とまり木、羽やすめ。1.
とりあえず第一世界へ。
みんなの視線を受け、そう答えた。
瞼の裏に、あの、果ての星空の光が、ちりちりと焼き付いている。
彼らの背中を、瞼越しに見ると、今でもあの瞬間が目の前にある。願いと、強い意志を示した、あのときが。強烈な孤独のイメージと、彼らの背負っていた大切な想いや託された願いの重み。暗くて美しかったあの星空とか。
目を開いて、うん、大丈夫。大丈夫。ちゃんといる。
大丈夫のはずだ。
笑って、また、と手を振った。一時の別れで、彼らは振り返る人ではない。
背を見送った。喉が上手く息を吸えなくて、変な音を立てた。慌てて喉と口を抑える。変な汗が吹き出るような感覚。焦っている、動揺している、と冷静にどこかで考えている自分がいた。気付いてくれるなよ、そのまま振り返らずに行ってくれ。
ふらふらと背を向け石の家の扉を開いて入る。脂汗が酷い、あとこれは涙と、なんか色々。
なんか呼ばれてる気がするけど、なにかを話しかけられている気がするけど、それどころじゃない。ごめん、また今度でいいか、今は少し立て込んでいて。
あの時のような強さはどこに行ったんだ、あの時は、ちゃんと立てた、それはどこかで、みんながそばに居ると感じていたからだろうか、いまは、ひとり、だけど、そうか。ちょっとさみしいけど。
空気が回らず、視界が暗転、倒れ込んだのか受け身を取ったのか覚えていない。
+++
ボトルワインがだめだ。いや、注がれた酒がダメかもしれない。むしろ液体が無理かも。自分はいいけど、見知った人がそれを口にする時、酷く動悸がする。でもそれだけ。それさえ抑え込めば平気だ。
盾を持った人の背中が苦手だ。人を盾にするのがダメなのかも。でもそれも、ただ酷い抵抗感とか、不快感が伴うだけで、目の前の敵を見据えて武器を握れば平気だった。
今回だって、ちゃんと地に足をつけて立っていれば平気だったはずだ。はず。今となってはそうとは言えないけれど。少し油断した。気が緩んでいて、心が無防備になっていた、んだと思う。皆の前だったのに、情けない。
意識が戻った感覚、心臓が痙攣してるのかってくらい脈打っていて気持ち悪い。
「ここ、どこ」
見慣れた天井、石の家だ。
「みんなはちゃんと、行った?」
迷惑かけてないだろうか。
「誰が運んでくれた?」
まだ残っていた暁のメンバーか、酒場にいた連中か、音を聞き付けたレヴナンツトールの冒険者か。
「オレだけど」
聞き慣れた声が、私の独り言に返事をした。
目を開いて慌てて起き上がろうとすると、落ち着け、とベットに押し戻された。まじか、最悪だ、最悪だ。
肩を押さえつけられて、触れている手のひらから、布越しにじんわりと体温が伝わってくる。見上げた先の赤い瞳が私を見ている。
「あんたに話忘れたことがある」
「……」
「と、言って。オレだけ引き返してきた。耳はいいんだよ。変な音が聞こえた気がして」
「タタルさんは」
「部屋の外。みんなに連絡するかどうか悩んでたぞ」
「そう、その。ごめん。えーっと。水を差してごめん。ありがとう、もう大丈夫だから」
「置いていかないで、と言ったのは、あんただ」
今まででいちばんタチの悪いトラウマだ。パニックにでもなって、うっかり口を滑らせたのだろう。ここまで進んできたのも、一人は嫌で、やっと手に入れた居場所を守るためで、だからその暁の解散に少し不安があったのも、理由だろうか。視界も滲んでいた気がする。だめだ、さっきのことを思い出そうとしても、思い出すのは、あの星空と冷たい空気だ。
肩から手が離されて、そのままベッドに腰掛けた彼の横顔を眺める。
「焦らなくても、別にまだのんびりしてていい。何か欲しいものがあればとってきてもらおう。オレはここにいる。それで、落ち着いたら一緒にオールド・シャーレアンに行くぞ」
「……その。迷惑かけられないというか。逆に一人になった方が安定すると思うというか」
「駄目だ」
「……頼むよ。それに、第一世界の様子だって見に行きたいし。グ・ラハだって、向こうがどうなってるか気になるでしょ」
「それでも、駄目だ。一度一緒に分館に帰ろう。ナップルームでちゃんと寝て、一人が嫌なら同じ部屋にいてやるし、そこから出掛ければいい。オレが見送ってやるから」
+++
タタルさんは目に涙を浮かべて心配してくれたけど、みんなには言わないでもらった。分館に行くにあたって、クルルさんには言ってもいいか聞かれたけれど、それも断った。ちょうどセブンスヘブンにいた人達には、私はまだ完治してなかったので気絶したこと、口外はしないで欲しいことを伝えたとのことだった。
三人で夕食を食べて、一晩眠った。寝たのは未明の間で、ベッドを三つ、私を挟んでタタルさんとグ・ラハも一緒の部屋で寝た。両側から静かだけど途切れることがない会話に相槌をうちながらいつの間にか寝て、起きたら朝だった。朝食は、フ・ラミンさんも一緒にあのカフェでとって、それから、私達は彼女たちに見送られて、石の家をあとにした。
私はといえば、最後まで地味に抵抗していたのだけれど、本気の彼には抗い切れず、オールド・シャーレアンまでテレポした。私の後に、エーテライト前に現れたグ・ラハは、私がきちんとここにとんだことに安堵した様子で小さく息を吐き、私の手を引いて歩き出した。
英雄だ、手を繋いでる、なんて声が聞こえて、腕を軽く引くと、ぎゅっと手を握られたので、離すことは諦めた。
「この街もすっかりいつも通りだな。あの時のお祭り騒ぎが跡形もない」
「そうだね」
「詳しい事情は告げていないが、あんたを連れて来ることは連絡してある」
「うん」
「ぐっすり眠れるように、ふわふわの布団を用意しておくってオジカも言ってた」
「うん」
太陽の光が、前を行く彼を照らしている。
目を閉じて、瞼の裏に星空が見える。手のひらに感じるぬくもりが、一人ではないことを教えてくれる。
太陽。アーゼマ、アジム。由来はおそらくアゼムだと、ウリエンジェが言っていたのを思い出す。つまり私の魂は、太陽のような人が分かれてできた、太陽の欠片だ。グ・ラハはサンシーカーで、私の魂に残る太陽を見ているのだろうか。みんなも、私ではなくて。と、考えたことはある。エメトセルクが私に重ねて見た、かのものの輝きにきっと遠く及ばないのだろう。それこそ太陽のなり損ない、もしくは、ほんの子供程度。
「グ・ラハ」
「なんだ?」
どうして、ここまでしてくれるのか、聞こうと思ってやめた。これ以上のことは今までだって、最大のものは第一世界であたえてくれた、そんな彼にとってこんなのは、なんてことない程度のことだろう。当たり前だと思っている。
「君って私より小さいけどさ」
「おい。気にしてんだよ、こっちは」
「でも手は大きい。羨ましいな」
「……羨ましいって、なんだそれ。武器を握りやすいってことか?」
「よく分かったね」
バルデシオン委員会の分館に入れば、オジカが手を振ってくれる。クルルさんがメインホールからパタパタとかけて来て、軽く挨拶をする。グ・ラハを呼びに来たらしく、だから手をそっと離した。二人の視線が、さっきまで繋がれていた手に向いて、その上グ・ラハまで振り返って私を見た。
「じゃあ、とりあえずナップルームまで送ってくるから」
「いや、お構いなく……」
「いいから来てくれ。渡しておこうと思った本もあるんだ」
「それなら、まあ」
にこにこと見送られる、二人の笑顔に、どうか変な勘違いをしないでくれと念じる。いや、変に意識してるのは私の方だろうか、彼はただ、仲間のためを思って行動しているだけで、他意はない、多分。
グ・ラハが使っている部屋に入って本を渡された。それから、私が使っていた部屋の前まで来て、立ち止まる。
「じゃあ、何かあったらリンクパールでも、ホールのオジカ経由でも、直接こっちに来てくれてもいいから教えてくれ。あと、オールド・シャーレアン内は良いけど、どこか行く時は声をかけて欲しい。それから、今夜は一緒に夕飯食べよう。クルル達も誘ってさ」
「わかった。君も、張り切るのはいいけど、いきなり無理しすぎないようにね」
彼が去るのを待っていると、いつもは、それじゃあ、と去っていく彼が、私を見たまま立ち止まっている。なんとも言えない沈黙が私たちの間を流れた。それから少し困った顔をして、グ・ラハが私の部屋の扉を開けた。
「オレが、見送るんだよ」
「あ、そうか。ごめん」
部屋に入って、扉を閉める。閉じる瞬間まで彼はこちらを見ていた。
+++++
2.
借りた本を読み終える数日間、私はオールド・シャーレアンにいた。
気を使わせるのを分かっていたから、あまり会わないようにしていたし、私から出向いて、私から退散するようにしようとしたのに、グ・ラハは度々私の様子を見に来た。私の部屋に入ったら、立ち去るわけにも行かず、一緒にとりあえずどこかへ行くしか無くなるというのに。まあ、もうあんな無様は晒さないし、立ち去ってくれても大丈夫のはずだけれど。
ともかく、私はそんな風に数日ここにいて、そろそろ第一世界へ行こうと考えていた。
本を持って、彼の部屋の扉を叩く。眠そうな声がして扉が開いた。薄暗い部屋と、机に置かれたランプ、開かれた本。居眠りでもしていたらしい。
「ああ、あんたか。どうしたんだ……?」
「本を、読み終えたよ」
「そっか。……うん。もし良ければ、今から少し、話せないか?」
促されるまま部屋に入って、適当な椅子に座れば、すぐ隣の椅子に彼も座った。机に持ってきた本を置く。
「オレも、じっとしているより、駆け回った方が性には合ってると思うから、そんな自分が言うのも、なんだけど。いつだってあんたの帰りを待ってるし、何度だって行ってらっしゃいって言うから、見送るから、だから。だから、オレのところに帰ってきて欲しい」
「それは、バルデシオン委員会への勧誘?」
「なんでだよ、ちがうだろ」
一応確認すると、目を丸くした彼が、呆れたように笑った。流石に違うとは思ったけど、それならつまり、と考えを巡らせかけた時、グ・ラハが立ち上がったので、思考を後回しにして、意識を彼に向けた。なんか私の顔を覗き込んで来たなと思ったら、そのままぶつかった、唇が。反射的に身を引こうとして、ひっくり返りかけた私の肩を掴んで、倒れかけた椅子を上から押さえつけて、ガタン、と椅子の脚が床を叩く。
離れても彼は何も言わない。頭の中でぐちゃぐちゃになった思考がどうにか現状を把握しようと、冷静ぶって、どうやら彼とキスをしたらしいと結論づけた。それくらい分かっている。バカなのか、私は。
意識が内側に引っ込んで自問自答にもなっていない思考に浸っていると、今度は俯いた顔をあげさせられて、ちゃんと、しっかり目を合わせて、私の様子を伺ってきた。私も彼の様子を伺って、意図を考えるべきか、現状の事態をどうにかするのが先決か、必死に考えてパニックになっている。
フレイ、フレイ、やばいどうしよう。アルバート、男の人ってなんにも言ってくれないわけ。たすけてエメトセルク。アリゼー、こんな時女はどうすればいいの。え、殴れって?
自分がどんな顔しているのか分からないけれど、私を見るグ・ラハの表情が、笑いを堪えるそれになって、恥ずかしいやら情けないやら、顔が熱くなったところで、また、唇同士がくっついた。
柔らかいな、とか、心地いいな、とか。駄目だ、なにされてもいい気がしてくる。暫くして体温が離れて、ほっと息をついて目を開くと、火照った顔で、ちょっと泣きそうに見えるグ・ラハがいた。多分、いや絶対、そのままにするのはダメだ。
考えようとしていたこと全部放り投げて、彼の頬に触れて、目元を拭うように撫でる。そのまま首の後ろに腕を回して引き寄せて、私からキスをした。少し厚みのある唇を甘噛みすると、彼が小さく震えて息を吐いた。どこかで聞き齧ったうろ覚えの知識を引っ張り出して、緩んで少し開いた口へ、舌を伸ばす。長さが足りない気がして、どうにか口付けを深くすれば、引っ込んでいたのか逃げていた舌の先に届いた。
「ま、まってくれ……!」
物凄い力で引き剥がされた。離れたグ・ラハの口元が、唾液で濡れていて、喉が鳴った。酷く悔しそうな顔は、だけど頬が真っ赤に染っている。眉間に不満そうに皺を寄せて、私の腕を掴んで引っ張っるのでされるがまま従った。
「オレが、やる」
「なにするの?」
「いろいろ」
そのままベッドに座らされたと思ったら、ベッドに乗り上げるように近付いてきて、押さえつけるように押し倒された。グ・ラハの匂いがする。なんか少し前にも、ベッドに寝かしつけられたな、と思い出した。
この展開は流石の私にも何が起こるか分かってしまった。理解して、拒む理由もないなと、そのまま流されることに決めて、今度は彼から押し付けてきた唇を受け止めた。
+++
目を覚ましたら、朝だった。この部屋に来た時は夜だったというのに。
本当にいろいろだった。声は極力押し殺したけれど、絶対廊下までは聞こえていただろう。誰かが通っていなければいいんだけど。
傷跡は全部見られたし、触ったことの無い場所も全部触られた気がする。何やら執拗に首や胸元に吸い付いて来ていた。
それから、ぼろぼろと零す涙が、彼から降ってきて止まらなくてなんだか可哀想で、もうやめようと言っても、いやだと駄々をこねて、どうしようもなかった。ごめん、と何度か呟いていた気がする。詳しくは覚えてない。
隣を見ると、ぐっすり眠っているグ・ラハがいる。目元は少し腫れぼったくなってしまっていた。
「こいつ、ほんとに私のこと好きなのかな」
好きは好きだろう、好かれてはいる自覚がある。だがそういう意味ではなく、恋愛とか性愛とかいう意味でだ。
ただひたすらの親愛と友情を持って、私の為に何か考えて何かの考えに至って、あんなことしたんじゃないか、と思う。
起き上がったら寒かった。布団の中の熱を逃がさないようにそっとベッドを抜け出して立とうとしたら、力が入らなくて、床にへたり込んでしまった。脱ぎ散らかした服がそのまま散らばっている。立ち上がる気力はなくて、そのままぼんやりと、ベッドに寄りかかって、静かな朝の空気を眺める。
「ん、んん……? あれ……」
「起きた? おはよう。助けて欲しいんだけど」
「え? おはよう、どこだ……?」
「下に落ちてる」
「何やってるんだ、あんたは……」
ベッドから降りてきたグ・ラハが、床に落ちている私を引き上げた。それから私の下着と服も拾って手渡してくる。下着の上下合わせておけば良かったな。
「立てなかったんだよ。私悪くない」
「ああ、それは。うん、ごめんな」
「目元、赤いけど痛くない?」
「なんか変。後で洗って冷やすよ」
お互いいそいそと服をとりあえず着ていくが、途中でグ・ラハの手が、鎖骨辺りを撫でて、何か葛藤したあと、何かしらの回復魔法がかけられた。
「怪我してた?」
「鬱血痕。あんたはあまり似合わないな、そういうの」
「全部治しちゃった?」
「ああ。ちょっと凄いことになっていて、我ながらに結構引いたっていうか」
「つけ直してもいいよ」
「あ、いや……。怪我みたいなものだろ。ごめん」
「じゃあ、逆に私が君につけていい?」
「それは構わないが。やり方わかるか?」
「昨夜覚えたから多分」
隣に座ったグ・ラハの首元に唇を触れさせてから、ここは隠れないなと、鎖骨近くに変更した。何度か吸い付いてみるが、いまいち上手く付かない。擽ったそうに笑い声をあげるのが忌々しくて、牙を向いて噛み付いておいた。痛、という呟きに満足する。うん、綺麗な噛み跡だ。
服を着て、腹減ったなあ、とどちらともなく呟いて、部屋の鞄や机やらを漁って出てきた飴玉なんかを口に放り込む。いつも最後まで舐めていることが出来ずに噛み砕いてしまうのだか、同じように隣でも当たり前のようにガリガリと音がした。
「今日こそは第一世界に行こうと思っていたのに、諦めるしかなさそうだ」
それならと、嬉嬉として布団に押し込まれて抱えられる。たまの休日を睡眠で潰すのはどうなんだろう。色々考えながら何も考えず、どうなるのかなと思いながら、何も起こらない気もしている。
帰る場所。そうやって場所を用意しないと、どこまでも行って戻ってこないと思われているのかな。
「何度も置いていったくせに」
「あんただってそうするだろ、同じ状況だったら」
「うん」
「あんたは別に、オレじゃなくても良かったんだろうけど!」
所謂一線を越えてしまったけど、私たちの間の関係は一歩も変わっていない。離れてはいないが、多分近付いてもいない。彼らが、そう、グ・ラハだけでなく、彼らが、求めるものは叶えてやりたいし、傷付いていたら何とかしてやりたいし、そうやって向けてくれる思いとかはきちんと受け取って大切にしてやりたい、とはいつだって思っている。
「……あはは」
「否定しないとこが、なんて言うかあんたらしいよ」
「手段を選ばないところは君らしい」
そこから一歩、踏み込んできたのは、彼だけだ。それがどれほど特別なことか、きっとこの合理的なくせに直情型のこいつには分からないだろう。
おやすみ、と一言。暫くしたら緩やかな呼吸が聞こえ始めた。私は眠れなかった。
彼が起きたのは昼過ぎで、とうとう空腹に耐えきれなくなったからだ。その頃には、怠さは残っていたものの、床に落ちることも無く、一緒にハンバーガーを食べに行った。