Recent Search
    You can send more Emoji when you create an account.
    Sign Up, Sign In

    おさとう

    @sora_tobu_sato

    ジャンル自由雑食アカウント20↑
    官能小説が好物😋✨

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 16

    おさとう

    ☆quiet follow

    ねこのひ半サギョほのぼの切なめシリアス健全小説です。
    ナギさんカンさんが出てきます。
    ノラや、ああノラや。

    #半サギョ

    サギョウよ俺は犬の方が好きだ。
    犬は可愛い。元気のかたまりで誰かと連れだって遊ぶのが大好きで人の顔をよく覚えている。と言っても俺は犬も猫も飼ったことはない。よく行く公園で偶然知り合った愛犬家の犬と時々遊ぶ程度である。
    任務中、やむを得ず犬になったことも猫になったこともあるがやはり俺は犬が好きである。猫は何故か俺にはなついてくれない、すぐ爪を出されてしまう。

    そんな時にサギョウが猫になってしまった。
    2月22日になったばかりの深夜二時。
    唐突に辺りに「ニャーー!」と言う音が響き渡ると、突風がビルの間を走り抜けた。
    こつぜんと隣にいた男は姿を消した。
    気づくと、緑の毛のマンチカンが吸対課のコートを着せられ小さなライフルのバッグを背負い、尻餅をついて、目をまんまるくして、呆然としている。
    「サギョウーーーッ!?」
    俺はよくわからない感情に囚われ沈着冷静さを失ってしまった。相棒が吹けば飛ぶような小動物にされてしまった驚きと、ポケンとしてどこを見ているのかわからないぽわぽわの毛むくじゃらがきちんと吸対課のサギョウの格好をしていて、可愛いさが限界点を越える驚きと言う、本当によくわからない気持ちによるものである。
    サギョウ🐱は俺の絶叫にハッとして顔を上げる。そこで、俺はまずい、と口を手で塞ぎ、敵意はないことを見せようと動きを止めた。
    サギョウ🐱は安心したのか、ぺたんと尻餅をついたままのんびり左前足をなめ始めてしまった。こいつは猫になっても、マイペースなのか、肝が座っているのか良くわからない。
    俺は彼を驚かせないように、背を屈めて遠くから困惑気味に呼び掛けた。
    「サギョウ、その、俺が分かるか?お前は吸対課のサギョウくんである事は覚えているのだろうか?」
    ざりざりざり…。
    サギョウ🐱は3分かけて前足をなめ終えると「にゃー」とにっこり返事して、てちてちこちらに歩いてきたのである。
    「…」
    気まぐれすぎて何も分からない。
    しゃがんだ膝小僧に器用にスリッスリッと体を寄せるサギョウ🐱に俺は頭を抱えた。

    治安維持が役割の俺は事の原因を突き止めなければならない。しかしだからと言って意志疎通のできない軟体動物の元相棒をここに置いていくわけにも行かない。
    用心してサギョウ🐱が自分も俺も忘れた野生の猫だと想定し、すり寄る彼の前に指先を差し出した。
    たぶん今の俺は人生で一番と言っても過言でないほど他人から気に入られようと苦心している。想像力を働かせ、多種多様な善き市民の平和と権利を守ることこそ心血注いで努めてはきたものの、ここまで半田桃と言う人間が個人的に嫌われないようにおもねる努力は初めてである。不馴れすぎて冷や汗が出てきそうだ。
    サギョウ🐱は俺の手をくんくん嗅ぐと、「なんですか、これは?ごはんではありませんね…」と言わんばかりに興味深げに大きな黒い瞳で俺を見上げてきた。
    俺はサギョウ🐱に警戒心を抱かせないように努めて柔らかく穏やかな小声で話しかけた。
    「その、俺たちは事件現場に向かいたい。ついては、お前にもついてきて欲しい、のだが…」
    「……🐱」
    犬ならワンと吠えて俺の後を追いかけてきてくれたに違いない。でもサギョウは猫なのである。自分以外は有象無象だと思っている気まぐれな軟体動物なのだ。
    案の定首をかしげているサギョウ🐱に、どうにか心の距離を埋めて貰えないかとゆっくりと喉を撫でる。すると彼は目を細めて顎を伸ばした。これは良い兆候だ。
    そのまましばらく撫でて親睦が深まったころ、驚かさないようにゆっくり脇に手を入れてみる。サギョウ🐱が不安そうに見上げてくる。
    「なぁー…?」
    お母さん以外の人に優しい声音で話すのはもっとも苦手とするところだが頑張る。
    「ほら、サギョウ、いいこだ、良いー子だ、よしよしよし、何もしない、頼む…そうだ!」
    なんとか俺はサギョウをくつろげた制服の前に押し込んで抱える。するとコートの中の毛玉はもぞもぞ動いた後、液体のようにフィットしてまん丸くなってしまった。
    「ぐっ…!」
    ほかほかしてお日様のような香りがする。俺は訳の分からない感情に支配される。
    コートのあわせめに小さな顎をかけたサギョウ🐱。満足そうな顔をしている。
    けれども彼は🐱である。
    次の瞬間、彼は気まぐれに飛び出して行ってしまうかもしれないのだ。
    ただただ彼を驚かせぬようそろりそろりとあるき始めた。慣れない気遣い。難しくて肩がこってしまいそうだ。
    こんな現象、また新種の吸血鬼の誰かが暴れているのである。そこで気付いた。なんと吸血鬼探知能力が効かない。どうやら俺も何らかの術中にあるらしい。
    それでも追跡は容易かった。猫を抱えて困り果てている人を目当てに風の吹いてきた方に向かって歩いていく。
    新横の大通りはにゃんにゃんと言う鳴き声で溢れ返っていた。その中に俺は見慣れた銀髪頭たちを見つけ、そろりそろりと近づいていく。

    銀色の癖毛の上には、真っ黒くてあちこち跳ねた毛並みの何かがしがみついていた。
    「よお半田、来てくれたのか。吸血鬼はあいつだ。捕まえるまであと少しなんだよ」
    「ぐるるる」
    「頭の上のはドラルク🐱か…」
    かわいそうな程ガリガリの体に、きれいなスカーフとマントを纏って鎮座しているドラルクは器用にロナルドの頭の上でバランスを取っていて、あまつさえゴロゴロ言っている。意外である。
    「なぁ半田、ちょっとドラ公を持っててくれよ」
    「うむ」
    ドラルクを俺に預けたロナルドが拳を取り出した所で捕り物は終わりを告げたので、俺はゆっくり彼を逮捕した。

    犯人を捕まえても猫の効果は消えなかった。
    不気味なほどゆっくり動く退治人たちは俺を取り囲み口々に言う。
    「あのな、この効果は3日は続くんだってよ」
    ロナルドがドラルクを頭に乗せて言えば、
    消防士の服を着るスコティッシュ・フォールドを抱っこしたメドキさんが言う。
    「今回の吸血鬼の能力は『2月22日2時にだけ、片方の人間をねこにして残った方を下僕にさせる』って言う面倒なやつだったんですよ。今の僕たちはみんな🐱の下僕です」
    緑のマントにカールした毛並みの猫を抱っこしたサテツさんが困ったように言う。
    「全員が猫になる訳じゃないそうなんですが、効果がそれでも大きくて…半径500mだそうです。ショットは俺を庇って真っ先に猫になっちまいました…うううっ」
    つまり、巡回中だった俺とサギョウは射程内にいたせいで術を食らったのだ。ダンピールの力が消えたのもおそらく下僕と言う縛りから来るものなのだろう。

    さらに吉良吉影に似ていなくもない美形のスーツ姿の吸血鬼は逮捕されても細かく言うのであった。
    「本当はもっと長い時間猫にもしておけるんですけど、3日間がサラリーマンの休みの限界かなって言うお情けです。いいですか、猫から片時も離れちゃダメですからね、ちゃんとお世話してあげてくださいよ。人の食事は上げても構いませんが、ネギと玉ねぎはやっちゃあダメですし、トイレはプライベートですから写真に撮ってはダメ。発情期の心配はないです。年中発情期なのは人間と猿だけなんですからね。猫じゃらしによるストレス発散は必須です。きちんと取らせてあげてくださいよ。水は新鮮なものを飲ませて、出来ればミルクは猫用をあげてください。そして人間は猫に感謝するんです」
    「3日間そんなに注意しなきゃダメなの?」
    「とんでもない、本当ならもっと注意したい位です。言っておきますけど、もし虐待なんかしたら、大変なことになりますからね!万一猫に害を加えたら虎の大きさに変わりますから。そうなるとかつての貴方のお友達は熊も倒しちまうんですからね!」
    野球のユニフォームを着た猫を抱えた小柄な青年、ロビンさんが叫んだ。
    「貴方はなんて人だ!3日間爆弾を抱え込ませるようなものじゃないか!」
    吸血鬼は不遜に言う。
    「いやはや、にやけ顔でそう言われましても私は屁とも思いませんね」
    俺は胸の中の温もりを撫でながらため息をついて言った。
    「これは一大事だぞ。シンヨコ吸血鬼アラートを緊急で鳴らして注意点を周知し、ペットショップにねこグッズを仕入れてもらい、動物病院の応援を頼まねばならないかもしれない」
    「くっ…!この吸血鬼、実害がデカすぎるぜ」
    全員が文句を言うが、文句を言う割にみんなニヤニヤしているのである。
    マリア様の格好をしたちゃとら猫を抱えたター・チャンさんまで、ニヤニヤしている。
    「まったくもう、仕方ない吸血鬼ある」
    みんな下僕になってしまっている。恐るべき吸血鬼である。
    俺もサギョウ🐱がもぞもぞするので見下ろすと、コートの合わせ目から顔を出した大きな瞳と視線がかちあう。
    「なー!」
    …犬なら歩調をあわせて協力して行けただろう。けれど猫である。もふもふのポワポワした可愛い塊。
    俺は人を驚かすのは大好きだが、驚かされる側になったことはほとんどない。
    いつこのセロリ色の🐱が俺の挙動に驚いて制服から飛び出して夜の闇に消えてしまうかと思うともう胸をきゅっと掴みたくなる。ああサギョウ🐱を早くつれて帰り、安全なところで存分に彼に尽くさなければならない。
    すると、ロナルドが皆が黙っていた事を無神経に言った。
    「なぁ半田、3日も待たなくてもさ、コイツに解除させるか、VRCに行けば元に戻して貰えるかも知れねぇぜ」
    吸血鬼が神経質にさけんだ。
    「たとえチリになっても戻しません!私は毎年この日のためだけに362日間誰からも目につかないように姿を潜めて力をためることを繰り返して百年生きてきたのですからね!」
    俺も言う。
    「バカめ、サギョウがあのサイコパス所長の披検体になるのは気が進まないのだ」
    「そっか…それは一理ある。所長さん、ドラ公なんか特に研究したそうだったしなぁ…でもなぁ」
    俺はきりりと答える。
    「サギョウはお利口さんだ。VRCで犯人の調査報告が上がって来るのを待ってくれるに違いない。市民の皆さんの誘導は手の空いたもので行おう。相棒がねこになってしまった退治人たちはいったん🐱の安全確保してくれ」
    サギョウ🐱を庇うように抱き締める俺をロナルドがジト目で見てくるが気のせいだろう。そんなことより早くシンヨコ署の小動物キャリーケースの元へ行かねば。
    「では皆、よろしく頼む。俺は早急な対策のために署に戻る」

    サギョウ🐱はシンヨコ署に入ると飛び出してトテトテ走り出し、階段をよじ登っていく。
    「おい待てっ!?」
    慌ててみどりの尻尾を追いかけると、サギョウ🐱は自分のデスクの上にたどりついてゴビーの足を愛おしそうに舐めていた。そして職員皆が総出で可愛い可愛いと喜んでいる。
    一人、ヒヨシ隊長が頭を抱えている。
    「おい、もしかしなくても半田、これは」
    「サギョウでした。今はただのマンチカンに変わり果ててしまい、俺は彼がネギを食べないように監視し、彼のために猫じゃらしを振るだけの奴隷の身に落とされました。ふがいありません。しかし吸血鬼の力は途方もなく、町一角の人々が一度の攻撃で一網打尽にやられてしまったのです」
    「…先にカンタロウが大きなアメリカンショートヘアを連れて帰って来た。民間人の辻田さんらしい。辻田さんは手が付けられないほど怯えていて、ケージに入って出てこなくなってしまった所じゃあ。…今夜のパトロールは術に掛からなかった奴に任せてある。代わりにすぐにお前は今回の調査報告を頼む。」
    「了解です…うっ!」
    ほんの僅か目を離した隙に、サギョウ🐱はゴビーを咥えて戸口に向かっていた。ゴビーも乗り気の顔をしている。
    「ギッ」
    顔から血の気が引いて走っていって先にドアを閉める。するとサギョウ🐱はイカ耳になり、俺にライフルを背負った背を向けてドアの前にしゃがみこんで、てこでも動かなくなった。
    「なぁーん」
    背中から怒りと『ドアをあけてくれ』と言うかたくなな意思表示による圧力が掛かる。俺は背中で語るサギョウ🐱の隣にしゃがみこみ、説得しにかかる。
    「お前、ゴビーとパトロールに出るつもりなのか?気持ちは誰よりも偉いし俺も誇らしいが、今日はもう行かなくて良いのだ」
    「……」
    サギョウ🐱は微動だにしない。
    「お前が職務に忠実なのは俺もようく知ってるぞ。サギョウくんはお利口なのだ。しかしだ、今日に限って変態ばかりの地に意地でもパトロールに出掛けるとはどういう風の吹きまわしだ、頼む諦めてくれ」
    「むー」
    背中からクスクスと言う笑い声が聞こえてくる。大の男がうずくまって猫に懇願しているのだ。
    「急いでるんだ、サギョウ…頼む、空いているケージもないし俺とおとなしく署の中にいてくれはしないか」
    サギョウ🐱は俺を見上げた。
    そしてなにも聞かなかった顔で扉に戻った。
    俺のことなど紙屑とも思っていない目をするサギョウ🐱に5分ほど粘って俺はとうとう説得を断念し、脇に手を差し込み、なぁー!と不満げに暴れる彼を持ち上げた。そのまま一緒にデスクに戻る。サギョウはゴビーを咥えて俺のデスクから飛び降り、自分の机の下に潜り込んでしまった。
    「ギィイ」
    ルリがほんわかとした声で言う。
    「VRCから連絡がありました。猫は夜行性で、特に雄は夜間に縄張りのパトロールを行うので、サギョウ🐱くんが出たがってはしゃぐのは仕方ないそうです」
    「…縄張りをパトロール、か…。報告書にそれも付け足しておこう…それと署のドアを閉めてねこ注意の張り紙を頼む…」
    報告書を元に吸血鬼アラートを流すので急がなければならない。文書を瞬足で仕上げる俺を尻目に、ヒヨシ隊長が咳き込み、ルリが書類で顔を隠して肩を震わせている。
    「ングッ…フフ」
    「ちょっとこれは可愛いですね」
    二人の視線を追いかけると、小さなライフルを背負ったサギョウ🐱がゴビーを連れて棚を飛び越えながらここは僕の縄張りなのだと言わんばかりに神妙な顔で歩き回っている。
    辻田さんの入ったかごの前で足を止め、くんくん辻田さんのにおいを嗅ぐ彼を止める術を持たない俺は疲れた声で言った。
    「すまんがカンタロウに猫のトイレをもうひとつ用意するように伝えてくれ…。それとトイレの撮影はしないようにとな」
    「わかりましたぁ」

    その後猫の情報を発信した俺たちは、情報が市民に行き渡った頃から猛烈に鳴り始めた電話の番にかかりきりになった。相棒が猫になった民間人からの問い合わせが殺到したのである。
    「お気持ちはお察します。わが署でも猫になった者が出ておりまして…お宅の旦那さんはアメショですか。猫のまま戻らせない方法?目をさましてください。それでは人間の下僕化を目論む吸血鬼の思う壺ですから。旦那さんのお勤め先に有給申請の準備をお勧めします」
    電話は夜が明けても鳴り続ける。総動員で対応に当たらねばならない。
    その間、朝御飯を食べたサギョウ🐱は何かを探すように辺りをうろうろしている。
    「なー」
    皆のデスクを順繰りに回った彼は、…ぽすんと音を立てて膝に上った。
    「あーっ!」
    「ずるいぞモエギ!」
    サギョウ🐱はなぜかモエギ先輩の膝の上で丸くなって寝てしまったのだ。ゴロゴロと言う音が鳴り響き、署内は平和な雰囲気に包まれる。ヒヨシ隊長がしみじみと言う。
    「サギョウ、そうか…自分の席より安全な場所はそこじゃったか…」
    悔しくなった俺はモエギ先輩につらく当たる事にした。朝食用の弁当を彼のデスクの上に置く。
    「モエギ先輩はどこですか。話があります」
    普段、認知されないことを悲しんでいる筈のモエギ先輩は微塵も動じず嬉し困った顔で言う。
    「何故か俺、犬や猫に昔から好かれるんだよなぁ。仕事にならないじゃないか」
    にこにこしながら目を潤めているサギョウ🐱の顎を撫でている。俺はついに抗議した。
    「彼は俺の主人です。返して下さい!」
    モエギ先輩はようやく顔を上げた。
    「しーっ、サギョウ🐱が起きちゃうだろ」
    サギョウ🐱はモエギ先輩に甘えきって眠り始めていた。
    パカッと見事にふかふかの腹を出している。ゴロゴロゴロと響く喉の音。呼吸に波打つ腹毛、にっこり笑ったような目と口許。そしてピンクの肉球。
    俺は全身全霊の嫉妬を込めてモエギ先輩の頭を手刀でポコンと叩いた。しかしモエギ先輩は嬉しそうに言う。
    「半田、お前、今のうちに寝て来た方が良いぞ。電話は続くだろうし、ずっと振り回されっぱなしだったんだろ」
    確かに俺がサギョウ🐱から目が離せるのは今のうちだけかもしれない。それにおそらく俺は内勤に回されるだろうし、ハードな外勤組を夜まで寝かせてやるには俺が朝に仮眠を取る方がちょうど良いだろう。
    まるで子煩悩な父親のような事を言うモエギ先輩の悔しいが的確な判断にしぶしぶ頷く。
    「……。三時間ほど頼みます」
    「おう、ゆっくりしてこい」
    ヒヨシ隊長に許可を貰い、後ろ髪を引かれる思いで場を離れた俺の後ろで、うにゃにゃんと幸せそうに寝言を鳴く声がし、きゅっと奥歯を噛んでしまった。
    なんだ、この焦燥のような、腹立たしいような、不愉快な感情は。

    目覚めると薄暗い天井に、アラームが鳴っていた。疲れていたようだ。
    俺は昼は苦手だ。眠気に襲われて唸りつつ、手を伸ばしてアラームを止めて、殺風景な天井を見上げる。
    何だか久しぶりの景色だ。そうだ、これはサギョウが来る前にいつも俺が見上げていた、まだ一人だった頃の天井だ。
    「ああ……本当に気疲れしたぞ、参ったな…」
    相棒が嘘みたいに言うことを聞かない。それだけでこんなに疲れるものなのか。
    おかげでサギョウは俺にとって本当に扱いやすい奴だったのだとしみじみする。
    いつもいつも、俺の行く先に死に物狂いでついて来てくれるし、俺の話は即座に飲み込んで一挙一動を合わせてくれるし。休日だって電話1本で一緒に遊んでくれた。
    しかし今のサギョウ🐱は俺には冷たく言うことは聞かず近寄りすらしようとしない。あまつさえ、モエギ先輩に懐いてしまったのだ!
    そして、何故だと思わなくても俺には心当たりがあるのであった。それもひとつや二つではなかった。
    いつだって俺はサギョウに対して包み隠さず接してきた。
    そして、何なら着ぐるみまで着せたし、振り回してワイ談おじさんを彼でぶん殴ったし、トラップの実験台にもしてしまった。

    サギョウは本当に良くできた男だ。
    誰にたいしても礼儀正しく穏やかな姿勢を崩さない。でも俺にたいしてのそれは、本当に俺に包み隠さず接してくれていたのではなく、ただ俺が上司に過ぎなかったからで嫌々だったならどうしよう。
    本当はサギョウは俺のことなど…!
    俺は足元が崩れるような感覚にすら囚われたのである。
    「俺に憧れてると言ったではないか!嘘だったのかサギョウーッ!」

    らしくなく、胸にしょんぼりと縮んだ自信を小さく抱えて起き上がる。
    布団を片付けて顔を洗い、コートを羽織り直し、太刀を帯に差して気持ちを引き締めた。
    いつもと違うサギョウ🐱の言動。
    これこそがサギョウの本音なのかもしれない。
    ならばサギョウ🐱に好かれる努力をする。今のサギョウの本能に俺の存在を刻み付けたい。
    しかし彼は美女にはコロッと転がされるが、俺の事は胡散臭そうな目で見て下心を見透かしてくる奴である。肩書きも有能さも無効化され単なる一奴隷と身を落とした俺はいったいもうどうすれば良いのだろうか。犬なら遊べば仲良くなれる。しかしあいつは🐱である。勝手気儘で、俺の得意なおべんちゃらも猫なで声も立派な贈り物も通用しない。
    そんな生き物相手に俺が何をできると言うのか。
    ああサギョウ。サギョウという男は本当に難しくて俺の思いどおりにならなくて仕方がない。

    腕組みしながら署に戻ると、ヒナイチ副隊長も女子仮眠室から戻ってきており、ヒヨシ隊長がデスクから立ち上がる。
    「おうヒナイチ、半田はおかえり。朗報じゃ。今回の吸血鬼の能力は他の吸血鬼の能力すら無効化する力があるらしい。少しはパトロールもマシになるじゃろ」
    ヒヨシ隊長はひげをつまんでむぅと目を細める。
    「市民の皆さんからの電話は途切れそうににゃあし、シンヨコの監督も怠るわけにはいかんし、残りの夜間はどうしたもんかと思っておったが、ちったぁマシな夜になることを願うしかにゃーな」
    では休憩してくる、とヒヨシ隊長は課を後にした。
    「半田、おかえり」
    「モエギ先輩、いたんですか」
    今度は嫌みではなかった。床にしゃがんでいたので見えなかったのだ。
    チリンチリンと可愛い音がするので覗き込むと、なんと首にみどりの首輪をつけて貰ったサギョウ🐱が紐に繋がれて、モエギ先輩の振る猫じゃらしで楽しそうに遊んでいる。
    「……っ」
    毛先が双葉になった尻尾をフリフリしてお尻を上げて、まんまるの目を左右に動かして、穂先の流れを追いかけている。その無邪気で夢中な様は、けしからんほどに庇護欲をそそり可愛いかった。
    「やっぱりサギョウ君は凄いみたいだぞ、見ろ」
    サギョウ🐱は、じーーーっと微動だにせず目だけで穂先を追いかけていたが、のそっと動くと、ペチンと決して遅くない穂を叩き落としてしまった。そのまま穂先を咥えてモエギ先輩の手元に戻し続きを催促する。
    「トロそうに見えて、上手に取るんだよなぁコイツ。しかも何度繰り返しても飽きないときた」
    モエギ先輩は猫じゃらし片手にホクホクした顔で得意気に言う。俺の入隊以来初めて見るほど幸せそうな顔である。
    俺の心はさらなる嫉妬と羨ましさに燃え上がっていく。
    「道具一式はどうしたのですか?」
    「辻田さんの分とセットでルリが買ってきてくれたんだ」
    「なるほど」
    そこへカンタロウが泣きながらやってきた。傷だらけである。
    「ウッウッモエギ先輩…本官に猫の辻田さんとの遊び方を教えてほしいであります…」
    彼もまた親友相手に惨敗したようである。俺は同じ身の後輩に憐憫の思いで肩を抱いてやる。
    「焦っても仕方あるまい…。構いすぎると辻田さんのストレスになりかねない。あせる気持ちは俺も分かるぞ。いったんそっとしておいて、電話対応に戻ろうか」
    自分にも言い聞かせるように諭す。
    「半田先輩…!分かりましたぁ!」
    落胆するカンタロウの背を押してやりながら、モエギ先輩と遊んでいるサギョウ🐱を振り返る。鈴を鳴らすサギョウ🐱はモエギ先輩との遊びに夢中で、ますます気持ちが沈んでしまう。

    十一時頃になる。
    サギョウ🐱は日溜まりの中に置かれたヒヨシ隊長の書類かごをベッド代わりにして寝息を立てている。ゴビーは男性用仮眠室の野菜保管かごですやすや寝ている。
    休憩から戻ってきたヒヨシ隊長は、人間のサギョウが恋しいらしく、口をへの字にして、眠る彼の前足を取るとひとしきり盆踊りをさせため息をついた。
    「…さて、今回の騒動について我々の隊がどうするかじゃが、カンタロウは辻田さんの心労を考えて彼が虎にならないうちに、辻田さんの自宅まで彼を届けて、下僕をしてくれ。半田はダンピールの力が効かないようじゃし、サギョウ🐱の下僕をしつつ、ルリと内勤を頼む。今夜のパトロールは俺とヒナイチ、モエギじゃ。ちなみにギルドの方も人員が⅓になっとるそうじゃ」
    ヒヨシ隊長がうーんと顎に手を当てる。
    「俺はこれからシンヨコ新聞社とシンヨコテレビの記者会見に出てくるから三時まで不在にする。それでは皆、あとは頼んだ」
    自分も不眠不休なのに皆を励ましつつパワフルに働くヒヨシ隊長は本当にできたお人である。髭も少し似合うかもしれない。
    隊長を見送り、仮眠にいく外勤の皆に代わり内勤を引き受けた。
    サギョウ🐱は日溜まりのなかで幸せそうにふくふく眠っている。
    真ん丸に丸まった姿を見せてくれるだけで、こっちを幸せな気にさせる。触れようとすると頑として言うことを聞かない癖に。

    正午になる。休憩時間である。
    ルリは外食に、俺は出前を取る。署は俺とサギョウ🐱の二人きりになる。
    Webブラウザを複数個、デスクトップ画面いっぱいに開き猫に好かれる方法をくまなく読む。なるほど猫は目を見つめる前にまばたきする方が良いのか。
    するとまた電話の問い合わせが入る。
    猫じゃらしが売り切れたと言う話で、俺は猫じゃらしの自作方法を紹介して受話器を下ろし、ご飯にすることにした。
    「サギョウ、腹は空いてないか?」
    「……🐱」
    日向のサギョウはコロンとでんぐり返りをうち、前足を伸ばして伸びをするとくるんとまた丸まった。
    まだ寝るのかと苦笑して、出前のざるそばと天ぷらをデスクに並べると、天ぷらの衣を外して、食べやすく小さく切り、紙のお皿に盛り付け直す。
    「なー」
    足元から糸みたいに細い鳴き声がした。
    「サギョウ?目が覚めたのか」
    いつの間に歩いてきたのか、眠そうな真っ黒い目で見上げてくる。真っ直ぐに期待のこもった目でじっと見られると、ちょっと面映ゆくて言葉につまる。
    「なぁー」
    サギョウ🐱は俺の膝に前足をかけて天ぷらを探すように鼻をくんくんさせている。
    「よしよし、ごはんの時間だぞ」
    サギョウ🐱を彼のデスクに乗せてやる。そして背負いっぱなしだった小さなライフルに指を通して脱がせてやって、天ぷらと水を彼の前に置いた。俺もそばを並べる。
    「お疲れさまだな。いただこう」
    「にゃー!」
    2月のひんやりした白っぽい光の中、二人で仲良く食べ進める。はく、はく、とサギョウ🐱が美味しそうに海老を噛みきる。静かな署内での猫との二人きりの食事はなぜか心が和む。
    すると先に食べ終えたサギョウ🐱が、つとテーブルを乗り越えて俺の方に来たのである。
    「?」
    「みゃー」
    サギョウ🐱は、幸せそうに目を細め、箸を持つ俺の手に体を擦り付けてきた。
    俺はあまりの嬉しさに息がつまり手を止める。
    優しく笑って、そっと押し返す。
    「おかわりか?待て、まだ俺は食事の最中なのだ」
    そっと押し返す。
    「うにゃー」
    しかし何度も止めてもおかまいなしでサギョウ🐱は俺におでこをくっつける。
    「んみゃー」
    可愛い。嬉しくて心の奥がじんわり温まってくる。顔がにやけそうになる。
    「なんだ、下僕の俺に撫でろと命じているのか?」
    喉を撫でると、そうだと言わんばかりに、コロンと寝転がって仰向けに伸びをする。さっきまでの冷たい態度はどこへ行ったのやら、ゴロゴロゴロゴロと大きく喉を鳴らしている。
    何故だろう、その音を聞いていると満ち足りた心地がじんわり胸奥に広がる。
    緑の毛に指を差し入れる。すくように何度も脇腹の毛を撫でてやる。
    サギョウ🐱は満足そうにため息をついた。
    すっかり気を許してくれている。
    俺は箸を置くと、頬杖をついてサギョウ🐱のみどりのはちわれの額をくりくり撫でた。
    「…なんだお前、ちゃんと俺の事も覚えてくれていたのか?」
    「……」
    しかし彼は返事してくれない。
    「それとも飯が美味しかっただけか?」
    するとサギョウ🐱は目をパチッと開きにっこり笑って大きな声で鳴いた。まるで言葉も分かっていますと言わんばかりな彼にハハッと笑った。
    「まったく本当にお前は欲をはばからないなぁ」
    二人きりでサギョウ🐱が甘えてくるこのひととき。ああ、困ったことにこれはこれで、どうしようもなく手放しがたい。

    ランチから帰ってきたルリが目を丸くする。
    「あら。遠巻きにされてたと思ってました」
    「フン、どうせ🐱の気まぐれだろう」
    サギョウ🐱はすっかり俺に懐き、膝の上で仰向けに寝転がり、宙で揺れる猫じゃらしを追いかけていた。
    「うちの実家の私の猫もそうだったんですよね。皆のいるところでは甘えてくれないんです。でも二人きりになると私から離れなくって、可愛かったですよ」
    思い出すなぁとしみじみ言ったルリは、俺のデスクにちらと目をやると、しかたなさそうに笑った。
    「出前のお皿、かたしておきましょうか」
    「ありがとう……」
    人の手を借りても甘えるサギョウ🐱を手放せないのが見抜かれて情けない。
    彼はルリが席に戻ったら、俺のことなど忘れたようにとんとジャンプして膝から降り、念入りに顔を毛繕いしたあと、またよく日の当たるヒヨシ隊長の書類入れの中で丸くなった。

    夕方になるとさすがに問い合わせが減る。今のところ虎になった報告もなく、カンタロウも辻田さんは少しずつ落ち着いてきたと連絡してきた。
    外勤予定の皆も仮眠から戻ってきたので、夜になる前に俺とルリももう一度短い仮眠を取りに行く。

    次に見上げた男子仮眠室の天井は、さっきと違いいつもの見慣れた天井だった。
    (サギョウは自然体のままで十分可愛い。)
    俺は彼をムリに懐かせることをついに放棄して、布団の中で寝返りをうち目を閉じた。

    そして息苦しさを感じて目を覚ました。
    胸の上が暖かくて重い。
    ゆっくり上下する俺の胸の上に何かがのっしりと乗っかっている。さらにぷすー、ぴすー、と吐息のようなものが聞こえてくる。手をのばしておそるおそるスマホのライトをつける。
    ピンクの鼻が目の前にあった。
    「……サギョウ🐱!」
    サギョウ🐱がゴビーとくっついて、俺の胸の上で寝ていたのだ。
    サギョウ🐱は本当は、俺に懐いてくれていた。
    俺はそう直感した。でなければ、わざわざ暖かな対策課を抜け出してわざわざこんなところに寝に来るわけがない。
    なんなのだ。
    あいつはいつもいつも俺を胡散臭そうに見つめてきて、二言目には疑いの言葉をかけ、三言目には小言を言い、四度目には俺を吹っ飛ばす、ひねくれたかわいげのない奴だったくせに。
    もうダメである。
    ついに俺はサギョウ🐱にメロメロになってしまった。
    いや違う。これはおそらく吸血鬼の能力のせいである。俺にかけられた下僕と言うしばりのせいである。

    「珍しく遅かったのー」
    夕暮れを迎えた吸対課に戻り全員揃うと、ヒヨシ隊長が俺に言った。
    「申し訳ありません」
    上に乗っかって眠る二匹が可愛くて起きるに起きれなかったなどと言い訳が出きる訳がない。
    「まぁええ。そろそろ外勤組のパトロールじゃ。ちょうどええから、半田、俺の後方支援の仕事も覚えとけ」
    とヒヨシ隊長から新たな仕事の説明を受けて、シンヨコ監督のバックアップ業務を任される。
    そしてまた俺とルリでパトロールに行く三人を見送る。久しぶりの内勤だが、二日目の夜は珍しく穏やかになにごともなく過ぎていった。
    朝日が上る前頃に徹夜徹日の連続勤務が解かれ、署員は帰宅できたのである。

    俺はゴビーとサギョウ🐱を連れてサギョウの寮に戻ることになった。
    ひもをつけたサギョウ🐱とゴビーを肩に乗っけて俺は寮までの帰路を歩いた。
    「…なぁサギョウ🐱、お前はツナ缶とささみはどっち派なのだ?」
    朝御飯を問いかけると、サギョウ🐱がおでこを俺の頭にごちんとぶつける。ネット記事で読んだが額をぶつけるのは、猫なりの愛情表現らしい。いつかどこかで見た、別に僕はどっちも好きですよと笑うサギョウの顔を思い出して胸が切なくなった。
    サギョウ、俺はお前のことがとても恋しい。

    2日ぶりに寮の自室に帰ったサギョウは部屋をパトロールして、俺を振り返って「なぁーん」と報告した。
    「何か変わったことはなかったか?勝手にお前の私物を触るような真似はしないから安心してくれ。ただしキッチンは貸して欲しい」
    サギョウはじっと俺を見つめると、ふいっと目をそらして、自分のベッドの上に飛び乗った。
    「ありがとう」
    キッチンであたためたツナ缶に中華だしと片栗粉でとろみをつけたあんかけと、蒸したささみをほぐしセロリと和えたさっぱりしたサラダを作る。俺は炊いた米とお味噌汁とおしんこを追加する。そして珍しくビールを開けた。
    「サギョウよ、来い」
    笑顔で手招きし料理を彼の皿に取り分け、食べっぷりを可愛がる。
    「うまいか?」
    またはくはくと美味しそうに食べてくれるサギョウの姿を俺はつまみにした。そしてのんびり飲めないビールを飲む。
    夕飯を片付けて風呂を借りたら、毛繕いを終えたサギョウに、猫じゃらしを振ってやる。
    やがてサギョウは俺の膝で丸まって、ゴロゴロ言いながら撫でられ満足げにため息をついた。
    こんなにやけ面は誰にも見せたくない。
    俺が布団に入ると、サギョウとゴビーが顔のそばで丸くなった。ちょっぴり湿っぽくてゴボウとお日様の香りがして、とにかく温かかった。
    …このままサギョウが俺の可愛い猫なら良いのに。眠りに落ちていくまどろみの中でそんなことを考えた。



    『半田先輩!辻田🐱さんがいなくなったでありまぁあああああす!』
    俺はカンタロウの悲痛な第一報で即座に目を覚ました。時計を見ると午後四時。俺も爆睡してしまったようである。
    電話片手に支度をしながら、泣きつく後輩の話を聞く。
    なんでもカンタロウは、辻田🐱さん相手に彼を心慰めようと色々語り聞かせたらしい。いつもいつも二人で出歩くと珍事に出くわし、話し合う機会がなかったそうだ。
    そこでなぜ吸血鬼対策課を目指したのか、ついつい熱を込めて語って、漫画の道に進むのをやめた話をしたそうだ。
    すると辻田🐱さんはカンタロウの指に噛みついて、出ていってしまった。
    「辻田さんは急にふいっと消えてしまうのであります!でも出ていく前に噛みつくなんて、きっと本官、ついに辻田さんに甘えすぎて、怒らせてしまったのであります!」
    いつもいつも善意だけでナギリを探すのを手伝ってくれる優しい方なのに!とカンタロウは泣くのを止めない。
    「そうか…。今日の深夜二時には辻田さんも人に戻ることが出来るから、危険なことはないかもしれない。でも傷つけてしまったなら、きっとはやく探しだして彼に謝るべきだな」
    出勤時間まではまだある。
    探しに行くのを手伝おう、と俺はカンタロウに伝えて、ジャケットを羽織って電話を切った。
    「サギョウ、俺は少し出掛けてくる。後で迎えに来るから…」
    言いながら腕時計をつけ終えて、部屋を振り返る。
    しかし返事がない。
    「…サギョウ?」
    静かな午後。
    キッチンの窓が開いていた。

    寮を飛び出すと、フロアの隅々から寮の回りまで探し回る。けれどもサギョウは見当たらなかった。
    どこかへ引っ掛かっていたり、降りられなくなっていないかと心配でしかたがない。
    カンタロウを待たせているにも関わらず徹底的に探した。
    「……いないか……」
    花壇の茂みを見て回った俺は、一息ついて探す手を止め空を見上げ、考え直す。
    カンタロウに言った通り、サギョウは今夜二時になれば元の姿へ戻るはずだ。慌てなくても大丈夫だ。
    そもそもサギョウは俺が驚いたり怯えて出ていった訳ではない。
    俺は寝る前に戸締まりをし、キッチンの窓も鍵を閉めたのだ。
    つまり彼は自分の意志で窓の鍵を開けて開いて出ていったのではないか。
    でもいったい何のために。
    どんなに結論を出そうとしても、サギョウが出ていく動機が見つからない以上、俺の考えは、ただの希望的観測でしかなかった。俺は空を見上げた。

    …サギョウは、戻ってきてくれるだろうか。

    俺は深呼吸をひとつして目を閉じる。決意すると、カンタロウに電話した。
    「遅くなってすまない。辻田さん探しに合流できる」
    辻田さんは、民間人だ。どんなことがあっても俺たちで守らなければならない。
    だが、サギョウは、警察官だ。
    きっと彼は、無事だ。
    俺は手を握り締めて、カンタロウの告げた住所に向け駆け出した。


    🐈‍⬛🐈‍⬛🐈‍⬛

    一生懸命、忘れられないように生きてきた。
    だがそれももう良い。
    もう、別に忘れ去られたって、良い。
    大好きな人がいた。
    向こうから勝手に覚えていてくれて、それどころかもう構うなと言うのに、元気に声を張り上げて駆け寄ってきてくれる。
    『辻田さん!辻田さん!』
    そんな彼を俺は、傷つけてしまって取り返しがつかないのだから。
    俺は、俺の手で絶望のどん底に突き落とし未だに気の狂ったように復讐に取り憑かれっぱなしの俺の罪と罪悪感の塊に噛みついて部屋を出て、そのまま街を去ることにした。
    人間に、罪の意識を持ったなんて、本当にもう俺の吸血鬼の名は廃れたのだ。
    とにかくこの胸の痛みから逃げ出したかった。
    そして俺は、シンヨコから、丸から、そしてカンタロウからがむしゃらに走って逃げたのだ。
    猫だから吸血鬼の能力が奪われていた。代わりに午後の日差しは俺の肌を焼いたりはしなかった。
    ただの猫だから人の目を気にして怯えることもなかった。自分の罪をいやと言うほど知らしめされた俺は、誰もいない場所に行きたかった。俺は、狂っていたのだ。それに気づかず生きていられたならどんなに俺は、楽だっただろう。けれど俺は、正気に返ったのだ。
    生まれてはじめて友達ができた。
    もうそれだけで俺は、良いのだ。
    俺が誰から忘れ去られても俺は、二重焼きの味を覚えている。カンタロウを覚えている。

    縮んだ四つ足の体で夢中で走っても中々。うらぶれた空き家は遠ざかってくれない気がした。
    疲れきって、俺はうずくまった。のどが渇いた。水がのみたい。辺りを見回した。
    たくさんの人間の足が不規則に動き続ける。大きな車の音が止まない。排気ガスの煙を浴びる。アスファルトは午後の日差しを受けてピカピカと光沢を放ち、巨大なオフィスビルが林立する。
    俺は理解した。俺はここがどこか知らない。
    ああ、ただ、水が飲みたい。
    シンヨコに来てからろくに血を飲めていなかった。カンタロウが饅頭を分けてくれたが、長年不摂生した体には肋が浮いている。
    チリチリ照りつける日差しの眩しさが慣れず、頭がふらふらして、肉球が熱くて、俺はしおしおと尻尾を垂らして、歩道の植栽の中に戻った。ここなら誰にも見つからない。夜まで過ごして人間に戻れたら、まだその時生きていたら、俺は、今度こそ街を出ていこう。
    そう思って目を閉じた。
    すまない、本当にすまない、丸。カンタロウ。

    チリ…。

    可愛い鈴の音がする。

    チリン、チリン。

    音は少しずつ近づいてくる。
    通りすぎるだろうと思ったその音は、俺の隠れた茂みの前で止まった。
    かさこそと枝葉を掻き分ける音にも俺は目を閉じていた。起き上がる気力がわかなかった。
    にゃあと鳴き声がした。
    『辻田さん』
    俺は、呼ばれた名前に目を開いた。
    みどりのはちわれが俺を見ていた。
    『迷子になっちゃったんでしょう?僕と一緒に帰りましょう』
    はちわれ猫が無邪気な顔で言った。
    『僕、この町のお巡りなんです。迷子の保護は僕の仕事なんです』
    白い制服に輝く銀バッチ。小さなバッグを担いでいる。ああ、彼は吸血鬼対策課だ。俺を逮捕しようとやっきの奴らだ。いつもダンピールといる人間の男だ。
    …そうか、今は俺のことが辻斬りナギリと分からないのか。ただのカンタロウの所の辻田だと思っているのか。
    『もう、迎えに来たって遅いんだよ』
    俺はごろりと彼に背を向けて丸まった。血の刃が出せないし、放すだけ腹が減るだけだ。キュッと唇を噛み締める。
    『誰が迷子だ。俺はこの町を出ていく事にしただけだ。…ろくでもない事ばかり起きるんだからな。もう何もかも嫌になった』
    カンタロウにもそう伝えておけ、と付け足すと、俺は尻尾で彼に去れと言った。
    しかし緑の猫はのんびり優しい声で言うのだ。
    『今分かったけど、貴方、本当は吸血鬼でしょう』
    『…!』
    辻バレしたのかと汗が出る。けれど手から出せるのは尖った爪ばかりだ。
    『……』
    血の刃にも似たぎらりと光る爪をしげしげと見つめて俺はほうと息をはいた。
    『俺はな、カンタロウが探している吸血鬼の辻斬りナギリだ。全くこの町の吸対課は仕事熱心なことだ。猫になってすら、しつこく悪党を逮捕しに来たのか?見上げたもんだなぁ』
    『猫になっちゃうと、嘘、つけないですよね。僕もなんです』
    緑の猫は、俺の額をペロリと舐めた。
    『止めろ!』
    俺はガブッと彼の首もとをかんだが、弱った体で彼のたっぷりした毛皮で包まれた皮膚に傷をつけるのは難しかった。
    耳を伏せて上目使いをする猫に戦う気が失せて、俺は彼の喉から牙を放した。柔らかい口調の癖に意外に肝のすわったやつだ。
    『カンタロウさん、僕の部下なんです』
    『俺の監督に失敗したら、部下ともどもお上から厳しく叱られるとでも言うのか。お前らなんぞの事情なんぞ俺の知ったことか。あっちへ行け』
    『違うんです。カンタロウさんが泣いてるんです。優しい貴方を傷つけてしまってごめんなさいと。その声を聞いてたら僕、いても立ってもいられなくなっちゃって、つい…』
    緑の猫は再び俺の額にごちんと額をぶつけた。
    『帰りましょう、辻田さん。僕、迷子を連れて帰るのは初めてじゃないんです。まってる人のいる家に帰れた人は、どんなにほっとした顔をするか僕はよく知ってます』
    もし一人じゃ無理なら、僕もカンタロウさんの所まで一緒に行きますからね、と緑の猫は笑った。
    じわりと涙が目にたまる。
    地味な普通の奴だと思っていた。
    かつて、もっと早く、こんな優しい人が、俺を助けてくれていたなら。
    俺が憧れていた退治人とは少し違う。
    もっと穏やかで、それでいて決して曲がらない、まっすぐな正義心を当たり前のように街のみんなに差しのべてくれる人。
    温かい額は、まるで子供に救いを差し出す大人の手だった。
    『……』
    俺たちは薄々分かっている。猫になった時の記憶は、吸血鬼や人間にもどったら忘れてしまうことを。
    この緑の青年は俺の正体を知ったことも忘れてしまうし、俺はこの青年が手を差しのべてくれたことも忘れてしまう。
    『きっと今もカンタロウさんは必死で貴方を探しています。貴方が噛んだのは自分のせいだと思って自分を責めて泣きながら』
    カンタロウさんを元気にできるのは、貴方だけなんです、と彼は言った。
    そうか。
    ねこの俺がこの3日間の事を忘れたとしてもカンタロウの指についた傷は、消えないのか。そして俺が消えたらしつこい彼の事だ。ずっと、泣き続けるのか。俺の不在を。
    俺はのそりと立ち上がった。ふらりと体が揺れたら、緑の猫は俺の肩を支えた。
    『貴方、こんな遠くまで良く来たなぁ』
    僕じゃなかったら分かんなかったですよ、と得意そうに言うので、俺はフンと笑ってしまった。
    『喉が、渇いただけだ』
    『じゃあまずは水呑場まで行きましょう』
    『……わかった』
    本当は憎い敵の俺たちだが、肩を支えてもらって一緒に歩きだした。
    喉がからからの筈なのに、目からぽたぽた雫が垂れた。
    また俺は今日1日、カンタロウのそばを離れずにいられた。
    丸。クソガキども。吸対課の赤毛の女。鞭をうちならす退治人に、野生のダチョウ。図体がでかいばかりの三下吸血鬼どもに、俺をヘルパシ扱いするダンピール。
    また、そうやって、シンヨコで過ごすくだらない日が俺の中に一つずつ、消えずに分厚く積み重なっていく。

    🐈️🐈️🐈️


    刻一刻と時は流れていく。
    日没と共に職場に戻り、制服の外套だけ羽織ってライトを手にし辻田さん🐱を探す。
    日が落ちてしまって何時間になるだろう。
    猫の捜索はいっそう難しくなる。夜間は動物の事故が増えてしまう。不馴れな猫の体では危険がいっそう増すだろう。
    けれど辻田さん🐱は見つからない。
    ……そしてサギョウも戻ってこない。
    胸が張り裂けそうな想いである。俺は我慢が苦手だ。もう叫びだして、何もかも放り出して、誰よりも大切なサギョウを探しに行きたい。けれど市民を守ると誓った仕事の矜持は、俺にそれを許さない。
    「今日は辻田さんになぜか会えないであります!いつもいつもパトロールしていたらすぐに出会えるお方なのに!」
    カンタロウは、こんなことはありえない、と顔を真っ白にして涙目で、空き家をすみずみまで照らし、つみあがった瓦礫をどかし、茂みを掻き分け、探し続ける。彼の必死な姿に俺も懸命に探して回る。
    ダンピールの視覚が戻らないのがただただ歯がゆい。
    もうじき日付をまたぐ。カンタロウと辻田さん🐱が無事に和解できるのはもう無理なのではないだろうか……。
    俺は額の汗を拭うとカンタロウに声をかけた。
    「こういう時は近場にいるのがセオリーだが、猫になって日が浅い辻田さん🐱はパニックになっていたのかもしれない。お前のよく知る近隣の場所だけではなく、通りに出て目撃情報を聞き込みながら探してみるのはどうだ」
    カンタロウは煤けた顔で歯をくいしばって頷いた。
    「はい…!」
    カンタロウも猫の辻田さん🐱と過ごしたひとときが、きっとことさら幸せだったのだろう。包み隠さず一つ屋根のしたでゆっくり語らえた時間だったのだろう。
    年上でも構わない。男泣きする彼の頭を撫でてやる。
    「ほら泣くんじゃない。そんな顔じゃ辻田さんが心配して出るに出られないだろう」


    🐈‍⬛🐈‍🐈‍⬛🐈️

    てちてち遠い道のりを歩き続けた僕はようやく後ろを振り返った。
    『着きました、辻田さん』
    『……』
    水をのみ、ちゅーるを分けて貰った道中で、少し体力を回復した辻田さんの意識は歩き続けてもはっきりしていた。
    着いた場所は、ビジネスビルの隙間に埋もれて使われなくなった古い公園である。
    またたく街灯の下で、なにかを必死に探している、二人の白い制服姿の男たちがいる。
    自販機の裏に回り、木陰をライトで照らし、一生懸命で諦める気はなさそうだ。
    部下想いの半田先輩。
    友達想いのカンタロウさん。
    『あと少しで二時ですよ。記憶が消える前に、謝りに行きましょう?僕、ここで貴方が上手く行くように見ててあげますから』
    けれど辻田さんは一歩を踏み出せずにじっと自分の名前を呼んで必死に探す二人の男たちを見つめている。
    「辻田さん、辻田さん!」
    「辻田さん、どこでありますか…!」
    僕はただそばにいて彼の大きく見開かれた姿を見守った。

    辻田さんは、実は辻斬りナギリだと自分で言う。
    吸血鬼辻斬りナギリは人の身を思いやることなく血を吸いたい放題してきたと聞いていたが、会ってみれば肋が浮きろくに立ち上がれない体だった。
    辻バレしても怒ることなく虎にもならなかった。
    素直に罪を認め、カンタロウさんを泣き止ませるために、ガリガリの体で起き上がった。
    だから僕はもう何も言わない。ただただ、あと少しで何もかも忘れて言えなくなる前に、僕のおばかな後輩のために勇気を取り戻してくれた人へ感謝をのべた。
    『カンタロウさんのために、ありがとう』
    『……俺なんぞに礼を言うのか?』
    『はい』
    辻田さんは、吸血鬼ナギリは、僕を見ていたが、急に意を決したように前を向き後はもう、振り返らなかった。カンタロウさん目掛けてまっすぐにかけていく後ろ姿を僕はいつまでも見送った。

    同時に、一度過ったライトが戻ってきて茂みのそばにいた僕を煌々と照らした。
    「サギョウ……?サギョウなのか…!」
    少し離れた所で、見慣れたお兄さんが、すっかり汚れた顔をして、困惑と驚愕で金色の猫の目を丸くして、僕の名前を呼ぶ。
    「にゃあ」
    僕は一鳴きするとかけていき、いつもの鬱憤をはらさんと、彼の肩にひととびでかけ上った。
    いつも僕を見下ろして来る半田先輩の肩に乗っかるのは楽しい。 大好きな彼の顔にただいまとすりすり体を擦り付ける。
    「サギョウ、お前……辻田さんを探し出して連れ帰ってくれたのか」
    別に、電話が掛かってきた時に、人間の先輩たちでは無理そうだなと思ったまでですよ。
    フフンと言う誇らしい気持ちで、ぱたぱた尻尾を振り回す。ああ、僕の力で出し抜いた先輩の肩に乗るのは本当に気分がよい。めったにない事である。優越感に浸っていたら、僕はまた先輩にむんずと捕まれて、すぐ不機嫌になって、むーと唸った。
    僕を覗き込む先輩は泣きそうな顔をしていた。
    「……お前が戻ってくると信じていた」
    …信じていたのならどうしてそんな泣きそうな顔をするんです。
    きつく僕は抱き締められる。
    「🐱になっても辻田さんを連れ帰ってくれた働きぶりに感謝する。お前は本当に芯から立派な吸対課の職員だ。…でも本当は、お前が困っていないか、辛い思いをしていないか、俺は気が気でなかった。俺は、事もあろうにお前を」
    僕は続けようとした先輩の唇に両手を伸ばして黙らせる。
    せっかく僕を信じてくれてたなら、僕を探さなかったことを謝らないで下さいよ。
    僕はぺちぺち先輩の顔をひっぱたいて、にゃあーと鳴いた。続きを話せず先輩はむぐぐと唸る。僕はおかしくて笑う。
    もうすぐ夜中の二時である。

    僕は猫でいられる最後の数分、半田先輩の首に腕を回し、ぎゅうと抱き締めた。
    黙って出てって悲しませてごめんなさい。3日間貴方を独り占めできて、貴方がいつもは決して見せてくれない素顔を覗かせてくれて。僕もまた貴方への気持ちを包み隠さず素直に伝えられて、貴方の猫でいられて…とても幸せでした。
    全部忘れちゃうけど、貴方を抱き締められるこの時間がずっと続けば良いのにと僕は思った。
    猫になれて良かった。僕はまたひとつ賢くなれたのだから。
    いつか先輩を置いて僕は先に旅立つ。
    そんなとき、こんなに皆や僕を大切に想ってくれる先輩を今のように泣かせてしまったらどうしよう。そんなことは嫌だ。
    僕はしずかに恋心を胸に閉まう。たとえば死期を悟った猫がしずかにその姿を主人の前から消すように。

    月夜に低い綺麗な声が響く。抱きついた僕の体を抱えて背中を優しく大きな手が撫でていく。
    「サギョウよ、サギョウ。ああ俺の大事なサギョウ…もう二度と、俺の元から離れていかないでくれ。二度と手離したくなどない。また俺とゴビーと三人で、仲良く朝御飯を一緒に食べよう、お前さえよければ、ずっとずうっとだ」
    はは、こんな幸せな時間なんてあり得ない。きっとこれは、僕の理想が都合良く夢になってしまったのだなと僕は思った。
    公園の時計の分針がカチリと動いて、僕は夢から覚めるのが嫌で、うるんだ目をゆっくり閉じた。

    Tap to full screen .Repost is prohibited
    🌜🐱💖💚🍑☺💙💗💚☺💖💖💖👏👏👏
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    related works

    recommended works