指輪の行方時は深夜……
「う、あ……ぐ、ぐああっ、うっ?……ああぁっっ、ひっ、ぐっ、あっあああ?………うわぁあああああっっ!!やあああぁあっっ!!うあぁっっ!!」
うす暗い部屋の中に突如として悲鳴が響き渡った。だがそれはすぐにぴたりと止まり、後は、はっ、はっ、と荒い息遣いのみ。時折、激しく蹴りたてられたシーツがピリピリと裂ける乾いた音がする。
「おい、おいっ!!しっかりしろっ、サンズッ!おい……っ?!サンズッ!!」
そこに、低く静かではあるが奥底に不安と焦りをにじませた声が続く。それをわずかに聞き取ったのか、サンズの眼窩にぼんやりと白い瞳孔が浮かび上がった。それでもまだ息を荒くし、焦点の合わない目をさまよわせているその頬をフェルは軽く手の甲で叩く。その固い骨の感触に、悪夢の中から自分を現実へと連れ戻してくれた相手に気づき、サンズは我にもなく泣きたくなるような気持ちでフェルを見つめた。今も逃げ場のないソウルが切り刻まれるような悪夢の中にいた。まだこの手の中に感触すら残っているようだ。最近では減ってきたものの、時々こうして“忘れるな”とでもいうように、不意打ちで悪夢に襲われる。サンズは自分の体が嫌な寝汗でじっとりと濡れ、震える手は目の前のセーターをちぎれんばかりに握りしめていることに気がついた。
目の前には、同じスケルトンの白面。だが、いつも人を食った笑いをうかべているその顔も同じようにひどく汗をかき、サンズをがっしりと抱き起している太い腕はらしくもなく震えていた。
「……あ、あ……サンズ?サンズ……サンズッ!!サンズッ!!……お前っっ」そう言ってがむしゃらにしがみついてくる細い体をフェルは思い切り抱き寄せ……ふと気づいて腕の力をゆるめる。それほどまでにサンズはやせ細ってしまっていた。全力で抱き締めたら、その透き通るような骨がぽきり、と音を立てて崩れてしまいそうなほどだ。
「heh、寝相の悪い奴だな。俺の腹にすげえキックしやがって。スケルトンだからいいようなものの、そうでなかったら“腹に風穴”が開くとこだったぜ?」そう言って、へへっ、と笑うフェルの顔に、ようやくいつもの余裕が戻った。殺すか、殺されるかに慣れた彼はめったなことでその表情を乱すことはないが……それほどまでに、うなされているサンズの顔は苦しそうだったのだ。そのサンズはといえば、いまだ蒼白な顔でうつろに目をさ迷わせているが、少なくとも今はこの腕の中に取り戻すことができたらしい。フェルはそのことにまずは安堵した。
どんな夢をみたか、内容は想像にかたくない。去年のクリスマスイブだった。「待っていろ」と約束したにも関わらずその夜、フェルはなかなかサンズを訪ねることができなかった。アンダーフェルではクリスマスの喧騒に乗じて喧嘩や傷害事件が多発し、エッジはその収拾に忙殺されていた。当然、フェルも駆り出された。それでも日付が変わるまでには間に合うはずだったが、時計の針が止まっていることに気づいた時はすでに深夜をまわってしまっていたのだ。血相を変えてこのDusttaleに近道してフェルが見つけたのは、血まみれの、精も根も尽き果てて雪に埋もれかけているサンズの姿だった。
よほどの死闘だったことはすぐにわかった。いつも余裕をもって、笑いながらニンゲンをなぶり殺していたこいつが、こんなになるまで暴走したのはなぜだ、こんな戦い方をしたのはなぜだ。だがその謎もすぐに解けた。倒れているサンズを抱きかかえて家に近道し、ソファに寝かせた時にその手から転がり落ちたのはくしゃくしゃに丸めた紙と、数個の金の指輪だった。紙を拡げて中に書いてある文字を読んだフェルは、ぎり、と奥歯を鳴らした。
「プレゼント」
______ニンゲンからのプレゼント
それがサンズのソウルにどれほどの破壊力をもたらしたか、考えただけでフェルのソウルも切り裂かれるように痛んだ。
「ニンゲンがお前を見たら、さぞや大喜びするだろうさ。もうひとり、やけに派手なサンズが現われたぞ、ってな」
サンズが口ではそう言いながら、本当はフェルがニンゲンに襲われることをいつも恐れていたのも知っている。それはいくらフェルが大丈夫だ、と言ったからとて、とてもぬぐえるものではなかった。その不安を見事に突かれたのだ。塵のついた金の指輪のプレゼントは、サンズにはっきりとフェルの無残な死を叩きつけた……パピルスの時と同じように。
普段のサンズならもっと冷静だっただろう。だが先入観と過去の記憶がこいつの判断力を鈍らせた。その結果が今だ。だがサンズが騙されるのも無理はねえ。あれは、あの指輪は「本物」だったんだからな。フェルは頬をゆがませてわざと、へへ、と笑った。ソウルがさらに苦みを帯びてじりじりと焼けていく。つまるところ自分のせいなのだ。ニンゲンに指輪を奪われた原因はフェルにあった。
無意識に力をこめてしまったのか、サンズがもぞもぞと腕の中から抜け出ようと動き出した。
「あ、あ……俺……こんなこと、してる場合じゃ……寝てる場合じゃないっ……行かないと、ニンゲンが来る!!やられる前に、行かないと……っ!!」ふらふらと揺らぐ体もいとわず、支えようとするフェルの手をふりほどき、サンズは立ち上がりかけた。だがその弱った体は自分の軽い骨の重さすら支えきれず、またフェルの胸の中へと倒れ込む。
「行かないと、なあ、俺いかないと……ごめ、ん、ごめん……パップ。パップ、なあパップ、俺、ちゃんとやる、から……できる、から……」
なんとか起き上がろうとしながら、うわごとのように繰り返すサンズの眼にはもう、フェルの姿は見えていないようだった。だがそんなサンズをフェルはもう一度ゆっくりと抱き締めた。サイドテーブルにあったグラスの水を口に含み、カタカタと揺れるサンズの頭を手で支えると、口づけてゆっくりと流し込む。魔力のこもった唾液と共に流し込まれたそれを、サンズはんく、んく、とおとなしく飲み下した。水を飲み終わった後もフェルはしばらくサンズの頭を離さず、その舌先を小さくもてあそんだり、鼻の頭にキスをしたりして彼が落ち着くのを待った。
「大丈夫だ。こわくない、こわくない。寝“ボーン”けちまったのか?ニンゲンなら……今さっき倒して帰ってきたばかりじゃねえか。そうとうこっぴどくいたぶってやったから、しばらくは来ねえだろうよ」
それを聞いたサンズの瞳孔が小さく揺れ、じわり、とにじんだ。
「あ……そう、だったか?俺……最近なんだか忘れっぽくて。色々とすぐ忘れちまう……そうか、そうだな。そうだったよな。へへ、あの時のクソニンゲンの顔、お前にも見せたかったな。見ものだったよ。なあ、パピルス?これであきらめると思うか?俺はそうは思わないよ。きっとあいつはまた……」最後の方はほぼ聞き取れないくらいの声でサンズはぶつぶつと何か話し続けている。それはパピルスに向けてのようでもあり、自分自身に語り掛けているようでもあった。もうそこにフェルの姿はないのだ。それでもかまわない。彼は辛抱強かった。そういう骨なのだ。そんな彼だったからこそ、1年かけてサンズの様子はこれでもだいぶましになったのだ。時折、息もできないほどの悪夢に引きずり込まれ、こんな風にフェルを、いや自分自身すら見失う夜がいまだあるとしても。
だがフェルは笑う、いつものスカルスマイルで。そしてサンズの額を指で軽く弾いた。
「だったらなおのこと、もうちょっと眠れ。俺も寝るから」そう言うと、だがサンズは弱々しく首を振った。「嫌だ……眠く、ない。寝ない……寝るのは……いや、だ……」
「ばっか。俺が眠いんだよ。お前の寝相が最悪で、ほとんど寝れなかったんだからな。いいから寝ろ……そばにいてやるから。今度は蹴るんじゃねえぞ?」そう言って、まだ落ち着かなげに眼をさまよわせるサンズの眼窩を手袋をした手でそっと覆った。そのまま一緒にベッドへと倒れ込む。目元をくるむやわらかい感触と、胸を軽くとんとん、と叩く手のリズムにつられたのか、もともと常に寝不足のサンズはすぐに浅い寝息を立て始めた。その文字通り真っ白な顔をじっとフェルは眺めた。
またさらに弱っちまった。LOVEや魔力を失ったわけではなかったが、サンズの体はとても脆くなっていた。理由はただ、ひとつ。
「ニンゲンが来ない」
モンスターの体は魔力で構成されている。スケルトンといえども例外ではない。本来なら魔力の高いサンズの体がここまで衰弱することはないはずだ。だが、魔力を循環させて正常に活性化するのはソウルだ。つまりソウルが弱れば弱るほど、そのモンスターは生きていくことすら危ぶまれる。
ニンゲンが来なくなる、という結果は実質的には勝利だったかもしれないが、決してサンズを幸せにするものではなかった。仲間も、パピルスもフェルも、もう誰もいないと信じるサンズにとって、ニンゲンを殺すことだけが文字通り彼の生存理由だったから。なんとかしようにも、目の前のフェルの存在すら見えていない以上、ただただニンゲンを待ち続けて消耗していくサンズを止める手立ては何もなかった。
おそらくニンゲンはもう来ることはないだろうと、フェルは予測していた。このDusttaleでは日付が換算しずらいが、フェルが自分の地底世界で観測し続けたところ、前のクリスマスからすでに1年近くが経過していた。ちょうど去年のクリスマスの頃、サンズがニンゲンの策によってそのソウルを破壊された日から1年が経とうとしているのだ。その時のサンズの様子はもう考えたくもないが、ニンゲンはそれを見て、ここに興味を失ったのかもしれなかった。それでもサンズはずっとニンゲンを待ち続けているのだ。
そしてクリスマスが今年もやってくる……フェルはサンズの寝顔を眺めながらひとりごちた。明日だ、明日になったら去年、渡せなかったプレゼントを渡そう。もう、ニンゲンにリセットで奪われることのないプレゼントを。フェルはじっと自分の手を見つめた。
翌日、クリスマスの朝だ。よく眠ったせいか、幸いにもサンズの様子は落ち着いていた。フェルのこともわかっていて「お寝“ボーン”のお前さんが、ずいぶんと早いご来訪だな。いまさら早寝早起きのいい子になったって、サンタは来やしないぞ?heh、heh」などと笑う姿にフェルはほっと小さく息を落とし、そんなサンズの手を握りしめた。いつの間にか、本当の枯れ枝のようになったその白い骨の指。少しでも力を入れて握りしめたら、簡単にぽきりと折れてしまいそうだ。
フェルはサンズの手を取り、自分の人差し指から抜き取った指輪をその薬指にそっとはめた。細い骨に太めの金の指輪は少し痛々しく見えたが、それでも透き通るうような白と控えめに鈍く輝く金、そのコントラストは驚くほどに美しかった。サンズは驚いたような顔で、指輪をはめられた自分の手を眺めている。
だがその瞬間、サンズは恐慌状態に陥った。真っ暗な眼窩の中で瞳孔が激しく揺れたかと思うと、それは久しぶりに赤とシアンに彩られ、あっというまに紫色の魔力を噴出させた。
ちっ、やっぱりだめか。その可能性も考えなかったわけじゃない。それは一種の起爆剤だった。弱った体で振り絞るように骨を作り出し、見えるものすべてを攻撃しようとするサンズを、フェルは強引に抱きすくめる。両腕を押さえこまれ、攻撃がままならないことに苛立ったサンズは、そのままフェルの肩に噛みついた。ふーっ、ふーっと苦し気な息を漏らしながら固い鎖骨を噛みしめ、ギリギリと歯を食い込ませていく。ミシミシと骨が砕け、血がにじんだがフェルはサンズを離さなかった。そのまま時が過ぎ……サンズはゆっくりと口を離し、ぼんやりとフェルの顔を見つめた。
フェルはジャケットを引き上げて素早く肩の傷を隠した。そして、サンズにへへっと笑ってみせる。これは当然、受けるべき痛みだ。流すべき血だ。そのことにむしろ快感を覚えるほどに。
去年のクリスマス、フェルはサンズに指輪を贈りたかった。新しく買うのではなく、自分が大事にしているうちのひとつを。たとえリセットで戻ってきてしまうとしても、何度だって贈ればいいじゃねえか。そのたびに訪ねて、抱いて、その指にはめてやりゃあいい。問題はサイズがわからないことだが、それには考えがあった。
限界を超えて意識を失ってしまったサンズは、本当に死んだように眠る。その隙に、彼の手に自分の指輪をはめて確認したのだ。だがフェルの指にぴったりの指輪は、どれもサンズには大きすぎた。その中で唯一、人差し指の第一関節に使っているものが、サンズの薬指にちょうどよかったのだ。
それを確かめてほっとした時、サンズが「んん……」と寝返りを打った。起きるかもしれない、と咄嗟に指輪をベッドサイドテーブルに放り込んだ。後で取りにくればいい、いやどうせリセットされたら戻ってくるだろうし。そう軽く考えた……それが間違いだった。
ニンゲンが勝手に家に入り込むんだ。時折、サンズはそう愚痴をこぼした。物の位置が微妙に変わっているのだという。ひどく散らかり放題にしているから、ばれないとでも思ってるのかな、heh、heh。そう笑っていた。それはすべてをあきらめたものの笑いだ。サンズの部屋には鍵があっても、あの家自体に鍵はかかっていない。ニンゲンは自由に入り放題。そう決まっているからだ。
それを失念していたフェルの完全なミスだった。
どこかの時点でニンゲンはサンズの家に入り、あちこちを探索したのだろう、その好き勝手な好奇心のままに。そしてサンズより先に指輪を見つけた。フェルは指輪が戻ってこないのはいまだリセットがされていないのだろう、と思っていたが、ニンゲンはそれも承知であえてリセットをせずに、一番効果的なタイミングを計っていたのだ。
それを思うと、フェルは今でもどす黒い気持ちがこみ上げるのを抑えられない。殺伐とした地底世界にいるとしても、彼自身は凶暴性も攻撃性も、ましてや加虐性などありはしない。だが今は、ニンゲンを限界まで痛めつけてやりたい、と心底から欲していた。殺すなど生ぬるい。そのいやらしい生皮を剥ぎ、顔面にゆっくりと骨を突き刺し、なるべく長く命を残したままで細切れの肉にし、唾をはきかけてやりたいとすら思う。それが出来ないおのれの無力さに歯噛みする。だがもう、そのニンゲンは現れないのだ。ならば今、自分がすべきは何があってもサンズを受け入れ、そのそばにいる事だ。フェルはそうケツイしていた。
なのに今、必死にその薬指にはめた指輪は。サンズが手を動かしたとたんにするり、と抜け落ち、カツン、と小さな音を立てて床を転がっていった。去年は……去年のクリスマスなら、ぴったりだったのに。はめ直しても、何度はめ直しても、あまりにも細いその指から金の指輪はするりと滑って、まるで逃げるかのようにその姿を消そうとする。フェルは何度も指輪を拾い上げ……とうとう力なくそれを握りしめた。
サンズは今や感情のこもらない目でその姿をじっと眺めていたが、ふと気がついた。目の前の……たくましいスケルトン。何も恐れることなどないと笑って自分の肩を抱き、胸を貸し、頬を撫でて、時に強引なキスをする……そんなこの男が……泣いている?不思議な思いにとらわれてその涙を指先でそっと拭う。だが拭った先から次々と溢れ出る涙にサンズの指先は熱く濡れ、それはゆっくりとソウルに染み入った。
「ぐ……ひぐ……ちく、しょう……くそっ……くそっ!くそっ!……ちくしょうがっっ……!!」誰に対しても涙を見せることを潔しとしないのだろう、うつむいたままで必死に顔を隠し、それでも溢れ出る熱い涙はぼとぼととサンズの肩に降り注いだ。
なんだ、お前……指輪がゆるくて外れてしまうことを嘆いているのか……そんなことでなぜ泣くんだ。泣くなよ、こうすればいいじゃないか。サンズはフェルの首のチェーンに手を伸ばした。そっと触れると、チェーンはするすると自ら引き寄せられるようにサンズの指へ絡まった。驚いた顔のフェルにかまうことなく、サンズはその手から指輪をつまみ上げるとするりとチェーンに通し、自分の首にかけた。
「これで問題ない。そうだろう?」
そう言って笑うサンズの顔を見たフェルの眼からはまた新たな涙がこぼれた。だがその涙は痺れるような甘さを含んでいた。
なぜなら、もう失うことはない、審判の必要もないのだ。ずっとこの俺の腕の中にいればいい。これからもこいつはニンゲンを待ち続け、うなされて、俺にすがりついて。そして俺は泣き、こいつを抱き締めて、ふたりで生きる、永遠に。
そうして月日は過ぎ……今夜も睦言が交わされる。ふたりだけの歪んだ愛の形。もう誰もいないDusttaleで金の指輪が彼らを繋ぎ、互いを縛る。誰にも邪魔されることはない。
これもまたひとつの可能性だ。
___________だろ?