運命礼讃「みずきさんは、つがいをつくらないんですか?」
煙草を呑みながら胡座をかいた水木の股の間にすっぽりとおさまった鬼太郎は膝を抱え、まんまるとした無垢な瞳で水木を見上げそう問いをこぼした。
「つがい、って嫁さんのことか?そりゃあ、ずいぶんとまあ今更なことだなあ。こんな男、誰だって相手にしないさ」
少しばかりガタつく丸い卓袱台に置いた灰皿に短くなった煙草をぎゅむりと押し付けながら、クツクツと笑い、歌うように水木は言葉を選ぶ。
「鬼太郎、かわいい鬼太郎や。俺だけでは物足りないか」
水木は鬼太郎の小さい体を抱え込む。そして身体全体をゆうらゆうらとゆるくゆすりはじめた。それはまるでぐずる赤子をあやすようなあまやかさとやわらかさを伴って。
「ちがいます。ぼくは、みずきさんがいい。みずきさんだけがいい。でも」
鬼太郎は続く言葉をうまく吐き出せないのか口をもごもごとさせる。
「でも?」
とてもやわらかい声がもたつく鬼太郎の言葉を促す。鬼太郎を見つめる瞳はやわく、あまく、美しかった。
「うんめいのつがい、というものがあると、そう、とうさんにききました」
やっとのことで言葉にされたそれは水木にとっては全くの意識の外の事象だったのか、ひとつ、ふたつと世話しなく目を瞬かせて、思考を巡らせているようだった。
「うんめいのつがい」
まだ言葉の意味を理解できていないのか、水木はいつになく拙い言葉で鸚鵡返しをした。
「はい。いつか、みずきさんもうんめいにであって、つがいになるのかなって」
少しばかり寂しそうな感情が滲んだ声で鬼太郎はそうぽしょりと呟いた。すると、水木は驚いた顔をした後に破顔した。
「ふ、ふふ。あっはっは!」
最初はこらえようとしていたようだが無理だったのか大きく笑いはじめた。
「なんでわらうんですか」
鬼太郎はもぞもぞと水木に体の正面が向くように動き、ぶすりとした表情を作り上目遣いに水木を睨めつけた。
「ん、ああ、すまんすまん。ふ、ふふ。鬼太郎。俺にはそんなものないんだよ」
我慢できない笑いを途中でこぼし、むすくれた鬼太郎の頬をむにむにと触りながら水木は話す。
「なんでですか?」
水木に触れられることが嬉しいのか鬼太郎は少しだけ不満気な顔をやわらげた。鬼太郎に問われた水木は穏やかな声で質問に答える。
「運命の番というのはな、アルファやオメガのもので、俺みたいなベータにはいないんだよ」
水木はベータであった。しかし、鬼太郎にはそれが不思議なことであったようだ。
「みずきさんはあるふぁかおめがではないんですか?」
不満気な顔を作ることも忘れて、至極不思議そうに鬼太郎はそう訊ねた。
「まさか。俺はそこらにいるただのベータさ。どうしてそう思ったんだ?」
「だって、みずきさんからはずっといいにおいがしているから」
首を少しばかりかしげながら鬼太郎はそう返した。
「ヤニ臭いだけだと思うんだがなぁ」
自分の臭いなんてそうわからないだろうに、水木はすん、と自分の臭いを嗅いでみせながらそうぼやいた。
「いいえ、いいにおいですよ。たしかにけむりのにおいはしますが、それいじょうにやさしくって、あったかいにおいが」
「へえ。幽霊族ってやつは嗅覚もどことなく、俺達人間とは違うのかねえ」
わからんな、と水木は首をかしげた。
「いいえ。とうさんはみずきさんからはけむりのにおいばかりだと」
「そりゃぁまた、どういうことか」
「ゆうれいぞくは、おめがかあるふぁのにたくだそうです。だから、みずきさんのふぇろもん?にはんのうしてるんじゃないかってとうさんが」
「ははあ、なるほど?いや、それなら目玉だって気づく筈だろう。アルファやオメガはフェロモンの察知に長けているんだから」
「とうさんはおかあさんいがいのそういうにおいをかんじるのがわずらわしいからとまじないでじぶんのはなをつぶしたそうです」
「はあ、なるほど。随分と目茶苦茶なことをしてんだなぁ」
「みずきさんは、べーただからうんめいにであえないんですか?」
「ああ、そうだよ。いや、運命にはもう出会ってるな」
「え」
「ははっ、鬼太郎。お前さ。俺の運命は」
「ぼく…」
「そうだよ、鬼太郎。可愛い坊や」
「じゃあ、みずきさんはぼくのつがいになってくれるんですか?」
「真逆。俺はベータだし、アルファやオメガでも親子では番わんよ。ははあ、お前、さては混乱してるな。妖怪関係以外だと案外お前はおっとりしてるからなあ」
「してないです。だって、みずきさんがぼくをうんめいだっていうから」
「言ったろう。ベータには運命の番は存在しない。でもなぁ、俺はお前と出会ったことを運命だと思っているよ」
「みずきさんはこれからさき、だれともつがわないんですか」
「ああ、そうだ。きっと、俺の全部はお前のために使っているから」
「ぜんぶ、ぼくに」
「じゃあ、ぼくのつがいになってくれてもいいじゃないですか」
「駄目だ。俺は、お前の番にはなってやれない」
「どうしてですか?ぼくは、ずっとみずきさんといっしょにいたいのに」
「言っただろう。親子では番わんと。なあ、鬼太郎。俺はお前を大事な息子だと思っているんだ。養い子をそういった相手にするなんてのは下衆のやることだ」
「じゃあ、やくそくをください。うまれかわってもぼくのうんめいでいてくれるというやくそくを」
「鬼太郎、お前は俺の運命だが、お前の運命は俺ではないよ」
「いいえ、あなたはぼくのうんめいです」
「うーん。それにしても、生まれ変わりなんぞあるもんかねぇ」
「それは、ぼくにもわからないです。でも、やくそくがあったら、きっとあんしんできる」
「安心、ねぇ」
「ね、おねがいです」
「しかたない。わかったよ」
「ゆびきりしましょう。みずきさん」
鬼太郎は左手を差し出した。
「ああ、わかったわかった。ほれ」
鬼太郎のやわらかく小さなこどもの小指と水木の歳を重ねた少し乾いたおとなの小指が絡み合う。
「ゆびきりげんまん、うそついたらはりせんぼんのーます」
呪いの言葉を鬼太郎が紡ぐ。音につられて上下にゆらゆらとふたりの手がゆれる。
「ゆびきった」
最後の言葉をきっかけに水木と鬼太郎の小指がぱっと離れた瞬間、薄朱の輪がそれぞれの小指にあらわれた。
「うお?!なんだぁ?こりゃあ」
「やくそくのあかしです。だいじょうぶですよ。だいたいのにんげんにはみえません」
鬼太郎は嬉しそうに水木に抱きつき腹に顔をすり、と押しつけた。
「そう、か。なら、いい。」
「なんだか、指輪みたいだな」
どこかぼやけたような雰囲気で水木はそうこぼした。無意識のうちに、きっと、水木は自分が言った言葉に気づいていないだろう。鬼太郎は心底嬉しそうに頬を紅潮させヒヒ、と笑った。鬼太郎の目には水木の目には見えない赤い糸が見えた。鬼太郎と水木の小指と小指を結ぶ赤い糸。水木の首にぐるりぐるりと絡みつく赤い糸。契約は成された。これで水木は死後に魂を雪がれても鬼太郎の運命としてまた出会うだろう。
「ありがとうございます。みずきさん」