもないが、確認できないほどの家の数でもない。モスティマは忙しなく行き交う人々の合間を縫って歩き、すぐに目当ての家を見つけることが出来た。
ポストに投函してもよかったが、一応ノックをする。すぐに、品の良さそうな中年の女性が顔を出した。耳の形を見るに、ヴァルポだろう。
「忙しいところ申し訳ない。トランスポーターだよ」
事務的に素早く告げ、モスティマは封筒を彼女に手渡した。
「どうぞ。貴女宛の手紙」
「ええと……」
状況にそぐわないモスティマの振る舞いに女性は戸惑ったようだが、促されるままに封を開けた。
モスティマにとって重要なのは、依頼の荷が確かに相手に届いたかであって、中身には興味がない。女性が文面に目を通し、驚愕したように目を見開いた様子を確認すると、踵を返す。
「それじゃあ、たしかに届けたから」
「待ってください!」
女性は穏やかそうな外見からは考えられないような大声を出した。上着を強く掴まれて進めない。モスティマは振り返る。
「ん? どうしたの?」
「お願いです――私を、この差出人のところまで届けてもらえませんか?」
モスティマは微笑みを絶やさなかったが、困ったように眉根を寄せた。
「悪いけど、人間のお届けは引き受けてないんだよね」
「お願いです! お金なら倍、いえ三倍――いくらでも払いますから……! 多くはありませんが、主人が遺してくれた蓄えがあります」
「それはもっと大事に使った方がいいと思うけどなぁ……」
モスティマは、困ったようにぼやいた。
「天災の規模は大きいよ。まずは避難を優先した方がいいと思うけど、なにをそんなに急いでるんだい?」
「妹が……妹が、もう長くないと」
手紙を握りしめた女性の手は、ひどく震えていた。見開いた瞳から涙があふれだし、ぼろぼろと零れ出す。
「まだ会えるかもわかりせんが、たった一人の家族なんです……」
モスティマはため息をついた。
彼女はあまり悩まない。
「仕方ないなぁ」
トランスポーターとその荷となった二人組は、とあるトレーラーの貨物部分に押し込まれていた。
「本当は源石装置と人間を一緒に輸送しちゃいけないんだ。内緒だよ。防護処理はしてあるだろうけど、平気?」
辺境での感染者の扱いは身に染みているのだろう。彼女は怯えた表情を見せたが、すぐに気丈に頷いた。
「大丈夫……です」
「そ。まあでも、機材には不用意に触らないようにしてね」
モスティマはポケットから携帯食料のバーを取り出して二つに割ると、片方を女性に差し出した。
「はい、半分こ」
「あ、ありがとうございます」
「美味しくないでしょ」
「いえ、そんなこと」
食べ終わってしまえば、精密機器を運ぶトレーラーの揺れはトラックよりはましだ。モスティマは、慣れた様子で上着を床に敷くと、ごろりと寝転んだ。
女性は、小さな手帳を見つめている。無遠慮に覗き込むと、古びた写真が挟まっていた。
「それ、妹さん?」
「……はい」
女性は懐かしそうに微笑んだ。滲んだ疲労が和らぐ。
「妹は元々身体が弱くて……小さいころ、両親は妹にかかりっきりでした。だから、私は妹が嫌いでした」
ぽつり、ぽつり、と彼女が語りだすのを、モスティマは黙って聞いた。
「早くに、遠くへ嫁いだのもその反抗心だったのかもしれません。けれども両親が死んで、夫も早くに亡くなりました。どうしてもお互い、故人との思い出の場所を離れがたくて……いつの間にか、彼女との手紙のやりとりが心の支えになっていたんです」
だから――彼女の視線が、写真からモスティマの方へ向いた。
「トランスポーターの方には、とても感謝しているんです」
「仕事だからね」
モスティマの言葉が簡素だったが、声はどこか楽しそうに弾んでいた。彼女はそのままごろりと寝返りを打ち――そしてすぐに、急停止によって受けた衝撃をいなすしながら、素早く飛び起きた。
「な、なにが――」
したたかに身体を壁にぶつけてしまった女性は、目を白黒させながら身を起そうとしている。モスティマは答えるより先に、扉を蹴破るようにして外に飛び出した。
「いるんだよね、こういうの。火事場泥棒ってやつ……」
天災の混乱に乗じて悪事を働こうという人間は残念ながら少なくない。過酷な土地ではなおさらだ。
「ひっ……」
遅れてやってきた女性は、トレーラーを囲むループスの群れを見て、引きつった声を上げた。砂漠を縄張りにする盗賊のことは、彼女も知っていたのだろう。
「時間がないっていうのに、まったくもう。仕方ない、今回は大サービスだ」
雨はまだ降り出していないが、暗雲が立ち込め、風が強く吹いていた。
モスティマは鮮やかな青の髪をたなびかせ、常に携帯している、白と黒で対になったアーツユニットを引き抜いた。彼女のアーツに反応して、わずかに光を帯びる。
「君たちに恨みはないけれど、こちらもお仕事なんだ」
モスティマを見上げる女性は強くまたたきをした。一瞬、モスティマの背後に、強大な化け物が見えたような気がしたのだ。
「生きるとはこういうことさ」
彼女の笑みが深くなった。
*
砂漠の向こうの天災など知らないように、訪れた街は平穏だった。
とある病院の廊下で、モスティマは待っていた。ほどなくして扉が開いて、ヴァルポの女性が出てくる。
「お別れは言えた?」
「はい、ありがとうございました。モスティマさん」
女性は、深々と頭を下げた。
「すみません、こんなところまで来ていただいて」
「元々荷待ちの時間だったからね。暇つぶしだよ」
モスティマはあっけらかんとしていた。お世辞にも気遣いのある言葉ではなかったが、不思議とその物言いが気にならない雰囲気を持つのがモスティマというトランスポーターだった。
「本当にお礼はあれだけでよかったんですか? 他にできることがありましたら——」
「正規料金の三倍はもらってるさ。ペンギン急便は良心的なんだよ」
「はぁ……」
突然出てきた名称に、女性は不思議そうに生返事をする。モスティマは意に介した様子もなく、あっと思い出したように声を出した。
「ここ、君の故郷なんだよね」
「ええ、嫁ぐ前まではここで暮らしていました」
「ならさ、おすすめのご飯を教えてよ」
街角に立ち、建物の壁にもたれかかりながら。モスティマはハンバーガーの包みを開く。人通りを眺めながら、大きく一口。
「うん、美味しい」
味が濃くてボリューミーだ。いかにも学生に人気がありそうだ。グラビア料理に少し似ている。
「姉妹愛かぁ……いいものを見せてもらったね」
まるで他人事のように呟いて、モスティマは口いっぱいにハンバーガーを頬張る。ソースは素朴なケチャップだが、肉は独特の風味で、野生的な味わいだった。この辺りにしか生息していない獣のものを使っているらしい。
ハンバーガーを食べ終わると、紙袋から一緒に購入したデザートのケーキを取り出す。ケーキといっても食べ歩きがしやすいように、細長いバーの形をしている。あの不味い携帯食料を連想させるが、頭の隅に追いやった。
クッキー生地にクリームチーズとドライフルーツ。甘い。とにかく甘い。サンクタの頭すら痺れさせるような、強烈な甘さだ。
「エクシアが好きそうだ」
モスティマは呟いた。土産にしたらきっと喜ぶだろう。
けれども彼女は遠くにいてそんなことは叶わないので、ぺろりと一口で平らげてしまった。