運命にさよならをそれはまだ、僕らの間にある縁がひどく捻じくれたりしてなかった頃の記憶。珍しくかっちゃんが僕の家にいて、一緒にヒーローの動画や番組を観ないでお昼にしていた名前も覚えちゃいないドラマを観ていた記憶。そのドラマでは二人の男女が運命の番で、険しい道程を越えて結ばれるという陳腐でありえない話だった。
「ねえ、このうんめいのつがいってなんだろう?」
その頃にはもう、運命の番なんていうシステムは完全に排除されつつあった。だから、当時の幼い僕らは結婚とか番とかは知ってても、運命の番なんて知らなかった。
「しらねえことばだよな」
かっちゃんと僕が不思議そうに観ているのを見たお母さんがころころと笑いながら教えてくれた。
「あら、それはね」
小学6年生全国一斉バース性検査のおしらせ。帰りの会の時間、配られたプリントをじっと読んでいる間に先生が説明をはじめる。
「来週火曜、午前中がこのクラスに割り当てられた時間です。健康診断みたいなものです。来れなかったら自分のお家で病院に行かなくちゃいけなくなるから体調が悪いとかじゃないんなら来たほうが良いよ。連絡は以上。早く帰りなね」
日直の子が帰りの挨拶をする。起立。礼。さようなら。静かだった教室が一気にざわざわとし始める。落ち着かない。補助バックにプリントを入れ、のたのたと忘れ物はないか確認しているうちに、後ろの方で話している子たちの声が嫌でも耳に入ってくる。
バース性ってなに?え〜、知らないの?男と女以外にも性別があるんだって。そうなの?そうそう。番ってあるでしょ。首の後ろに傷がある人が番のオメガなんだって。オメガの人とアルファの人でしかなれないらしいよ。ベータが一番多いんだっけ。らしいね。次にアルファで、最後にオメガ!3種類だけ?うん。そう。アルファって見た目が綺麗とか格好いいとか、強個性とか優秀な人が多いらしいよ。うちのクラスだとミツルちゃんとか、2組だとカツキくんとか3組はキヅキくんとか?あぁ、ぽい!私もアルファだったりせんかな。最近はアルファの人数が多くなってきてるらしいしありえる。ね。楽しみだね
幼馴染の名前が出てきて少し反応してしまう。ああ、駄目、駄目。興味なんて出さないほうが良い。だって、いつも眩しくて格好いい彼はどうしてだか、僕の事を目一杯嫌っているんだから。考えない方が、きっと良い。帰ろう。ランドセルを背負った僕に気づいた隣の席の子が僕に声をかけてくれる。
「緑谷くん、もう帰っちゃうの?」
「うん。じゃあね」
「また明日ね。ばいばい」
6年生になってから、僕とかっちゃんはクラスが分かれた。今のクラスは、今までかっちゃんや僕と一緒じゃ無かった子比較的が多くて、少しだけ息がしやすい。でも、バース性の話題はなんだか居心地が悪かった。
「はやく帰ろ」
廊下を早足で進む。きゅむきゅむ、と上履きが鳴る。靴箱に出る曲がり角を曲がろうとした時に誰かとぶつかった。
「わあ」
ぐらりと体が後ろに傾いてお尻からべしゃりと倒れた。
「ってえ」
「わ、ごめん」
ぶつかった事が申し訳なくて反射みたいな速さで謝ってしまう。顔を見て謝らなくちゃ。
「どんくせえ。やっぱデクはデクのままだな」
まずい。噂をすればなんとやら。別に僕が話題にしてたわけじゃないけど。
「あ、う。ごめん。かっちゃん」
つい、へらりと笑ってしまう。ぶつかった僕がこけて、ぶつかられた彼がこけてないなんて、やっぱりかっちゃんはすごいな。
「いつまでケツを床につけてんだよ。汚えぞ」
今日はどことなく機嫌がいいようで、いつもある棘みたいなものが少ない。
「あ、そうだね」
立ち上がって荷物が散ってないか確認する。ランドセル、大丈夫。かばん、大丈夫。ふと目をやるとかっちゃんの足元にプリントが落ちている。
「あ」
「あ?これか」
かっちゃんがひょいとプリントを拾い上げる。本当に珍しい。彼がこんなに親切なんて。いつ以来だろうか。
「おらよ。お前んトコも今日だったんだな。これ配られんの」
「う、うん。帰りの会の、ときに」
「楽しみだな」
かっちゃんが笑う。あ、これ、なんか、嫌だ。心臓がぎゅってなる。きっと、他の人が見たらどうってことない筈の顔。いやな、笑い方。やだ、はやく、やめてほしい。
「そうだね。そういえば、他の子が一緒に居ないなんて珍しいね」
きっと、喋らないで帰った方が良いのに。怒鳴られないで、嫌なことを言われないで話せることが嬉しくて、つい続きを貰うための言葉を出してしまう。
「うるせえから教室にほっぽってきた。どいつがオメガだ、アルファだって」
「かっちゃんのクラスも、そうなんだ」
「ん。なあ、デクも俺がアルファだって思うか?」
「う、ん。だって、かっちゃん賢くて、個性だって凄いし」
僕の言葉を受けたかっちゃんが何処となく自慢げに笑う。嫌われる前までよく見てたキラキラとした眩しい笑顔。
「まあ、俺がいっちゃんスゲエからアルファなのは当たり前だよな」
嫌な予感がした。
「そんで、お前はオメガだろ」
「え」
息が、しにくい。
「なん、で」
「なんでって。俺がアルファならデクはオメガだろ」
当たり前の事を言わせるなというようなかんじでかっちゃんはそう言う。
「でも、だって、オメガは少ないって。だから、きっとかっちゃんの思い違いだって」
もう、怒鳴られたって良いと思った。じゃないと、僕は。
「ゼロじゃねえし、無個性は話が変わるんだよ。」
無個性という言葉に、僕は何回打ちのめされるのだろうか。目の奥がつきんと痛む。そんな僕にかっちゃんは手を伸ばす。
「それに、デクからずっと、甘い匂いがする」
いつもからは考えられないほどやわらかい声。優しく首の裏に手を添えられて、僕は世界が壊れていくような心地がした。
「は?」
信じられない、そんな感情がいっぱい籠もった声。僕が、かっちゃんを突き飛ばしたから。
「ごめん。引き止めて。帰るね」
一目散に靴箱に駆けて行く。涙が止められない。かっちゃんの顔を、見られない。
「あ、おい!デク!」
怒ったような声でかっちゃんが僕を呼ぶ。きっと追いつかれると思ってたけど、丁度かっちゃんのクラスメイトがやって来て、彼を囲んでいた。
「どけよ!」
かっちゃんが怒ってもなれっこみたいに笑って彼らはいなす。僕は走った。全力で走って、一気に家に帰った。お母さんは出かけてるみたいで、家の中はとても静かだった。涙はまだ、止まらなかった。嫌だ。オメガなんて。だって、今僕のフェロモンがわかるってことは、きっと運命に違いないから。この感情が、君を好きだと思う事が運命のせいなんて思いたくない。
現代の社会において、運命の番の存在は忌避され、無いものとして扱われている。というのも、バース性が発生した当初は問題はなかったのだが、時代とともに運命の番によって人生が酷い物へと変わる人間が増えていったしまったためだ。仲睦まじい恋人が運命を見つけて変わってしまった人。運命の番だというだけで無理矢理番にされ、酷く傷つけるられた人。運命の番に、自分の番を奪われた人。そういった問題を無くすべく、運命の番というシステムは医療技術によって停止されるようになった。全国一斉バース性検査はその一環だ。現代の技術では、およそ12歳前後からバース性を判定することができる。αやΩのバース性が覚醒するのは一般的には15歳ほど。フェロモンを感知できない時期に処置を済ませ、運命の番を認識させなくしてしまうというわけだ。Ωは項、αは舌下に注射剤を打ち込まれ、運命の番を感知できなくされる。個人の医院でも予約さえすればできる簡単な施術。それに加え、判定結果が出てすぐ始まる抑制剤の常用、緊急抑制剤の携帯義務により、ヒート並びに運命の番に関する事件の件数が著しく低下した。
「緑谷さん、簡潔に言うと今の貴方はほぼβと変わりない。Ωとしての機能の殆どが休眠状態になっている。各種数値もβのそれへと移行しつつあります」
「世界的に、いや歴史上でもかなり珍しい部類です。そもそも、現在の体制で変性することなんてまずもって無い。個性の発現が遅れた影響でしょうか」
「えっと」
「ああ、すみません。ええっと、過去にバース性が稀に変性する事例が何件かあったことは知っていますか?」
「あ、はい。知識として、一応。今のバース性の抑制施策が行われ前にあったと。」
「ええ、そうです。しかし、βがαやΩに、αがΩに変性する事例はあるのですがΩが変性する事例はとんと無い。変性した人間は大抵が上位のαやΩのフェロモンを過剰に受けて成ります。ですが、Ωはそうはならなかった。フェロモン受容器官のキャパシティの問題なのか、それとも他の要因があるのか。なにはともあれ、緑谷さんの存在によってバース性の研究が進むかもしれませんね。ああ、勿論、緑谷さんの許可を取ってからの研究となるので。安心してください」