シルバーアッシュとプラマニクス/アークナイツ 階下から音が聞こえ、編み目を数えていたエンヤは手を止めた。編み棒を傍のテーブルに置き、部屋を出る。階段を降りながら玄関を見れば、兄が雪のついたコートを従者に渡すところだった。
「お帰りなさい、お兄様」
「エンヤ」
兄は出迎えた妹の名を呼んだ。彼が笑うことは少ないが、口元がわずかに緩んだのがわかる。
「まだ起きていたのか」
「ええ、お兄様が帰ってくる日ですから」
「エンシアは」
「まだ戻っていません。今度の山は張り切っていましたから——あまりヤーカおじさまに迷惑をかけていなければいいのですけど」
お転婆な妹のことを考えて苦笑しつつ、さあ、とエンヤは兄の袖を引いた。
「冷えたでしょう。お茶を淹れますね」
昔に比べれば、使用人の数は随分と減ってしまった。けれどもエンヤは、密かに自ら身の回りのことをすることが好きだった。誰かに傅かれるより、大事な家族のために何かをしてあげたいと思う。兄の土産である紅茶の葉にお湯を注ぎ、その香りを胸いっぱいに吸い込む瞬間が幸せだと思う。
「おまえは何処か、行きたい場所はないのか」
エンヤの淹れた紅茶に口をつけた兄が不意に尋ねた。エンヤは瞬きをし、彼の顔を見つめた。そんな兄は、来月にはもう国外へと留学する予定だった。
「いいえ、ありません。私はこの家が好きですもの」
エンヤは微笑を浮かべて首を振った。険しい山と降り積もる雪しかないこの場所で、エンヤは静かな生活を愛していた。豪勢な食事も、煌びやかな装飾品もいらない。美味しい紅茶があって、思うままに本が読めて、家族に似合う模様を考えながら刺繍をする——それだけで、彼女には充分だった。
「けれどもいつかは出ていくだろう」
「どうしてです?」
兄の言いたいことが分からず、エンヤは首を傾げた。ティーカップの向こうで、兄が苦笑するのが見えた。珍しいことだった。
「想い人でも出来れば、きっと自分からそう言い出す」
「そんなことありません」
エンヤはまだ子供らしさが残る頬をむくれさせた。
「私は、お嫁になんて行きません。ずっとここで、お兄様の帰りを待ちたいのです」
あの頃はまだ、心からそう思っていたのだ。
それができると疑わない、幸せな時間だった。